・短編
キョウヤは、自他ともに認める顔のいい男である。これまでの人生において、ずっとその顔の良さを活かして世渡りをしてきた。
もちろん昔は自覚などなかったが、幼少期から大人たちには可愛がられ、同級生たちにもなんだかちやほやされてきた記憶があって、それは成長するにつれて加速していって。いわゆる思春期を迎える頃には、あぁ自分の顔は整っていて人気があるらしい、と自覚するに至った。
キョウヤは結構強かな性格をしているので、使えるものは使えばいいじゃんの精神をもっている。だから自分の顔の良さを自覚してからはそれをフル活用することを厭わなかったし、外見に惹かれて寄ってくる人々には男も女も関係なく受け入れた。
来るもの拒まず去るもの追わず。
まさにそんなスタンスで、必要であれば数々の男女と関係を持ってきた。そしてもちろん、その一方で色恋沙汰の面倒には巻き込まれないように上手く立ち回るようある程度の線引きをしてきたつもりだ。
キョウヤにとって、恋はするものではなくされるものだった。だからこそそうやって、自分の手に収まる範囲内でコントロールできていたのだ。
そんなキョウヤだったが、ふと思い立ってやってきたこのミアレの地で。
生まれて初めて本気の恋をした。
それも、アウトローな組織のボスを務める年上の男に。
(待って嘘だろ……)
その事実にキョウヤは頭を抱えた。初恋の相手が男、それもよりによって(警察の世話になってはいないらしいが)反社会的な組織のトップを務める人だなんて。
第一印象は、正直言ってあまり良くなかったはずである。綺麗な人だな、とは思ったものの、仲間に課せられたタチの悪い借金と利子に、とんでもない人に目をつけられたものだと思った。
けれど少しずつその振る舞いの裏側、事情を知るにつれて、最初の警戒心は不要なものだったと知って。ランクアップ戦をする頃には、サビ組のボスとしてではない「素」の彼の一面に触れられた気がして嬉しかった。今思えばもう、その頃には彼の毒に染まっていたのかもしれない。知れば知るほど、その魅力に取りつかれて、離れがたくなっていく。
「また事務所に遊びにおいで」
そんな社交辞令を真に受けて、一般人は寄り付かないようないかつい事務所に足繁く通う程度には、キョウヤはすっかり彼に――カラスバという男に、夢中だった。
ミアレの危機を(他のランカーたちも一緒だったが)共に救った頃には、もう彼への恋心はすっかり大きく育ってしまっていた。その目に映りたい、触れたい、自分のものにしたい。そんな欲まで湧き上がってくるようになっていて、とうとうキョウヤは自分の気持ちに白旗を上げた。
(絶っ対落とす!)
こうしてキョウヤは自分の恋心に対して素直に開き直ることにした。キョウヤは恋をするのは初めてだが、経験値は高いと思っている。彼女もいたことがあるし、日ごろから男女問わずたくさんのアプローチを受けてきた。それに普段からかっこいいだのメロいだの言われているのだから、それなりに武器も多いはずなのだ。
今回は少々、ちょっと、いやだいぶ難易度が高い気がするが、自分の武器と経験を最大限に生かして必ずカラスバの恋人の座を射止めてやる。そんな覚悟を決めていた。
幸いにもカラスバはどうやら、キョウヤのことを気に入っているらしかった。彼の部下にすら「ボスのお気に入り」とまで言わしめるくらい、分かりやすく可愛がられている自覚がある。
これならきっと、カラスバさんとお付き合いする日も遠くないはず。
絶対絶対、俺がカッコよくあの人を落としてみせるんだ!
