・ワンドロワンライ

ホテルZのカウンターではにかむように笑っている容姿端麗な青年の写真が表紙を飾っている女性向けのファッション誌。『ミアレの英雄、キョウヤくん 人気の秘密に迫る!』
そんな安っぽいタイトルと共に組まれた特集ページには、彼に関する街の人々の声が載っていた。
『顔がいい!』
『いつも迷いなく人助けに走る姿が好きです』
『見返りもなく誰かのために動ける英雄、推せます』
『紳士で優しい。助けてくれた時の笑顔が忘れられません』
依頼で世話になって感謝している人、その容姿に心を掴まれた人、ホテルZで接客を受けて優しい言動に魅せられた人。どれもポジティブな内容で主に彼を讃える声が刻まれた雑誌を閉じて、近くにいた部下へひょいと手渡す。
「…やって、ほんま大したもんやんなぁ、そう思わん?」
語りかけた先は部下ではない。雨の中、カラスバの足元にうずくまったゴロツキどもへの言葉だった。今日は朝から長く雨が降り続いていた。そんな中、つまらない悪事を働いている小物を見つけて路地裏に追い込み、数名の組員たちと共に取り囲んだところだった。
足元のゴロツキの人数は二人。先ほどの問いへの返事はない。そして、カラスバが求めている言葉もない。その強情さに辟易して、カラスバは爪先で片方の男の顎を蹴り上げた。
「がっ…」
男が一瞬白目をむくけれど、意識を飛ばすことは許さない。
「ほーんま、オレとは正反対の人間やわ。もちろん、オマエらともな?」
そのまま投げ出された手の甲を踏みつけ、ぐり、と踏みにじる。隣で並んでいる男の仲間がひっと細く喉を鳴らし、がたがたと震えた。
「ただの旅行者でミアレを救った英雄と、この街でドブネズミみたいにうろうろこそこそ、くっさいことしとるオマエら」
カラスバがその場でしゃがみ込む。男の髪を鷲掴み、目線を合わせるように持ち上げてやった。そして恐怖でぐちゃぐちゃになった男の情けない顔を覗き込み、カラスバは金の眼を優しく優しく細めて嗤う。
「どっちがこの街に不要か、なんて聞かんでもわかるやろ?」
「ひ、ひぃ…!ゆ、ゆるじで、」
「誰が許しを乞え言うてん。オマエが喋ってええんは、オマエらが楽しく使っとるおクスリの在処だけ――っ!」
瞬間、路地の壁に這うように設置されていた切れかけの電気ケーブルがジジジ、と音を立て、次の瞬間にはフラッシュのような光が突然瞬いた。ショートしたのだ。運が悪い。
カラスバはもちろんその場にいた全員の目が一瞬眩む。そのわずかなスキを、全神経を集中させていたもう一人の男は逃さなかった。
「う、うわあああ!!」
弾かれるように走り出した男は、ダメもとで目の前にいた組員にタックルする勢いでぶつかり――そしてその相手はよりによって、まだ若い新人の女性組員だった――吹き飛ばして、そのまま逃げだしたのだ。
カラスバの判断は早かった。
「!オマエら、こいつ見とけよ!残りは回りこめ!」
『はい!』
眩んだ視界が元に戻るよりも早く走り出し、逃げた男の後を追ったのだ。

ぬるい雨が路地の地面を叩く。激しくはないが長く降り続く雨のせいで、足元も視界も悪い。そのうえ全身が濡れて張り付くスーツが重いったらない。それでもカラスバは平時とほとんど変わらない速さで走って男を追跡した。見失うほどの距離はない。そもそもミアレの路地裏はカラスバにとって自分の庭にも等しかった。
しかし相手も必死だ。なりふり構わずに追手の手から逃れようと、道中のごみ箱や立てかけられた資材、段ボール、ビール瓶や缶などを通りすがりに手当たり次第ぶん投げてくる。
「っち、」
勿論構わず走っていたけれど、そのうちの一つ――ガラス瓶の破片が微かにカラスバの頬を掠り、ピリリと痛みが走った。大したものではないが、不快メーターが上がる。先ほど部下たちに指示していたので、この路地から出ることはかなわないはずだ。大通り側にも人員は配置している。いずれにせよ男に未来はない。
そしてとうとう路地を抜けて表通りに出る、その時だった。見知った顔が表通りを急に横切って、カラスバは思わず目を見開いた。ビニール傘を差して、スマホロトムで何か操作しながら現れたのは――つい先ほど雑誌で見た、ミアレの英雄の端正な横顔。
「っキョウヤ!?」
反射的に声を上げたカラスバの声に、パッとキョウヤの顔が路地裏の方へ向く。彼の目には目前まで迫った必死の形相のゴロツキと、さらにそれに追随するカラスバの姿。
――このままでは彼を巻き込んでしまう。今すぐ逃げろと、そう声をかけるつもりだった。けれどそれより先にカラスバの声に反応したキョウヤの目が、その類い稀な優れた動体視力が、奥にいるカラスバの白い頬に走った傷と血を捉えた。

