・ワンドロワンライ
幼少期を路地裏で過ごしたカラスバにとって、日付や時間の経過を知る術はそう多くなかった。その中の一つが季節のイベントごとだ。クリスマスやイースターなんかが代表的だが、こういう時は街全体が浮足立つので、日付の感覚がないカラスバにも一年の流れが感じられるものだった。
たいていが幸せそうな人々で彩られる季節行事は、カラスバにとっては壁を一枚隔てた先で行われる他人事のような光景で――同時に、居場所がない自分の立場を突き付けられるものでもあった。特に年末年始……ニューイヤーの時期は、辛い記憶と紐づいているものばかりで。というのも、ちょうどこの時期は毎年寒さが厳しく、着るものも食べるものも碌に持ち合わせていなかったカラスバにとっては、本当に命がけだったことばかりが記憶に残っているのだ。
明日には新年を迎えるらしい。その新年をこのまま迎えられるだろうか、このまま路地の片隅で凍え死ぬのではないか。今、自分は本当に生きているだろうか。何とか今年は一年を無事に終えられた、でも次の一年はどうだろう? いつまでこんな生活をしている?
毎年のこの時期、カラスバはフシデと共に身を寄せ合って、路地裏の片隅で小さく小さく丸まっていた。街の人々が新年を迎えるまでの残り時間を声高に数える声を聞きながら、それがカラスバにとっては命のカウントダウンにも思えて。そうして年を越した瞬間は生きていることに安心して――それからほんの少しだけ絶望していた。だからカラスバにとって、年末年始のカウントダウンはなんとなく息の詰まるものだった。
――カラスバがキョウヤと出会ってから、一年以上の月日が流れた。その間に本当にいろんな出来事があって、そして何の因果か、カラスバはミアレの英雄となったキョウヤと交際するに至っていた。出会った年は、例のミアレ全体を巻き込んだ大事件のせいで、タワーを中心に街の被害が非常に大きかった。そのため復興に時間がかかり、結局その後始末のために年末年始も走り回っていた。本当にいつの間にか年が明けていて、忙しさのおかげで余計なことを考えずに済んで少し安心したことを覚えている。
そしてキョウヤと過ごす二年目の十二月。カラスバは、クリスマスあたりからホテルZへと入り浸っていた。というより、キョウヤに強請られて半同棲のような生活をしていた。
ホリデーに入ってから、デウロとピュールは実家へ帰省し、タウニーは年末年始の会社の動きを覚えるためにクエーサー社に泊まり込むことになったのだそうだ。あんなに広いホテルでホリデーの間ひとりぼっちは寂しいと、可愛い恋人に強請られて、絆されて、カラスバは仕方なく――そして満更でもなく――ホテルZから事務所へ通う生活をしていた。
「年末年始のお仕事はどんな感じなんですか? 忙しいです?」
今年もあと一週間という時期に、仕事から帰ってきたカラスバを労わりながらキョウヤが尋ねた。カラスバは肩の凝るジャケットを脱ぎつつ、ここ数日で調整したスケジュールを思い出すように視線を斜め上に動かす。
「去年まではニューイヤーで羽目を外すアホの取り締まりしとったけど、なんや今年からはちゃんと行政がやるように動かしたとかユカリが言うとったさかい、あんまり手を出さんことにしてんねん。やからそんなに予定は詰まっとらんなあ」
サビ組はミアレを守る組織ではあるが、それは行政の手が回らないような部分をカバーした結果でもある。もし街の地力でそれができるなら、自分たちのような日陰者は出ないに越したことはない。カラスバは普段からそう考えていて、キョウヤもその信条を知っている。だからこそ、街が頑張ろうとしているのならば、そこに余計な手出しをするつもりはなかった。
「じゃあお休みですか?」
「そうやな、って言うても年越しの前日からの短い間やけど」
年末年始の突発的なやらかしの負担が減ろうと、サビ組が目を光らせる相手はタイミングを問わない。とはいえ多くの部下をもつ大きな組織でもあるので、仕事を調整してある程度の休みは彼らに与えるようにしているが、組織のトップでもあるカラスバが完全に仕事を置いておける時間というのは長くない。しかしキョウヤはそれでも、カラスバの返しに目を輝かせた。
「それなら年越しは一緒に過ごせそうですね!」
ワンパチが尻尾を振るように、キョウヤは嬉しそうに目を輝かせてカラスバに鼻先を寄せる。その仕草が本当に犬ポケモンのようで、カラスバは思わず笑ってしまう。
「なんや、テンション高いな」
「はい。カウントダウンって、なんだかワクワクしてしまって」
「……さよか」
いつもならまだまだガキやな、とでも返したところだが、年末のカウントダウンを楽しみにしている様子のキョウヤのことが――いつか見た人々のように、壁一枚隔てた別の世界の話のようで。カラスバは思わず、気のない返事をしてしまった。人の心の機微に敏いキョウヤがそれに気付かないはずもなく、少し困ったように眉を下げた。
「カラスバさんは、あんまり好きじゃなさそうですね」
「……キョウヤは、なんでカウントダウンが楽しみなん?」
