29.焦燥
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放課後、気まぐれで屋上を訪れた鳴海が見つけたのは、夕日にたそがれている獄寺隼人だった。
鳴海は声をかけ、獄寺も適当に返す。だらだらと適当な会話をする2人の周囲にぞくぞくと不良が押し寄せ、今にも襲いかからんとしていた。相手の言い分を聞けば、彼らは先日獄寺に喧嘩で負け、リベンジに来たという。
しかし、あっという間に軍配は2人に上がった。
「てめー、変わったな」
「そう?」
「喧嘩んときの動き、カタギっぽさが減った」
一目散に逃げていく不良達を見送りながら、獄寺は懐からタバコケースを出し、1本くわえる。そのまま、ずい、と箱を鳴海のほうに差し出した。
「いるか?」
「遠慮しとくよ」
苦笑いしながら断る鳴海。獄寺はライターで火をつけ、煙を吸い込んでふう、とはきだす。
動きが変わった。それについては鳴海も心当たりがあった。
「稽古つけてもらってるんだ」
「へえ、誰に」
「わかんない」
「は?」
数日前、人けの無い空き地で長柄槍を振り回していたら、とつぜん話しかけられたのだ。若く、腰まで届きそうな銀色の髪をした不思議な男に。
彼は30分から1時間弱ほど鳴海と手合わせをし、体の動かし方、立ち回り方をアドバイスしてくれる。会えるのはいつも日が暮れきった時刻なので、彼の顔をはっきりと見たことはない。
そのことを話すと、獄寺は眉を潜めた。
「素性知れねえ奴に背中預けるなんて気がしれねえぜ、取り入って油断させてってのもざらにあるんだからな」
「わ、わかった……やばいなって思ったら逃げるよ」
しばらくの無言のあと、獄寺は足元に視線を落としたまま、
「……聞きたいことがある」
と言ってきた。鳴海は待った。が、獄寺は出し渋ってなかなか本題に入ろうとしない。
獄寺の顔が赤くなっている。夕焼けのせいだけではない。鳴海はおずおずと訊ねた。
「あ、あのさ、絶対に茶化したりしないから、言ってみなよ」
「絶対だな」
「おう、男同士の約束」
「てめえ女じゃねえか!」
ふざけることで、すこし緊張が緩んだようだ。獄寺は何度か煙を味わったあと、静かに言った。
「その、沙良のこと、だが」
ふむ、鳴海は腕組みをする。予想の範囲内だ。
「あいつが好きなものってなんだ」
「へ?」
だいぶ抽象的な質問だった。鳴海は考え込む。
「好きなものかあ……お菓子作りとか?」
「そうじゃなくて、貰って嬉しいもんはねえのかって」
貰ってうれしいもの。
そこで鳴海はふっと微笑ましくなった。沙良に何か贈るつもりなのだろう。
「……正直、何あげても喜ぶと思うよ、沙良はいい子だから。特に、獄寺からってさ。告白すんの?」
それはつい、勢いでぽろっと口にしてしまったことだった。しまった、鳴海は内心舌打ちした。
獄寺のことだから、きっと強い言葉でごまかしたり、否定したりするのだろう。そう予感していたが、
「絶対言うんじゃねえぞ」
以外にも彼は声を潜め、冷静だった。
鳴海も首を縦に振る。もうそれ自体が、答えだった。
「……ああ、そうだ、好きだ、沙良のことが」
鳴海も、そして獄寺自身も歯がゆく、もどかしかった。
本人に言えばいいのに。
本人が居なければ言えるのに。
「じゃあなんで言ってやらないんだよ」