キョウヤの愛嬌のある大きな吊り目が、すっと冷えて温度を失ったのを、カラスバは確かに見た。

ゴロツキはおそらくキョウヤを押しのけるか突き飛ばすかしようとしたのだと思う。突き出された手を、キョウヤは傘を差したまま、片手でがしりと掴んで止めた。その力は存外強かったようで、走っていた男の体をしっかりとその場に引き留めた。
「くそ、はなせ!」
「あなたが、俺のカラスバさんに怪我をさせたの?」
「…っ、知るか!当たる方が悪い!」
ちらりと後ろを見てカラスバの頬の赤色に気づき、男がそう吐き捨てる。そして一向に動かないキョウヤに焦れて、男が拳を振りかぶった。
「っおい!!!」
カラスバの口から鋭く、低い声が飛び出る。しかし、キョウヤは動かなかった。
そう、”動けなかった”のではなく”動かなかった”のだ。
そして男の拳がキョウヤの頬に吸い込まれる。
――バシッ。
響いた音は思っていたよりも軽いものだった。カラスバは見ていた。キョウヤが重心をずらし、微かに首を傾けて男のパンチを受け流したのを。――明らかに喧嘩慣れした動きであると直感した。
頬を殴られたキョウヤは案の定怯んだ様子もなく、殴られた姿勢のままにこりと微笑んだ。
「よし、これで正当防衛ね」
「は?」
そしてその直後、男の体を路地裏に押し戻すと同時に素早くその鳩尾に拳を叩きこんだのだ。
「か、はっ…!」
重い一撃だったのか、屈強そうな見た目のゴロツキはその一撃で体をくの字に折ってよろめく。そして男が再度顔を上げた頃には、すでにキョウヤがたん、と地面を蹴り、壁を蹴って宙を舞い――そのまま男の顔を横から顔を蹴り飛ばしていた。
「あがっ!?」
どしゃり、水たまりのできた地面に男の体が沈んだ。既に意識はない。その横に軽く着地してビニール傘を拾い上げた英雄に、カラスバは思わずひゅう、と口笛を吹いていた。それほどまでに鮮やかだった。組の新入りたちに見習わせたい程度には。
雨音に混ざって飛んできた軽やかな音に気づいて、キョウヤは濡れた前髪をかきあげながら笑うと、嬉しそうにカラスバの元へ歩み寄った。すでに全身びしょ濡れのカラスバに傘を差しだして、悪戯が成功した子供のような顔で覗き込んでくる。
「どうです、惚れました?」
「さぁ、どうやろ」
サビ組のボスにいつも熱烈なラブコールを送ってくるミアレの英雄。カラスバはずっと、その眩しい男からの愛をのらりくらりと躱すことに専念してきた。なぜなら彼は太陽で、真っ白な光。自分と正反対の、日向を歩く男だから。
けれど。
――ほんまに全部真っ白、とは限らんやんなぁ。
もうすでに雨で流れてしまっているはずの己の頬の血を拭って、「痕にならなかったらいいんですけど」と子犬の様な顔をしている年下の男に、カラスバはふっと笑みをこぼした。
「まぁでも、前向きな検討材料にはなったかもな?」
「ほんとですか!?」
ぱあ、と輝かせたその顔は先ほど顔色一つ変えずに一人の男を鎮めた人間と同一人物には到底見えない。
いつの間にか雨は上がっていた。雲の切れ間から日差しが差し込み始めて、表通りを照らしているのが見える。気づいたキョウヤが傘をたたんで、くるりと振り向く。
「お、雨も上がりましたね。カラスバさん!着替えて飯いきましょ〜」
そして空いている方の手でカラスバの手を掴んで、何事もなかったかのような顔で光差す表通りにカラスバを連れ出した。
そのアンバランスさも妙に愉快で。カラスバは思わず口に手を当ててくつくつと笑った。「オマエ…ほんま、おもろいやつやで!」



(…ん?あいつさっき”俺のカラスバさん”って言うた?まぁ黙っとくか…)



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