自分のせいでキョウヤの顔を曇らせたくなくて、肯定も否定もせずにカラスバが聞き返す。キョウヤはふむ、と顎に手を当てて考えると、考えを整理するように言葉を選びながらゆっくり話し始めた。
「うーん……俺にとっては、年末年始って『今年が終わる』よりも『次の年を迎える』っていう意味の方が大きいんですよね。年が切り替わるカウントダウンというより、次の年を重ねるっていう意味でカウントアップをしてる感じが好きで」
――残り日数を数えるカウントダウンではなくて、次の年を数えるからカウントアップ。
前向きなその捉え方をキョウヤらしいなと、カラスバは慈しむように目を細める。そうしてその横顔を眺めていたのだが、不意にキョウヤが包み込むような柔らかい視線を投げてきたので、カラスバは思わず少しだけドキリと心臓を跳ねさせる。
「だから今年は絶対カラスバさんと過ごしたかったんです」
「……?」
唐突に言われた言葉には、どこか深い愛情が滲んでいて、カラスバは少し背筋をもぞりとさせる。
「年が変わったら、カラスバさんに出会ってから二度目のニューイヤーでしょう? 来年も再来年も、十年後も二十年後もこの先ずっと……そうやってどんどん、一緒に過ごす年を積み重ねられるんだって思ったら嬉しくて」
この先もずっと共にいる、そんな未来を一ミリも疑っていないそのキラキラした瞳が眩しくて、カラスバは思わず目を眇めた。
「何十年後とか、想像つかんなあ……オマエはイケてるお兄さんになってそうやけど、オレなんかそのころには目も当てられへんじじいになってそうやわ」
「いやいやいや! むしろカラスバさんの方が、二十年後とか色気のある魔性のおじさまになってそう……え、そもそも歳取ります? 想像つかないや」
「オマエ、オレの事なんやと思てんねん」
思わず呆れてつっこむが、キョウヤはどこ吹く風。むしろ神妙な顔で少し思案した後、大真面目にこう言った。
「でも歳取ったカラスバさん、絶対セクシーだな……」
「なんや、そういう方が好みなんか? マセとんなあ」
「カラスバさんが好みなだけです」
「はいはい」
「ほんとなのにぃ」
ぶぅ、とカワイコぶって唇を尖らせるキョウヤは、カラスバが自分のこういう幼い仕草に弱いのを知っていてやっている。確信犯だ。カラスバもそんなことは分かっているけど、やっぱり年下の恋人には弱くて、ふいっと苦し紛れに視線を外す。それからぼそりと言い返した。
「……ほんまなことくらい、知っとるわ」
照れを隠すようなぶっきらぼうな物言いに、キョウヤが口元をニヤつかせる。
「おっ、やっとどんなカラスバさんでも俺に愛されるって自覚出てきました?」
「調子乗んなクソガキ」
「いだぁ! すぐヤクザキックする!」
「じゃかぁしい!」
いたた、と尻を摩るキョウヤは、顔を赤くしてそっぽを向くカラスバを見てその可愛らしさにふっと微笑む。そして、厳しい反応にめげることなく、見た目よりも細く引き締まった腰に手を回した。
「ね、カラスバさん。この先俺がしわくちゃのおじいちゃんになっても、一緒に次の年を迎えてくださいね」
少し精悍さを増した甘い顔立ちに、さらに糖度を足した眼差しを向けて囁くと、キョウヤは恋人の刈り上げたこめかみにキスを落とす。くすぐったい触れ合いにカラスバの切れ長の目が緩んで、穏やかな笑みをにじませた。
「なんや、プロポーズみたいやな?」
少しだけ揶揄いの色を乗せて上目遣いにそう言ってみると、キョウヤはハッとした顔をして、それから視線をせわしなく動かしてこう口走った。
「え! そ、それは今度ちゃんとしますんで!」
「へぇ。してくれるんや」
「あ」
墓穴を掘ったキョウヤの顔が、また一段と赤くなる。先ほどまでの甘いマスクとは違う年相応の表情にカラスバはにんまりと悪い顔をして笑った。
「そら楽しみやなあ」
「あああ! サプライズしたかったのに!」
ついさっきまで年上を揶揄おうとしていた男とは思えない反応の良さに、カラスバはとうとう声を上げて笑った。
――来年が、初めて待ち遠しくなった。
そしてそれは、この先もずっとそうなのだろう。
人が抱える不安も過去も、すべて吹き飛ばしてしまう太陽のような恋人がなんだか憎たらしくて。カラスバは自分より少し身長が高くなった男の首裏に手を回して自分から抱き着くと、珍しく素直に「そういうとこが好きやねん」と囁いて真正面から口づけた。
たいていが幸せそうな人々で彩られる季節行事は、カラスバにとっては壁を一枚隔てた先で行われる他人事のような光景で――同時に、居場所がない自分の立場を突き付けられるものでもあった。特に年末年始……ニューイヤーの時期は、辛い記憶と紐づいているものばかりで。というのも、ちょうどこの時期は毎年寒さが厳しく、着るものも食べるものも碌に持ち合わせていなかったカラスバにとっては、本当に命がけだったことばかりが記憶に残っているのだ。
明日には新年を迎えるらしい。その新年をこのまま迎えられるだろうか、このまま路地の片隅で凍え死ぬのではないか。今、自分は本当に生きているだろうか。何とか今年は一年を無事に終えられた、でも次の一年はどうだろう? いつまでこんな生活をしている?
