64.寄る辺
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ジッリョネロとジェッソ、ふたつのマフィアが一つの組織となり、沙良が白蘭の元に連れてこられてから、しばらく時間が経った頃だった。
主が不在のわずかな時に、それは起きた。
騒々しくもどこか懐かしい、不思議な爆発音だった。沙良の見ていた世界の中に、一滴のしずくがぽちゃんとこぼれ落ち、白と溶け合いつつうねりながら広まり、視界に色をつけていく。
濃くて明るい空に、あざやかに萌えいづる木々の色。金網のフェンスの規則正しい並びに囲まれた、日なたのコンクリートの屋上に、沙良の大好きな人達がいた。
──10年前の並盛中学校。10年前の、仲間たちの姿。(17.参照)今の彼女から見て、10歳若い彼らが。
「……私は、沙良です」
すべてを察し、大人の沙良は平静さを装うので精一杯だった。
ああ、言葉がうまく紡げない。体がうまく動かない。それは思いがけない幼い彼らとの邂逅の驚きもそうだが、白蘭の命により打たれた薬物がそうさせているのだ。
加えて、時間もあまりない。
「沙良って10年後はどこにいるの?」
「俺たち、一緒じゃないのか?」
友人たちに口々に尋ねられ、沙良は当たり障りのない回答をすることしかできない。
「沙良は未来で、どこにいるの」
──ああ、そんな顔をしないで、真琴。ごめんなさい。それは言えないの。
「なんでだよ。なんで言えねえんだよ」
しかめっ面の、10代の頃の愛しい人の姿。自分が知る大人の彼も、悩んだときの表情はまったく同じで、微笑ましさと懐かしさに、沙良の目頭が熱くなった。
本当は今ここで、すべてをあらいざらい吐いてしまいたい。この世界を手中に収めようとしている悪魔の名を告げて警告し、なんとかこの時から未来を変えられるのなら。
だが、これから自分がやろうとしていること、選ばれた7人の一人──年端も行かぬ少女が、世界を救うために自分と約束をしたこと。
その計画に支障をきたすわけにはいかない。何か不備が起きてはならない。この状態を変えないために、自分が今、どんな立場に置かれているのかを、知られてはならない。
大人の沙良は、このあとの彼らにリング争奪戦という大きな試練が待ち受けていることも知っている。
当時はただ、戦って生き抜くだけでいっぱいいっぱいだった。ファミリーの存在をよすがに。そこから歳を重ねた沙良は、小さな体、あどけない子らに、大人がどれだけの重荷を背負わせたのかをあらためて痛感した。
大人の沙良は幼い頃の友人たちを一人ひとり、めいっぱい抱きしめた。
最後に14歳の獄寺隼人と向き合ったとき、沙良の心はぎゅっと切なく締めつけられた。自分の置かれた立場のさみしさと苦しみ、そしていとしい人への愛情が、沙良の胸をつまらせた。
「どうか許して。みんな大好きだったよ」
絞り出すように言った。何の免罪符にもならないと分かっていても。
──5分経過後、大人の沙良はミルフィオーレのアジトへ戻ってきた。
ミルフィオーレファミリーのアジトは、どこまでも白蘭の趣味趣向が反映されているのを沙良は実感していた。
ホワイトを基調とした部屋に家具、調度品。そこに装飾品として別の色が持ち込まれていたとしても、彼の好む白を決して邪魔しないよう、絶妙な計算で配置されていた。
白蘭の居城にあるのはミルクのような白でも、しらかばや卯の花のような植物の生み出す白でもなかった。どの色の気配も見せぬ、一点の曇りもない白。
ここに身を置いていれば、たとえモノも人も、自分もいつか──白に飲み込まれ、白に染まって、その一部になってしまうのではないかとさえ感じられた。
白蘭の世界。彼が目指そうとする世界。
その冷たさを改めて痛感し、沙良は声を殺して泣いた。
同時に、白蘭への憤りと疑心がわいた。
