・単発SS
ーーキョウヤが小さくなった。
幼児サイズになったキョウヤは、ふくふくほっぺにくりくりの大きなおめめ、むちむちの両手足、極めつけは可愛らしい笑顔と、まさしく天使であった。
病院の見立てでは数日で戻るだろうとのことで、仲間たちに危機感はあまりない。
ぶかぶかのブルゾンでぐるぐる巻きにされて、ちんまりと抱えられた小さき命に目を輝かせたピュールが爆速で仕立てた子供用の洋服を身に着けて。キョウヤはたちまちミアレのアイドルと化した。
キョウヤはどうやら体だけではなく精神の方まで幼児になってしまったらしく、一人にはしておけないということで大人たちで面倒を見ることになったのだが。そこで恋人でもあり半同棲で生活していたカラスバが面倒を見る流れになるのは、エムゼット団にとってもサビ組にとっても当然の流れだった。
半ば周りに押し切られる形でキョウヤを預かることになったカラスバだったが、奇妙な2人暮らしは案外うまく行っていた。
「オレ、ガキの世話なんか分からんで」
眉間にしわを寄せた渋い顔でそう言っていたカラスバだったが、義理堅い性格もあってしっかりキョウヤの面倒を見ており。天真爛漫で予測不能な幼児の行動に四苦八苦はしていたが、周りの助言もあってどうにかなっていた。キョウヤも、この年頃の子にしては手がかからなかったのも幸いだろう。
いつもニコニコしていて、元の記憶のせいかカラスバにひどくなついている小さい命にカラスバはすっかり骨抜きであった。もともと可愛らしくもかっこいい年下の恋人が、文句なしに可愛い生き物になっているのである。仕事に育児にと疲れはたまるが、可愛らしい笑顔を見るだけでそれも吹き飛ぶというもの。
それに。本来なら見ることがかなわないはずの、恋人の幼少期を目の前で見ることができるという幸運に、まぁ悪くないな、と思わんでもなかったのである。
そんなある日。いまのうちに可愛らしいキョウヤを愛でたいと、エムゼット団の面々がサビ組事務所の中庭で砂遊び――威厳がどうとかは今更である。ここは優しさの街、ミアレシティ――をしている時だった。
泥んこになりながら砂のお団子をつくるキョウヤと、ガイとタウニーが一緒になって砂遊びをしていた時だった。しゃがんでいる状態で少しバランスを崩したガイが、うっかりそのお団子を潰してしまったのだ。
「あ!」
「あ~!!」
べしゃ、とガイの手の下で無残につぶれてしまった泥団子。やばい、泣くか!?と大人たちに緊張が走る。一度大きな声をあげたキョウヤだったが、しばらくその残骸を見つめてぎゅっと顔のパーツを真ん中に寄せて、その柔らかいほっぺを大きく膨らませてガイをじっと睨んだ。そして。
「がい!けじめつけなあかん、だよ!」
『えっ』
ビシィ!と指を突き付けたキョウヤの口から飛び出した言葉に、大人たちは同時に素っ頓狂な声を上げた。砂遊びをしていたガイとタウニー、それを見守っていたデウロとピュールの目が、更にその後方で見守っていた保護者――カラスバに突き刺さる。そしてそんな視線を受けたカラスバは、否、カラスバの方が衝撃を受けてフリーズしていた。
「ジプソぉ…オレの聞き間違いか?聞き間違いやんな?」
「ええと…」
口元を引き攣らせながら、カラスバはギギギ…と音が鳴りそうなぎこちない動きで首を横に向けて問いかける。いつものように隣で静かに控えていた巨漢の右腕も、そのつぶらな瞳を泳がせるしかできない。
「いまあの天使の口から…け、けじめって聞こえた気ぃすんねんけど…」
明らかにカラスバの口調を真似た物騒な言葉。舌ったらずで可愛らしい滑舌に似合わない言葉に、カラスバは酷草ショックを受けていた。
そんな中、キョウヤの”けじめ”発言に口元をひきつらせたガイが思わずといった様子で声を上げる。
「え!?借金はもう勘弁…あだっ!」
「「子供の前でそういうこと言わない!」」
余計なことを口走ってタウニーとデウロから容赦なく殴られているのを遠い目で見ながら、カラスバは眉間に皺を寄せた。
「…ジプソ、ほんまにこのままキョウヤをうちで預かっててええんやろか」
幼児の健やかな成長に悪影響でしかない、とカラスバの表情は真剣だ。ぽりぽり、と頬を掻いたジプソは短い思案ののち、おずおずと答える。
「まぁ、一時的に姿が変わっておられるだけですし…そのあたりは問題ないのでは?」
「そうかぁ?これがもとのキョウヤの人格に影響あたえるようなことがあったら…」
カラスバの脳裏をよぎるのは、いつも明るく優しく微笑む英雄の顔。たまに、いやまぁ結構な頻度で生意気だし、夜は少々意地悪な面の方が目立つけれども、それでもカラスバにとってキョウヤは光だった。
そう、あんな光のような男の人格形成に、何か悪影響があったら…――?
