・ワンドロワンライ

……サビ組誘ってお茶会なんてするん、この広いミアレ探してもオマエらくらいやで」
「あ、カラスバさん。ジプソさんも。こんにちは」
もう両手の数では足りない回数の訪問になった、ホテルZのエントランス。口ではそんなことを言いながらもどこか柔らかい表情で入ってきたカラスバと、その後ろに控えるジプソを、エムゼット団のメンバーたちは当然のように受け入れた。出会った当初はあんなに怯えていたというのに、なんともまあ順応性の高い若者たちである。
出迎えたタウニーに「これ、手土産な」と、ジプソに持たせていた高級そうな紅茶缶を手渡す。受け取ったタウニーは「じゃあ今日のお茶はこれにしちゃお」と目を輝かせてキッチンへ消えていった。
「カラスバさん! 来てくれたんですね」
奥でテーブルを片付けていたらしいキョウヤが、カラスバの姿を見つけて嬉しそうに駆け寄ってくる。懐いた子犬ポケモンのような素直な仕草には、カラスバへの好意が滲み出ていた。まぁ本人に隠す気が無いのだから当然かもしれない。キョウヤがカラスバを慕っているのは、もはや周知の事実だった。
「せっかくのご招待やからな。で、今日はどういう風の吹き回しなん?」
「特別なことはないですよ。ただ、練習ついでにアンシャちゃんがドーナツをいっぱい作ってくれたもので……」
そう言ってキョウヤが指差す先には、なるほど、色とりどりのドーナツが並んだ皿がいくつも並んでいる。
「余ったら手当たり次第知り合いに配ろうと思ってるんですけどね、まずはみんなで食べられるだけ食べちゃおうと思って。こっちへどうぞ」
キョウヤのエスコートに導かれて、カラスバは可愛らしいテーブルを囲む椅子の一つに腰を下ろした。

『いただきまーす!』
準備が終わり、客人たるカラスバとジプソのみならずエムゼット団の面々もアンシャとともにテーブルにつくと、彼らは元気に声を揃えて手を合わせた。
「うふふ、どうぞ皆様めしあがれ!」
アンシャはその小さい体を嬉しそうに揺らしながら、皆の口に運ばれていくドーナツをわくわくと見つめている。
「んーっ、やっぱおいし~!」
「なんかこういう、手作りの焼き菓子って素朴で美味しいよねぇ。定期的に食べたくなっちゃう」
ぱくり、ドーナツに一口噛り付いたタウニーとデウロが頬に手を当てて幸せそうに笑みをこぼす。その隣でピュールも口をもぐもぐと動かしてから、表情を緩めた。
「分かります。なんというか……昔、家で食べたマドレーヌを思い出します」
「そうそう、お母さんがたまに作ってくれる素朴なお菓子の味!」
デウロがそう言うと、確かに、とタウニーが想いを馳せるように目を閉じた。
「マドレーヌか、いいねぇ。うちはお母さんがよくパンケーキ焼いてくれたなあ」
「あたくしはやはり、おかあさまのドーナツが一番です!」
えへん、と自慢げに胸を張るアンシャをみんなで微笑ましく見つめる。
「ふ……何やみんな、思い出の菓子があるんや。ええやん、可愛らしいなぁ」
カラスバがすっかり保護者のような顔で優しく呟くのを、キョウヤはこっそり横目で見つめる。その目はどこか心配するような、そんな色だったが、そのことには誰も気付かないまま思い出のお菓子談義は続く。
「お母さんの作ってくれたお菓子って、なんであんなに美味しいんだろうね」
「なんてことない、家庭向けレシピのおやつだったと思うんですが……なんででしょうね。若干記憶の中で美化されているのかもしれませんけど」
ピュールがいつもどおり現実的な意見を言ったところで、彼らのやり取りをぼんやり眺めていたカラスバがぽつりとこう言った。

