・ワンドロワンライ
春は出会いと別れの季節。誰が言い出したのかは知らないが、そんな風に言う地域があるらしい。
彗星の如く現れた正義のヒーロー、瞬く間にミアレを救った英雄たるキョウヤがこの街に来てから、早一年が経とうとしていた。
ーーただの旅行者であった彼は、もうそろそろこのミアレを去る。
キョウヤとオレの関係性は、名前がないぼんやりとしたものだった。
友人?仲間?知人?どれもしっくりこない。友人よりはどこか甘やかで、仲間というほどの気安さはなくて、知人ほど遠くもない。親しいけれど、情けないところはあまり見せたくなくて、けれど彼には見せてほしくて、でも自分からも少しだけ甘えて寄りかかることができる、そんな存在。なんて、オレが勝手に思っているだけかもしれないけれど。
キョウヤは不思議な男だ。優しいけれど頑固で、生意気で、可愛らしくて、頼りになって、真っすぐで、素直で。陽だまりのような男。
彼といると、オレは妙に力が抜ける。サビ組のボスじゃなくなってしまう。サビ組のボスとしてじゃなく、ただのカラスバでありたいと、そう思ってしまう。
ミアレ中を駆け回るあの爽やかな眩しい笑顔を見ると心臓が高い音を立てて、あの柔和なダークブラウンの目をもっと見ていたいと焦がれる。ポケモンたちに向けるような甘くやわらかな視線を、オレにも向けてくれたら。
こんなこと、ただの友人や仲間には思うはずがない。いつからか胸に抱いていた、ふわりと輪郭を持たない妙に温かい思いを、オレはずっと持て余してきた。
なんて名付けようか、まだ小さなオレの感情を。
まるで見つけられるのを怖がってるみたいな、そんな淡くささやかな欠片。
第一印象は悪かったはずなのに、いつの間にかキョウヤはオレに懐いていた。うぬぼれではなくはっきり言える。なんせ、ほとんど毎日事務所に顔を出しては、何をするでもなくオレとたわいもない話をして帰っていくのだ。でもその時間がどうも手放しがたくて。なあなあはあかんやろ、なんて言いながら、オレは追い返すこともせずに受け入れていた。
そうしているうちになんとなく気の置けない距離感になって、無言でも傍にいるだけで心地いい関係になって、ふとした瞬間に目があったり指先が触れ合ったりして、どうにも照れ臭くなって互いにはにかんで目をそらしたり。そんなくすぐったい日々を過ごしているうちに、とうとうこの日が来てしまった。
「もうすぐ、帰ろうと思います」
そう言われたのは、天気がいいから広場でランチをしようと誘われた、温かな春の初め頃。もうすっかり花が咲き誇っているルージュ広場でのことだった。
ベンチに並んで座って、キョウヤが買ってきたカフェのサンドイッチを口に運んで、もぐもぐと咀嚼しながらちらりと隣に座る顔を盗み見る。
整った甘い顔立ちの彼の目線は真っすぐプリズムタワーを見上げていて、その横顔は酷く静かに凪いでいた。
そしてオレ自身も、ああとうとうこの日が来たか、という諦観にも似た思いを抱いて、彼の視線を追って緑に覆われた街のシンボルを見上げた。
「さよか」
少し冷たい春一番が吹いて、花々と木の葉を巻き上げる。
輝かしい瞬間が去るのはいつも一瞬だ。まるでこの、舞い散る花弁のように。
そんなセンチメンタルなことを思いながら、吹きあがった花びらを目で追って空を仰いだ。すると、ひょこりとその視界の横から端正な顔が覗き込んできて一瞬ドキリと心臓が跳ねる。
「カラスバさん、寂しいですか?」
「ふん、あほちゃう」
「ちぇっ」
内心の動揺をねじ伏せて取り繕うように即答すれば、そんな風に言ってキョウヤは口を尖らせた。ぶすくれた幼い表情が可愛らしくて、小さく笑って。それから。
ずっと隠してきた答えを思わず言いそうになって、慌てて顔を逸らした春の午後。
もう少し、もう少しだけこのまま。ここで、キョウヤと2人で…なんて。儚く散りゆく桜色の花びらに、柄にもなく願いをかけてみたりして。
「…全部、元に戻るだけや」
自分に言い聞かせるように呟いた言葉を、花びらの舞が攫って、青い空へと溶けていった。
◇