カラスバの頭の中に、組の下っ端スタイルでこちらにガンを飛ばすキョウヤの姿が思い浮かんだ。
杞憂。杞憂だとは思う。思うけれども…!
「ごめんって!ちょ、ちょっと俺トイレ!」
「あー!がい、にげちゃった!」
分が悪くなったガイが慌ててエントランスの中に逃げ込んだのを、キョウヤが小さな足で追いかけた。そして、その小さな手が、閉まったガラス扉を叩いた。
――どんどんどん!
「あけんかいこら!さびぐみだよ~!」
「あかんあかんあかんこれ絶対あかんわ!!」
カラスバは血相を変えてキョウヤを抱え上げて回収した。
「…というわけで。エムゼット団で預かってほしいんや」
いったん帰宅して泥んこの体を洗って服を着替えさせて。それから慣れた手つきでキョウヤを抱きかかえたままホテルZにやってきたカラスバは、一足先にホテルに帰って来ていたエムゼット団の面々にそう言った。誰もが一連の流れを見ていたので説明はもはや不要である。
カラスバの言葉を聞いて、タウニーとデウロ、そしてピュールは顔を見合わせて、少し微妙な顔をする。
「うーん、まぁうちもガイがいるのであれですけど…」
「ちょ、それどういう意味!?」
「そのまんまの意味だし」
今回の件の発端となったガイが心外だと言わんばかりに声を上げるが、片割れであるタウニーからじとりと冷たい視線を受けて撃沈した。
その間にそっとカラスバの腕の中から床におろされたキョウヤの前で、デウロがひざを折って視線を合わせた。
「キョウヤ、今日からこっちでみんなとお泊りしよっか」
「…みんなと?」
「そうですよ」
「ほんと?やったぁ!」
きゃっきゃと頬を染めて嬉しそうに飛び跳ねる小さい命に、エムゼット団もサビ組の主従も思わずほっこりと頬を緩める。
やっぱり健やかな成長には健全な環境が不可欠やなあ、と一人でうんうん頷いていたカラスバは、ちらりと時計を見てから、デウロと同じように膝をついた。
「ほなキョウヤ、いいこにしとるんやで」
「うゅ?」
まあるい頭、ふわふわの髪をわしゃわしゃと撫でられて嬉しそうに笑ってから、キョウヤは立ち上がったカラスバを不思議そうに見上げた。そして後ろに控えていたジプソと連れ立って彼が背を向けたのを見て、キョウヤはこてんと首を傾げた。
「…かぁしゅばしゃん、どこいくの?」
「んーと…カラスバさんはね、お仕事があるんだって」
「だから良い子で待ってようね」
「いいこ…」
小さい口に、はむ、と小さい親指が咥えられた。ちゅむちゅむと吸いながら、キョウヤはじぃっとカラスバの背中を見つめている。
ジプソが玄関扉を開けて、カラスバがそこを潜る直前。ほなね、とキョウヤに向かって小さく手を振った。
「キョウヤ、カラスバさんにばいばいしよ?」
「うん…ばいばい……」
おしゃぶりしていない方の手がかすかに振られたので、カラスバもホッとして扉を潜った。
「ふぇっ…」
瞬間だった。
「ふぇえええええ…!!!」
ぶわわ、大きなダークブラウンの目をあっという間に覆いつくす水の膜。ぎゅっと一度パーツが中心に寄せられた可愛らしい顔は、あっという間にくしゃくしゃに歪められて、そして。
「いやああああああああ!!!!」
見る見る間に決壊した瞳のダムから、ぼろぼろと大量の涙が零れ落ちてマシュマロのような頬を濡らした。響き渡る泣き声は耳をつんざく勢いで、その場にいた全員が思わずびくりと肩を揺らしたほどだった。
びぇええ、とこれまでのお利口さんが嘘のように大絶叫で泣き出したキョウヤに、お兄さんとお姉さんは大慌てだ。
「ちょ、キョウヤ!また会えるから!いまだけ、ね!?」
「やらぁああああああああ!!!!」
「キョウヤ、ほら、お菓子もありますよ!カラスバさんもまた遊びに来てくれますから!」
「うわああああああん!!!!」
「あああだめだ、この世の終わりくらい泣いてるよ!?」
