65.特別
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シンプルで画一的な廊下が続いた後、入江正一率いる一行は目的の部屋にたどり着いた。近代的で機能美な扉の向こうに待っていたのは、少々ほこりっぽく、薄暗い酒場のような場所だった。否、本来は違う目的で作られていたはずの部屋は、酒場へ様変わりしていた。
オレンジの間接照明が、バーカウンター、その上にずらりと整列するアルコールボトル、ビールサーバー、氷の詰まったトング付きアイスペールを鈍く照らしている。
不思議なのは、今まさに酒盛りが行われていた気配が残るこの場所で、常連客やバーテンダーや給仕といった役割の人間が──みな煙のようにこつぜんと姿を消してしまっていたことだ。
部屋の真ん中にある大きなビリヤード台の傍らには木製のスツールがあり、そこに誰かが腰掛けていた。この人物以外、人影は見えない。
入江の入ったドアと真向かいにある壁は、分厚いカーテンで仕切られており、その向こう側は見えなかった。
部屋に歩みを進めた瞬間、入江は何かに躓いて、わずかに体幹がゆらいだ。足元を見つめると空のビール瓶が転がっており、それがまた、妙に癪に障った。
「誰だ?」
ビリヤード台の手前にいる人物が話しかけてきた。それに、入江とアンジュ・ミナミは呼応した。
「ホワイトスペル第2ローザ隊、隊長A級 、入江正一です」
「同じく、第2ローザ隊、隊員C級 、アンジュ・ミナミです」
2人が名乗った途端、その人物は勢いよくスツールから立ち上がった。
「おおっと、こいつは失礼! こちらから挨拶に伺おうと思っていたんだが」
慌てたように見えるが、ゆったりと歩み寄るのはわざとらしさが垣間見られる。
現れたのは、上背のある、甘いマスクをした伊達男だった。金髪をオールバックになでつけ、友好的にこちらに微笑んでいる。
「オレがブラックスペル、第3アフェランドラ隊、隊長のγ だ」
その泰然とした様子に、入江は気圧されまいと胸を張る。
「あなたが"電光のγ”……武功のお話は、かねがね聞いています」
握手を交わす両者。
「あんたの手腕はこっちでももっぱらの噂だぜ。優秀なフィアンセもいて羨ましい限りだ」
γからの視線を受け流し、アンジュは肩をすくめる。
「上司におだてられると、鼻の下が伸びちまうな」
γの発言に、入江が首を傾げる。
「上司? 同じA級ではないですか」
いいや、とγは首を横にふった。
「ここの最高責任者はあんたなんだ。我ら第3部隊は、惜しみなく第2部隊に協力するつもりだ。なんでも申し付けてくれ」
その言葉が本心からなのかは定かでないが、建前では協調性のある人物のようだ。入江は密かに胸をなでおろし、本題に入る。
「助かります。では早速ですが……野猿と太猿がトラブルを起こした件について、説明を……」
γも入江の来訪理由はおおかた予測していたのか、表情は一切変えなかった。
「その件についちゃ、オレの監督不行き届きだ。2人は深く反省している。オレの顔に免じて、許してもらえないか?」
「……ですが、問題は匣を損傷させたことでして」
食い下がる入江。黙りこくるγ。
数秒の後、入江のほうから折れることにした。これ以上議論していても仕方ない。表面上、自分は役目を果たした。上官として。
「次はかばいきれないと伝えてください」
「恩に着る。あいつらはオレがしっかり灸をすえておくよ」
もうひとつ、入江は付け加える。
「それから……これはお願いなんですが、ボンゴレに関することは、いかなることでも、必ず僕に報告してください」
また、意味ありげに口を閉じるγ。やがて言った。
「ああ、了解した」
その返答をもらい、入江はくるりとγに背を向ける。
「おいおい、もう行っちまうのか? 茶でもどうだ?」
「いえ、あまり長居するのも申し訳ありませんから」
扉の前まで来て、入江はふたたび部屋の中を振り返る。アンジュは、γの隣から一歩も動こうとしない。
「アンジュ、君は?」
「私は、もう少しγさんとお話したいわ」
「そうか。γ隊長、あなたのほうは?」
「こんな別嬪さんに誘われて、断るってのが失礼なもんだ。あんたさえ良ければオレは構わないさ」
すると、入江はアンジュに目配せし、静かに頷いた。