「なんて、思っていた時期が俺にもありました……」
キョウヤはサビ組事務所の近くにあるカフェのテラス席でがっくりと肩を落とし、テーブルに突っ伏していた。何を隠そう、カラスバをデートに誘おうとして失敗すること五回目を記録したのである。
カラスバを落とすと決めたキョウヤは、早速行動を開始していた。まずはいつもの事務所通いに、ちょっとしたプレゼントを添えてみたり、少し距離を詰めるように意識してみたり。前者は……なんというか、あまりにもいつも通りだった。もともとカラスバに喜んでほしくて、日ごろからちょっとした差し入れやプレゼントなら持って来ていたのだ。自分が無邪気過ぎて怖い。そして後者は――キョウヤが、保たなかった。
例えば。
「ね、カラスバさん。そっち座ってもいいですか?」
キョウヤが訪ねると、カラスバは仕事の手を止めて休憩ついでにお茶をしてくれることが多い。この日もそれで、ジプソが淹れてくれたコーヒーとキョウヤが差し入れた焼き菓子を応接セットの方に持って行って、カラスバがキョウヤの対面に座ったところだった。そこでキョウヤは心の中でよし、と気合を入れて、カラスバの隣に座る許可を申し出た。
初めてのキョウヤの申し出に切れ長の目を少しだけ見開いたカラスバは、すぐに目元を緩めると小さく笑って自身の隣をぽんぽんと叩いた。
「ん? 別にええけど……なんや珍しいな、どないしたん」
小首を傾げながら促されるのがなんだかやけに色っぽくて可愛らしく見えて、キョウヤは内心でウッと胸を押さえる。何とかそれを表に出さずに堪えると、年下らしくあざとく見えるようにえへへと笑って見せた。
「なんとなくお隣座ってみたくなっちゃって。お邪魔します!」
「はいはいどうぞ」
無邪気にぽすん、と隣に収まって隣を見てみると――想像以上に近い距離にカラスバの綺麗な顔があってキョウヤはぴしりと固まった。隣に座ったのだから当たり前なのだが、近い。
金色の目がよく見えて、長いまつげが少し影を作っていて色っぽい。への字に曲がりがちな小さい唇が今は緩く弧を描いていて、っていうか色が薄ピンクで可愛すぎる、それからそれから、それから…――
(め、めちゃくちゃいいにおいする……!)
隣に座って無邪気な年下のふりをして軽いスキンシップを図って、自然な感じで口説こうと思っていたのに、キョウヤの頭からその算段はすっかりすっぽ抜けた。
笑顔のまま石のように固まってしまったキョウヤに、カラスバが怪訝な顔をする。形の良い眉を少し寄せて、心配そうにキョウヤの方へ顔を寄せた。それから、白くて少しひんやりした手のひらがキョウヤの額に当てられて――その手のひら越しに、こつんと互いの額がぶつかった。カラスバの、綺麗な黄金色の目が至近距離でキョウヤを気遣わし気に見つめる。
「キョウヤ? もしかして体調でも悪いんか?」
「ひぃん……」
――キョウヤはそこで、真っ赤になった情けない顔と声を上げてリタイアした。
それならば、ちょっとでもかっこいいところを見せられやしないか。やはりキョウヤと言えばポケモンバトルである。いつでもバトルをしてもらえる間柄ではあるが、やはり公式戦は緊張感があってまた一味違う。リワード戦でカラスバと当たって、いいところを見せよう。
そんな風に考え、夜のミアレでポイントを稼ぐためにバトルに興じた帰り道。
いつもと違う出口を使ったせいで、少し治安の悪いエリアに出てしまい、運悪く性質の悪い酔っぱらいに絡まれた。そしてしつこいそれに辟易し、適当にあしらって踵を返そうとしたら、気が大きくなった酔っ払いに腕を掴まれそうになった。その瞬間だった。
「やめときや」