もちろんその大絶叫は、今まさに外に出たカラスバの耳にも届いているわけで。突如響いた、初めて聞く大泣きの声にギョッとしながら、カラスバはジプソと顔を見合わせておろおろと視線を彷徨わせていた。
「かぁしゅばしゃぁあああああ!!!!!いかないれぇえええ!!!」
必死にキョウヤを宥めるエムゼット団の声をかき消す勢いで泣き叫び、己を呼ぶキョウヤの声。
「…カラスバさま…」
ジプソはもはや何か悟った仏のような顔でこちらを見ている。
「かぁしゅばしゃぁあああああ!!!!!」
「…っああもう!」
――耐えられたのは、ものの3分ほどであった。
ばぁん!とたった今閉めたはずの扉を勢い良く開いたカラスバは、そのままカツカツカツとせっかちな足音を立てて、ロビーの真ん中で上を向いたままわんわん泣き続けているキョウヤに歩み寄った。そして再び膝をつくと困ったように笑いながら両手を緩く広げた。
「キョウヤ、おいで」
聞いたことがないほど優しい声音で投げかけられた言葉に、キョウヤは泣きじゃくりながら小さな足を踏み出すと、ふらふらよちよちとおぼつかない足取りで2歩、3歩と歩いて、ぽすりとカラスバの腕の中に収まった。
「ふぇっ、かぁしゅばしゃ、かぁしゅばしゃあ…!!」
「よしよし、大丈夫やで。カラスバさんここにおるよ」
ひしっとネッコアラのようにしがみつく小さな体を抱きしめ、泣いたせいでホカホカになっている背中を撫でさすってやってから、ひょいと抱え上げて立ち上がった。グラスコードはキョウヤがこの姿になって以来、お役御免となっているので、障害物なくキョウヤはカラスバにしがみついている。
「ひっく…かぁしゅばしゃ…」
「はいはい」
ぎゅう、と首に手を回して抱き着いてくる体を支えて、しゃくりあげる背中をカラスバはぽんぽんと優しく叩く。この数日ですっかり板についた育児モードは、もはや母親のような馴染み具合であった。
「かぁしゅばしゃぁ…ひっ、おいてかないれ…っく…」
「あーあー、そんな泣いたら綺麗なおめめ溶けてまうよ。泣き止んでや」
「ゔん…っ」
ようやく泣き止み始めたキョウヤが顔を擦り寄せてスーツが涙やら鼻水やらで汚れるのも全く気にせず、ただただほっと息を吐きながら、同時にどうしようもないいじらしさを感じてカラスバは胸をぎゅうっと鷲掴みされた思いだった。
しばしその状態が続き、そしてそのまま泣きつかれてキョウヤがかくんと眠ったのを確認して。カラスバは小さな声で右腕にこう声を掛けた。
「…ジプソぉ、サビ組全員に通達」
「はい」
「――今後、キョウヤの前で野蛮な言葉、絶っっっ対に使ったらあかん。使ったら…どうなるかわかるやんな?」
「承知しました!!」
びしっと背筋を伸ばして一礼したジプソは、スマホを操作しながらホテルZを飛び出していったのであった。
「いやほんとお恥ずかしい…」
数日後、いつものサビ組事務所にて。顔を真っ赤にしたキョウヤーー大人の姿――が、しかし心底申し訳なさそうな顔で年上の恋人の前に立っていた。
いつの間にかすっかり元の姿に戻っていたキョウヤは、都合よくその間の記憶を忘れている…なんてことはなく。恋人にたっぷりと手間をかけさせたことを覚えたままであったので、羞恥と申し訳なさで死にそうになりながらもカラスバにお礼と謝罪に来たのだ。
「まぁあんな懐かれて悪い気はせんかったけどなぁ」
いや、本当に。大人の時の記憶で何らかの補正はかかっていたのだろうけど、あんな可愛らしい生き物に「かぁしゅばしゃん、かぁしゅばしゃん」とよちよち追いかけられて悪い気がするわけなかった。ましてや、普段は大変頼りになる英雄様である。恋人のそんな一面を堪能出来て、役得だなぁとすら思っているカラスバは、今も恥ずかしそうにしているキョウヤをにやにやと見つめるばかりであった。
「ご迷惑をおかけしました…」
かぁ、と頬を染めながら頭を下げるキョウヤに、カラスバの中の悪い部分がむくむくと頭をもたげる。
「ちっこいキョウヤ、かいらしかったわぁ」