「アンジュ、失礼のないように。……あまり遅くならないでね」
「ええ」
アンジュをアフェランドラ隊の部屋に残し、廊下に出る入江。γとの間に扉が隔てられたとき、控えていたチェルベッロが口を開いた。
「お上手でしたよ」
「やめてくれよ……」
自分を落ち着かせるように、隊服の首元を掴む入江。
持ち場へ戻る途中、もう一人のチェルベッロが尋ねてきた。
「しかし、良いのですか? アンジュ様を……」
チェルベッロにとっては意外だった。フィアンセであるアンジュが、アフェランドラ隊のエリアへ同行することに入江は難色を示していたというのに、あっさりと彼女を部屋に残していくとは。
「ああ……」
入江は歩きながら、小さくなったアフェランドラ隊の扉をちらっと見る。そしてかすかに呟いた。
「アンジュなら、うまくやるさ」
入江とチェルベッロ達が去った後、アンジュはγにそっとあるものを手渡そうとした──ハンカチに包まれた、白いアネモネの小さな花束だ。
「これ、お近づきの印に、どうぞ」
「おお、悪いな。こんな部屋に、もったいねえ」
受け取るのをためらっているのか、髪をかき、苦々しく笑うγ。アンジュは床下に視線を落とし、転がっていた背の低い空き瓶を拾うと、滑り込むようにバーカウンターまで足を運んだ。シンクで瓶に水を入れ、アネモネの茎を浸すと、テーブルの照明が落ちる真下に目立つように飾った。その様子を、γはまじろぎもせず見つめる。濃く深い緑色のビール瓶から、白い花が咲き誇っている。
戻ってきたアンジュに、今度はγがビール瓶を差し出してきた。こちらは中身がある。『Budweiser』、アメリカ製のビールだ。
「どうだい、一杯」
「ええ、ぜひ」
グラスを探して、周囲を見渡すγ。すると、彼にとって予想外のことが起こった。
γの手元から、アンジュはビール瓶を奪うと、そのまま口をつけてあおったのだ。こくこくとわざと喉を鳴らして一気に飲み干す。動く口元から、一滴の雫がつつ、とこぼれて彼女の首筋を走った。γがおどけたように目を丸くする。
「イケる口か」
「まあね」アンジュは口元をぬぐった。「『ショーシャンクの空に』って映画、ご存知?」
「名作だな」
「あれを見て以来、こういうふうに飲むのが憧れだったのよ」
厳しく劣悪な環境の刑務所が舞台の映画だ。囚人たちが屋上のタール塗りの仕事を終え、空の下で一息つきながら瓶ビールをあおる場面があるのだ。まるでシャバに出たようだ、まるで自由の身になったようだ、まるで自分が、神にでもなったかのようだと、安堵感に包まれながら。
「昔は、よく映画を見てたわ……だいすきな友だちと一緒に」
懐かしむように目を細めるアンジュ。しかし、それは一瞬だけの面差しだった。
「なら、もっと明るいところがよかったかな」
アンジュは首を横に振り、ビール瓶を傍らにあった小さなテーブルに置いた。
「それよりも、人数が多いほうが楽しいわ。後ろにいらっしゃる方々は、今日はご都合が悪いのかしら?」
「……」
γは小さく息を吐くと、ビリヤード台に横たわっていたキューを手に取り、とんとん、と床を軽く叩いた。それが合図だったのか、壁を覆っていたベルベットの緞帳 がすっと引かれ、新たな部屋が露わになる。
大きな三人掛けのソファ、ローテーブル、いくつかのカフェテーブルセット──それらに腰掛け、くつろぐ、γと同じ隊服──ブラックスペルの男たちがざっと十数人、アンジュ達を見つめていた。
だが、アンジュは顔色一つ変えることなく、γに向き合うと、ビリヤード台のフレーム部分を指でなぞった。
「ねえ、ビリヤードって楽しい?」
「やってみるか?」
「教えてくださる?」
γは白いキューと、一面だけ青くやわらかい材質をした立方体の小さな物体をアンジュに寄越した。
「ビリヤードチョークだ。それをキューの端っこでこすりな。滑り止めだ」
アンジュの指は蛇のようにキューを這って先端をつかみ、立方体のチョークの面を押し当て、ぐりぐりと強く擦った。両手でためつすがめつ、細長い棒を弄る彼女に、アフェランドラ隊の男たち数人がいわくありげな視線を送るが、アンジュは全く気にもとめていない。むしろ楽しんでいる様子で、時折意味深な一瞥をくれるだけだった。