「……それがしあわせの味、やからちゃう?」

偶然会話が途切れたタイミングだったのもあって、皆の視線が自然とカラスバの方を向いた。そしてその視線にハッとしたカラスバは、バツの悪そうな顔をしてあの特徴的な眼鏡のブリッジを指で押し上げる。
「あー、なんか似合わんこと言うたな。忘れてや」
顔を隠すようにそう言ってひらひらと手を振ったカラスバだったが、それを聞いたタウニーが、すっきりした! とでも言いたげな晴れやかな表情で口を開く。
「いや、ううん、なんか納得したかも。キッチンから漂ってくる甘い匂いとか、お母さんの手元を覗き込もうとして『座って待ってなさい』って怒られたのとか。あの時の記憶とか全部含めて美味しいって思ったんだろうな」
「あー、それはなんか分かるかも」
「言われてみれば確かに、味だけじゃなくてその時の光景も思い出せるような……」
口々にそう思い出を語り始めた子供たちを、カラスバはどこか眩しいものを見るような目で見つめる。そして尊ぶように目を細めて、今度は独り言のようにこう呟いた。
「……みんな素敵なご家庭で大事に育てられたんやな。ええこっちゃ、なぁ」
――守ってくれる大人がいなかったからこそ、彼はその尊さを知っている。
本来受けるべき庇護を受けられなかったカラスバは、きっと、キッチンから香ってくる焼き菓子の甘い香りも、もう少し待っていなさいと頭を撫でる手の温かさも知らない。かと言って彼は自分のその境遇を卑下してもいないし、子供たちを羨んだりしないと分かっているけれど。それでも、彼の前でその幸せを当然のものとして享受してきたことを話せなくて。キョウヤはなんとなくみんなの会話に入らずに曖昧に笑っていた。
そんなキョウヤの様子に目ざとく気付いたカラスバは、子供たちを見守る姿勢をそのままに、視線だけをちらりとキョウヤへ向けて口を開いた。
「オマエの実家は、どうやったん?」
「えっ、いや、俺のとこは別に……」
あからさまに口ごもるキョウヤにカラスバは小さく噴き出した。
「はは、オレにそんな気使わんでええよ。というかキョウヤの実家の話、普通に聞いてみたいだけやし」
穏やかに、そして大切なものを見つめるように、金色の目がキョウヤをじっと捉える。黄金糖のようなその甘い視線を受けて、キョウヤは躊躇いつつもゆっくり口を開いた。
「……うちもたまに母がドーナツを作ってくれました。アンシャちゃんのドーナツみたいに本格的でおしゃれなものじゃなくて、トッピングも何もないシンプルなやつですけど。俺、結構よく食べる方だったんで、とにかくいっぱい作ってもらって山ほど食べてたなぁ」
「ふ、子供のころから健啖家やったんやな」
「外で走り回ってたので、いくら食べても足りなくて」
「なんや、今と変わらへんやん」
「う、それはぐうの音も出ないです……」
「ははは!」
恥ずかしそうに頬を掻くキョウヤは、昼も夜もミアレの街を駆け回るので、それはそれはよく食べる。見ていて気持ちが良いくらいだ。きっと昔からそうだったのだろう。想像に難くないなと思いながら、カラスバはうなだれるキョウヤの頭をわしわしと撫でてやった。子供扱いして……と口を尖らせるキョウヤだったが、ふとカラスバの前に並んだドーナツを見て、そういえば、と口を開く。
「カラスバさん、甘いもの大丈夫でした? こんなにドーナツ祭りになるって言わずに来てもらっちゃいましたけど」
特に好き嫌いがない人だというのは付き合ってから知ってはいたが、これほど甘いものに囲まれるとなるとさすがに人を選ぶだろう。そもそもあまり甘いものを食べているイメージが無いのもあって、キョウヤは純粋に尋ねた。
「別に大丈夫やで」
そう答えた後、カラスバは視線を少し遠くに投げてふむ、と短く考える。そして記憶を辿りながら続ける。
「……そもそも甘いもんというか、焼き菓子とかってあんまり食べる機会なくてな。好きとか嫌いとかよぉ分からん、ってのが正直なところやな」
頬杖をついてどこか他人事のように言ったカラスバに、キョウヤはなんとなく言いようのない寂しさを覚えた。目の前の和気あいあいとした暖かな空気を外から優しく見守って、けれど自分には関係のない世界だとどこか冷めた割り切り方をしている。そう感じた。
「あ、もちろんこれは美味いと思ってるで。甘いもんもたまにはええかもな」
キョウヤがどこか悲しそうな顔をしたことに気付いたのだろう、カラスバは誤魔化すようにへらりと笑ってドーナツを一口かじって見せた。そんなカラスバの様子をじっと見て、口元に手を当てて何か考え込んで。それからパッと顔を上げたキョウヤは、にっこり笑って元気にこう言った。
「ね、カラスバさん。一緒にドーナツ作りません?」
『…は?』
ちなみにその声は、カラスバだけでなくその場にいた全員から発せられた。