「うぐ…」
「”かぁしゅばしゃん、いかないで~”言うて」
「やめてください…」
「ず~っと引っ付いて来とったもんなあ、オレいつの間にネッコアラゲットしたんやろ思たわ」
「~~っ」
真っ赤な顔でどんどん小さくなっていくキョウヤに、カラスバはもうすっかりご機嫌だ。今のキョウヤをいじり倒すのはもちろんだが、もうとにかく小さいキョウヤは可愛すぎた。正直、骨抜きにされたと言ってもいい。ふふ、と思い出して笑うのを隠しもせずに、キョウヤにとってはもう触れてほしくない恥ずかしい記憶をほじくり返す。
「ほっぺなんかこ~んなにやわこくて、っ!?」
もう会えない可愛らしい生き物のほっぺたの感触を思い出して、思わずふにゃりと笑った瞬間だった。
ぐい、と強く腕を引かれる感触。しがみついていたあの小さな腕でも、か弱い力でもない、可愛い顔のくせして案外大きくて男らしい手のひら。それがカラスバの腕を掴んで引っ張ったのだ。
思わずたたらを踏みながら体勢を崩したカラスバの腰に手を回して、危なげなく抱き止めて。
驚いて思わず顔を上げた瞬間、カラスバの目の前には焦点が合わないほどの距離に恋人のやけに熱い双眸があった。
あ、と思う間もない。重なる唇。柔らかなその感覚は慣れているはずなのにずいぶん久しぶりのような気がした。逃がさないと言わんばかりに腰をホールドする腕はびくともしない。
突然のことに目を見開いたまま動けないでいるカラスバの唇を食むように味わって、リップ音。極め付けは、驚いて少し開いたままの下唇を、つつ…と舌先で辿られて、思わず背中を甘く震わせるしかできなかった。
「っ…」
そっと唇が離れて、カラスバはただ何も言えずにごくりと飲み込むばかり。いつの間にか耳の先まで真っ赤に染めて、すっかり頭が沸騰してしまっていた。
雄の顔をした恋人が熱っぽくこちらを射抜く視線から、逃げられない。
「俺、もうガキじゃないよ」
顔を赤くしたまま、それでも真剣に告げられた言葉に、カラスバの頭はとうとうオーバーヒートした。
「っ、可愛くないねんほんま…!」
ぷしゅう、と湯気をたてながら手で顔を覆おうとしたカラスバの手は、キョウヤの手に阻まれる。手首を掴んでさらにカラスバの体を引き寄せるキョウヤは、むっと拗ねた顔をしていて。
「小さい俺の方がよかったの?…小さいままだと、こんなことできないけど」
そう言って不機嫌そうな顔のまま、カラスバの桜色になった首筋に顔を埋めて。その首筋を唇で辿ると、耳たぶに小さく歯を立てた。
「~~っ、エロガキ…!」
「好きなくせに」
「やかましい!」
数日間可愛がられた借りを返すべく、キョウヤは文字通り年上の恋人を可愛がることにしたのだけれど、それはまた別のお話。
終
以下、ぼつ会話
「キョウヤ、ほんまにカラスバさんのとこでええの?こっちならみんなおるで?」
「…きょおやね、かぁしゅばしゃん、らいしゅきなの」
「っぐ」
「かぁしゅばしゃんがいいの」
「うぐぅっ」
「?かぁしゅばしゃん?」
「…オレが、オレがオマエを一生守ったるからな…!」
「カラスバさま、恐らくあと二日ほどで戻られます」
「やかましい!!」
幼児サイズになったキョウヤは、ふくふくほっぺにくりくりの大きなおめめ、むちむちの両手足、極めつけは可愛らしい笑顔と、まさしく天使であった。
病院の見立てでは数日で戻るだろうとのことで、仲間たちに危機感はあまりない。
ぶかぶかのブルゾンでぐるぐる巻きにされて、ちんまりと抱えられた小さき命に目を輝かせたピュールが爆速で仕立てた子供用の洋服を身に着けて。キョウヤはたちまちミアレのアイドルと化した。
キョウヤはどうやら体だけではなく精神の方まで幼児になってしまったらしく、一人にはしておけないということで大人たちで面倒を見ることになったのだが。そこで恋人でもあり半同棲で生活していたカラスバが面倒を見る流れになるのは、エムゼット団にとってもサビ組にとっても当然の流れだった。