キョウヤの帰郷はあっという間にミアレ市民に知れ渡ることとなり、出発の時間には大勢の人が彼の見送りにミアレ駅を訪れていた。エムゼット団はもちろん、親交の深かった上位ランカーやクエーサーのジェット社長、研究所の先生の姿まで見える。
本当に人に愛される男だな、なんて思って小さく笑う。彼が人々に愛される姿を見るのは、なんだか妙に気分が良い。
来た時と同じボストンバッグ一つに、エムゼット団のロゴが入ったブルゾンと中折れハットが加わって、彼はホームへ足を踏み入れる。
彼が乗る列車は、あと5分で出発する予定だ。
乗車しようとしたところで、キョウヤは足を止めて立派な人だかりができたホームを振り返る。そして大勢の人の中から、他の人々を怖がらせないように端の方に寄っていたオレを迷いなく見つけて、ふわりと心底嬉しそうに笑った。ひらり、控えめに手を振ってみれば、何を思ったのか彼はそのまま声を上げた。
「カラスバさん!」
「うん?」
そして踵を返して、オレの前まで歩いてきた。これだけいろんな人に囲まれるのが照れくさいのか、キョウヤの頬は上気してほんのり赤く染まっている。
出発まであと、4分。
「あの、左手貸してもらえませんか?」
「?別にええけど」
意図が読めずに首を傾げるが、時間がないのも分かっているので素直に左手を持ち上げてみると、キョウヤは妙に恭しい仕草でオレの手を取った。目を伏せて口元を寄せるその姿は、さながらおとぎ話の王子様のようだ。
相変わらず顔もスタイルもええ男やな、なんて現実逃避のように考えていた。
すると、その刹那。
――ガリッ
「い゛っ…!?」
唐突に左手の、薬指のあたりに生ぬるい息がかかったと思ったら鋭い痛みが走って思わず声が出た。
きゃあ、と周囲からも黄色い悲鳴があがる。
オレは何が起こったのか分からず、ただ傅くようにして未だにオレの手を捧げ持つ目の前の男を呆然と見下ろした。
「っ…おま、なにを、?」
「何って、予約?」
「は?」
痛みに顔を歪めながら己の指を見ると、左手の薬指に歯形が付いていた。キョウヤが、噛んだのだとようやく理解した。そこには薄く血が滲んでいて、そう。
まるで、指輪のような――
「オレね、向こうであと1年カレッジ通って卒業するから、そしたらこっちに帰ってきます。その時は永住するつもりです」
あと、3分。
「帰ってきたら、伝えたいことがあります」
キョウヤは改めて向き直ると、頭の処理が追い付かずぽかんとしているオレの目を見つめた。この1年で身長が伸びたキョウヤの目線は、オレよりも少し上になっている。大きなったなぁ、なんてぼんやり考えたところで、また1年前より幼さが抜けて精悍さを増してきた顔が、ふっと男くさく微笑んだ。
「それまでここ、オレのために空けといてください」
「…なん、え、…は?」
相変わらず事態が呑み込めない俺は、目の前の男の顔の良さに押されたまま何も言えなくなってしまって。そうしている間にも調子に乗ったキョウヤは、捕まえたままにしていたオレの左手の甲にちゅ、と口付けなんて落としてくれやがった。
「ここにいるみんなが証人ですから、逃げないでくださいね」
そう言って、台詞に似合わない爽やかな笑顔をにこりと浮かべた。
あと、2分。
ホームに出発を告げるアナウンスが響いて、オレはそこでようやくハッとした。そしてキョウヤからもたらされた一連の言動が一瞬で頭の中にリフレインして、全身の血が沸騰したような心地を覚えた。ぶわわ、と耳まで全身が赤くなるのを感じる。
「おまえ、なんっちゅうことを…!!!」
皆が見ている前で、とか、日陰者のオレ相手にミアレの英雄が何してんねんとか、オマエの前におるん泣く子も黙るサビ組のボスやぞ、とか。いやそもそもオレらそんな関係ちゃうやろ、とか。言いたいことは死ぬほどたくさんあったのに。口を開こうとしたタイミングで、キョウヤが今度はにやりと悪戯な笑みを浮かべて、堂々とこう言ったのだ。
「ふふ、これだけやれば1年間オレのことで頭いっぱいでしょ?カラスバさん」