ぱし、と乾いた音と共に、キョウヤに伸ばされた酔っ払いの男の腕が止まる。その腕を掴んで止めたのは、カラスバの白く骨ばった手だった。そこそこ大柄な男が相手だったのに、カラスバの手は微動だにしない。慌てた男がさらに暴れるより前に、カラスバがぐっとその手のひらに力を入れたのが分かった。
「いだだだだだ!」
「酒で機嫌が良ぉて、なんや色んな人に絡みたなるんも分からんくはないけどなぁ……無関係な人に迷惑かけたらあかんと思わんか?」
キョウヤを背中に庇うようにしながらカラスバが男に圧を掛ける。男は一気に酔いがさめた様子で、ぶんぶん首を縦に振ると許しを請うように声を上げた。
「わ、悪かった! もうしない!」
「物分かりのええ人でよかったわぁ」
ぱっ、とカラスバが手を離した瞬間、男は一目散に逃げていった。それをポカンと眺めていたキョウヤを、カラスバが振り返る。
「キョウヤ、怪我あらへんか?」
「大丈夫、です。カラスバさんが助けてくれたから。ありがとうございます」
「あんまりこの辺通らん方がええで、見ての通りあんまり治安良ぉないさかい」
「は、はい。分かりました」
ああくそ、かっこいいなぁ。ほんとはこういう時、俺が助ける側になりたいのに。そんな複雑な思いを抱きながら、キョウヤが素直にカラスバの言葉に頷くと、カラスバはふっと眦を柔らかく下げて微笑んだ。そしてほとんど目線が変わらないキョウヤの頭を撫でる。
「ん。ええ子」
「ミ゚」
――なんですかその可愛い顔は!
そう叫ばずに謎の奇声だけが喉から出たのを、キョウヤは嘆けばいいのかなんなのか。
可愛いとカッコいいのギャップの間で振り回されて、なんかもう好きですという単語しか出てこない。夜で薄暗いおかげだろうか、またしても顔を赤くしてフリーズしてしまったキョウヤに幸いにもカラスバは気付くことなく。
「ほな、気ぃつけて帰りや」
それだけ言って、キョウヤの背中を大通りの方へ押し出してくれたのだ。
こんな風に、思い出したらきりがないのだけれど。
カラスバが、色っぽくて可愛いのにカッコよすぎる。キョウヤのような成人したてのひよこなんかでは全然歯が立たないほど大人の、たいそう魅力的な男なのだ。何をするにもスマートで余裕があって、かと思えば素の可愛らしい一面を見せられてキョウヤは翻弄されっぱなしだ。
それに比べて自分はといえば。
――経験値がそれなりにある、とか自負していたのが恥ずかしくなるほど、本気の恋を前に無力だった。
まず、カラスバを前にするととにかくめちゃくちゃ緊張する。正直これが一番情けない。
それはもう心臓はどんどこお祭り騒ぎのように脈打って体温が上がるし、あの綺麗な黄金色の瞳と目が合うと息が止まるほど嬉しい。緊張で体が強張って手汗が止まらなくなって、カラスバを構成するすべてから目が離せないし、頭が真っ白になって余裕なんて毛ほども無くなるのだ。
今まで俺にアタックしてくれていたみんな、本当にごめん。みんなすごい。ほんとに尊敬する。そんな風にキョウヤは過去に自分に好意を寄せてくれていた子たちに本気の謝罪と称賛を送った。
頑張れば頑張るほど空回る。
この頃はもはやなりふり構っていられなくなり、あの手この手で必死にサビ組のボスを口説き落とそうと奔走するミアレの英雄の姿は、街でもすっかり有名になっていた。最近ではすれ違う市民から声援を送られる始末である。
少し前まで「キョウヤくんかっこいい! メロ過ぎる!」なんて黄色い歓声を上げてくれていたファンの女の子たちでさえ、今ではキョウヤを見かけると「がんばって! 自信もって!」「さっきカラスバさん見かけたから今のうちに深呼吸ね!」と励ましの声をかけてくるのだ。そしてカラスバへのアタックで撃沈して一人でカフェで反省会をしていると、みんなが慰めるように肩を叩いたりミアレガレットを差し入れてくれる。
……情けなくて涙が出てきた。
