63.10年後の世界へ
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
──なぜか、胸騒ぎがする。
リング争奪戦、祝勝会の翌日の朝から、真琴は嫌な予感に苛まれていた。
目の前でお皿が割れたり、体のどこかが痛んだり、天気は曇り、もしくは苦手なものを目撃した等々、そういった予兆があったわけではない。空は晴天、ヴァリアーという試練は過ぎ去り、今日は友人らと集まって勉強会をする予定だった。リング戦期間中、溜まりに溜まった課題を消化するために。
(……考え過ぎかな)
悪い想像を頭から締め出し、朝食もそこそこに、皆と出かける支度をしていると、沙良が申し訳無さそうにこう言い出した。
「私、綱吉くんのおうちの前に行くところがあるの。先に行っておいてくれるかな」
「りょうかーい。どこ行くの?」
「えっと……」
しきみに問われ、沙良は言葉に詰まった。数秒間不自然に黙った後、
「な、内緒……」
そうお茶を濁した。しきみがほう、としたり顔でにやけた。
「そっかあーなるほどね、分かったわかった、大丈夫よ!」
「しきみ、意味、わかんない」
真琴はむっとしてしきみにチョップをくらわすと(もちろんしきみもやり返してきた)、沙良にぐっと近づいた。
もしかしたらこの嫌な予感は、沙良のその用事にあるのかもしれない。
「邪魔しないから、自分も、一緒に、行く。1人は、危ない」
「え、えーと……」
沙良は困っていたが、真琴も引くわけにはいかなかった。大空戦の直前、沙良と真琴は2人きりでいたところをチェルベッロに拉致され、洗脳され、ヴァリアー側として戦わされたのだ。そんなことがあった後での単独行動は。
沙良が心配で心配で怖い顔をしている真琴の肩を、鳴海がぽんと叩いた。
「まあ、もうリング戦は終わったわけだし、しばらくは何も起こらないんじゃないか?」
「でも……」
口がへの字になる真琴。鳴海は沙良に優しく語りかけた。
「沙良、なんかあったら、すぐ連絡してくれ。危ないと思ったら、何が何でも逃げて。そう約束してくれる?」
「う……うん! 絶対、約束する!」
力強く頷く沙良。ぐぬぬ、と真琴は悔しかった。これ以上沙良に無理強いするのもなんだか申し訳ないし、彼女に執着するのもよくないというのは、真琴自身がいちばんよく分かっていたからだ。
そんな真琴の苦労も知らず、しきみが訳知り顔で背中を叩く。
「まあまあ真琴、ここは若い人だけに任せましょうよ!」
「だからっ、しきみ、意味、わかんない!」
ふたたびしきみと真琴のわちゃわちゃが始まった。それを、沙良と鳴海はあたたかく笑って見守っていた。
*
勉強会とは別の用事。沙良は昨夜の祝勝会の終わり際、バジルから2人きりで会いたいと頼まれたのだ。どうしても伝えたいことがあるのだと。
会が終わったのは夜遅くで、そのままばたばたと帰宅したため、うっかり言うのを失念していた。
2人きりで会うことを秘密にするようバジルに頼まれたわけではないのだが、他人に言うのがなんとなく、ためらわれてしまった。バジルの真剣な様子が印象的だったのも相まって。
(みんなごめんね)
ちょっぴり罪悪感を感じながら、沙良は急ぎ足でバジルから指定された場所へ向かっていた。
そこは、並盛町の住宅街にある公園。今年の春、みんなでお花見をしたところだった。
朧げに薄桃色の景色を彩っていた木々は今、燃えるように色づいていた。桜以外の木も同様、錦のように染め上がっている。
「わあ、きれい……!」
つい声が出てしまう。頬をなでたひんやりした空気に、秋の到来を感じていた。リング争奪戦の辛く厳しい日々に苛まれ、季節を感じる余裕もなかった。
(お花見も楽しかったけれど、秋のピクニックも楽しそうだなあ)
本日は学校の課題でそれどころではないが、もう少し落ち着いたら皆で行楽に出向くのもいいかもしれない。夏に比べて食べ物も傷みにくくなったから、お弁当のバリエーションも広がる。
皆の好きなものをたくさん作って、涼しくて晴れやかな空をあおぎながら食べたら、どんなに楽しいだろう。
(隼人くんも、喜んでくれるかな……)
"おとうさん、おかあさん、おいしい?”
