・ワンドロワンライ

あれはたしか、十一月頃だっただろうか。いつものようにサビ組事務所へ足を運び、愛しい人の顔を一目見るべく意気揚々と重厚なエレベーターの扉をくぐった時。部屋に足を踏み入れると同時に顔を上げた恋人が、己に向かってちょいちょいと手招きをした。
「キョウヤ、ちょっとこっち来てくれんか」
「はい!」
キョウヤは素直に、男が――カラスバが座る、大きなデスクの前まで足取り軽く歩み寄る。サビ組ボスに向かってこんなに嬉しそうに歩み寄る男は、このミアレ中を探してもキョウヤ一人だろう。キョウヤがデスクの前に立つと、カラスバは手元にあった資料を数枚広げて見せる。キョウヤが見ても問題ない書類らしい。そこに載っていたのは、小難しい契約書や分析結果――ではなく、美味しそうな料理の写真と名前が並んだ、ずいぶんと平和な内容のものだった。おや、とキョウヤが首を傾げる前に、カラスバが資料を指差してキョウヤを見上げる。
「この中で寒い日にもらうとしたら、どれがうれしい? あ、できるだけ子供寄りの意見で頼むわ」
「こ、子供寄り?」
意図は分からないけれど、とりあえず意見を求められているらしい。ひとまず資料を見比べて、寒い日に子供が食べるなら……と想像して顎に手を当てる。
「うーん、寒い日ならやっぱりスープですかねぇ……あ、コーンスープにパンを浸して食べるのもいいかも」
キョウヤの言葉にうんうんと納得したような顔で頷いたカラスバは、コーンスープの写真が入った書類を一番上にして、他の資料と一緒にまとめた。
「やっぱそういうのがええよな、おおきに。参考なったわ」
「お役に立てたのなら何よりです! けど、カラスバさん料理でもするんですか……?」
「まぁある意味間違ってはないけど、これやこれ」
そう言って、もう一枚の書類を差し出されたので遠慮なく受け取る。企画書のようだったが、その表題は。
「チャリティイベント?」
「せや、クリスマスのな」
クリスマスのチャリティイベント。みんな悪い人ではないのだが、いかんせん見た目が少々アレなサビ組の皆さんである。そんな面子でチャリティをやって大丈夫か。むしろ子供が泣くのではないか。そんな失礼なことを思いながら百面相するキョウヤの顔を見て、くっくっと喉を鳴らして笑ったカラスバは楽しそうに目を細めた。
「キョウヤの地元のクリスマスってどんなやった?」
「え? えーと……恋人たちのイベントってイメージが強かったですかね。もしくは友達で集まってパーティしたり。チキンやケーキを食べて、プレゼントを渡して……とか、そんな感じです」
「へぇ、やっぱり若干違いがあるもんなんやね」
「ミアレは違うんですか?」
キョウヤが首を傾げると、カラスバは軽く頷いて頬杖を突きながら口を開く。
「ミアレのクリスマスはな、基本的には家族で過ごすのが一般的や。やから帰省する人も多いな。イブの夜から朝まで豪華な飯食うて……あ、これレヴェイヨンって言うらしいねんけどな。豪華な飯は、フォアグラとか七面鳥とかエスカルゴとか、そういうんらしいわ。ほんで、ツリーの下に置いたプレゼントを交換して、ブッシュドノエルをみんなで食うて……っちゅーのが多いらしい」
らしい。……らしい。伝聞ばかりで伝えられたその情報に即座に感じた違和感と、そしてすぐにその理由に思い当たって、キョウヤはきゅ、と眉を寄せて痛みを堪えるような顔をした。「なんでオマエの方がそんな顔すんねん」と苦笑しながら、カラスバはキョウヤに手を伸ばす。そして少し幼さが抜け始めた頬を撫でながら、困ったように続ける。
「……オレみたいに身寄りがない人間には、クリスマスみたいなイベントは縁が無かったさかい。聞いたことしかないねん、堪忍な」
「っ……すみませ、」
「謝らんでええ。オレが始めた話や」
それでもまたしゅん、としたキョウヤの手を引いて、カラスバは例の座り心地の良すぎるソファの方へ座らせた。そしてその隣に腰をおろすと、力を抜いてキョウヤの肩に頭を預ける。キョウヤはごくごく自然な動きでその腰に手を回して、見た目以上に細いが引き締まった体を支えた。そのままカラスバは、独り言のように淡々と口を開く。
「……昔のオレみたいな居場所のないガキには、この日はホンマに、なんや……寒ぅてなぁ……。せやからせめて、この日くらいはなんかあったかい食いもんにありつけるようにって、チャリティを始めたんや。気休めやし偽善もええとこやけど、サビ組が出来た時から毎年やってんねんで」
「カラスバさん……」
ぐり、と肩口に押し付けられた頭をたまらず撫でてやると、くすぐったそうに身をよじる。カラスバは変わらず、キョウヤの方を見ずにぼんやり前方へ目線を投げたまま続けた。
「……クリスマスの日は、なんやみんな家に帰るんが早いから、夜はえらい静かで暗いねん。家の窓から見えるあったかそうな暖炉の火ぃと、美味そうな飯を見て、自分は一人で凍えとるなんて……そんな思い、少しでもせん方がええ。そう思っとるんや」
「……カラスバさんは、チャリティが終わったらどうクリスマスを過ごすの?」
「オレ?」
ここでようやく驚いたように目を見開いて、カラスバがキョウヤの方を向いた。そんなことを聞かれるなんて、本気で予想していなかったらしい。それほど彼の中で、クリスマスという存在が自分と結びついてなかったのだろう。そう思うとキョウヤはまた、きゅっと胸が苦しくなる。そんなキョウヤの胸中を知ってか知らずか、ふむと腕を組んで頭の中でスケジュール帳をめくったらしいカラスバが、なんてことないように答える。
「クリスマスは出来るだけ早く組員を家に帰すから、事務所はさっさと閉めなあかんねん。やから……家で仕事でもするか、まぁ別にいつもと変わらん一日やな」
「じゃあ、俺に時間ください!」
「……オマエに?」
「はい!」
食い気味に言ったキョウヤは、ここぞとばかりにカラスバの腰を抱き上げてそのまま自分の膝に座らせる。そして、自分より目線が高くなって見下ろしてくる金色の目を見てふわりと笑った。
「クリスマスは、俺の地元じゃ恋人たちのイベントでもあるって言ったでしょ? だからカラスバさんの時間が欲しくて……だめですか?」
最後はカラスバが気に入ってくれている、あざとさを意識した目でじっと見つめて。お願い、の姿勢を取ったら、カラスバは一瞬固まった後、くすくすと控えめな笑いを零した。
「……ふ、ええよ。ほな、仕事終わったら合流しよか」
「はい! じゃあ、夕方くらいに……」
カラスバさん、機嫌よさそう。嬉しいって思ってくれたかな。そんなことを考えながら、キョウヤはカラスバの白い額と自分の額をこつんと合わせて、照れくさそうに笑った。