翌日のホテルZ。あの後、あれよあれよという間にドーナツ作りの約束を取り付けられ、話を聞いていたジプソにはスケジュールの調整をされ。そして今なぜかカラスバは、キョウヤとともにエプロンを着てホテルのキッチンに立っていた。
いつものジャケットを脱いでネクタイを外し、シャツの袖を肘まで捲った姿は酷く新鮮で、キョウヤはついついドーナツの材料よりもカラスバを見つめてしまう。そんなキョウヤの熱烈な視線を知ってか知らずか、カラスバはあまり立ち入ることのないホテルZのキッチンを見回しながら口を開く。
「さすがに菓子作るんは初めてやわ、オマエは慣れてるんか?」
「いや初めてです」
「はぁ!?」
どの口がドーナツ作りましょうとか言うてんねん、と言いたげなカラスバの胡乱げな視線に、キョウヤは慌てて両手をぶんぶん振って釈明する。
「で、でもでも! アンシャちゃんにレシピ教わったんで! ほらこれメモです!」
そう言ってキョウヤが見せたメモ帳には、可愛らしい字でドーナツの材料と作り方が書いてある。怒られる直前の子犬のような顔をしたキョウヤに弱いカラスバは、軽く咳払いをすると、「……やるならさっさとやるで」と背を向けた。

