・ワンドロワンライ

夏。今年のミアレは、例年よりも暑い日々が続いている。
照りつける太陽。辛うじて日陰になっている木の陰に置かれたベンチでぐったりと腰掛けながら、オレは目の前でポケモンたちが戯れるのを見守っていた。というのも、顔馴染みのとあるご婦人から、こんな炎天下でも外で遊ぶのが大好きなポケモンたちを見守っていてほしい頼まれてのことだった。
「あー…」
さすがにジャケットを着ている気にならず、ネクタイを緩めてワイシャツの袖をめくり上げた状態でオレは項垂れていた。動いていないのに滲みだす汗。シャツもスラックスも肌に貼りついて気持ち悪いし、髪も汗でしっとり濡れて束になってしまっている。こめかみを滑り落ちる汗の不快感に眉を顰めたところで、湿気と熱気を運ぶ生ぬるい風が吹いてきてすべてのやる気を失う。
大きな家の庭なので誰かに見られる心配もない。オレは顔を上げると、今度はゆっくり後ろに体を倒して、だらりとベンチに背中を預ける。両腕をベンチの背にひっかけるようにして、首も後ろに倒して液体のように溶けていた。
その時、さく、さく、と芝生を踏みしめる音が近づいてきて視線だけを向ける。
「カラスバさん、大丈夫ですか?」
「…ギリ生きてるって感じや」
近づいてきたのはキョウヤだ。ご婦人から頼まれごとを聞いているところに偶然通りがかり、楽しそうだから俺も行っていいですか?と軽率に同行を申し出た哀れな子供である。まさかこんな炎天下の中で虚無の時間を過ごす依頼だとは思っていなかっただろう。トレードマークのブルゾンは流石に着ていない。白い半そで姿で、それだけでは足りずに袖を丸めて肩までたくし上げた姿だ。意外にもたくましい二の腕を晒しながら歩いてきた男は、手に持っていたビニール袋をぶら下げて見せて、こんな炎天下でも爽やかに笑う。
「マダムから、暑い中ありがとうございますって差し入れです」
「差し入れぇ?」
一ミリも動く気が起きずにそのまま答えたオレの方へ歩み寄ると、キョウヤもベンチの隣に腰掛けた。がさがさと袋をあさる音がする。
「グレープとバニラどっちがいいです?」
「あ?…バニラ」
「どうぞ」
ぼーっと意味もなく顔を上に向けていたオレの目の前に差し出されたのは棒アイスだった。反射で受け取って、それからあまりの暑さにさっそく表面に汗をかき始めたバニラアイスを慌てて口に咥える。上を向いたままでは苦しいので、オレはそこでようやく体を起こした。
口の中に広がる冷たさと甘さ、そして鼻腔に広がるバニラの甘ったるい香りに少し目を細める。茹だる体がほ冷やされた気がしてほんの少しだけ気力を取り戻し、ふと隣に目を向けた。
「あっつぅー…」
片手にグレープ味の棒アイスを持ったまま、キョウヤはシャツの裾を掴んで顎を伝う汗を拭っていた。その拍子に服の下から顔を出した腹筋は、二の腕と同じく思っていた以上に逞しい。着やせするタイプなのだろう。改めて見れば、アイスの小さな木の持ち手を掴んでいる手も意外に大きく男らしい。
(…こいつ、なんや結構でかいねんな)
オレの視線にも気づかず、キョウヤは暑さに目を眇めながら、手に持ったグレープのアイスを口元に運ぶ。形の良い唇が動いたかと思えば、その口ががぱりと大きく開き、グレープアイスを軽く半分ほど飲み込んで歯を立ててぱきりと割った。大きく開いた口で、まるで丸呑みするようなその様子になぜがどくりと胸が変な音を立てて、腹の底が疼いた気がした。
しゃりしゃりと音を立てて咀嚼し、喉仏が上下に動いてごくりと嚥下する。そのまま薄い唇についた溶けたアイスをぺろりと赤い舌が舐めあげた。

その動きをじっと追ってしまっていた自分に気が付いて、オレはハッとした。
…ガキ相手にオレは何を!

