62.You Haven't Seen The Last Of Me
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夜の酒場の薄暗い店内を、琥珀色のライトが照らしていた。あらゆるものの表面をなぞり、酒を注いだグラス、中で揺れる氷、年季の入ったテーブル、くつろぎ、夢見るような人々の輪郭を浸している。
彼らの視線は主に、小さなステージに向かっていた。恋慕、羨望、嫉妬、渇望、さまざまな情をふくませた客のまなざしをいっせいに浴びながら、一人の女が、ピアノの伴奏に合わせて歌っている。
イギリスのシンガーソングライターの曲で、世界中のシングルチャート1位を独占した有名な歌であった。洋楽に疎くても、一時期日本のあちこちでも流れていたので、メロディーを耳にすれば、ああ、と聞き覚えがあるかもしれない。
日本語に訳すと、こんなことを歌っている。
"恋人を見つけるならクラブよりバーがいい
友達とはしゃいでいるとあなたが来て、私とだけ話すの
チャンスを逃したくなくて、ジュークボックスに曲をかけて
わたしたちは踊りだす”
彼女の歌唱力は素人より毛の生えたレベルで、音程も安定しているとは言いづらかったが、あまく澄んだのびやかな歌声があらゆる欠点に目を閉じさせ、また女の儚げで頼りなげな様子が、客の庇護欲をかきたてていた。
"気づいている? わたしはあなたの愛が欲しいの
あなたの手作りのような あたたかい愛を
わたしは狂っているのかもしれない、でも気にしないで”
ヨーロッパのとある場末の酒場で、その女の容姿はひときわ異彩を放っていた。シンプルな黒いワンピースとベールを身につけ、顔の上半分を隠していた。よく見ると女はアジア人である。
"あなたの形がすき
わたしたちは磁石みたいに、くっついたり離れたり
心はとっくに恋に落ちてる
あなたの形がすき”
女の声に力がこもり、それに引きずられるようにしてピアノの音が色濃くはねた。ヴェールの向こうでぼやけた彼女の瞳が熱っぽく細められ、誰かがごくりとつばを飲み込んだ。
"昨夜あなたは私の部屋に居た
だからベッドからあなたの香りがするの
あたらしいことを毎日見つけていく
あなたの形をすきになったの”
女が歌い終わると、店内に称賛をこめた拍手と指笛が飛び交った。アンコールを求められたが、女は申し訳無さそうに微笑むと、そのまま舞台を去っていく。
暗くて狭い廊下を渡り、申し訳程度に備え付けられた倉庫兼控室に入り、早々と帰り支度をしていると、女の背に店の従業員から声がかかった。
「ミア、ほら、今晩の分だよ」
若い男の授業員の手には金の入った封筒が握られていた。ミアと呼ばれた女は頭を下げ礼をのべると、言葉少なにそれを受け取った。
「最後だからね、ボスが少し付けておいてくれたよ」
最初に交わした契約より、たしかに封筒は厚みが増していた。
「ありがとうございます。ほんとうに、助かります」
「なあミア……本当にやめちまうのかい」
従業員の男は名残惜しそうに、幾度目かの質問を重ねた。女の意思と表情は変わらなかった。
「長居すれば、皆さんに迷惑がかかります」
「そんなことねえって。むしろミアが店で歌ってくれれば、売上がいつもの倍以上なんだぜ。これで給仕もしてくれるなら、ボスももっと出すってよ」
女にとっても魅力的な申し出だった。バーや酒場の雰囲気は実にさまざまで、ここより安い賃金で悪質な店もあった。
この店は客も従業員も店主もあたたかで、皆とても優しい。
だが、ミアと呼ばれた女は首を横に振った。
彼女に密かに思いを寄せていた従業員の男は、もどかしそうに会話を続けようとやっきになった。
「それに、俺はミアのことが、」
そのときだった。
夜もふけた和やかな空間に、嵐がやってきた。
ドアを隔てた向こうから、客の悲鳴がいくつか聞こえた。
グラスや皿の割れる音がいくたびも重なり合って響く。店主や従業員の怒鳴り声に混じって、銃撃のような音が耳をつんざく。軍靴のような重々しい振動が伝わってきた。
おだやかだった酒場が、一瞬で戦場と化してしまったのを、従業員も、女も肌で感じ取った。
「な、なんなんだ!?」
従業員は戸惑いつつ、ただ事ではないと本能が感じ取ったのか、倉庫の奥に立て掛けてあった護身用の銃を手にとった。
「ミア、きみは隠れてて、」
男がいいかけた瞬間、女は目に涙を浮かべた。