半ば周りに押し切られる形でキョウヤを預かることになったカラスバだったが、奇妙な2人暮らしは案外うまく行っていた。
「オレ、ガキの世話なんか分からんで」
眉間にしわを寄せた渋い顔でそう言っていたカラスバだったが、義理堅い性格もあってしっかりキョウヤの面倒を見ており。天真爛漫で予測不能な幼児の行動に四苦八苦はしていたが、周りの助言もあってどうにかなっていた。キョウヤも、この年頃の子にしては手がかからなかったのも幸いだろう。
いつもニコニコしていて、元の記憶のせいかカラスバにひどくなついている小さい命にカラスバはすっかり骨抜きであった。もともと可愛らしくもかっこいい年下の恋人が、文句なしに可愛い生き物になっているのである。仕事に育児にと疲れはたまるが、可愛らしい笑顔を見るだけでそれも吹き飛ぶというもの。
それに。本来なら見ることがかなわないはずの、恋人の幼少期を目の前で見ることができるという幸運に、まぁ悪くないな、と思わんでもなかったのである。
そんなある日。いまのうちに可愛らしいキョウヤを愛でたいと、エムゼット団の面々がサビ組事務所の中庭で砂遊び――威厳がどうとかは今更である。ここは優しさの街、ミアレシティ――をしている時だった。
泥んこになりながら砂のお団子をつくるキョウヤと、ガイとタウニーが一緒になって砂遊びをしていた時だった。しゃがんでいる状態で少しバランスを崩したガイが、うっかりそのお団子を潰してしまったのだ。
「あ!」
「あ~!!」
べしゃ、とガイの手の下で無残につぶれてしまった泥団子。やばい、泣くか!?と大人たちに緊張が走る。一度大きな声をあげたキョウヤだったが、しばらくその残骸を見つめてぎゅっと顔のパーツを真ん中に寄せて、その柔らかいほっぺを大きく膨らませてガイをじっと睨んだ。そして。
「がい!けじめつけなあかん、だよ!」
『えっ』
ビシィ!と指を突き付けたキョウヤの口から飛び出した言葉に、大人たちは同時に素っ頓狂な声を上げた。砂遊びをしていたガイとタウニー、それを見守っていたデウロとピュールの目が、更にその後方で見守っていた保護者――カラスバに突き刺さる。そしてそんな視線を受けたカラスバは、否、カラスバの方が衝撃を受けてフリーズしていた。
「ジプソぉ…オレの聞き間違いか?聞き間違いやんな?」
「ええと…」
口元を引き攣らせながら、カラスバはギギギ…と音が鳴りそうなぎこちない動きで首を横に向けて問いかける。いつものように隣で静かに控えていた巨漢の右腕も、そのつぶらな瞳を泳がせるしかできない。
「いまあの天使の口から…け、けじめって聞こえた気ぃすんねんけど…」
明らかにカラスバの口調を真似た物騒な言葉。舌ったらずで可愛らしい滑舌に似合わない言葉に、カラスバは酷草ショックを受けていた。
そんな中、キョウヤの”けじめ”発言に口元をひきつらせたガイが思わずといった様子で声を上げる。
「え!?借金はもう勘弁…あだっ!」
「「子供の前でそういうこと言わない!」」
余計なことを口走ってタウニーとデウロから容赦なく殴られているのを遠い目で見ながら、カラスバは眉間に皺を寄せた。
「…ジプソ、ほんまにこのままキョウヤをうちで預かっててええんやろか」
幼児の健やかな成長に悪影響でしかない、とカラスバの表情は真剣だ。ぽりぽり、と頬を掻いたジプソは短い思案ののち、おずおずと答える。
「まぁ、一時的に姿が変わっておられるだけですし…そのあたりは問題ないのでは?」
「そうかぁ?これがもとのキョウヤの人格に影響あたえるようなことがあったら…」
カラスバの脳裏をよぎるのは、いつも明るく優しく微笑む英雄の顔。たまに、いやまぁ結構な頻度で生意気だし、夜は少々意地悪な面の方が目立つけれども、それでもカラスバにとってキョウヤは光だった。
そう、あんな光のような男の人格形成に、何か悪影響があったら…――?