毎年のこの時期、カラスバはフシデと共に身を寄せ合って、路地裏の片隅で小さく小さく丸まっていた。街の人々が新年を迎えるまでの残り時間を声高に数える声を聞きながら、それがカラスバにとっては命のカウントダウンにも思えて。そうして年を越した瞬間は生きていることに安心して――それからほんの少しだけ絶望していた。だからカラスバにとって、年末年始のカウントダウンはなんとなく息の詰まるものだった。
――カラスバがキョウヤと出会ってから、一年以上の月日が流れた。その間に本当にいろんな出来事があって、そして何の因果か、カラスバはミアレの英雄となったキョウヤと交際するに至っていた。出会った年は、例のミアレ全体を巻き込んだ大事件のせいで、タワーを中心に街の被害が非常に大きかった。そのため復興に時間がかかり、結局その後始末のために年末年始も走り回っていた。本当にいつの間にか年が明けていて、忙しさのおかげで余計なことを考えずに済んで少し安心したことを覚えている。
そしてキョウヤと過ごす二年目の十二月。カラスバは、クリスマスあたりからホテルZへと入り浸っていた。というより、キョウヤに強請られて半同棲のような生活をしていた。
ホリデーに入ってから、デウロとピュールは実家へ帰省し、タウニーは年末年始の会社の動きを覚えるためにクエーサー社に泊まり込むことになったのだそうだ。あんなに広いホテルでホリデーの間ひとりぼっちは寂しいと、可愛い恋人に強請られて、絆されて、カラスバは仕方なく――そして満更でもなく――ホテルZから事務所へ通う生活をしていた。
「年末年始のお仕事はどんな感じなんですか? 忙しいです?」
今年もあと一週間という時期に、仕事から帰ってきたカラスバを労わりながらキョウヤが尋ねた。カラスバは肩の凝るジャケットを脱ぎつつ、ここ数日で調整したスケジュールを思い出すように視線を斜め上に動かす。
「去年まではニューイヤーで羽目を外すアホの取り締まりしとったけど、なんや今年からはちゃんと行政がやるように動かしたとかユカリが言うとったさかい、あんまり手を出さんことにしてんねん。やからそんなに予定は詰まっとらんなあ」
サビ組はミアレを守る組織ではあるが、それは行政の手が回らないような部分をカバーした結果でもある。もし街の地力でそれができるなら、自分たちのような日陰者は出ないに越したことはない。カラスバは普段からそう考えていて、キョウヤもその信条を知っている。だからこそ、街が頑張ろうとしているのならば、そこに余計な手出しをするつもりはなかった。
「じゃあお休みですか?」
「そうやな、って言うても年越しの前日からの短い間やけど」
年末年始の突発的なやらかしの負担が減ろうと、サビ組が目を光らせる相手はタイミングを問わない。とはいえ多くの部下をもつ大きな組織でもあるので、仕事を調整してある程度の休みは彼らに与えるようにしているが、組織のトップでもあるカラスバが完全に仕事を置いておける時間というのは長くない。しかしキョウヤはそれでも、カラスバの返しに目を輝かせた。
「それなら年越しは一緒に過ごせそうですね!」
ワンパチが尻尾を振るように、キョウヤは嬉しそうに目を輝かせてカラスバに鼻先を寄せる。その仕草が本当に犬ポケモンのようで、カラスバは思わず笑ってしまう。
「なんや、テンション高いな」
「はい。カウントダウンって、なんだかワクワクしてしまって」
「……さよか」
いつもならまだまだガキやな、とでも返したところだが、年末のカウントダウンを楽しみにしている様子のキョウヤのことが――いつか見た人々のように、壁一枚隔てた別の世界の話のようで。カラスバは思わず、気のない返事をしてしまった。人の心の機微に敏いキョウヤがそれに気付かないはずもなく、少し困ったように眉を下げた。
「カラスバさんは、あんまり好きじゃなさそうですね」
「……キョウヤは、なんでカウントダウンが楽しみなん?」
自分のせいでキョウヤの顔を曇らせたくなくて、肯定も否定もせずにカラスバが聞き返す。キョウヤはふむ、と顎に手を当てて考えると、考えを整理するように言葉を選びながらゆっくり話し始めた。