「……ごめんなさい、私のせいです」
「どういうことだ」
店内を荒らし回った者たちが、もうすぐここに来る。女は首を何度も下げた。
「ご親切にしてくださってありがとう。このご恩は忘れません。せめて辛い想いをしないように、あなたを一瞬だけですが眠らせます」
「ミア、なにを言って」
2人のいる部屋の扉が蹴破られた。その瞬間、部屋に突入してきた者たちと、若い男の従業員の視界を、燃え盛る白銀の炎が包んだ。
従業員が意識を取り戻したとき、部屋には顔にマスクをつけた、白い隊服を身に着けた男たちが床に転がっていた。皆ものものしい武器を手にしている。
「おい、大丈夫か」
額から血を流し、店主が腹のあたりを押さえながらやってきた。
「おやっさん!」
彼を父親のように慕っていた従業員の男は、顔を青ざめながら店主の元に駆けつける。
「いったい、こいつらは……」
「ああ。今サツを呼んださ。だが……あまり期待はしないほうがいいな」
「どういうことですか」
「こいつらは、サツを抱き込んでるって噂だからだよ……ジェッソファミリーだとさ」
授業員の男は何がなんだか分からず、とにかく倒れている男たちを見下ろすばかりだった。
気付けば女──ミアと名乗っていた女はいない。暗闇を一人、走っていく彼女の背中がふと思い浮かび、従業員の男にもやがかかった。
ミアと呼ばれていた女は、息を切らしながら夜道を走っていた。しだいに、視界が涙でぼやけてきた。
女は、ミアと名乗った彼女の本当の名は──一ノ瀬 沙良。
ボンゴレ光の守護者であった。
歳月は人を待たず、まさに光陰矢の如し、リング争奪戦後、4人は無事に進級し、高校生になって、また各々の人生を歩んだ。
鳴海は高校卒業と同時にイタリアへ飛んだ。ディーノからの強いすすめで1,2年ほどキャバッローネファミリーの元で修行を積み、その後ヴァリアーの入隊試験に合格した。彼女は瞬く間に戦勲を重ね、幹部に出世した。
しきみは、大学に在籍中にボンゴレ門外顧問機関──
真琴は大学を卒業して、ボンゴレ闇の守護者として活動していた。六道骸率いる黒曜の者たちと、ボンゴレの橋渡し的な役割も兼ねていた。
そして沙良は。
彼女も大学生となり、成人を迎えたのと同時に獄寺に告白され、ふたりはようやく付き合い始めた。
ここまでくれば、互いに気持ちがあることは沙良と獄寺も分かりきっていたものの、獄寺はそうとう悩んでいたようだった。
獄寺には綱吉、ボンゴレ10代目の右腕としての志があった。けっして容易くない目標を掲げながら、恋人との仲も両立していけるのか、変に頑固な気質のある獄寺は何度も二の足を踏んでいた。
やがて彼の努力が実を結び、実力がボンゴレ内外関わらず認められ、成人になったという自信もついて、やっとの思いで沙良に交際を申し込めたのである。
沙良は喜んで承諾した。ここに至るまで、獄寺以外の男性から口説かれたことは何度かあった。だが、沙良は固い決意で断り続け、獄寺が振り向いてくれるのを健気にも待ち続けた。
周りからは、遅すぎるぞと笑われながら祝福された。
交際と同時に、獄寺と沙良は同棲も始めた。獄寺の一人暮らしのマンションに、沙良が来る形で。新しい部屋を探すことも考えたが、数年先、綱吉と守護者たちが本格的に拠点を日本からイタリアに移す計画が持ち上がった。そこで、新居はイタリアで探そうという話になった。
同棲は、ふたりが想像していたより上手くいった。
おおらかな心持ちの沙良と、不器用ながらも、彼女を想いやる獄寺。最初は価値観の違いがいくつか見られたが、どれもふたりの間の新たな決まりごとに姿を変え、穏やかな生活に溶け込んでいった。
そしてまた月日が経ち、4人のうちの一人が結婚した。
式は日本で行われた。日本びいきのボンゴレファミリーらしく、神前式スタイルだった。
白無垢と黒袴をまとった花嫁と花婿。両人に、あふれんばかりの喜びと祝福がふり注がれた。一日中、そこだけあたたかな日なたにいるようだった。
こちらもよく想いの通じ合ったふたりだったが、本当は結婚はもっと先の予定だったらしい。花嫁の心の準備が出来るまで、と。
しかし、婿殿のほうがこれ以上待つのは忍びないと猛アタックし、花嫁がとうとう根負けしたそうだ。
沙良と獄寺も、もちろん式に参列した。友人の幸せを共に祝えることに、沙良は嬉しすぎて目を真っ赤に泣きはらした。