カラスバの頭の中に、組の下っ端スタイルでこちらにガンを飛ばすキョウヤの姿が思い浮かんだ。
杞憂。杞憂だとは思う。思うけれども…!
「ごめんって!ちょ、ちょっと俺トイレ!」
「あー!がい、にげちゃった!」
分が悪くなったガイが慌ててエントランスの中に逃げ込んだのを、キョウヤが小さな足で追いかけた。そして、その小さな手が、閉まったガラス扉を叩いた。
――どんどんどん!
「あけんかいこら!さびぐみだよ~!」
「あかんあかんあかんこれ絶対あかんわ!!」
カラスバは血相を変えてキョウヤを抱え上げて回収した。
「…というわけで。エムゼット団で預かってほしいんや」
いったん帰宅して泥んこの体を洗って服を着替えさせて。それから慣れた手つきでキョウヤを抱きかかえたままホテルZにやってきたカラスバは、一足先にホテルに帰って来ていたエムゼット団の面々にそう言った。誰もが一連の流れを見ていたので説明はもはや不要である。
カラスバの言葉を聞いて、タウニーとデウロ、そしてピュールは顔を見合わせて、少し微妙な顔をする。
「うーん、まぁうちもガイがいるのであれですけど…」
「ちょ、それどういう意味!?」
「そのまんまの意味だし」
今回の件の発端となったガイが心外だと言わんばかりに声を上げるが、片割れであるタウニーからじとりと冷たい視線を受けて撃沈した。
その間にそっとカラスバの腕の中から床におろされたキョウヤの前で、デウロがひざを折って視線を合わせた。
「キョウヤ、今日からこっちでみんなとお泊りしよっか」
「…みんなと?」
「そうですよ」
「ほんと?やったぁ!」
きゃっきゃと頬を染めて嬉しそうに飛び跳ねる小さい命に、エムゼット団もサビ組の主従も思わずほっこりと頬を緩める。
やっぱり健やかな成長には健全な環境が不可欠やなあ、と一人でうんうん頷いていたカラスバは、ちらりと時計を見てから、デウロと同じように膝をついた。
「ほなキョウヤ、いいこにしとるんやで」
「うゅ?」
まあるい頭、ふわふわの髪をわしゃわしゃと撫でられて嬉しそうに笑ってから、キョウヤは立ち上がったカラスバを不思議そうに見上げた。そして後ろに控えていたジプソと連れ立って彼が背を向けたのを見て、キョウヤはこてんと首を傾げた。
「…かぁしゅばしゃん、どこいくの?」
「んーと…カラスバさんはね、お仕事があるんだって」
「だから良い子で待ってようね」
「いいこ…」
小さい口に、はむ、と小さい親指が咥えられた。ちゅむちゅむと吸いながら、キョウヤはじぃっとカラスバの背中を見つめている。
ジプソが玄関扉を開けて、カラスバがそこを潜る直前。ほなね、とキョウヤに向かって小さく手を振った。
「キョウヤ、カラスバさんにばいばいしよ?」
「うん…ばいばい……」
おしゃぶりしていない方の手がかすかに振られたので、カラスバもホッとして扉を潜った。
「ふぇっ…」
瞬間だった。
「ふぇえええええ…!!!」
ぶわわ、大きなダークブラウンの目をあっという間に覆いつくす水の膜。ぎゅっと一度パーツが中心に寄せられた可愛らしい顔は、あっという間にくしゃくしゃに歪められて、そして。
「いやああああああああ!!!!」
見る見る間に決壊した瞳のダムから、ぼろぼろと大量の涙が零れ落ちてマシュマロのような頬を濡らした。響き渡る泣き声は耳をつんざく勢いで、その場にいた全員が思わずびくりと肩を揺らしたほどだった。
びぇええ、とこれまでのお利口さんが嘘のように大絶叫で泣き出したキョウヤに、お兄さんとお姉さんは大慌てだ。
「ちょ、キョウヤ!また会えるから!いまだけ、ね!?」
「やらぁああああああああ!!!!」