「えーと、まずは……薄力粉とベーキングパウダーを合わせてふるいにかける。それから今のうちにバターを溶かしておく……と」
「ほなバターはレンジに入れといて……オレが先に卵混ぜとくわ。そっち任すで」
「が、がんばります!」
そないに頑張る作業やろか、なんて思いながらなんとなくカラスバがキョウヤの手元を見つめていると、キョウヤは恐る恐るといった様子でふるいに薄力粉とベーキングパウダーを入れていく。今にもこぼしそうな、おぼつかない手つきだ。
「……手つきがえらい怪しいなぁ……」
「だ、大丈夫です! たぶん!」
おっかなびっくりで作業を進めていくのを可愛いと思ってしまう自分は末期だな、なんて苦笑しつつ、カラスバは気を取り直して自分の作業に戻った。あの手つきを見る限り、このドーナツ作りの鍵を握っているのは自分だろうから。
卵を溶くと、そこに測ったグラニュー糖を加えてよく混ぜる。続けてモーモーミルクも加えて、これもよく混ぜる。それからさらにバターを加えてさらにかき混ぜると、少しずつ卵液は白っぽくなってきた。泡立て機からしゃかしゃかと小気味良い音を立てながら作業をしつつ、ちらりとキョウヤの方を見たカラスバは噴き出す。
「えーん、カラスバさぁん……」
「オマエ、この数分で何があったんや」
見れば、ボウルを粉だらけにした上になぜか自分もうっすら白くなっているキョウヤの姿。あまりに情けない顔でこちらを振り向いている年下の恋人の顔に、カラスバは思わず笑ってしまった。
「オレはオマエの生活能力が心配になってきたで」
「でもなんとかふるいかけましたよ……」
なんだか申し訳なさそうにしているキョウヤの鼻先に付いた小麦粉を拭ってやって、カラスバは仕方ないなと笑って淵まで真っ白になったボウルを受け取った。
キョウヤが懸命にふるいをかけた薄力粉とベーキングパウダーを、カラスバが混ぜていた卵液に加える。
「ゴムベラで切るように混ぜる、やって」
「切るように混ぜる?」
「こんな感じちゃうか」
薄力粉が飛び散らないように気を付けながら生地を練りこみ、ざっくり切るように混ぜていくと、生地が少しずつしっかりとした重さを持ってきた。途中でキョウヤに交代してみたが、ぎこちない動きでただぐるぐる混ぜようとするのを見て、見かねたカラスバが後ろから手を添えてやる。
「ほら、さっきオレがやったん見てたやろ。ゴムベラを立てて……」
「……」
「……キョウヤ? 聞いとるか?」
「あ! す、すみません……カラスバさんから引っ付いてくれるの嬉しすぎて聞いてませんでした」
「あほ」
 そんな世迷い事を抜かすので、呆れと恥ずかしさでそんな悪態をついてカラスバはキョウヤから離れる。
「あ! もっと教えてください! 分かんない!」
「あほ! 分かるやろ!」
ギャーギャー言い合いながら練り終わった生地をラップで包んで、冷蔵庫で一時間寝かせる。その間にキョウヤが散らかした小麦粉の残骸や、そこまで使ったボウルやふるいを先に洗って片付けておく。さらに少しの休憩を挟んだ後、いよいよ成形の時間だ。
「ドーナツの型はアンシャちゃんに貸してもらいました」
「お、ええやん。ほな生地を伸ばして……」
厚さを均一にした生地をくり抜いていくと、なんだか急にドーナツっぽくなってきて、カラスバは年甲斐もなくテンションが上がるのを自覚した。キョウヤの方はわくわくした顔を隠しもせずに夢中に型抜きをしているが。
「余ったやつはどうする? もう一回集めて成形しよか」
「あ! じゃあ、こういう小さい丸いやつにしちゃいませんか?」
切れ端を集めて手のひらでくるくると丸めると小さな球体が出来上がる、それを見てカラスバは頷いた。
「ああ、ええんちゃう。なんや可愛らしい形やな」
「これ見て可愛いって思ってるカラスバさんが可愛いです」
「はいはい」
「あ、照れてる」
「黙っとき」
「はぁい」
厳しい言葉にも全然めげないキョウヤのことはさておき、カラスバは温めた油の温度を確認する。最後は百六十度の油でフォッコ色になるまで揚げれば完成だ。
「ってこらアホ! そんな高さから油に投入するやつがあるか!」
「だって油怖いですもん~! パーンって飛んでくるんでしょ!」
「それは水とかが入った時や! そっと入れればなんともないわ!」
相変わらず生活能力がだいぶ怪しいキョウヤにツッコミを入れつつ、なんとか成形したドーナツ生地を油に浮かべていく。ふつふつと気泡を出しながら、生地はいよいよドーナツらしく膨らんできた。ふんわり、生地が揚げられる甘い香りがキッチンに広がっていく。
「なんかふっくらしてきましたね……!」
「おお、なんかええ感じちゃうか」
綺麗なフォッコ色になったところでトングで掴み、油を切るために網を置いたバットの上に乗せていく。切れ端で作った小さい球体も忘れない。その間に仕上げの粉砂糖を用意しよう、とキッチンを捜索していたカラスバに向かってキョウヤは唐突に声をかけた。
「カラスバさん、口開けて」
「? あー……っん!?」
ひょい、と口の中に放りこまれたのは、まだ少し熱い丸い球体。香ばしい香りが鼻を抜けて、さっきの小さいドーナツか、とカラスバは理解する。
「つまみ食い。これも家で作るお菓子の醍醐味なんですよ」
キョウヤは自分の口にも焼きたての小さなドーナツを放りこみ、おいしい~! と嬉しそうに笑った。それから、いたずらっ子のように微笑んで、カラスバに向かってウインクを一つ。
「ね、つまみ食いってなんか特別な味しません?」
もぐもぐとまだ小さな口を動かしていたカラスバは、口の中の素朴な甘さのある生地ををごくりと嚥下する。揚げたてで、まだ油が完全に切れていないドーナツは、こんなに柔らかいのかと初めて知った。
「ふ、そうやな」
そう言って少し微笑んだカラスバに、キョウヤはにっこり笑った。
粉砂糖をまぶすと、キョウヤとカラスバの初めて作ったお菓子は立派なドーナツへと変貌を遂げた。その場をある程度片付けて二人でキョウヤの部屋に持っていき、今度はコーヒーをお供にして実食してみることにした。
初めて作った、少し歪なドーナツ。その中の一つを掴み上げて、改めて一口かじってみる。目の前に座っているキョウヤはといえば、テーブルに前のめりに頬杖をついて、カラスバが先に口をつけるのを見守る姿勢に入っていた。
「カラスバさん、どう? おいしい?」
さく、と小さく音を立てた手作りのドーナツ。出来立ての時はその熱さもあって気付かなかったけれど、生地はところどころダマがあって、少しパサついていて、甘くて、まだ少し温かかくて。
「ん……せやな、今まで食べたドーナツで一番美味いわ」
なんだか急に泣きたくなって目を伏せたのを、キョウヤは気付いただろうか。カラスバには分からない。
「ね、カラスバさん。今までできなかったこと、これからも俺と一緒にやってくれますか?」
キョウヤが急にそんなことを言ったので、カラスバはまたもぐもぐと口を動かしながら首を傾げる。それから口の中の物を飲み込んでから言った。
「今までできなかったこと、って……そんなん別に、オレ気にしてへんしええねんで?」
きっとキョウヤは、カラスバの過酷な幼少期……否、成り上がるまでの期間、普通の人なら経験したであろう物事に触れられなかったことを、心のどこかで気にしている。そしてそれが同情ではないと分かっている。それでもカラスバは、自分が歩んできた道に後悔しているわけでもなく、他人を羨んでいるわけでもないので、本当に気にしていなかった。
だからそう口にしたのだが、キョウヤはいやいや、と手を振って、それから。
「あ、別に気を使ってるとかじゃなくて! ……カラスバさんのハジメテ、俺がいっぱいもらいたいなって思って♡」
「あほか」
茶目っ気たっぷりのウインクを送ってきた恋人に、カラスバは毒気を抜かれた。なので。
「まぁ、付き合ってやらんこともないで。……おおきにな」
これまで知らなかった幸せをまた一つ教えてくれたキョウヤに、小さくお礼を告げてみる。言葉と共にふわ、と顔を綻ばせたカラスバに。キョウヤは思わず目を見開いて。

「……そんな可愛い顔してると、食べちゃいますよ」

そう言って、油と粉砂糖が付いた小さい唇をぱくっといただいたのだった。



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