――そして、十二月二十四日の十七時。
「ほな、オマエらも気ぃつけて帰るんやで」
「はい!」
「ボス、お疲れ様でした!」
「はいおつかれさん」
無事にチャリティイベントを終えたサビ組は事務所へ引き上げて片付けも完了し、今まさに解散しようとしていたところだった。組員たちを見送ったカラスバに、脇に控えていたジプソが声をかける。
「カラスバ様、お送りを……」
「ああ、今日はええねん。オマエもはよ帰り」
「しかし」
言い募ろうとしたジプソに、カラスバはふっと笑って小指を立てた。
「……今日は、先約あんねん」
「! それは野暮なことを申しました」
それだけですべてを察したジプソは相好を崩し、途端にボスではなく弟を見守るような生暖かい目を向けてくるので、カラスバはなんだか居心地が悪くなってふいっと目をそらした。そんなカラスバにジプソは表に出さないようにこっそりと笑い、恭しく頭を下げる。
「では、良いクリスマスを」
「はは、オマエもな。……良いクリスマスを」
そうしてカラスバが事務所の門を潜る。ふわり、白い雪が一粒、曇った空から落ちてきた。
「……今日は、えらい冷えそうやなあ」
そんなことを零しつつ、カラスバはいつものジャケットのポケットに両手だけ突っ込み、首を竦めながら恋人との待ち合わせ場所へと向かった。