「キョウヤ、ほら、お菓子もありますよ!カラスバさんもまた遊びに来てくれますから!」
「うわああああああん!!!!」
「あああだめだ、この世の終わりくらい泣いてるよ!?」
もちろんその大絶叫は、今まさに外に出たカラスバの耳にも届いているわけで。突如響いた、初めて聞く大泣きの声にギョッとしながら、カラスバはジプソと顔を見合わせておろおろと視線を彷徨わせていた。
「かぁしゅばしゃぁあああああ!!!!!いかないれぇえええ!!!」
必死にキョウヤを宥めるエムゼット団の声をかき消す勢いで泣き叫び、己を呼ぶキョウヤの声。
「…カラスバさま…」
ジプソはもはや何か悟った仏のような顔でこちらを見ている。
「かぁしゅばしゃぁあああああ!!!!!」
「…っああもう!」
――耐えられたのは、ものの3分ほどであった。
ばぁん!とたった今閉めたはずの扉を勢い良く開いたカラスバは、そのままカツカツカツとせっかちな足音を立てて、ロビーの真ん中で上を向いたままわんわん泣き続けているキョウヤに歩み寄った。そして再び膝をつくと困ったように笑いながら両手を緩く広げた。
「キョウヤ、おいで」
聞いたことがないほど優しい声音で投げかけられた言葉に、キョウヤは泣きじゃくりながら小さな足を踏み出すと、ふらふらよちよちとおぼつかない足取りで2歩、3歩と歩いて、ぽすりとカラスバの腕の中に収まった。
「ふぇっ、かぁしゅばしゃ、かぁしゅばしゃあ…!!」
「よしよし、大丈夫やで。カラスバさんここにおるよ」
ひしっとネッコアラのようにしがみつく小さな体を抱きしめ、泣いたせいでホカホカになっている背中を撫でさすってやってから、ひょいと抱え上げて立ち上がった。グラスコードはキョウヤがこの姿になって以来、お役御免となっているので、障害物なくキョウヤはカラスバにしがみついている。
「ひっく…かぁしゅばしゃ…」
「はいはい」
ぎゅう、と首に手を回して抱き着いてくる体を支えて、しゃくりあげる背中をカラスバはぽんぽんと優しく叩く。この数日ですっかり板についた育児モードは、もはや母親のような馴染み具合であった。
「かぁしゅばしゃぁ…ひっ、おいてかないれ…っく…」
「あーあー、そんな泣いたら綺麗なおめめ溶けてまうよ。泣き止んでや」
「ゔん…っ」
ようやく泣き止み始めたキョウヤが顔を擦り寄せてスーツが涙やら鼻水やらで汚れるのも全く気にせず、ただただほっと息を吐きながら、同時にどうしようもないいじらしさを感じてカラスバは胸をぎゅうっと鷲掴みされた思いだった。
しばしその状態が続き、そしてそのまま泣きつかれてキョウヤがかくんと眠ったのを確認して。カラスバは小さな声で右腕にこう声を掛けた。
「…ジプソぉ、サビ組全員に通達」
「はい」
「――今後、キョウヤの前で野蛮な言葉、絶っっっ対に使ったらあかん。使ったら…どうなるかわかるやんな?」
「承知しました!!」
びしっと背筋を伸ばして一礼したジプソは、スマホを操作しながらホテルZを飛び出していったのであった。
「いやほんとお恥ずかしい…」
数日後、いつものサビ組事務所にて。顔を真っ赤にしたキョウヤーー大人の姿――が、しかし心底申し訳なさそうな顔で年上の恋人の前に立っていた。
いつの間にかすっかり元の姿に戻っていたキョウヤは、都合よくその間の記憶を忘れている…なんてことはなく。恋人にたっぷりと手間をかけさせたことを覚えたままであったので、羞恥と申し訳なさで死にそうになりながらもカラスバにお礼と謝罪に来たのだ。
「まぁあんな懐かれて悪い気はせんかったけどなぁ」