「言えねえんだよ。その、こっちも色々事情があってだな」
そのとき、獄寺がものすごい勢いである方向を向く。視線の先は、屋上の出入り口である扉だ。
「どうしたの?」
「今、誰かいた」
「え?」
つかつかと歩みよった獄寺は、ドアノブに手を掛ける。重い鉄の扉が錆び付いた音を立てて開き、鳴海も獄寺の背中越しにひょこっと覗き込んだ。
誰もいない。薄暗くほこりの積もった階段が下へのびているだけだ。
気のせいじゃない?鳴海ののんきな声が響いた。
*
太陽は既に地平線のかなたへとしずみ、夜の帳がゆっくりと街を侵食していくのを感じる。
真琴は走っていた。目的地はない。
とにかくじっとしていられない。走り続けていれば、次に朝日がのぼったとき、自分も夜と共に跡形もなく綺麗に消えていないだろうか。
『好きだ、沙良のことが』
屋上で盗み聞きしてしまった、獄寺の想い。薄々気づいてはいたし、いつかこうなるだろうとは覚悟していた。──つもり、だった。
いざ本人から知らされると、頭を強くぶん殴られたような衝撃が走った。
沙良は獄寺のことが好き。
獄寺も、沙良のことが好き。
これのどこが悪いのだ。何も悪くないのだ。悪いのは、大切な友達の恋を、まっすぐに応援してやれない自分自身なのだ。
いつのまにか、真琴は川沿いの土手に来ていた。目の前を流れる川の流れ。たっぷりの水の中なら、溺れ死ねるだろうか?でも意外に浅かったら?真琴は顔を上げて、川の上にかかった橋を見つめる。いくつもの車が通る音。あの橋から、頭から飛び降りれば──
飛び降りる、その行動に芋づる式に幼い頃の記憶が呼び起こされる。小学生の頃、歩道橋から飛び降りようとしたんだっけ。
それを止めてくれたのが沙良だった。
自分が怪我しようが事故に合おうが一切表情を動かさなかった両親なんかより、何倍も大切にしてくれた、幼馴染み──沙良が、とられてしまう。
沙良は、自分の物じゃなくなってしまう。
また自分はひとりぼっちになってしまう。
芝生の上に真琴は歩みだした。次第に立つのが苦しくなって、膝をつく。やわらかい草の感触がした。
視界がかすみ、こめかみや鼻のあたりが熱くなった。真琴の瞳からは涙があふれ、とどまることを知らない。息が浅く、激しく繰り返される。激しい負の感情が、ぐるぐると身体中で渦を巻く。そのときだった。
“かわいそうに”
真琴ははっと目を見開く。声が聞こえた。それは、耳がとらえた音というより、脳内に直接響いてくるような声だった。
“あなたがどれだけ想っても、彼女が答えてくれることはない”
大人びた少年の声だった。低く、じんわりと体内にたまっていく。
“いずれ彼女はあなたに見向きもしなくなる”
“彼女だけじゃない、誰も、彼もが”
「い、嫌、やめて」
声はひたすらに、真琴を暗闇へひっぱろうとしていた。違う、そんなことはない、自分には、他にも大切な仲間が──
“本当に?”
脳裏に浮かんだ数人の顔が、黒いマジックのようなものにぐちゃぐちゃに塗りつぶされていく。真琴、と呼んでくれる声にノイズが混じり、やがてぷつりと途切れる。
“君はずっとひとりぼっちだった”
急に、薄らいでいた両親の顔を思い出し、真琴は恐怖で叫んだ。喜怒哀楽の欠片もない顔。暖かさの無い家庭。己の存在を、ひたすら呪い続けた日々。
“このまま、ずっとひとりぼっちのままでいたい?”
