・ワンドロワンライ

仕方のない事故だった。

十七番ワイルドゾーン。今やミアレ最強となったキョウヤでさえ未だに「魔境」と呼ぶそこは、その危険さが周知のものとなった今でも定期的にSOSが出される。救難信号を出すのはたいてい周辺住民で、幼い子供や観光客が迷い込んでいくのを見たとか、度胸試しの若者が負傷して動けなくなっているとか、そういうものが多い。そういった情報は緊急依頼という形でエムゼット団やサビ組に届き、主にキョウヤやカラスバをはじめとするメンバーが救援に向かうことが通例となりつつあった。

その日も、そんな緊急信号が発せられて。他の依頼をこなした直後で手が空いていたキョウヤと、たまたま十七番ワイルドゾーンの近くにいたというカラスバの二人がタイミングよく駆けつけた。お互いの姿を見た二人はくいっと口角を上げて。あぁこいつがいれば、この人がいるなら何も怖くないと安心感すら持ってワイルドゾーンに飛び込んだ。
怒り狂ったまま何かを探すカエンジシの群れ。情報では、幼い兄弟がカエンジシ見たさにワイルドゾーンに入り込んだのだという。兄弟はそれぞれどうにか逃げ回って、物陰に姿を隠しているようだった。
気配を殺しながら、キョウヤとカラスバはそれぞれエリアの端を辿るように反対回りに動いて子供たちを探し、結果的に一人ずつ保護した。それから同じように慎重に出口に向かっていったのだが。
はぐれた兄を見つけた幼い弟が、キョウヤの手元を離れて泣きながら走り出す。
「に、にいちゃ!」
「っ行っちゃダメだ!」
「あかん、キョウヤ! 頼むで!」
後を追おうとしたキョウヤを制して、カラスバが子供たちをそれぞれ左右に抱え上げて走り出す。その声ですべてを理解したキョウヤは、カエンジシに向き直るよりも早く腰のボールのスイッチを押した。
「くそ、ゲッコウガ! なみのり!」
大きな水の塊が群れを押し流す。鍛え上げられたキョウヤのゲッコウガの技の威力は絶大で、ほとんどの個体がせんとうふのうとなってその場で目を回す。しかし、怒り狂ったオヤブン個体はその場に立ち続けている。むしろ仲間に手を出されて怒りを増したようだった。もちろんそれは折り込み済みで、すぐさま次の技を指示する。
一番警戒すべきオヤブンカエンジシが放つ「げんしのちから」を躱して、みずしゅりけんを叩き込む。まだ倒れない。反撃で繰り出されたワイルドボルトを再度躱して――それが、げんしのちからで盛り上がった地盤にぶつかり、派手に岩が割れた。そしてその破片が、奥にいたカラスバたちに襲い掛かる。キョウヤはひゅっと息をのんだ。
「カラスバさん! 避けて!」
「――くっ!」
いつものカラスバなら、対応できた。けれど今日は両腕に幼い子供を抱えていて、身動きが取れなくて。否、むしろ子供たちに被害を出さないためにどうすればいいかということしかカラスバの頭にはなかった。そして目の前に、拳大のサイズの物体が猛スピードで迫ってくるのが、まるでスローモーションのように見えた。
――覚えているのは、左目を襲った熱と激痛。体の中にまで響くような鈍い音。
そして、目を見開いて手を伸ばすキョウヤの、血の気の引いた真っ青な顔。
グラスコードが切れて、カシャン、と割れたメガネが地面に転がったのを最後に、カラスバの意識はそこで途絶えた。

その後、キョウヤはその場ですぐにカエンジシを仕留めると、倒れたまま動かないカラスバを抱えてワイルドゾーンをすぐに脱出した。事故の直後はボロボロ泣く子供たちと、意識を失ったカラスバ、そして取り乱した様子のキョウヤに、見守っていた市民たちも動揺して現場はひどく混乱していたのだが、もともとこちらに向かっていたらしいジプソたちサビ組が合流して現場を指揮したことで事なきを得た。そして血相を変えたキョウヤと、その腕の中でぐったりしたまま動かないボスの姿を見て状況を理解したジプソが、最優先で彼らを病院へと送り届けたのだ。

