・単発SS

カロス某所、美しい海が自慢のとある街。
夏休みに友達と海水浴に来ていた私は、昼間にはしゃぎすぎて夕飯を食べ終わるや否や夜も早いうちに爆睡し始めた友人たちを置いて、一人でホテルを抜け出した。
向かう先は浜辺に佇む海の家。昼間は浮き輪の貸し出しや屋台料理、かき氷なんかを提供するそこが、夜は小洒落たバーになるのだと聞いたのは今日の日中のこと。
穏やかな波が打ち寄せる音を聞きながら砂浜を踏みしめて歩いていると、昼間の姿からすっかり雰囲気を変えた海の家が見えてきた。
オレンジの落ち着いた照明と、少しレトロなジャズソングが店内から漏れている。昼間は元気いっぱいのポップが飾られていた店頭にはネオンサインが輝き、賑やかだった海の家は大人な雰囲気の漂うバーに変化していた。
「いらっしゃいませ」
意を決して扉を潜ると、爽やかな、でも落ち着いた声に出迎えられた。それだけでどきりとする。緊張で口が乾いて体温は急上昇。
「おひとりですか?お好きな席へどうぞ」
頷いて、窺うように顔を上げれば、カウンターの向こう側に立つ一人の青年の姿が目に入った。端正な甘い顔立ちに優しい笑み、そして均整の取れた体つき。
そう、わざわざ一人で抜け出してきたのにはわけがある。お目当ては、このイケメンな店員さんだった。

昼間、この海の家で彼を見かけて、一目で恋に落ちてしまった。まぁそれは私だけではなくて、このビーチを訪れた数多くの女性たちがそうだったみたいだけど。人当たりが良く、誰に対しても分け隔てなく優しくて、困った人にすぐ手を差し伸べる。力仕事からホールにレジまで、何をしていても様になる彼は、この海で今シーズン一番の優良物件で間違いなかった。完全に獲物を狙う顔をした女性たちに質問攻めにあっていた彼が、夜はここでバーの手伝いをやっている、と言っていたのを小耳にはさみ、他の子たちのように声を掛ける勇気が無かった私は今ここへやってきたのだ。

ああ、やっぱりかっこいい。
真夏の太陽の下で披露していた水着姿も爽やかで素敵だったけれど、惜しげもなく晒していたあの引き締まった体をシャツとネクタイに隠してしまった今は、一気に大人っぽく見える。
カウンターの正面はもちろん彼目当ての女性客で埋まっていたので、少し端に寄った席に座る。そしてあちこちから話しかけられる彼の会話に聞き耳を立てた。
彼は、ミアレに住んでいるらしい。ここには知り合いに頼まれて短期のバイトで入っていて、今日で三日目。前にもバーで働いた事があって、その時に少しバーテンダーの仕事を齧ったのだという。「まだ素人に毛が生えた程度ですよ」と言いながらも、彼は迷いのない手つきでシェイカーを振ってお酒を作っていた。
私は最初に作ってもらったカシスオレンジを片手に、かれこれ30分はそんな風に聞き耳をたてながら、彼に話しかける機会をうかがっている。
飲んでいたグラスの氷が解けて、からん、と音を立てる。その拍子に目が合った。
「あ…」
柔らかく微笑んだ彼に心臓を高鳴らせながら口を開きかけた、その時。