慌てて自分が手に持っていたバニラアイスを口に含む。ちろちろ舐めていた先端に歯を立てて齧り取って、口の中で転がしながらもごもごと味わう。甘い。甘ったるい。
もう一口を口に入れたところで、隣からの視線に気が付いた。このわずかな間で既にアイスを食べきったキョウヤが、もう何もついていない細い木の棒を片手に持ったままこちらをじいと見つめていた。暑さのせいか、いつも溌溂としている目元がなんだか気だるそうに見えて、妙に落ち着かない。
「ふふ、カラスバさん口小さい。かわいー」
なんて言いながらその気だるげな目元が柔らかく細められて、また心臓が知らない跳ね方をする。
なんや、なんなんや、その顔は。かわいいって、なんやねん。
自分の中で驚きの様な、衝撃の様な何かが胸のあたりを突き刺していて、オレはキョウヤの顔を見たまま固まってしまった。
「あ、ほら、垂れてきてますよ」
そんなオレに構わず、キョウヤはくすくす笑いながらバニラアイスを持ったオレの手元へ指先を伸ばす。
…暑い。暑いからだろう。なんだか頭の中が熱でぼーっとしているような、そんな感覚で、ただぼんやりとキョウヤの動きを見つめる。
いつの間にか手に持っていたバニラアイスはどろどろと溶け始めて、オレの手にまで垂れてきていた。それを見て笑ったキョウヤが、オレの手首を掴む。ああ、なんや。片手でオレの手首を掴めるくらい手ぇでかいんやな、なんてぼんやり考えてしまってまた変な心拍を刻む。
キョウヤはオレの手首を引いて、自分の顔の前まで持ってくると――そのまま、オレの手に垂れた溶けたアイスをぺろりと舐め始めた。その柔らかい感触に思わずびくりと肩が震える。
「っおい、」
「動いたら服についちゃいますよ」
そんなことを言いながら、また。赤い舌が、オレのやたらと白い肌を這って甘い液体を舐めとっていく。冷たいアイスを食べてすぐだからか、少し冷たく湿ったそれがツゥ…と手の甲を、指の股を、指先を舐めていく。その感覚に肌が粟立った。
なにしてんねん、と振り払えばいいのに。キョウヤの端正な顔が伏せられて、オレの手を舐め上げるその様から目が離せない。
不意にその目が上目遣いにこちらを向く。そして、ふ、と吐息の様な笑い声。
「口元にも、」
そう言って、キョウヤの綺麗な顔が近づいてきて。なぜかオレは、動けなくて。
鼻先が触れそうな距離。近すぎて焦点が合わなくなった視界の中で、キョウヤのダークブラウンの目だけが焼きつく。なんて思っていると舌先が伸ばされて、口の端に触れた。それがぺろりと口元を舐め取る。
ちらり。ダークブラウンが、じっとオレの目を見つめた気がした。吸い込まれそうやな、なんて思っていると、口の端を舐めた舌がそのままオレの唇を確かめるようになぞって、吐息が触れて。
 
気づいた時には、お互いの唇が重なっていた。
 
アイスのせいで冷えていた唇も、舌先も、いつの間にかすっかり熱くなっている。食むように、吸い付くように、何度も角度を変えて重ねられるキスに、頭の中は相変わらず茹だったままだった。
そして不意にこちらを見つめるキョウヤの瞳の奥がきゅう、ととびきり甘く細められて、それにひどく胸が締め付けられた。そしてそれと同時にキョウヤの舌先が、とん、とノックをするようにオレの唇の隙間を叩いた、その時。

あれ、おれ、なんでこいつとキスしとるん――?

茹だった脳みそが急に正気を取り戻して、オレはハッと覚醒した。
目の前の胸をどんと突き飛ばして、不意打ちにキョウヤがバランスを崩したすきにパッと離れる。驚いて開かれたその口に残ったバニラアイスを突っ込むと、そのままオレは脱兎のごとく、逃げ出した。振り返ることは、しなかった。

依頼人のご婦人の家に駆け込み、休憩用に使っていいと言われている部屋のドアをバタンと閉めて、そのばにずるずるとしゃがみ込む。そして暑さのせいだけではない顔の熱を自覚して、汗に濡れた顔を両手で覆い隠した。

「ほんまわけわからんわ…」

この胸の鼓動の意味も。
キスに嫌悪を感じなかった自分自身も。

ああ、きっと全部暑さのせい。
 
 
 
「…あーあ、いけそうだったんだけどなぁ」
一人、木陰に残されたキョウヤは、食べ終わったアイスの棒を咥えながらそう一言だけ呟いた。

終 
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