台の上に適当に転がっていた球に、キューの先を向け、γが基本的なビリヤードのフォームの手本を見せた。一度引かれたキューは、二度目の推進でカン、とキレのある小気味良い音を立ててボールを弾く。
γを真似て、アンジュもポーズも取る。
「これで合ってる?」
指名され、まんじりともしない様子でγがアンジュに近づいた。
「キューは、女性が握るならもう少し中央寄りの方がいいな。右腕の角度が、直角になるように意識するといい」
失礼、と一応断りを入れて、アンジュの腕の位置を正すγ。アンジュはγの顔を覗き込むようにして言った。
「……本当は出会ったのでしょう、幼いボンゴレに」
γのわずかな手の震えが、アンジュに伝わってきた。カーテンの奥のソファに座っている太猿・野猿を横目に、アンジュは続ける。
「左手のほうは、これでいいのかしら?」
言いながら、キューごとγの手を自分の手で押さえつけるように重ねた。
自ら切り込んできた女に、γは挑戦的な笑みで返す。
「……もし、そうだと言ったら? あんたの婚約者に告げ口するかい」
「いいえ。初心者にもおすすめのゲームはある?」
「9 ボールだな。最小番号のボールから穴に入れてって、最後に9のボールを入れれば勝ちだ。ビギナーズラックも狙える」
「じゃあ、それにしましょう」
1から9の番号がついたボールを、ひし形に並べていくγ。てっぺんを1,真ん中のボールは9,それ以外は自由に連ねて良いことになっている。
「本来は、バンキングで先攻を決めるんだが……ハンデとレディファーストだ、お先にどうぞ、アンジュ・ミナミ殿」
「まあ、お優しいのね。ではお言葉に甘えて」
アンジュが打つ。ここでボールがどこかのポケットに入ればアンジュのターンで再びボールを狙えるが、やはり初心者、それは無かった。
γがキューの先をチョークで磨きながら、1のついたボールを見つけて──きれいにポケットした。
それを眺めながら、アンジュが言った。
「あなた達は、私達ホワイトスペルが憎いんじゃない」
「……」
黙りこくったまま、γは2番のボールを狙う。
「ミルフィオーレが、憎いのね」
γの双眸が、わずかに見開かれた。ボールはどこにも行かなかった。アンジュの番だ。
アンジュはゲーム相手と、後ろにぞろりと控えるアフェランドラ隊をねめまわすように眺めて言った。
「あなた達……交渉に使いたくない? 過去からやって来たボンゴレを」
オレンジの間接照明が、バーカウンター、その上にずらりと整列するアルコールボトル、ビールサーバー、氷の詰まったトング付きアイスペールを鈍く照らしている。
不思議なのは、今まさに酒盛りが行われていた気配が残るこの場所で、常連客やバーテンダーや給仕といった役割の人間が──みな煙のようにこつぜんと姿を消してしまっていたことだ。
部屋の真ん中にある大きなビリヤード台の傍らには木製のスツールがあり、そこに誰かが腰掛けていた。この人物以外、人影は見えない。
入江の入ったドアと真向かいにある壁は、分厚いカーテンで仕切られており、その向こう側は見えなかった。
部屋に歩みを進めた瞬間、入江は何かに躓いて、わずかに体幹がゆらいだ。足元を見つめると空のビール瓶が転がっており、それがまた、妙に癪に障った。
「誰だ?」
ビリヤード台の手前にいる人物が話しかけてきた。それに、入江とアンジュ・ミナミは呼応した。
「ホワイトスペル第2ローザ隊、隊長A
「同じく、第2ローザ隊、隊員C
2人が名乗った途端、その人物は勢いよくスツールから立ち上がった。
「おおっと、こいつは失礼! こちらから挨拶に伺おうと思っていたんだが」
慌てたように見えるが、ゆったりと歩み寄るのはわざとらしさが垣間見られる。
現れたのは、上背のある、甘いマスクをした伊達男だった。金髪をオールバックになでつけ、友好的にこちらに微笑んでいる。
「オレがブラックスペル、第3アフェランドラ隊、隊長の
その泰然とした様子に、入江は気圧されまいと胸を張る。
「あなたが"電光のγ”……武功のお話は、かねがね聞いています」
握手を交わす両者。
「あんたの手腕はこっちでももっぱらの噂だぜ。優秀なフィアンセもいて羨ましい限りだ」
γからの視線を受け流し、アンジュは肩をすくめる。