“沙良と一緒にいれたら、それだけでいい”
少年の声とだぶって、心の奥から湧き出た自分自身の声。ああ、これが自分の本性か。絶望感と、納得。ほんの少しの高揚感。
「僕が、そのお手伝いをしましょう」
いつの間にか座り込む真琴の目の前に、見慣れぬ学生服を着た男の子が立っている。赤と青の、左右違う色に光る怪しい瞳とは裏腹に、その面立ちは穏やかだった。
「さあ」
差し伸べられた手を、真琴は掴んだ。その瞬間、意識がふっと遠ざかっていく。
鳴海は声をかけ、獄寺も適当に返す。だらだらと適当な会話をする2人の周囲にぞくぞくと不良が押し寄せ、今にも襲いかからんとしていた。相手の言い分を聞けば、彼らは先日獄寺に喧嘩で負け、リベンジに来たという。
しかし、あっという間に軍配は2人に上がった。
「てめー、変わったな」
「そう?」
「喧嘩んときの動き、カタギっぽさが減った」
一目散に逃げていく不良達を見送りながら、獄寺は懐からタバコケースを出し、1本くわえる。そのまま、ずい、と箱を鳴海のほうに差し出した。
「いるか?」
「遠慮しとくよ」
苦笑いしながら断る鳴海。獄寺はライターで火をつけ、煙を吸い込んでふう、とはきだす。
動きが変わった。それについては鳴海も心当たりがあった。
「稽古つけてもらってるんだ」
「へえ、誰に」
「わかんない」
「は?」
数日前、人けの無い空き地で長柄槍を振り回していたら、とつぜん話しかけられたのだ。若く、腰まで届きそうな銀色の髪をした不思議な男に。
彼は30分から1時間弱ほど鳴海と手合わせをし、体の動かし方、立ち回り方をアドバイスしてくれる。会えるのはいつも日が暮れきった時刻なので、彼の顔をはっきりと見たことはない。
そのことを話すと、獄寺は眉を潜めた。
「素性知れねえ奴に背中預けるなんて気がしれねえぜ、取り入って油断させてってのもざらにあるんだからな」
「わ、わかった……やばいなって思ったら逃げるよ」
しばらくの無言のあと、獄寺は足元に視線を落としたまま、
「……聞きたいことがある」
と言ってきた。鳴海は待った。が、獄寺は出し渋ってなかなか本題に入ろうとしない。
獄寺の顔が赤くなっている。夕焼けのせいだけではない。鳴海はおずおずと訊ねた。
「あ、あのさ、絶対に茶化したりしないから、言ってみなよ」
「絶対だな」
「おう、男同士の約束」
「てめえ女じゃねえか!」
ふざけることで、すこし緊張が緩んだようだ。獄寺は何度か煙を味わったあと、静かに言った。
「その、沙良のこと、だが」
ふむ、鳴海は腕組みをする。予想の範囲内だ。
「あいつが好きなものってなんだ」
「へ?」
だいぶ抽象的な質問だった。鳴海は考え込む。
「好きなものかあ……お菓子作りとか?」
「そうじゃなくて、貰って嬉しいもんはねえのかって」
貰ってうれしいもの。
そこで鳴海はふっと微笑ましくなった。沙良に何か贈るつもりなのだろう。
「……正直、何あげても喜ぶと思うよ、沙良はいい子だから。特に、獄寺からってさ。告白すんの?」
それはつい、勢いでぽろっと口にしてしまったことだった。しまった、鳴海は内心舌打ちした。
獄寺のことだから、きっと強い言葉でごまかしたり、否定したりするのだろう。そう予感していたが、
「絶対言うんじゃねえぞ」
以外にも彼は声を潜め、冷静だった。
鳴海も首を縦に振る。もうそれ自体が、答えだった。
「……ああ、そうだ、好きだ、沙良のことが」
鳴海も、そして獄寺自身も歯がゆく、もどかしかった。
本人に言えばいいのに。
本人が居なければ言えるのに。
「じゃあなんで言ってやらないんだよ」
「言えねえんだよ。その、こっちも色々事情があってだな」
そのとき、獄寺がものすごい勢いである方向を向く。視線の先は、屋上の出入り口である扉だ。
「どうしたの?」
