・ワンドロワンライ

「オマエが成人しても、それでも気持ちが変わらんかったら、考えたる」
少年と青年の間の過渡期、幼さが抜け始めて一人の男になりつつあるそのこどもに、カラスバはそう告げた。それはこどもをあしらうための無責任な言葉であり――己に好かれた哀れな男を逃がすための猶予でもあった。

そしてそれから数年。カラスバの前には、すっかり成長して立派な成人男性となったミアレの英雄が立っていた。――真っ赤なバラの花束を、真剣な顔でカラスバに向かって差し出して。
「…まさかほんまに来るとはなぁ」
呆れと感嘆の混ざった顔をして、しっかり正装までしてきた男をーーキョウヤを見上げた。見慣れたサビ組事務所、カラスバの部屋。他者を威圧するような重厚な空気の流れる部屋の中で、初々しさすら滲む青年は異質に思えた。自分とは本当に、正反対だ。眩しいなぁ、なんて内心で思いながらカラスバが少しだけを目を眇めたけれど、きっと花束を差し出したキョウヤはそれに気づく余裕はないだろう。彼は羞恥のためか耳までほんのり赤く染めながら、すっかり甘く完成された端正な顔をむっと顰める。
「カラスバさんが言ったんですよ。成人しても気持ちが変わらなかったら考えたる、って」
「考えたる、やで。馬鹿正直にそこまで待つやつおるか」
「ここに」
「アホ」
薔薇の花束は、差し出されたまま。芳醇な香りが鼻腔を擽る。手持ちのロズレイドによく似たそれを目の前に突きつけられながら、カラスバはそれを受け取ることも拒否することもなく、ただ見つめて息を吐く。
「…オマエが逃げるための時間やったんや、分からんか」
「分かってますよ」
「分かってへん」
きっぱり言ってやれば、今度こそ青年はぐっと顔をしかめた。苛烈すら滲むその目は、バトルの最中にはよく見る類のもの。
「オレは男で、日陰者や。サビ組のボスとして、オマエに言えんようなことだって影でやっとる」
「はい。でもあなたのそれは、ミアレを守るためでしょう?綺麗ごとばかりじゃ守れないものがあるっていうのは、もうわかってますよ」
「…オマエはミアレの英雄で、カタギの人間や。やのにオレの近くにおったら、オマエまで後ろ指差されることになるかもしれん」
「別に他人からの評価なんて気にしませんよ」
キョウヤの目に迷いはない。答えだってそうだ。迷っているのは、逃げているのは、カラスバだけ。分かっている。それでも――カラスバの口は、止められない。
「オマエに家族を作ってやれへんよ。それどころか後ろ暗いことして取っ捕まったり、そのうち死体になって帰ってくるかもしれん」
「じゃあ、俺ももっと力をつけて強くならなきゃいけませんね」
「これ以上は思春期の気の迷いじゃ済まされへんで」
「当たり前じゃないですか。むしろ、こっちのセリフです。付き合うどころか結婚する覚悟まで決めてください」
「やっぱり女がええって言うても、」
「男とか女とか関係なく、カラスバさんにしか興味ないんで」
往生際が悪い。それはキョウヤだけでなく、カラスバ自身が思っている事だ。いい加減焦れたのか、キョウヤは机の上で組まれていたカラスバの手を掴むと、その両手に無理やりバラの花束を押し付ける。それから、その両手ごとぎゅうと包み込んで、カラスバの険しい顔を覗き込んだ。
「俺だって生半可な覚悟じゃないですから。じゃないと、わざわざあの時の言葉を真に受けて、年単位で待ったりしません。それでも信じられませんか?」
キョウヤの怖いくらい真っすぐ澄んだ目がカラスバを射抜く。カラスバが一等好きな、惹かれてやまない暗灰色の瞳。意思が強くて、陰りが無くて、美しい。太陽のような輝きを持った眼差し。
――カラスバは怖かった。自分がただ太陽に焦がれているだけならよかったけれど、一度手にしてしまったら。この太陽に触れてしまったら。もう、その光なしでは生きていけない気がして。いつか彼が離れる日が来たその時、きっと自分の心は凍り付いてしまうだろうから。
だから彼に逃げ道を用意したと言いながら…自分が逃げていたのだ。
だが、もう降参だ。
「分かった。…いい加減にオレも、筋通さなあかんな」
もう逃げられない。キョウヤも逃がすつもりはないのだろう。けれど己にここまで腹を括らせたのだから、自分ももう、この男を逃がすつもりは、ない。
カラスバは押し付けられた花束をようやく自分の意思で受け取ると、目を閉じてすん、とその香りを吸い込む。胸の奥までその香りが満ちた時、カラスバは静かに目を開いた。そして片手で花束をひょいと肩に担ぐように持つと、真剣な表情ですっと目の前の男の顔を見据えた。
「ほな約束しよか」
カラスバはそう言って、おもむろに小指を立てた右手を差し出した。その指先を見つめたキョウヤが、あ、と小さく声を出す。
「…それ、指切りですか?」
「なんや、知っとるんか」
カラスバの方が少し目を見開く。ミアレではあまりメジャーではない文化だ。地方によっては、子供同士の約束に使われるくらい身近なものらしいけれど。キョウヤは、前に見たことがあって、と続けた。
「カントーとかジョウトとかの文化ですよね。こっちではあんまり見ないですけど…」
でもなんで指切り?と首を傾げるキョウヤに、カラスバはゆるりと口の端を上げて笑った。
「なあ、指切りの由来知っとるか」
「由来?」
「そう。指切りっちゅうのは、もともとは読んで字のごとく――指を切るもんやったらしいわ」
その昔、遊女ーー娼婦が好いた男に対する愛情と誠実さの証として、小指の第一関節から先を切り落として渡した「指切」という儀式。それは「心中立て」という、愛情や義理を命がけで貫く、あるいはその真情を相手に証明する行為だという。
「ま、今となっては形式だけ残って、子供の約束にも使われるようになったわけやけど」
かつて東方では指のことを「手」と呼んでいたことがあった。つまり、「指切」とは「手切り」…それが転じて「ちぎり」すなわち「契約」の意味になったといわれている。
「これだけオマエが覚悟決めてくれてるんやし、オレも腹括らんとなぁ」
そう、これは契約だ。
「一生オレと一緒にいてもらうで」
キョウヤとカラスバの、最初で最後の大きな契り。
「ーーほな、指切ろか?」
キョウヤは驚いたように目を見開いたかと思えば、初めてバトルで対峙したときのように、挑戦的で自信満々な笑みを浮かべた。
「望むところです」
いつの間にかカラスバよりも大きくなった手の小指が差し出されて、カラスバのものとそっと絡められる。子供だましのような可愛らしい儀式は、しかし重い意味を持っていた。そうして手の中に転がり込んできた太陽に照らされて、カラスバは月のように美しく、妖艶に微笑んだ。