「上司におだてられると、鼻の下が伸びちまうな」
γの発言に、入江が首を傾げる。
「上司? 同じA級ではないですか」
いいや、とγは首を横にふった。
「ここの最高責任者はあんたなんだ。我ら第3部隊は、惜しみなく第2部隊に協力するつもりだ。なんでも申し付けてくれ」
その言葉が本心からなのかは定かでないが、建前では協調性のある人物のようだ。入江は密かに胸をなでおろし、本題に入る。
「助かります。では早速ですが……野猿と太猿がトラブルを起こした件について、説明を……」
γも入江の来訪理由はおおかた予測していたのか、表情は一切変えなかった。
「その件についちゃ、オレの監督不行き届きだ。2人は深く反省している。オレの顔に免じて、許してもらえないか?」
「……ですが、問題は匣を損傷させたことでして」
食い下がる入江。黙りこくるγ。
数秒の後、入江のほうから折れることにした。これ以上議論していても仕方ない。表面上、自分は役目を果たした。上官として。
「次はかばいきれないと伝えてください」
「恩に着る。あいつらはオレがしっかり灸をすえておくよ」
もうひとつ、入江は付け加える。
「それから……これはお願いなんですが、ボンゴレに関することは、いかなることでも、必ず僕に報告してください」
また、意味ありげに口を閉じるγ。やがて言った。
「ああ、了解した」
その返答をもらい、入江はくるりとγに背を向ける。
「おいおい、もう行っちまうのか? 茶でもどうだ?」
「いえ、あまり長居するのも申し訳ありませんから」
扉の前まで来て、入江はふたたび部屋の中を振り返る。アンジュは、γの隣から一歩も動こうとしない。
「アンジュ、君は?」
「私は、もう少しγさんとお話したいわ」
「そうか。γ隊長、あなたのほうは?」
「こんな別嬪さんに誘われて、断るってのが失礼なもんだ。あんたさえ良ければオレは構わないさ」
すると、入江はアンジュに目配せし、静かに頷いた。
「アンジュ、失礼のないように。……あまり遅くならないでね」
「ええ」
アンジュをアフェランドラ隊の部屋に残し、廊下に出る入江。γとの間に扉が隔てられたとき、控えていたチェルベッロが口を開いた。
「お上手でしたよ」
「やめてくれよ……」
自分を落ち着かせるように、隊服の首元を掴む入江。
持ち場へ戻る途中、もう一人のチェルベッロが尋ねてきた。
「しかし、良いのですか? アンジュ様を……」
チェルベッロにとっては意外だった。フィアンセであるアンジュが、アフェランドラ隊のエリアへ同行することに入江は難色を示していたというのに、あっさりと彼女を部屋に残していくとは。
「ああ……」
入江は歩きながら、小さくなったアフェランドラ隊の扉をちらっと見る。そしてかすかに呟いた。
「アンジュなら、うまくやるさ」
入江とチェルベッロ達が去った後、アンジュはγにそっとあるものを手渡そうとした──ハンカチに包まれた、白いアネモネの小さな花束だ。
「これ、お近づきの印に、どうぞ」
「おお、悪いな。こんな部屋に、もったいねえ」
受け取るのをためらっているのか、髪をかき、苦々しく笑うγ。アンジュは床下に視線を落とし、転がっていた背の低い空き瓶を拾うと、滑り込むようにバーカウンターまで足を運んだ。シンクで瓶に水を入れ、アネモネの茎を浸すと、テーブルの照明が落ちる真下に目立つように飾った。その様子を、γはまじろぎもせず見つめる。濃く深い緑色のビール瓶から、白い花が咲き誇っている。
戻ってきたアンジュに、今度はγがビール瓶を差し出してきた。こちらは中身がある。『Budweiser』、アメリカ製のビールだ。
「どうだい、一杯」
「ええ、ぜひ」
グラスを探して、周囲を見渡すγ。すると、彼にとって予想外のことが起こった。
γの手元から、アンジュはビール瓶を奪うと、そのまま口をつけてあおったのだ。こくこくとわざと喉を鳴らして一気に飲み干す。動く口元から、一滴の雫がつつ、とこぼれて彼女の首筋を走った。γがおどけたように目を丸くする。
「イケる口か」
「まあね」アンジュは口元をぬぐった。「『ショーシャンクの空に』って映画、ご存知?」
「名作だな」
「あれを見て以来、こういうふうに飲むのが憧れだったのよ」