彼には、自分がと同じように、どこまでも愛しく感じる者達はいないのだろうか。己よりも尊く、大切にしたい存在はいないのか。いるのならば、自分がどれほど悪逆非道なことをしているのか、どうして分からないのか。
──かわいそうな人。
このとき、沙良はとつぜん、頭を殴られたような衝撃を受けた。嗚咽をもらしながら、別の恐怖心をおぼえていた。
自分は白蘭に憐憫の情を抱いている。状況は日々、仲間たちにとって悪化していくばかり。もはや自分と白蘭は、なんの関係も築けないほどの敵同士であるというのに、間抜けにも人をあわれむ己の器の狭さに、平和ボケに、沙良は吐き気がした。
ハクと偽名を告げ、いけしゃあしゃあと自分に接していた頃の彼を、自分は忘れられないのだ。
沙良が軟禁されている部屋は、高層階のビルの一室だ。分厚い窓ガラスをどうにか突き破って、身を投げてしまいたい衝動に、沙良は歯をくいしばって耐えていた。
まだ、まだ頑張れる。ユニとの約束を守るために、白蘭の目を欺くためにも、自分は人形に徹するのだ。
沙良の心に、希望は潰えていなかった。まさかこのあと、綱吉を、自分が殺めてしまうなどとは夢にも思わず──。
***
沙良の意識には、幾重にもベールが重ねられていた。時が経つとともにベールは一枚いちまい剥がれていくのだが、そのたびに白蘭は沙良にベールをかけた。そのくぐもった世界から、沙良は白蘭が世界をかきまわす様子を、力なく見つめていた。
しかし、その日は不思議なことがあった。彼以外の、聞いたことのない声がするのだ。
『自分はこのたび、ホワイトスペルの第6ムゲット隊に配属された、レオナルド・リッピ、F級 です』
白蘭は日中オフィスフロアにいるとき、沙良をアンティークのシェーズロングソファに『置いて』いた。沙良は弾力のあるファブリックの上で、身をよじって声のする方を見た。ぼんやり霞んだピントが、徐々に明確なものになっていく。
謹直 な面持ちの青年が、白蘭に向かい合うように立っていた。
年は10代後半から20そこそこで、短い黒髪、白蘭と同じミルフィオーレの白い隊服を着ている。
「そう、よろしくね。“様”はつけなくていいよ、暑苦しいから」
上司の戯れに、一瞬戸惑った様子の青年。しかし、すぐに自分の責務を思い出し、咳払いをすると、彼はバインダーで挟んだ書類と白蘭を交互に見ながら話し始める。
内容は、ミルフィオーレと他のマフィアの抗争の戦果だった。それはつまり、今ボンゴレファミリーがどれだけ追い詰められているのかを知ることと同義だった。沙良の胸は鉛のように重くなり、目を閉じる。
「第14トゥリパーノ隊、キャバッローネとの交戦において膠着状態に入った模様です」
「キャバッローネは思ったより手強いね。後で対策は考えとくよ」
そのときだ。
"一ノ瀬 沙良”
また、声がした。だがこれは、白蘭と自分、レオナルドという青年がいる部屋にではなく、沙良の頭の中に直接響いてきた。
「──そしてメローネ基地より、入江正一氏が日本に到着したとの連絡が入りました」
現実では白蘭が、入江正一の名に嬉しそうに反応している。
「レオ君、いくつかお願いがあるんだけどいい? 日本の正チャンに、贈り物がしたいんだ」
「は、はい!」
襟を正すレオナルド。
"一ノ瀬 沙良、僕の声が聞こえますか?”
沙良の心臓が、強く鼓動を打ち始めた。白蘭に気取られないように、身を固くする。自分の中を訪れた不思議な声に、必死に耳をそばだてる。
それを遮るかのように、白蘭とレオナルドの会話も聞こえてくる。
「彼に花を届けてほしいんだ。白いアネモネを、山のように」
「アネモネ、ですか?」
こくりと頷いた白蘭の、無造作に流れる長い銀髪の頭は、風に揺れた花のようだった。
「うん。……そして、一輪だけ違う花を置いておいてくれないかな。目立つようにね」
レオナルドのペンが、紙の上ではねる音がする。
「かしこまりました。ではそのように」
──あなたは、誰なの?