ぼん、と。これ以上赤くなることはないだろうと思っていたオレの顔が、爆発した。
「~~っ、さっさと帰らんかいあほ!」
「あはは、さっさと行って帰って来いってこと?熱烈だなあ」
くすくす、余裕の笑みで腹の立つ煽りをしてくるキョウヤに、ああそういえばこいつはオレと最初のバトルで「その顔歪ませます」とか言い放ってきたクソ野郎だったなと思い出す。
オレは赤い顔のまま眦を吊り上げて、完全にサビ組ボスの顔で凄んで彼を追い返した。
「じゃかあしいねんクソガキ!!はよ行けやボケ!!」
「はあい」
蹴り飛ばす勢いのオレを見て楽しそうに笑ったキョウヤが、踵を返す。ホームには列車の出発を告げるベルが鳴り始めた。
あと、1分。
ひらりと身をひるがえしたキョウヤはとうとう列車に飛び乗って、そして車窓から顔を出してからりと笑った。
「みなさん、その人の事よろしくお願いしますね!オレの大事な人なので!」
列車の扉が閉まる。
プシュー、と空気が抜けだすような音が響いて、それから列車はゆっくりと進行を始めた。
こうして、怒鳴って噛みついて、ぜぇぜぇと肩で息をするオレを指さしてとんでもないことを宣ったミアレの英雄は。人々から盛大に見送られながら、故郷へと帰っていった。
残されたのは、呆気にとられたまま立ち尽くす俺と、好奇心やら期待やらで目を輝かせてこちらを伺い見る市民たち。
列車が見えなくなるころ、ようやくここまでの展開に思考が追い付いた俺は、真っ赤な顔で頭を抱えてその場に蹲ったのだった。
「あのガキ、ほんまおぼえとれよ…!!!」
穏やかな春の午後、せわしなく花弁が散ってゆく。
輝かしい瞬間が去るのはいつも一瞬だ。
そしてきっと1年後の春にはまた、ミアレを騒がせる英雄が帰ってくるのだろう。
輝かしい日々が終わって、また、始まる。
――ああ、なんて忙しない春の日!!
終
百人一首 紀友則
「久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ」
日の光がのどかに射し込む春の日に、なぜ桜は落ち着いた心もなくせわしなく散り急ぐのだろう。
彗星の如く現れた正義のヒーロー、瞬く間にミアレを救った英雄たるキョウヤがこの街に来てから、早一年が経とうとしていた。
ーーただの旅行者であった彼は、もうそろそろこのミアレを去る。
キョウヤとオレの関係性は、名前がないぼんやりとしたものだった。
友人?仲間?知人?どれもしっくりこない。友人よりはどこか甘やかで、仲間というほどの気安さはなくて、知人ほど遠くもない。親しいけれど、情けないところはあまり見せたくなくて、けれど彼には見せてほしくて、でも自分からも少しだけ甘えて寄りかかることができる、そんな存在。なんて、オレが勝手に思っているだけかもしれないけれど。
キョウヤは不思議な男だ。優しいけれど頑固で、生意気で、可愛らしくて、頼りになって、真っすぐで、素直で。陽だまりのような男。
彼といると、オレは妙に力が抜ける。サビ組のボスじゃなくなってしまう。サビ組のボスとしてじゃなく、ただのカラスバでありたいと、そう思ってしまう。
ミアレ中を駆け回るあの爽やかな眩しい笑顔を見ると心臓が高い音を立てて、あの柔和なダークブラウンの目をもっと見ていたいと焦がれる。ポケモンたちに向けるような甘くやわらかな視線を、オレにも向けてくれたら。
こんなこと、ただの友人や仲間には思うはずがない。いつからか胸に抱いていた、ふわりと輪郭を持たない妙に温かい思いを、オレはずっと持て余してきた。
なんて名付けようか、まだ小さなオレの感情を。
まるで見つけられるのを怖がってるみたいな、そんな淡くささやかな欠片。
第一印象は悪かったはずなのに、いつの間にかキョウヤはオレに懐いていた。うぬぼれではなくはっきり言える。なんせ、ほとんど毎日事務所に顔を出しては、何をするでもなくオレとたわいもない話をして帰っていくのだ。でもその時間がどうも手放しがたくて。なあなあはあかんやろ、なんて言いながら、オレは追い返すこともせずに受け入れていた。