「……さすがに遅いな」
時刻は二十時。待ち合わせは、十七時半。すでに二時間半もの間、カラスバは一人で待ちぼうけをくらっていた。すでに辺りは真っ暗で、待ち合わせに選んだ広場の大きなツリーだけが明るい。クリスマスだからか周囲の店も閉店が早く、すでに辺りの人気はかなり少なくなっていた。ちらりと見たスマホロトムにも連絡は、ない。
(たぶん、人助けでもしとるんやろ。それかなんかトラブルか……)
――まあキョウヤたちからすれば自分が最初に声をかけた一件もトラブルの一つだっただろうが、それを抜きにしても彼らの周りはいつも何かと騒がしい。だれかがトラブルを引き寄せているんではないか、というレベルで。
(探しに行くか? いやでも、入れ違いになったら意味あらへんし……)
(約束破るような男ちゃうし、どんなに遅れても来るやろなぁ)
外にいる時間はそんなに長くないと思っていたので、カラスバは碌な防寒をしていない。そんな状態ですでに寒空の下で二時間以上もじっと待っていた。寒さで耳と爪先の感覚はないし、ポケットに突っ込んだ手でさえかじかんでいる。全身が冷え切っていて、このまま動けなくなりそうだった。けれど、カラスバはそんな感覚には慣れている。むしろまともな服を着ているだけ、昔よりは――フシデと二人で、身を寄せ合っていた頃よりはましだ。カラスバは本気でそう思っていた。
(……もしかしたら、ほんまに来んかもしれん)
昏い闇の中、雪が肩に降り積もってそこからまたさらに冷えていく。