獄寺ももちろん祝ってはいたのだが、どこか神妙な面持ちでいた。誰かにそのことを指摘されても、こういった晴れの日は慣れていないからだと言っていたが、その様子を見守っていた沙良は、彼がまたなにか思い悩んでいることを感じていた。
そしてその理由は、案外はやく知ることができた。
友人の結婚式が終わって、約一ヶ月ほど経った頃だった。
先に仕事を終えた沙良が、キッチンでマルサラ酒、ごま、はちみつ、バターを混ぜ合わせ、前日に作っておいた肉のソテーにかけるためのソースを作っていた。
ほどなくして獄寺も帰ってきた。手を洗い、ジャケットを脱いでネクタイをゆるめ、そそくさと沙良の隣に立つ。今日あったことを話し合いながら、獄寺も夕食づくりを始めた。
なんだか、獄寺は心ここにあらずといった様子だ。一体どうしたのかと不思議に思いながら、沙良がふとリビングのテーブルに視線を移すと、そこにはこぶりな紙袋がぽつんと置かれていた。
何の気なしに沙良の視線を追った獄寺が、あっと小さく声を上げた。皮をむいていたソラマメを放り投げ(ボウルから豆がひとつ、ふたつほど飛び出てしまった)、あわただしく紙袋をひっつかむと、さっと素早く彼の陣地であるクローゼットのある部屋へ引っ込んでしまった。
あっという間のことだったので、沙良もよく理解しきれていなかった。あの紙袋はなんだったのだろう、ぼんやり考えながらスープをお皿に移していると、そこで気づいた。
紙袋は、彩度のあざやかなターコイズブルー調の色合いをしていた。
見覚えのある企業のロゴマーク。アクセサリーを扱う会社。
主に、エンゲージリングが人気の。
「……!」
沙良の手がとまった。いやいやまさか、そんなことあるわけがと首を横に振るが、高鳴る鼓動が期待をいやがおうにも高みへ連れて行く。
考えたことがないわけではなかった。だが、獄寺とこうしてふたりで暮らせることが幸せすぎて、あまり意識したことがなかったのだ。
2人の行く末について。
結婚。
戻ってきた獄寺の挙動不審ぶりは、目に見えて増していた。頬を紅潮させながらソラマメの皮むきを終えて、オリーブ油と塩をくわえて混ぜ始めたが、手付きがぎこちない。木べらががつんがつんとボウルに当たっている。
そんな彼を見て、沙良の心はじんわりと満たされていた。
もし獄寺と結婚できたら、どんなに幸せだろうかとも思う。
だが、沙良にとっての幸せは、彼と一緒に過ごすこと、彼の恋人でいられることだった。これ以上を望むのはわがままで、自らこの幸せを壊してしまうような気がしてならなかった。
紙袋は自分の見当違いかもしれない。努めてそう考えるようにして、沙良は違う話題を口にした。いつもどおりに、仕事や、諸々のことを。
すると、獄寺の焦燥はそっと消えていった。何か意を決したように、布巾でテーブルをふいていた沙良の元に歩み寄ってくる。沙良も気づいて、びっくりして固まった。
「沙良」
「なあに?」
獄寺は何かを言いたそうに、何度か口を開けかけた。表情には戸惑いと苦悩がうかび、少し襟ののびた銀髪が揺れた。彼はもう立派な大人の男であるのに、時おり、迷い子のような顔をするときがある。
そんなとき、沙良はいつも獄寺を自分から抱きしめていた。互いの服越しにつたわるぬくみと体の感触に、たまらない安堵感と、切なさを覚えた。
沙良から獄寺の顔は見えなかったが、ぱちぱちと彼がしずかにまばたきをしているのを思い浮かべて、また愛しさがつのった。
「沙良。……再来週の休日、予定あるか?」
「え……」
沙良は脳内でカレンダーを思い浮かべてみる。元より仕事も忙しくて、休日に会う友人といえばやっぱり鳴海、しきみ、真琴たちくらいしかいなかった。そんな彼女たちも、今は遠くに散らばり、各々あわただしい日々を送っている。一人は家庭も持った。会おうという連絡も久しく聞いていない。
首を横にふると、獄寺が静かに沙良から離れ、両肩をやさしく掴んだ。意を決した表情で、沙良を見つめてくる。
「……大事な話がある」
「それって、私が喜ぶこと?」
茶目っ気をこめて、いつぞやの台詞を言ってみた。すると、
「た、たぶんな」
あっさりそう返事をされて、沙良は面食らってしまった。
驚くことはまだ続いた。その再来週の休日の夜、獄寺は都内のフレンチレストランを予約しているのだという。個室となっており、部屋からは夜景と海が見えるらしい。
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