そうしているうちになんとなく気の置けない距離感になって、無言でも傍にいるだけで心地いい関係になって、ふとした瞬間に目があったり指先が触れ合ったりして、どうにも照れ臭くなって互いにはにかんで目をそらしたり。そんなくすぐったい日々を過ごしているうちに、とうとうこの日が来てしまった。
「もうすぐ、帰ろうと思います」
そう言われたのは、天気がいいから広場でランチをしようと誘われた、温かな春の初め頃。もうすっかり花が咲き誇っているルージュ広場でのことだった。
ベンチに並んで座って、キョウヤが買ってきたカフェのサンドイッチを口に運んで、もぐもぐと咀嚼しながらちらりと隣に座る顔を盗み見る。
整った甘い顔立ちの彼の目線は真っすぐプリズムタワーを見上げていて、その横顔は酷く静かに凪いでいた。
そしてオレ自身も、ああとうとうこの日が来たか、という諦観にも似た思いを抱いて、彼の視線を追って緑に覆われた街のシンボルを見上げた。
「さよか」
少し冷たい春一番が吹いて、花々と木の葉を巻き上げる。
輝かしい瞬間が去るのはいつも一瞬だ。まるでこの、舞い散る花弁のように。
そんなセンチメンタルなことを思いながら、吹きあがった花びらを目で追って空を仰いだ。すると、ひょこりとその視界の横から端正な顔が覗き込んできて一瞬ドキリと心臓が跳ねる。
「カラスバさん、寂しいですか?」
「ふん、あほちゃう」
「ちぇっ」
内心の動揺をねじ伏せて取り繕うように即答すれば、そんな風に言ってキョウヤは口を尖らせた。ぶすくれた幼い表情が可愛らしくて、小さく笑って。それから。
ずっと隠してきた答えを思わず言いそうになって、慌てて顔を逸らした春の午後。
もう少し、もう少しだけこのまま。ここで、キョウヤと2人で…なんて。儚く散りゆく桜色の花びらに、柄にもなく願いをかけてみたりして。
「…全部、元に戻るだけや」
自分に言い聞かせるように呟いた言葉を、花びらの舞が攫って、青い空へと溶けていった。
◇
キョウヤの帰郷はあっという間にミアレ市民に知れ渡ることとなり、出発の時間には大勢の人が彼の見送りにミアレ駅を訪れていた。エムゼット団はもちろん、親交の深かった上位ランカーやクエーサーのジェット社長、研究所の先生の姿まで見える。
本当に人に愛される男だな、なんて思って小さく笑う。彼が人々に愛される姿を見るのは、なんだか妙に気分が良い。
来た時と同じボストンバッグ一つに、エムゼット団のロゴが入ったブルゾンと中折れハットが加わって、彼はホームへ足を踏み入れる。
彼が乗る列車は、あと5分で出発する予定だ。
乗車しようとしたところで、キョウヤは足を止めて立派な人だかりができたホームを振り返る。そして大勢の人の中から、他の人々を怖がらせないように端の方に寄っていたオレを迷いなく見つけて、ふわりと心底嬉しそうに笑った。ひらり、控えめに手を振ってみれば、何を思ったのか彼はそのまま声を上げた。
「カラスバさん!」
「うん?」
そして踵を返して、オレの前まで歩いてきた。これだけいろんな人に囲まれるのが照れくさいのか、キョウヤの頬は上気してほんのり赤く染まっている。
出発まであと、4分。
「あの、左手貸してもらえませんか?」
「?別にええけど」
意図が読めずに首を傾げるが、時間がないのも分かっているので素直に左手を持ち上げてみると、キョウヤは妙に恭しい仕草でオレの手を取った。目を伏せて口元を寄せるその姿は、さながらおとぎ話の王子様のようだ。
相変わらず顔もスタイルもええ男やな、なんて現実逃避のように考えていた。
すると、その刹那。
――ガリッ
「い゛っ…!?」
唐突に左手の、薬指のあたりに生ぬるい息がかかったと思ったら鋭い痛みが走って思わず声が出た。
きゃあ、と周囲からも黄色い悲鳴があがる。
オレは何が起こったのか分からず、ただ傅くようにして未だにオレの手を捧げ持つ目の前の男を呆然と見下ろした。
「っ…おま、なにを、?」
「何って、予約?」
「は?」
痛みに顔を歪めながら己の指を見ると、左手の薬指に歯形が付いていた。キョウヤが、噛んだのだとようやく理解した。そこには薄く血が滲んでいて、そう。