私の二つ隣。一番端の席の椅子がかたん、と引かれて、そこに座る人影があった。
ちらりと目を向けると、ここにいる誰よりも白い肌が目に入って少し驚く。この夏の海には似合わないほど白い肌だ。その肌の持ち主はどうやら男性で、黒いシャツにハーフパンツとビーチサンダルというラフな出で立ちをしていた。丸い眼鏡を乗せたその顔は端正で、しかもびっくりするくらい小さくて、切れ長の美しい金色の目が酷く印象的。どちらかといえば小柄だけれど、やけにオーラがあってとにかく目を惹く人だった。
そんな彼はゆったりと席に腰掛けると、例の店員さんに声を掛ける。
「そこのバーテンのおにーさん。スクリュードライバー、お願いしてもええ?」
低く甘いテノールで発せられたのは、あまり聞き馴染みのないイントネーションの言葉。確か、東方の地域のものだったような。
「!はい、少々お待ちください」
店員さんの表情が一瞬輝いたのは気のせいだろうか。彼は注文を聞くなり、すぐさまウォッカのボトルを手に取る。男性はカウンターに頬杖をついて、シェイカーを振る彼の様子をどこか楽し気に眺めていた。
「どうぞ」
スライスしたオレンジを乗せて差し出されたグラスを一瞥し、それから顔を上げて。じい、と店員さんの顔を見つめながら、彼はそのグラスに口を付ける。
「おにーさん、かっこええね」
こくん、と喉を動かしてから言われた一言。その言葉に店員さんが頬を染めてさっと目を逸らした。
「…あ、りがとうございます」
「ふふ…照れてはるん。かわええなぁ」
くつくつと肩を揺らして機嫌良さそうに笑う彼の笑みは、なんだかやけに妖艶に見えて。横からぼんやり眺めていただけの私も妙にドキドキしてしまった。なんというか、すごい…大人の色気、だ。
店内の、少し暗めの照明のせいだろうか。彼の白い肌はその中で浮かび上がるようで、そこに長い睫毛や眼鏡のフレーム、横に流した髪が影を落とし、コントラストが美しい。その中で唯一色味の濃い黄金色の瞳はどこか甘さを含んで、まっすぐ店員さんを見つめていた。カウンターにいた他の女性たちも、完全にそれに当てられてわけもなく視線をうろつかせる。
一方で店員さんだけは、そんな視線を受けながらも少し唇を尖らせた子供っぽい表情をしていた。…まって、何その顔。かわいい。母性をくすぐるその顔にまたきゅんとときめく。かっこいいし可愛いなんて反則だ。
「かわいいは、男への誉め言葉としてはどうかと思いますよ?」
「それを素直に受け取れへんうちは、まだまだかわええが似合うなあ」
ああ、男性の方が一枚も二枚も上手だ。揶揄うようにそう言われて何も言えなくなったのだろう、店員の彼は誤魔化すように手元を動かしてグラスの片づけや、おつまみのナッツをサーブし始めた。愉快そうにそれを眺めていた男性は、しばらく仕事をする彼の姿を眺めていて。
そして、ロングカクテルが半分ほどに減った頃。
「あぁ、おにーさんの顔見てるだけで酒が進むわ。…グランド•スラム」
「…かしこまりました」
注文されたカクテルの名にピクリと眉を動かしてから、店員さんはそう答えた。
なんだか間に入れる空気じゃなくなった気がして、いつの間にか私も、周りにいたほかの女性客も口数を減らし、静かにお酒を口に含むばかり。でもなぜだか2人から目が離せない。2人共が見目麗しいから?いや、違う。なんだか雰囲気が、2人の間に漂う空気が、なんというか…とにかく目を惹くのだ。でも見てはいけないような、そんな気がする。
マドラーでくるりとかき混ぜ、ステアで作られたショートカクテル。静かに差し出された琥珀色の、その出来栄えに満足そうに笑った男性は、そっとその細いステムを掴んで持ち上げて口を付けると「うまいな」とだけ呟く。店員さんが小さくほっと息をつくのが聞こえた。
そこから2人はぽつぽつと会話を交わしていた。店員さんは話をしながらも、グラスを洗って磨いたり、他のお客さんにお酒を作ったりとそつなくこなす。そんな様子を静かに眺める男性は、本当に彼を肴にお酒を飲んでいるようだった。

「次、ビトゥイーン・ザ・シーツ…入れてくれはる?」

少しの間を置いて、薄い唇が紡いだ言葉に思わず私は赤くなった。同じように反応したのは、意味が分かった客だけだろう。そしてぶわ、と耳を赤くしたのはバーテンさんも同じで。
「〜っ、ねぇ、さっきからわかってやってますよね?」
手に持っていたグラスを置いた彼が、咎めるような、拗ねたような視線を向ける。耐えかねたという様子で、今までの丁寧な態度を崩して垣間見えた素の姿。そこでようやく、ああ彼らは知り合いなのだと確信が持てた。先ほどからのこれは、この男性の戯れらしい。
「ふふ、なんのことやろ」
楽し気にくすくすと笑う。色気のある大人の男なのだけど、笑う姿はどこか少女じみたところもあり、本当に不思議な魅力を持った男性だった。
キッと男性を睨んで咳払いをしてから、店員さんはほんのり顔を赤くしたままブランデーボトルを手に取る。ややあってしゃかしゃかとシェイカーが振られる小気味良い音と、控えめなジャズ、そして遠くから聞こえる波の音が響く。そして少しぶっきらぼうにサーブされたのは、レモンジュースの金色が美しいショートカクテル。
まるでこの男性の瞳の色、みたいだ。
彼はそのカクテルに似た色の目をゆるりと細めると、グラスを差し出した店員さんの指先をするりと撫でた。
「おにーさん、何時上がりなん?」
きゃあ。言わなかった自分をほめたい。そんな常套句、イケメンじゃないと許されない。
一方の店員さんは、唐突な、けれど意味深なその触れ合いにまた顔を赤くしていた。せっかく一度落ち着きかけていたのに、かわいそうに。さっきよりも真っ赤だ。口をパクパクさせて、どぎまぎと視線を泳がせながら、しどろもどろに口を開く。
「あ、えっ、と…あと、1時間くらい、です、けど…な、なんで?」
「なんでって…ふふ…」
白い手が伸びて、店員さんの白いネクタイを人差し指で持ち上げて。その指先の美しさに目を吸い寄せられていると、あ、と思った時には不意にその指先が布地を掴んでぐい、と引いた。ネクタイが引かれるのに合わせて前かがみに体勢を崩した店員さんの顔を、男性が楽し気に見上げて。
「これ、ナンパのつもりやったんやけど。お持ち帰りさせてくれへんの?」
――その場で黄色い悲鳴が上がらなかっただけ奇跡だと思う。その代わり息を飲んだ音はいくつもした。なんなら、目の前の店員さん自身がごくりと喉を動かしたのだけは、私がはっきりと見た。
彼ははく、と何か言いたげに口を開いて、それから整えた髪をくしゃりとかき混ぜるようにしながら頭を抱えた。そして声にならない声を出して小さく唸った後に恨めしそうに男性を睨むと、低く声を潜めてこう言った。
「〜っ…もう、あとで覚悟しててくださいね」
「おぉ、こわ」
くすくす笑ったその人は、にんまり口の端を吊り上げた。
「ほな、最後にもう一杯。XYZで」

――私の恋は、半日で儚く散った。



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