沙良の心の呼びかけに、彼は呼応する。
"もう少しだけ待っていてください”
そのつもりはなかったが、自然と、沙良のまぶたが開いた。レオナルド・リッピと名乗った青年が、こちらを見下ろしている。
深い紺色の瞳と目が合った時、沙良の左腕──10年前、黒曜の戦いで骸に憑依された獄寺に傷つけられた──もう傷跡はすっかり消えているが──に、わずかな痛みが走った。
"あなたを、真琴の元へ──”
「ああ、そうだ、忘れてた。もうひとつ」
白蘭は立って居た場所から数歩、横にずれるように移動した。その行き先は、やわらかいクッションに身を預け、横たわるドレス姿の女──沙良の寝そべるシェーズロングソファだ。
沙良はまた、眠っているふりをした。不可思議な声は、もう気配を消していた。
「この子の髪に飾る花も、お願いするね」
──沙良ちゃん。
白蘭はそっと囁いて、彼女の髪をひとふさすくい上げ、ぱっと手を離した。ぱらぱらと彼女の髪の毛が、くったりと力なく横たわる彼女の顔や肩にふりかかるのを、愛しげに見つめていた。
***
周囲は森閑とし、植物や草木、夜空の星までもが眠りに落ちたように静けさに満ちていた。
その一方で、寝袋にくるまる真琴には、いつまでたっても安らぎは訪れてくれそうになかった。
初めての野宿、初めての寝袋。なかなか寝付けないのも無理はない。だが理由はそれだけではない。
突如となって我が身に襲いかかった時間旅行。なんの前触れもなく見知らぬ土地に
飛ばされたのはこれが初めてではないものの、真琴を待っていた真実は決して生易しいものではなかった。正直、馴染めていなかった元の世界からここへ来たときより、ショックが大きい。
10年後の世界でしきみは死に、沙良はボンゴレを殲滅せんとする組織に寝返った。この時代の鳴海にも容易に連絡が取れない今、自分が頼りにできるのは、共にこの世界に来た獄寺・綱吉と、ラル・ミルチという女性、そして、
「眠れねえのか」
草と土を踏みしめる足音が近づく。山本武だ。今の真琴にとっては、10年の年月を経た、成人した姿だ。
真琴は黙って頷くと、もぞもぞと身動きをしてから這い出て、その上で体操座りをした。そんな真琴に、困り笑顔を見せる山本。それを見て、真琴の胸中に、なんともいえないむず痒さが走った。真琴の知らないことを数多く心得た、大人の顔つきだったからだ。
山本は、体調の優れないラル・ミルチの代わりに見張りをしているのだという。
「子供が徹夜は良くないぜ」
心配して言ってくれているのだが、なんだか癪に障り、む、と真琴の口が小さくむくれる。
「子供、あつかい、しないで」
意地でも言うことを聞いてやるものかと湧いた反抗心のまま、真琴は寝袋の上で固く膝を抱えた。すると、山本もその隣に腰を下ろしてきた。ぐんと近づいた体に、気圧されたのを悟られまいと真琴は背筋を伸ばした。かすかに鼻腔をついた、スーツ特有の香りがひどく気をそぞろにさせる。
「……沙良が、裏切り者、なんて、嘘だ」
つい口をついて出た。このことに、触れずにはいられなかった。
「しきみも、死んでなんか、いない」
「……」山本は黙ってうつむいていた。
なお真琴は語気を強め、隣の山本の肩をつかむと、ぐいっと自分の方へ向かせた。
「そう、でしょ」
絶対になにかの間違いだと、真琴は固く信じていた。
あの優しい沙良が。かつて自分の命を救ってくれた沙良が、どこまでも仲間想いな子が、自ら裏切るなんてありえない。
しきみもそうだ。あんな、転んでもただでは起きぬ人間が、あっさり敵にやられるものか。
山本は真琴をじっと見据えて、小さく頭を縦にふった。
「ああ、きっとそうだ」
そして、自分の肩をつかむ真琴の手を自分の手と重ね、ゆっくりと離させるのと同時に優しく握った。