三日ほど眠っていたカラスバが目を覚ますと、そこには深刻そうな顔をした医者と、痛ましそうな顔をした右腕の姿があった。寝ていた体を起こしたところでぐわんと揺れる頭と、じくじく痛む左目。そして巻かれた包帯。最悪のケースを想定しながら、カラスバは穏やかに口を開いた。
「……左目、やってもうたか」
その言葉に、ジプソがぐっと唇を噛んで。医師はそっと首肯した。
「さよか」
カラスバはたった一言、それだけ言うと、己に降りかかった不幸を淡々と受け入れた。

その翌日。病院のベッドで半身を起こしたカラスバの膝の上で、メッソン……いや、キョウヤがボロボロと涙を流していた。目が溶けそうなほどの勢いで大粒の涙を流し、すでにシーツをびしゃびしゃに濡らしている恋人の姿に、カラスバは呆れながら苦笑する。
「なんちゅう顔してんねん」
「だって、だって……!」

――カラスバが、左目を失った。
その事実は、キョウヤがカラスバの部屋を訪れたタイミングで本人から伝えられたことだった。最悪の事態として想定はしていただろうに、キョウヤはそれを聞いた瞬間に酷くショックを受けて、それからカラスバの顔に巻かれた包帯に目をやって。クシャリ、顔を歪ませてわんわん泣き出したのだ。嗚咽に背中を震わせるキョウヤの意外に広い背中を撫でながら、カラスバは諭すように言葉を紡ぐ。
「そもそもこんな世界で生きてんねんから、ある程度のことは覚悟の上や。それがたまたま、今回の事故やっただけ。まぁむしろ、悪い連中とのいざこざでできたとかよりも堂々とできてええわ。人助けの勲章やん。……それに、片目だけでも見える。それで十分やわ」
それはカラスバが、虚勢でも嘘でもなくて、本当に思っていることだった。路地裏で這いつくばって生きていたころは、色んな……本当に色んな人間を見てきた。犯罪に巻き込まれて体を欠損した人や、金のために臓器を売る人間だっていた。己のこんな生い立ちでも五体満足でまともな生活を送れるようになった、これまでが幸運だったのだ。
片目がなくなったって、カラスバは変わらない。それでもキョウヤは、泣き腫らしてパンパンになった顔でカラスバを見上げた。
「俺、カラスバさんの目になる。あなたの左腕として、」
「あかん」
「なんで!」
鼻をすすりながらキョウヤが勢い良く立ち上がる。怒ったような声音のその奥に、真っすぐ己を思う気持ちを確かに感じたので、カラスバはあくまで柔らかく諫めてやる。
「何遍も言うとるやろ。オマエは、こっちの世界に入らんでええ。今回の事だってオマエが責任感じるようなことちゃうし」
「責任とかそういうのじゃないです。俺が、あなたを支えたい」
本気だというのは十分に分かった。けれど、責任を取ろうという償いのような部分があるのもきっと確かで。それがカラスバには面白くない。キッと大きな目を吊り上げて意地になる姿は、思い通りにならなくて癇癪を起こす子供にも見えた。だからカラスバは残された右目を細めて、低く唸るように返す。
「……片目が見えへんオレは、そんなに弱いか」
「違います!」
「やったら、」
「でも!」
キョウヤの大きな声がカラスバの声を遮って。それからまた泣きそうな顔をして、キョウヤはカラスバの顔に手を伸ばした。両手で頬を包み込んで、頭部から左目の下までを覆う白い包帯にそっと触れる。キスをするときにいつもそうしていたように、ダークブラウンの目が真っすぐカラスバに注がれる。
――けれど、その視線がカラスバとぴったり合うことはなくて。その時に初めて、カラスバは片目が見えないことを惜しいと思った。きっとそれにキョウヤも気付いたのだろう。再びぽろぽろと涙をこぼしながら、震える声でキョウヤは言った。
「……好きな人の力になりたいっていうのは、そんなにダメなことですか」
許しを請うような声だった。声と同じように震えるキョウヤの唇が、そっとカラスバの右瞼に降りる。キョウヤが零した涙が、ぽたりとカラスバの頬にも落ちた。痛いくらい真っすぐ向けられる深い愛に、カラスバの中でどこか強張っていた部分がほどける。肩から、力が抜けた。
「……すまん、いけず言うたわ。あかんな、オレも思ってたより動揺してるんかもしれん」
ふ、と笑ったカラスバが、キョウヤの顔を捕まえて、腫れぼったくなった左右の目尻にちゅ、ちゅ、と触れるだけのキスを落とす。
「でもやっぱりオレの意志は変わらん。オマエには、こっちの世界に来てほしない」
「……」
「やから、その代わり。プライベートのオレの、目になってや」
キョウヤは目を見開いて、そしてカラスバの肩を掴んで食い気味に返す。
「い、いいんですか!?」
「いいんですかって、普通はオレのセリフやろ。……退院、一週間後やて。それまでにホテルの荷物まとめとき」
「え、それって……」
ぐい、とキョウヤの顔を引き寄せて、カラスバは悪童のように笑った。
「オレの目に、なるんやろ? ほな一緒におらんとな」