紅葉の中でかろやかに運ばれていた沙良の足が、止まった。
ふと、元の世界の両親のことを思い出したのだ。
貧しいというのは言い過ぎだが、余裕があるとも言えない家庭だったことを幼心ながら沙良は感じていた。金銭的にも、精神的にも。
だからだろうか、沙良の親はしつけや行儀には厳しかった。少しでも怠けようものなら怒号が飛んだ。高圧的な家族に沙良は恐怖心をいだき、家でもなかなか安心して過ごせなかった。
そんな状況をどうにか変えたくて、沙良は料理や家事を必死にやった。
そうすれば、親は喜んでくれるから。
(い、いやだ、久しぶりに思い出しちゃった……)
家族が喜んでくれるから。
やらないと、笑ってくれないから。
笑ってほしくて、必死だった。一生懸命覚えた。洗濯、掃除、お料理、お菓子に繕いものや手作り。
我ながら不純だと沙良は自覚していた。
(……でも今は、関係ないよね)
沙良が身につけた技術は、この世界に来て大人に頼りにくい状況の中、助けになってくれている。純粋に、だいすきな人たちに何かをしてあげられることが沙良の喜びになっている。
──だから、これでいいんだ。
心のなかで、何度もそう自分に言い聞かせていたときだった。
「沙良殿」
声をかけられ、意識が現実に引き戻された。いつのまにか十数メートル先から、バジルが小走りでやってくる。ひらひらと沙良が手をふった。
「バジルくん! ご、ごめんなさい、ちょっと考え事してて」
「いえいえ、お忙しいでしょうに、拙者のために時間をつくってくださって、本当にありがとうございます」
「そんなこと……」
いいかけた瞬間、ざあっと強い秋風がふたりに襲いかかった。風はおもちゃをふりまわす子どものような気まぐれさで、周囲に散っていた紅葉たちを一気に宙へ押し上げた。
夕焼けをそのまま移し取ったような赤。炎が燃えたぎった後のような茶色。陽をすかしてかがやく黄色は、シトリンに似ていた。わずかにまだ、色めく緑。それらが風に色を付けて、夏の眩しさは控えども、目も覚めるような空の青に絵を描くのを、沙良とバジルは髪の毛をおさえながら見つめていた。ゴッホの絵のような軌跡があった。
やがて風が去ったとき、どちらからともなく2人は笑った。
バジルが失礼、と断って、沙良のほうへ手を伸ばした。沙良が目を丸くしていると、バジルは沙良の髪の毛から、紅葉をひとつまみして見せてくれた。
「ついていました」
「まあ、ありがとうございます」
バジルから手渡された紅葉を、恥ずかしそうに、そして嬉しそうに見つめる沙良。はにかんでうつむく彼女の表情を見て、バジルの胸中がどれほど切なくなったのかを、本人は知る由もない。
「……沙良殿」
「はい」
沙良が顔を上げて、紅葉からバジルへ視線を移した。やさしいまなざしを宿した瞳に、どうか想いが届くように祈りながら、バジルは言葉を紡いだ。いつもより深く息を吸う。
「拙者は……」
*
沙良が1人で出かけると告げたとき、しきみがにやけていたのは、ひとつの誤解からだった。
しきみはてっきり、沙良は獄寺と約束をしているのだと思ったのだ。リング争奪戦が無事に終わったら告白をするのだと、獄寺本人から聞いていたのだから。
だから、沢田家の綱吉の部屋に普通にいる獄寺を見て、びっくりしてしまった。
「あれ? なんで獄寺ここにいるの?」
しきみに問われ、獄寺は鳩が豆鉄砲をくらったような顔つきになった。
「は……?」
「あ、あれ?」
「しきみ、しっかりして」
真琴が突っ込む。しきみはさておき、獄寺はすぐに気づいた。
沙良がいない。
「おい、沙良は?」
「用事済ましてからこっち来るって。詳しくは聞いてないけれど……」
鳴海が答える。