まるで、指輪のような――
「オレね、向こうであと1年カレッジ通って卒業するから、そしたらこっちに帰ってきます。その時は永住するつもりです」
あと、3分。
「帰ってきたら、伝えたいことがあります」
キョウヤは改めて向き直ると、頭の処理が追い付かずぽかんとしているオレの目を見つめた。この1年で身長が伸びたキョウヤの目線は、オレよりも少し上になっている。大きなったなぁ、なんてぼんやり考えたところで、また1年前より幼さが抜けて精悍さを増してきた顔が、ふっと男くさく微笑んだ。
「それまでここ、オレのために空けといてください」
「…なん、え、…は?」
相変わらず事態が呑み込めない俺は、目の前の男の顔の良さに押されたまま何も言えなくなってしまって。そうしている間にも調子に乗ったキョウヤは、捕まえたままにしていたオレの左手の甲にちゅ、と口付けなんて落としてくれやがった。
「ここにいるみんなが証人ですから、逃げないでくださいね」
そう言って、台詞に似合わない爽やかな笑顔をにこりと浮かべた。
あと、2分。
ホームに出発を告げるアナウンスが響いて、オレはそこでようやくハッとした。そしてキョウヤからもたらされた一連の言動が一瞬で頭の中にリフレインして、全身の血が沸騰したような心地を覚えた。ぶわわ、と耳まで全身が赤くなるのを感じる。
「おまえ、なんっちゅうことを…!!!」
皆が見ている前で、とか、日陰者のオレ相手にミアレの英雄が何してんねんとか、オマエの前におるん泣く子も黙るサビ組のボスやぞ、とか。いやそもそもオレらそんな関係ちゃうやろ、とか。言いたいことは死ぬほどたくさんあったのに。口を開こうとしたタイミングで、キョウヤが今度はにやりと悪戯な笑みを浮かべて、堂々とこう言ったのだ。
「ふふ、これだけやれば1年間オレのことで頭いっぱいでしょ?カラスバさん」
ぼん、と。これ以上赤くなることはないだろうと思っていたオレの顔が、爆発した。
「~~っ、さっさと帰らんかいあほ!」
「あはは、さっさと行って帰って来いってこと?熱烈だなあ」
くすくす、余裕の笑みで腹の立つ煽りをしてくるキョウヤに、ああそういえばこいつはオレと最初のバトルで「その顔歪ませます」とか言い放ってきたクソ野郎だったなと思い出す。
オレは赤い顔のまま眦を吊り上げて、完全にサビ組ボスの顔で凄んで彼を追い返した。
「じゃかあしいねんクソガキ!!はよ行けやボケ!!」
「はあい」
蹴り飛ばす勢いのオレを見て楽しそうに笑ったキョウヤが、踵を返す。ホームには列車の出発を告げるベルが鳴り始めた。
あと、1分。
ひらりと身をひるがえしたキョウヤはとうとう列車に飛び乗って、そして車窓から顔を出してからりと笑った。
「みなさん、その人の事よろしくお願いしますね!オレの大事な人なので!」
列車の扉が閉まる。
プシュー、と空気が抜けだすような音が響いて、それから列車はゆっくりと進行を始めた。
こうして、怒鳴って噛みついて、ぜぇぜぇと肩で息をするオレを指さしてとんでもないことを宣ったミアレの英雄は。人々から盛大に見送られながら、故郷へと帰っていった。
残されたのは、呆気にとられたまま立ち尽くす俺と、好奇心やら期待やらで目を輝かせてこちらを伺い見る市民たち。
列車が見えなくなるころ、ようやくここまでの展開に思考が追い付いた俺は、真っ赤な顔で頭を抱えてその場に蹲ったのだった。
「あのガキ、ほんまおぼえとれよ…!!!」
穏やかな春の午後、せわしなく花弁が散ってゆく。
輝かしい瞬間が去るのはいつも一瞬だ。
そしてきっと1年後の春にはまた、ミアレを騒がせる英雄が帰ってくるのだろう。
輝かしい日々が終わって、また、始まる。
――ああ、なんて忙しない春の日!!
終
百人一首 紀友則
「久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ」
日の光がのどかに射し込む春の日に、なぜ桜は落ち着いた心もなくせわしなく散り急ぐのだろう。