いや、本当に。大人の時の記憶で何らかの補正はかかっていたのだろうけど、あんな可愛らしい生き物に「かぁしゅばしゃん、かぁしゅばしゃん」とよちよち追いかけられて悪い気がするわけなかった。ましてや、普段は大変頼りになる英雄様である。恋人のそんな一面を堪能出来て、役得だなぁとすら思っているカラスバは、今も恥ずかしそうにしているキョウヤをにやにやと見つめるばかりであった。
「ご迷惑をおかけしました…」
かぁ、と頬を染めながら頭を下げるキョウヤに、カラスバの中の悪い部分がむくむくと頭をもたげる。
「ちっこいキョウヤ、かいらしかったわぁ」
「うぐ…」
「”かぁしゅばしゃん、いかないで~”言うて」
「やめてください…」
「ず~っと引っ付いて来とったもんなあ、オレいつの間にネッコアラゲットしたんやろ思たわ」
「~~っ」
真っ赤な顔でどんどん小さくなっていくキョウヤに、カラスバはもうすっかりご機嫌だ。今のキョウヤをいじり倒すのはもちろんだが、もうとにかく小さいキョウヤは可愛すぎた。正直、骨抜きにされたと言ってもいい。ふふ、と思い出して笑うのを隠しもせずに、キョウヤにとってはもう触れてほしくない恥ずかしい記憶をほじくり返す。
「ほっぺなんかこ~んなにやわこくて、っ!?」
もう会えない可愛らしい生き物のほっぺたの感触を思い出して、思わずふにゃりと笑った瞬間だった。
ぐい、と強く腕を引かれる感触。しがみついていたあの小さな腕でも、か弱い力でもない、可愛い顔のくせして案外大きくて男らしい手のひら。それがカラスバの腕を掴んで引っ張ったのだ。
思わずたたらを踏みながら体勢を崩したカラスバの腰に手を回して、危なげなく抱き止めて。
驚いて思わず顔を上げた瞬間、カラスバの目の前には焦点が合わないほどの距離に恋人のやけに熱い双眸があった。
あ、と思う間もない。重なる唇。柔らかなその感覚は慣れているはずなのにずいぶん久しぶりのような気がした。逃がさないと言わんばかりに腰をホールドする腕はびくともしない。
突然のことに目を見開いたまま動けないでいるカラスバの唇を食むように味わって、リップ音。極め付けは、驚いて少し開いたままの下唇を、つつ…と舌先で辿られて、思わず背中を甘く震わせるしかできなかった。
「っ…」
そっと唇が離れて、カラスバはただ何も言えずにごくりと飲み込むばかり。いつの間にか耳の先まで真っ赤に染めて、すっかり頭が沸騰してしまっていた。
雄の顔をした恋人が熱っぽくこちらを射抜く視線から、逃げられない。
「俺、もうガキじゃないよ」
顔を赤くしたまま、それでも真剣に告げられた言葉に、カラスバの頭はとうとうオーバーヒートした。
「っ、可愛くないねんほんま…!」
ぷしゅう、と湯気をたてながら手で顔を覆おうとしたカラスバの手は、キョウヤの手に阻まれる。手首を掴んでさらにカラスバの体を引き寄せるキョウヤは、むっと拗ねた顔をしていて。
「小さい俺の方がよかったの?…小さいままだと、こんなことできないけど」
そう言って不機嫌そうな顔のまま、カラスバの桜色になった首筋に顔を埋めて。その首筋を唇で辿ると、耳たぶに小さく歯を立てた。
「~~っ、エロガキ…!」
「好きなくせに」
「やかましい!」
数日間可愛がられた借りを返すべく、キョウヤは文字通り年上の恋人を可愛がることにしたのだけれど、それはまた別のお話。
終
以下、ぼつ会話
「キョウヤ、ほんまにカラスバさんのとこでええの?こっちならみんなおるで?」
「…きょおやね、かぁしゅばしゃん、らいしゅきなの」
「っぐ」
「かぁしゅばしゃんがいいの」
「うぐぅっ」
「?かぁしゅばしゃん?」
「…オレが、オレがオマエを一生守ったるからな…!」
「カラスバさま、恐らくあと二日ほどで戻られます」
「やかましい!!」