「教えて、もらえ、なかった」
がっくりと肩を落とす真琴。その傍らで山本が大丈夫か?と尋ねる声が、やけに遠くに獄寺は感じていた。
胸がざわついた。心臓がどくどくと強く振動を始める。
「……すみません、10代目」
獄寺は立ち上がり、綱吉に頭を下げた。
「オレ、ちょっと、外行ってきます!」
「え?」
綱吉が聞き返したときには、すでに獄寺は1階へ駆け下り、綱吉の母・奈々に挨拶をしている声が響いていた。
走りながら、獄寺はポケットに入れていた沙良へのプレゼントが入った箱の感触を確かめていた。淡いグリーンの宝石の粒と、植物の意匠が施されたネックレス。リング争奪戦を乗り越えたら、自分の想いと一緒に渡そうとしていた。
沢田家を出てすぐ、携帯のチャットアプリで沙良に現在地を訪ねてみたが、相手が既読した表示はつかない。我ながら無謀すぎると頭で理解していても、いてもたってもいられなかった。
鳴海の発言を鑑みるに、沙良は家には居ないのだろう。電車やバスといった乗り物で遠出するのならさすがに行き先くらい言うだろうし、沢田家に来るつもりなら、用事というのはふらっと寄れる徒歩圏内の可能性が高い。並盛町の住宅街からそう遠くないのではないか。
沙良の居場所を分析できるだけの冷静さと、今すぐにでも彼女の元へ辿り着こうと暴れる体の狭間で、獄寺は混乱していた。
幸か不幸か、という言葉がある。
その言葉を獄寺がひどく痛感したのは、沙良を探し始めて10分ほど経った頃合いだった。
住宅街の中にある公園にやってきた。広々としていて、紅葉が見事だった。まだ午前中の時間帯だからか、人はほぼ居なかった……と思えば、居たのだ。
沙良と、バジル。向かい合う2人の姿が見えた。
獄寺の胸の裡に、形容しがたい感情が浮かび上がった。それは黒い煙のように、重さをともなって、またたく間に体内に広がっていった。足取りはとぎれとぎれになり、沙良、と呼びかけたくても声が出てこない。
やっとの思いで、獄寺は2人に気づかれないように近づき、体を木陰に隠した。
あの2人の間に入ってはいけない。なぜかそう、義務感を覚えた。
強い風がふいた。獄寺もぎゅっと目をつぶる。風がやんで、沙良とバジルが笑い合っている気配がする。胸にまた、黒いもやが沸き起こった。それをなんとかしたくて身じろぐ獄寺のもとに、バジルの真剣な声音が、沙良越しに届いた。
「拙者は、沙良殿をお慕いしております」
獄寺と沙良の頭が、2人一緒に真っ白になった。
予想外すぎることだった。まさか、バジルが沙良に想いを寄せていたとは。
「え……」
沙良は目を見開き、口元に手をやる。
「とつぜんこんなことを言われて、驚かれたかと思いますが……リング争奪戦の中で、沙良殿の優しさにとても惹かれたんです」
沙良は立つのもやっとだった。異性から告白をされたのはこれが初めてだった。
バジルの表情は真剣そのものだった。その生真面目さが、沙良をとらえて離さなかった。
「拙者、これからイタリアに戻るんです。その前に伝えておきたくて。沙良殿、あなた様は本当に素敵な方です。誠実で、ひたむきで、沙良殿を見ていると拙者は、とてもあたたかい気持ちで満たされます。こんなふうに感じたのは、初めてでした」
あまりにも一途でまぶしい恋心を、沙良は見つめるだけで精一杯だった。
「私なんて、そんな大した人間じゃ……」
苦し紛れに放った沙良の卑下を、バジルはすぐさま否定した。
「いいえ。そんなことはありません。拙者はこれまで、恋といったものをよく分かっていませんでした。ですが沙良殿に出会ってから、今ははっきりと確信をもって言えます。沙良殿への気持ちは、まぎれもなく恋です」
「わ、私は……!」
1/6ページ