厳しく劣悪な環境の刑務所が舞台の映画だ。囚人たちが屋上のタール塗りの仕事を終え、空の下で一息つきながら瓶ビールをあおる場面があるのだ。まるでシャバに出たようだ、まるで自由の身になったようだ、まるで自分が、神にでもなったかのようだと、安堵感に包まれながら。
「昔は、よく映画を見てたわ……だいすきな友だちと一緒に」
懐かしむように目を細めるアンジュ。しかし、それは一瞬だけの面差しだった。
「なら、もっと明るいところがよかったかな」
アンジュは首を横に振り、ビール瓶を傍らにあった小さなテーブルに置いた。
「それよりも、人数が多いほうが楽しいわ。後ろにいらっしゃる方々は、今日はご都合が悪いのかしら?」
「……」
γは小さく息を吐くと、ビリヤード台に横たわっていたキューを手に取り、とんとん、と床を軽く叩いた。それが合図だったのか、壁を覆っていたベルベットの
大きな三人掛けのソファ、ローテーブル、いくつかのカフェテーブルセット──それらに腰掛け、くつろぐ、γと同じ隊服──ブラックスペルの男たちがざっと十数人、アンジュ達を見つめていた。
だが、アンジュは顔色一つ変えることなく、γに向き合うと、ビリヤード台のフレーム部分を指でなぞった。
「ねえ、ビリヤードって楽しい?」
「やってみるか?」
「教えてくださる?」
γは白いキューと、一面だけ青くやわらかい材質をした立方体の小さな物体をアンジュに寄越した。
「ビリヤードチョークだ。それをキューの端っこでこすりな。滑り止めだ」
アンジュの指は蛇のようにキューを這って先端をつかみ、立方体のチョークの面を押し当て、ぐりぐりと強く擦った。両手でためつすがめつ、細長い棒を弄る彼女に、アフェランドラ隊の男たち数人がいわくありげな視線を送るが、アンジュは全く気にもとめていない。むしろ楽しんでいる様子で、時折意味深な一瞥をくれるだけだった。
台の上に適当に転がっていた球に、キューの先を向け、γが基本的なビリヤードのフォームの手本を見せた。一度引かれたキューは、二度目の推進でカン、とキレのある小気味良い音を立ててボールを弾く。
γを真似て、アンジュもポーズも取る。
「これで合ってる?」
指名され、まんじりともしない様子でγがアンジュに近づいた。
「キューは、女性が握るならもう少し中央寄りの方がいいな。右腕の角度が、直角になるように意識するといい」
失礼、と一応断りを入れて、アンジュの腕の位置を正すγ。アンジュはγの顔を覗き込むようにして言った。
「……本当は出会ったのでしょう、幼いボンゴレに」
γのわずかな手の震えが、アンジュに伝わってきた。カーテンの奥のソファに座っている太猿・野猿を横目に、アンジュは続ける。
「左手のほうは、これでいいのかしら?」
言いながら、キューごとγの手を自分の手で押さえつけるように重ねた。
自ら切り込んできた女に、γは挑戦的な笑みで返す。
「……もし、そうだと言ったら? あんたの婚約者に告げ口するかい」
「いいえ。初心者にもおすすめのゲームはある?」
「
「じゃあ、それにしましょう」
1から9の番号がついたボールを、ひし形に並べていくγ。てっぺんを1,真ん中のボールは9,それ以外は自由に連ねて良いことになっている。
「本来は、バンキングで先攻を決めるんだが……ハンデとレディファーストだ、お先にどうぞ、アンジュ・ミナミ殿」
「まあ、お優しいのね。ではお言葉に甘えて」
アンジュが打つ。ここでボールがどこかのポケットに入ればアンジュのターンで再びボールを狙えるが、やはり初心者、それは無かった。
γがキューの先をチョークで磨きながら、1のついたボールを見つけて──きれいにポケットした。
それを眺めながら、アンジュが言った。
「あなた達は、私達ホワイトスペルが憎いんじゃない」
「……」
黙りこくったまま、γは2番のボールを狙う。
「ミルフィオーレが、憎いのね」
γの双眸が、わずかに見開かれた。ボールはどこにも行かなかった。アンジュの番だ。
アンジュはゲーム相手と、後ろにぞろりと控えるアフェランドラ隊をねめまわすように眺めて言った。
「あなた達……交渉に使いたくない? 過去からやって来たボンゴレを」
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