「今、誰かいた」
「え?」
つかつかと歩みよった獄寺は、ドアノブに手を掛ける。重い鉄の扉が錆び付いた音を立てて開き、鳴海も獄寺の背中越しにひょこっと覗き込んだ。
誰もいない。薄暗くほこりの積もった階段が下へのびているだけだ。
気のせいじゃない?鳴海ののんきな声が響いた。
*
太陽は既に地平線のかなたへとしずみ、夜の帳がゆっくりと街を侵食していくのを感じる。
真琴は走っていた。目的地はない。
とにかくじっとしていられない。走り続けていれば、次に朝日がのぼったとき、自分も夜と共に跡形もなく綺麗に消えていないだろうか。
『好きだ、沙良のことが』
屋上で盗み聞きしてしまった、獄寺の想い。薄々気づいてはいたし、いつかこうなるだろうとは覚悟していた。──つもり、だった。
いざ本人から知らされると、頭を強くぶん殴られたような衝撃が走った。
沙良は獄寺のことが好き。
獄寺も、沙良のことが好き。
これのどこが悪いのだ。何も悪くないのだ。悪いのは、大切な友達の恋を、まっすぐに応援してやれない自分自身なのだ。
いつのまにか、真琴は川沿いの土手に来ていた。目の前を流れる川の流れ。たっぷりの水の中なら、溺れ死ねるだろうか?でも意外に浅かったら?真琴は顔を上げて、川の上にかかった橋を見つめる。いくつもの車が通る音。あの橋から、頭から飛び降りれば──
飛び降りる、その行動に芋づる式に幼い頃の記憶が呼び起こされる。小学生の頃、歩道橋から飛び降りようとしたんだっけ。
それを止めてくれたのが沙良だった。
自分が怪我しようが事故に合おうが一切表情を動かさなかった両親なんかより、何倍も大切にしてくれた、幼馴染み──沙良が、とられてしまう。
沙良は、自分の物じゃなくなってしまう。
また自分はひとりぼっちになってしまう。
芝生の上に真琴は歩みだした。次第に立つのが苦しくなって、膝をつく。やわらかい草の感触がした。
視界がかすみ、こめかみや鼻のあたりが熱くなった。真琴の瞳からは涙があふれ、とどまることを知らない。息が浅く、激しく繰り返される。激しい負の感情が、ぐるぐると身体中で渦を巻く。そのときだった。
“かわいそうに”
真琴ははっと目を見開く。声が聞こえた。それは、耳がとらえた音というより、脳内に直接響いてくるような声だった。
“あなたがどれだけ想っても、彼女が答えてくれることはない”
大人びた少年の声だった。低く、じんわりと体内にたまっていく。
“いずれ彼女はあなたに見向きもしなくなる”
“彼女だけじゃない、誰も、彼もが”
「い、嫌、やめて」
声はひたすらに、真琴を暗闇へひっぱろうとしていた。違う、そんなことはない、自分には、他にも大切な仲間が──
“本当に?”
脳裏に浮かんだ数人の顔が、黒いマジックのようなものにぐちゃぐちゃに塗りつぶされていく。真琴、と呼んでくれる声にノイズが混じり、やがてぷつりと途切れる。
“君はずっとひとりぼっちだった”
急に、薄らいでいた両親の顔を思い出し、真琴は恐怖で叫んだ。喜怒哀楽の欠片もない顔。暖かさの無い家庭。己の存在を、ひたすら呪い続けた日々。
“このまま、ずっとひとりぼっちのままでいたい?”
“沙良と一緒にいれたら、それだけでいい”
少年の声とだぶって、心の奥から湧き出た自分自身の声。ああ、これが自分の本性か。絶望感と、納得。ほんの少しの高揚感。
「僕が、そのお手伝いをしましょう」
いつの間にか座り込む真琴の目の前に、見慣れぬ学生服を着た男の子が立っている。赤と青の、左右違う色に光る怪しい瞳とは裏腹に、その面立ちは穏やかだった。
「さあ」
差し伸べられた手を、真琴は掴んだ。その瞬間、意識がふっと遠ざかっていく。
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