主が不在のわずかな時に、それは起きた。
騒々しくもどこか懐かしい、不思議な爆発音だった。沙良の見ていた世界の中に、一滴のしずくがぽちゃんとこぼれ落ち、白と溶け合いつつうねりながら広まり、視界に色をつけていく。
濃くて明るい空に、あざやかに萌えいづる木々の色。金網のフェンスの規則正しい並びに囲まれた、日なたのコンクリートの屋上に、沙良の大好きな人達がいた。
──10年前の並盛中学校。10年前の、仲間たちの姿。(17.参照)今の彼女から見て、10歳若い彼らが。
「……私は、沙良です」
すべてを察し、大人の沙良は平静さを装うので精一杯だった。
ああ、言葉がうまく紡げない。体がうまく動かない。それは思いがけない幼い彼らとの邂逅の驚きもそうだが、白蘭の命により打たれた薬物がそうさせているのだ。
加えて、時間もあまりない。
「沙良って10年後はどこにいるの?」
「俺たち、一緒じゃないのか?」
友人たちに口々に尋ねられ、沙良は当たり障りのない回答をすることしかできない。
「沙良は未来で、どこにいるの」
──ああ、そんな顔をしないで、真琴。ごめんなさい。それは言えないの。
「なんでだよ。なんで言えねえんだよ」
しかめっ面の、10代の頃の愛しい人の姿。自分が知る大人の彼も、悩んだときの表情はまったく同じで、微笑ましさと懐かしさに、沙良の目頭が熱くなった。
本当は今ここで、すべてをあらいざらい吐いてしまいたい。この世界を手中に収めようとしている悪魔の名を告げて警告し、なんとかこの時から未来を変えられるのなら。
だが、これから自分がやろうとしていること、選ばれた7人の一人──年端も行かぬ少女が、世界を救うために自分と約束をしたこと。
その計画に支障をきたすわけにはいかない。何か不備が起きてはならない。この状態を変えないために、自分が今、どんな立場に置かれているのかを、知られてはならない。
大人の沙良は、このあとの彼らにリング争奪戦という大きな試練が待ち受けていることも知っている。
当時はただ、戦って生き抜くだけでいっぱいいっぱいだった。ファミリーの存在をよすがに。そこから歳を重ねた沙良は、小さな体、あどけない子らに、大人がどれだけの重荷を背負わせたのかをあらためて痛感した。
大人の沙良は幼い頃の友人たちを一人ひとり、めいっぱい抱きしめた。
最後に14歳の獄寺隼人と向き合ったとき、沙良の心はぎゅっと切なく締めつけられた。自分の置かれた立場のさみしさと苦しみ、そしていとしい人への愛情が、沙良の胸をつまらせた。
「どうか許して。みんな大好きだったよ」
絞り出すように言った。何の免罪符にもならないと分かっていても。
──5分経過後、大人の沙良はミルフィオーレのアジトへ戻ってきた。
ミルフィオーレファミリーのアジトは、どこまでも白蘭の趣味趣向が反映されているのを沙良は実感していた。
ホワイトを基調とした部屋に家具、調度品。そこに装飾品として別の色が持ち込まれていたとしても、彼の好む白を決して邪魔しないよう、絶妙な計算で配置されていた。
白蘭の居城にあるのはミルクのような白でも、しらかばや卯の花のような植物の生み出す白でもなかった。どの色の気配も見せぬ、一点の曇りもない白。
ここに身を置いていれば、たとえモノも人も、自分もいつか──白に飲み込まれ、白に染まって、その一部になってしまうのではないかとさえ感じられた。
白蘭の世界。彼が目指そうとする世界。
その冷たさを改めて痛感し、沙良は声を殺して泣いた。
同時に、白蘭への憤りと疑心がわいた。
彼には、自分がと同じように、どこまでも愛しく感じる者達はいないのだろうか。己よりも尊く、大切にしたい存在はいないのか。いるのならば、自分がどれほど悪逆非道なことをしているのか、どうして分からないのか。