「うーん……俺にとっては、年末年始って『今年が終わる』よりも『次の年を迎える』っていう意味の方が大きいんですよね。年が切り替わるカウントダウンというより、次の年を重ねるっていう意味でカウントアップをしてる感じが好きで」
――残り日数を数えるカウントダウンではなくて、次の年を数えるからカウントアップ。
前向きなその捉え方をキョウヤらしいなと、カラスバは慈しむように目を細める。そうしてその横顔を眺めていたのだが、不意にキョウヤが包み込むような柔らかい視線を投げてきたので、カラスバは思わず少しだけドキリと心臓を跳ねさせる。
「だから今年は絶対カラスバさんと過ごしたかったんです」
「……?」
唐突に言われた言葉には、どこか深い愛情が滲んでいて、カラスバは少し背筋をもぞりとさせる。
「年が変わったら、カラスバさんに出会ってから二度目のニューイヤーでしょう? 来年も再来年も、十年後も二十年後もこの先ずっと……そうやってどんどん、一緒に過ごす年を積み重ねられるんだって思ったら嬉しくて」
この先もずっと共にいる、そんな未来を一ミリも疑っていないそのキラキラした瞳が眩しくて、カラスバは思わず目を眇めた。
「何十年後とか、想像つかんなあ……オマエはイケてるお兄さんになってそうやけど、オレなんかそのころには目も当てられへんじじいになってそうやわ」
「いやいやいや! むしろカラスバさんの方が、二十年後とか色気のある魔性のおじさまになってそう……え、そもそも歳取ります? 想像つかないや」
「オマエ、オレの事なんやと思てんねん」
思わず呆れてつっこむが、キョウヤはどこ吹く風。むしろ神妙な顔で少し思案した後、大真面目にこう言った。
「でも歳取ったカラスバさん、絶対セクシーだな……」
「なんや、そういう方が好みなんか? マセとんなあ」
「カラスバさんが好みなだけです」
「はいはい」
「ほんとなのにぃ」
ぶぅ、とカワイコぶって唇を尖らせるキョウヤは、カラスバが自分のこういう幼い仕草に弱いのを知っていてやっている。確信犯だ。カラスバもそんなことは分かっているけど、やっぱり年下の恋人には弱くて、ふいっと苦し紛れに視線を外す。それからぼそりと言い返した。
「……ほんまなことくらい、知っとるわ」
照れを隠すようなぶっきらぼうな物言いに、キョウヤが口元をニヤつかせる。
「おっ、やっとどんなカラスバさんでも俺に愛されるって自覚出てきました?」
「調子乗んなクソガキ」
「いだぁ! すぐヤクザキックする!」
「じゃかぁしい!」
いたた、と尻を摩るキョウヤは、顔を赤くしてそっぽを向くカラスバを見てその可愛らしさにふっと微笑む。そして、厳しい反応にめげることなく、見た目よりも細く引き締まった腰に手を回した。
「ね、カラスバさん。この先俺がしわくちゃのおじいちゃんになっても、一緒に次の年を迎えてくださいね」
少し精悍さを増した甘い顔立ちに、さらに糖度を足した眼差しを向けて囁くと、キョウヤは恋人の刈り上げたこめかみにキスを落とす。くすぐったい触れ合いにカラスバの切れ長の目が緩んで、穏やかな笑みをにじませた。
「なんや、プロポーズみたいやな?」
少しだけ揶揄いの色を乗せて上目遣いにそう言ってみると、キョウヤはハッとした顔をして、それから視線をせわしなく動かしてこう口走った。
「え! そ、それは今度ちゃんとしますんで!」
「へぇ。してくれるんや」
「あ」
墓穴を掘ったキョウヤの顔が、また一段と赤くなる。先ほどまでの甘いマスクとは違う年相応の表情にカラスバはにんまりと悪い顔をして笑った。
「そら楽しみやなあ」
「あああ! サプライズしたかったのに!」
ついさっきまで年上を揶揄おうとしていた男とは思えない反応の良さに、カラスバはとうとう声を上げて笑った。
――来年が、初めて待ち遠しくなった。
そしてそれは、この先もずっとそうなのだろう。
人が抱える不安も過去も、すべて吹き飛ばしてしまう太陽のような恋人がなんだか憎たらしくて。カラスバは自分より少し身長が高くなった男の首裏に手を回して自分から抱き着くと、珍しく素直に「そういうとこが好きやねん」と囁いて真正面から口づけた。