寒いのは嫌いだ。クリスマスは、嫌いだ。
――ひとりぼっちなのを、突き付けられる気分になるから。

「オレ、また置いて行かれるんかな……」
白い息と共に、そっと。冷えた空気の中へ消えてしまえばいいと、情けない弱音を吐いた時だった。たったったっ、と軽快な……いや、それよりも勢いのある足音が、静寂に包まれた街から聞こえてきた。
「……――さん、カラスバさん!」
聞き慣れた声が遠くから響いて、人影が猛スピードでこちらへ向かってくる。カラスバはそれを、呆然と見ていた。
「きょう、や」
思わず呼んだ名前は、人影が――恋人たるキョウヤが、カラスバの前で足を止めてはぁはぁと荒い息を吐く音でかき消された。全力疾走してきたらしいその顔は、寒さではなく本人の体温でホカホカと上気している。息が整うよりも早く、キョウヤはカラスバに向かってバッと勢い良く頭を下げた。
「は、ふ、ごめんなさい、っ、ごめんなさい! あの、おれ、」
「えぇから、一旦落ち着き」
よほど急いできたのか、げほ、と咳き込む恋人の背中をそっと撫でてやる。すると温まった体温が伝わって来て、カラスバは思わずほっと息を吐いた。しばらく深呼吸して息を整えた後、キョウヤは額の汗を拭いながら、心底申し訳なさそうな顔をした。
「本当にごめんなさい。……まさか待っててくれるなんて」
「待ち合わせや言うたん、オマエやんか」
「にしてもですよ! もう三時間近く経っちゃってるし……こんなに寒いのに、普通は怒って帰りますよ」
キョウヤはカラスバの頬に手を当てて、そのあまりの冷たさに絶句した。それから慌てて、走っている最中に脱ぎ捨てて手に持っていたらしいマフラーをカラスバの首に巻いて、さらに手袋を着けさせた。カラスバはのんきに「甲斐甲斐しいなぁ」なんて言って笑っているので、キョウヤの方が申し訳なさで泣きそうだった。
「体もこんなに冷えて……本当に、本当にごめんなさい。スマホロトムが水没しちゃって、連絡も入れられなくて……俺の事なんて放って帰っても良かったのに」
「ええよ。寒空でじっとしてんの、慣れとるさかい」
「そんなの慣れなくていいです!」
「それに、どうせオマエのことや。人助けでもしとったんやろ?」
「う……」
図星らしい。まったくキョウヤらしいな、とカラスバは思った。困った人を放っておけない、心優しい男。日向を歩く眩しいヒーロー。
「なんで謝るねん。……そういうオマエやから好きなんやで」
本心だった。まだ頬が上気したままのキョウヤの頬を、手袋に包まれた手で覆って、カラスバは微笑んだ。
「一瞬。一瞬だけな。……オマエもオレを置いておらんくなるんかなって、思ったわ」
「……っ」
「でもやっぱりオマエは絶対来てくれる。ほんま、オレのヒーローやな」
そんな風に言って、カラスバが無邪気にクシャリと笑うものだから。キョウヤはたまらなくなって、思わずその小柄な体をがばっと抱きしめる。そしてぎゅうぎゅうと、この体温が少しでも目の前の男の体を温めるようにと、強く抱きしめた。
「あの! こんなタイミングで言うことじゃないんですけど……っていうか、もっとちゃんとするつもりだったんですけど!」
抱きしめたまま、キョウヤが叫ぶ。

「俺と家族になってください!」
「……は」

カラスバは一瞬、呼吸の仕方を忘れた。キョウヤはカラスバの体を離して、自分の手袋に包まれた大切な人の手を両手で包みこむ。そして、呆気にとられたように固まって見開かれたままの切れ長の目を、真っすぐ真っすぐ見つめた。
「それで、来年も再来年も、そのまた次も、ずっとずっとずーっと、俺と一緒にクリスマスを過ごしましょう! だから、俺の家族に、なってください!」
それから、カラスバの左手から手袋を抜き取ると、ポケットから何かを取り出して――そのまま、カラスバの薬指に、嵌めた。

シンプルな、シルバーリングだった。

カラスバは信じられない気持ちで、唇を震わせながらもなんとか口を開く。
「オマエ、そんなん、一言も、」
「言ってなかったけど、ずっと思ってたんです!」
手袋を奪った左手が冷えないように、自分の両手でぎゅっと包みながら、キョウヤが祈るようにカラスバを見つめる。
「カラスバさん、返事……もらえますか?」
こんな堂々と告白をしておいて、今更照れるのか。かぁ、とどうも全力疾走のせいだけではない赤色を耳に走らせている優しい恋人の姿に、カラスバの胸は何かあたたかいものでいっぱいになるのを感じた。
言葉を返すよりも先に、まだ少し未発達だけれど、自分よりはほんの少しだけたくましくなった体にぎゅっと抱き着く。
「わ、わわっ」
慌てたようにキョウヤが抱きとめるので、その腕に遠慮なく全身を預けながら、カラスバはその肩口に顔を埋めた。愛しい男の匂いで鼻腔がいっぱいになる。温かい。
「……オマエ、温いなぁ」
「カラスバさん?」
キョウヤの声が優しく耳を通っていく。身長の割に大きな手が、そっとカラスバの背中を撫でた。その温もりに、どうしようもなく胸が締め付けられる。

「……ほんま、ぬくいわ……」

あたたかいのに、もう寂しくないのに、涙が出るのは。なぜだろう。

「……ね、一緒に帰りましょう、カラスバさん」
そっと抱きしめられた腕の中で、小さく頷く。

――あの頃、路地の隅で震えていた自分が、顔を上げて笑った気がした。
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