(あのー……この指切り、現代版、で、いいですよね…?)
(ん?オレは伝統ある指切りでもええけど)
(現代版でお願いします!!!)
(…別に指切っても良かったけどな)
(もう!気持ちだけもらっときますから!)



「その、指切るとか物騒なことはもう言わないで欲しいんですけど」

もうすでに片手で数えきれないほどの夜を共に過ごしたある日、今日もまたキョウヤに嫌というほど愛を刻み込まれてぐったりベッドに沈み込んでいたカラスバに向かってキョウヤが唐突に言った。
「…ヤクザに向かってよう言うわ」
脈絡はなかったけれど、「指切り」と言われれば即座に一つの事しか思い当たらない程度にはカラスバにとっても大きな誓いだったわけで。掠れた声で茶化すようにそう言うのが精いっぱいだった。キョウヤはその分かりにくいヤクザジョークに肩をすくめて聞き流すと、シーツに投げ出された白い手に指を絡めて持ち上げた。
「でも…これから先も、絶対に俺以外に誓わないで」
骨ばったカラスバの手の甲に恭しく口づけが落とされる。嫌味なくらい様になるその仕草に不覚にも目を奪われているうちに、カラスバの小指へするりと冷たいものが通される。華奢だけれど美しいそれは、ピンキーリングだった。

「この小指は俺のもの、ね?」

どんな指切りもしちゃだめですからね、と。どこかうっとり笑う男の、野性味すら感じる色香にカラスバはがんと脳みそを叩かれた気分だった。リングを通された小指も、絡めた手も、顔も、耳も。全身が、ぶわりと熱を持つ。ああもう本当に、この男は。

「ほんまに指落とそかな…」
「え!?なんでそうなるの!?だめですよ!?」

全てを捧げたくなってしまったなんて、この先も一生言ってやらない。



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