──かわいそうな人。
このとき、沙良はとつぜん、頭を殴られたような衝撃を受けた。嗚咽をもらしながら、別の恐怖心をおぼえていた。
自分は白蘭に憐憫の情を抱いている。状況は日々、仲間たちにとって悪化していくばかり。もはや自分と白蘭は、なんの関係も築けないほどの敵同士であるというのに、間抜けにも人をあわれむ己の器の狭さに、平和ボケに、沙良は吐き気がした。
ハクと偽名を告げ、いけしゃあしゃあと自分に接していた頃の彼を、自分は忘れられないのだ。
沙良が軟禁されている部屋は、高層階のビルの一室だ。分厚い窓ガラスをどうにか突き破って、身を投げてしまいたい衝動に、沙良は歯をくいしばって耐えていた。
まだ、まだ頑張れる。ユニとの約束を守るために、白蘭の目を欺くためにも、自分は人形に徹するのだ。
沙良の心に、希望は潰えていなかった。まさかこのあと、綱吉を、自分が殺めてしまうなどとは夢にも思わず──。
***
沙良の意識には、幾重にもベールが重ねられていた。時が経つとともにベールは一枚いちまい剥がれていくのだが、そのたびに白蘭は沙良にベールをかけた。そのくぐもった世界から、沙良は白蘭が世界をかきまわす様子を、力なく見つめていた。
しかし、その日は不思議なことがあった。彼以外の、聞いたことのない声がするのだ。
『自分はこのたび、ホワイトスペルの第6ムゲット隊に配属された、レオナルド・リッピ、F
白蘭は日中オフィスフロアにいるとき、沙良をアンティークのシェーズロングソファに『置いて』いた。沙良は弾力のあるファブリックの上で、身をよじって声のする方を見た。ぼんやり霞んだピントが、徐々に明確なものになっていく。
年は10代後半から20そこそこで、短い黒髪、白蘭と同じミルフィオーレの白い隊服を着ている。
「そう、よろしくね。“様”はつけなくていいよ、暑苦しいから」
上司の戯れに、一瞬戸惑った様子の青年。しかし、すぐに自分の責務を思い出し、咳払いをすると、彼はバインダーで挟んだ書類と白蘭を交互に見ながら話し始める。
内容は、ミルフィオーレと他のマフィアの抗争の戦果だった。それはつまり、今ボンゴレファミリーがどれだけ追い詰められているのかを知ることと同義だった。沙良の胸は鉛のように重くなり、目を閉じる。
「第14トゥリパーノ隊、キャバッローネとの交戦において膠着状態に入った模様です」
「キャバッローネは思ったより手強いね。後で対策は考えとくよ」
そのときだ。
"一ノ瀬 沙良”
また、声がした。だがこれは、白蘭と自分、レオナルドという青年がいる部屋にではなく、沙良の頭の中に直接響いてきた。
「──そしてメローネ基地より、入江正一氏が日本に到着したとの連絡が入りました」
現実では白蘭が、入江正一の名に嬉しそうに反応している。
「レオ君、いくつかお願いがあるんだけどいい? 日本の正チャンに、贈り物がしたいんだ」
「は、はい!」
襟を正すレオナルド。
"一ノ瀬 沙良、僕の声が聞こえますか?”
沙良の心臓が、強く鼓動を打ち始めた。白蘭に気取られないように、身を固くする。自分の中を訪れた不思議な声に、必死に耳をそばだてる。
それを遮るかのように、白蘭とレオナルドの会話も聞こえてくる。
「彼に花を届けてほしいんだ。白いアネモネを、山のように」
「アネモネ、ですか?」
こくりと頷いた白蘭の、無造作に流れる長い銀髪の頭は、風に揺れた花のようだった。
「うん。……そして、一輪だけ違う花を置いておいてくれないかな。目立つようにね」
レオナルドのペンが、紙の上ではねる音がする。
「かしこまりました。ではそのように」
──あなたは、誰なの?