カラスバの退院と同時に、キョウヤとカラスバの同棲生活が始まった。もともと広いカラスバの自宅にキョウヤが移り住むだけだったが、それでも少しずつキョウヤの色がカラスバの自宅を浸食していく。それが照れくさく、むず痒くもあり、嬉しかった。
退院の後も傷の様子を見るためにカラスバは定期的に通院していたが、基本的には怪我をする前と変わらない生活を送っていた。仕事に復帰した初日には部下一同に迎えられた上に、ジプソを中心に組員たちからサビ組の代紋が入った眼帯を贈られたとかで、それ以来、仕事中のカラスバの左目はその黒い眼帯に覆われている。

長く続いた通院生活最後の日。問題なく完治したというお墨付きをもらったカラスバは自宅に戻り、依頼をこなすために外出していたキョウヤを出迎えた。
「無事に通院終了やて」
「よかったぁ」
二人掛けの大きなソファで隣り合って肩に寄りかかりながら、カラスバがそんな報告を告げる。ほっと息を吐いたキョウヤは、すぐ傍にいるカラスバの顔の輪郭を確かめるように手を滑らせる。それから、プライベートなためにサビ組のものではないシンプルな眼帯に覆われた左目にそっと触れる。
「……眼帯、外してもいいですか?」
「ええけど、オマエびっくりすんで」
「今更驚かないですよ」
「さぁ、どうやろ」
どんな傷がついていようが、キョウヤはそれがカラスバであるというだけで丸ごと愛せる自信があった。今だって、ただカラスバのすべてが見たいから、シンプルなその気持ちだけで許可を乞うたのだ。
無防備に差し出された顔の後ろに手を回して、しゅるりと眼帯の紐を解く。ずらしたそこには、怪我をする前と変わらず綺麗な白い肌がある。
「ええんか悪いんか、目ぇ無くなっただけで傷はほとんど残らんかったわ」
目の周りの筋肉も特に傷つくことなかったので、瞼も動く。意識して閉じられたままの左瞼の長い睫毛がふるりと揺れた。
「キョウヤ、あんな。この下……実は義眼を入れたんや」
「義眼?」
「そ。作り物の目」
閉じられた瞼がゆっくりと持ち上がる。そうして現れた瞳に、キョウヤはぎゅっと心臓を掴まれた心地になった。


「オマエとおんなじ色にしたったわ」

――そう言って妖艶に微笑むカラスバの左目には、キョウヤと同じダークブラウンが嵌まっていた。

キョウヤの胸の中に様々な思いが込み上げる。それがどうにも我慢できなくて、溢れそうな感情のままに目の前の体を勢い良く抱きしめた。カラスバは悪戯が成功した子供のように声を上げて楽しそうに笑っている。人の気も知らないで。悔しさまで滲んできて、キョウヤは仕返しのようにぎゅうぎゅうと力いっぱい抱きしめた。
「ごめんなさい、こんなこと思っちゃいけないのに、カラスバさんは片目が見えなくなっちゃったのに」
嬉しい。悲しい。可愛い。悔しい。愛しい。愛しい。
ごちゃごちゃの感情で熱くなる目頭をぐりぐりとカラスバの肩に押し付けてから、キョウヤは再度カラスバに向き直った。

元からの美しい、蜂蜜のような黄金色。
そして己と同じ、ダークブラウン。

「……綺麗な目。あなたの中に俺の色があるのが嬉しいって、思っちゃいました」
カラスバにとってのもう一つの目。キョウヤと同じ色の三つめの目。
美しい金とダークブラウンのそれぞれに、キョウヤは瞼の上から労わるようにキスを落とす。キョウヤのその言葉に、カラスバは満足そうに笑って唇に口づけた。
「キョウヤは、俺の目やからな」
「はい。一生隣で、あなたの欠けた分の景色を見てあげますからね」

くすり、笑い合って、見つめ合って。
そのまま二人の体は、広いソファの上にゆっくり沈んでいった。


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