沙良の心の呼びかけに、彼は呼応する。
"もう少しだけ待っていてください”
そのつもりはなかったが、自然と、沙良のまぶたが開いた。レオナルド・リッピと名乗った青年が、こちらを見下ろしている。
深い紺色の瞳と目が合った時、沙良の左腕──10年前、黒曜の戦いで骸に憑依された獄寺に傷つけられた──もう傷跡はすっかり消えているが──に、わずかな痛みが走った。
"あなたを、真琴の元へ──”
「ああ、そうだ、忘れてた。もうひとつ」
白蘭は立って居た場所から数歩、横にずれるように移動した。その行き先は、やわらかいクッションに身を預け、横たわるドレス姿の女──沙良の寝そべるシェーズロングソファだ。
沙良はまた、眠っているふりをした。不可思議な声は、もう気配を消していた。
「この子の髪に飾る花も、お願いするね」
──沙良ちゃん。
白蘭はそっと囁いて、彼女の髪をひとふさすくい上げ、ぱっと手を離した。ぱらぱらと彼女の髪の毛が、くったりと力なく横たわる彼女の顔や肩にふりかかるのを、愛しげに見つめていた。
***
周囲は森閑とし、植物や草木、夜空の星までもが眠りに落ちたように静けさに満ちていた。
その一方で、寝袋にくるまる真琴には、いつまでたっても安らぎは訪れてくれそうになかった。
初めての野宿、初めての寝袋。なかなか寝付けないのも無理はない。だが理由はそれだけではない。
突如となって我が身に襲いかかった時間旅行。なんの前触れもなく見知らぬ土地に
飛ばされたのはこれが初めてではないものの、真琴を待っていた真実は決して生易しいものではなかった。正直、馴染めていなかった元の世界からここへ来たときより、ショックが大きい。
10年後の世界でしきみは死に、沙良はボンゴレを殲滅せんとする組織に寝返った。この時代の鳴海にも容易に連絡が取れない今、自分が頼りにできるのは、共にこの世界に来た獄寺・綱吉と、ラル・ミルチという女性、そして、
「眠れねえのか」
草と土を踏みしめる足音が近づく。山本武だ。今の真琴にとっては、10年の年月を経た、成人した姿だ。
真琴は黙って頷くと、もぞもぞと身動きをしてから這い出て、その上で体操座りをした。そんな真琴に、困り笑顔を見せる山本。それを見て、真琴の胸中に、なんともいえないむず痒さが走った。真琴の知らないことを数多く心得た、大人の顔つきだったからだ。
山本は、体調の優れないラル・ミルチの代わりに見張りをしているのだという。
「子供が徹夜は良くないぜ」
心配して言ってくれているのだが、なんだか癪に障り、む、と真琴の口が小さくむくれる。
「子供、あつかい、しないで」
意地でも言うことを聞いてやるものかと湧いた反抗心のまま、真琴は寝袋の上で固く膝を抱えた。すると、山本もその隣に腰を下ろしてきた。ぐんと近づいた体に、気圧されたのを悟られまいと真琴は背筋を伸ばした。かすかに鼻腔をついた、スーツ特有の香りがひどく気をそぞろにさせる。
「……沙良が、裏切り者、なんて、嘘だ」
つい口をついて出た。このことに、触れずにはいられなかった。
「しきみも、死んでなんか、いない」
「……」山本は黙ってうつむいていた。
なお真琴は語気を強め、隣の山本の肩をつかむと、ぐいっと自分の方へ向かせた。
「そう、でしょ」
絶対になにかの間違いだと、真琴は固く信じていた。
あの優しい沙良が。かつて自分の命を救ってくれた沙良が、どこまでも仲間想いな子が、自ら裏切るなんてありえない。
しきみもそうだ。あんな、転んでもただでは起きぬ人間が、あっさり敵にやられるものか。
山本は真琴をじっと見据えて、小さく頭を縦にふった。
「ああ、きっとそうだ」
そして、自分の肩をつかむ真琴の手を自分の手と重ね、ゆっくりと離させるのと同時に優しく握った。
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