感触は、悪くないと思うのだ。カラスバが己を見る目は、他の人に向けるものとどこか柔らかさが異なるし、どちらかと言えば甘さが含まれているとも思う。それすらも彼の毒で、計算の上なのだと言われたら……もうどうしようもないけれど。
そしてある日。キョウヤはブルー広場の前で、ひとり拳を握っていた。
「今日こそ。今日こそ決めるぞ……!」
紆余曲折あったが、今日はなんとカラスバと半日デートができる日。午前だけ仕事があるとのことで昼過ぎに合流することになっているのだけれど、落ち着かなさ過ぎて二時間も前から待ち合わせ場所に来てしまった。合流したら人気のカフェでランチして、二人でショッピングに行く。出来れば何かプレゼントもしたい。今日は完璧なエスコートをして、最後はディナーの後にイルミネーションが綺麗なプランタン通りで告白する。
何回も脳内シミュレーションした計画を復唱して、キョウヤは何回も目の前のビルのショーガラスで身だしなみを確認する。髪よし、服装よし。今日はカラスバの隣に立っても釣り合うように綺麗めのコーデをしてきたのだ。
「お、キョウヤくんとうとうデート?」
「大丈夫大丈夫! 似合ってるよ!」
「待ち合わせ何時?」
「みんなありがとう……十三時……」
「あと二時間あるじゃん! 風邪ひかないようにね!?」
「おっちゃんがカイロをやろう」
「うううみんなありがとう~……」
せわしなくそわそわしているのを見かねた市民の皆さんからもそんな声援が飛んでくる。もはやキョウヤの恋路はミアレ市民全員が見守るところとなっていた。
市民の皆さんの温もりに守られながら待ちに待った十三時……の、十分前。緊張を緩めるために精神統一をしていたキョウヤの頬に、唐突にあたたかい缶がくっつけられた。
「うひゃ!?」
「お、ええリアクション」
驚いて飛び上がって顔を上げれば、ベンチに腰掛けるキョウヤを覗き込んでいる天使、いや、想い人の姿があった。
「か、カラスバさん!」
「すまんな、まさかもうおるとは思ってへんくて。待たせてもうて堪忍な」
「い、いえ! 今来たところなので!」
「ほんまに? まぁでも、寒かったやろ。これお詫びに受け取っといて、ぬくいで」
少し申し訳なさそうに眉を下げながら、カラスバはキョウヤの頬に当てていた缶を差し出す。キョウヤがよく好んで飲んでいるモココーヒーだ。覚えてくれてるんだ、とそんな些細なことで胸があったかくなって、口元がもにょもにょと緩みそうになる。ありがとうございます、と返しながらキョウヤはベンチから立ち上がる。受け取ったモココーヒーから伝わる温度にほっと息を吐きながら、改めてカラスバに視線を映した。
(はわ……)
午前の仕事が終わってから、着替えてきてくれたのだろうか。あの特徴的なジャケットもグラスコードも身に着けていないカラスバの姿は新鮮だった。いつものシャツと同色のニットのタートルネックに、黒のチェスターコート。落ち着いた装いに少しごつめの黒いブーツを合わせていて、遊び心を感じる。ところどころに毒っぽいモチーフが散りばめられているのは、彼のこだわりだろう。
私服、初めて見たな。かわいい。かっこいい。好きだ。そんな思いでいっぱいになってしまって、キョウヤは口を動かすのが遅れてしまった。その代わり、立ち上がったキョウヤの全身を眺めたカラスバの方が先に口を開く。
「今日の服、よぉ似合っとるで。オマエそういう雰囲気も似合うねんなぁ。どこの男前か思たわ」
ふふ、と笑いながらコートの襟を直してくれたカラスバに、キョウヤはバクバク鳴り響く心臓を押さえながら慌てて口を開いた。
「あ、や、その! か、からすばしゃんもしゅてきですほんとに!」
(おああああ~!)
絶望的な己の滑舌にキョウヤは頭を抱えた。
「ぶはっ、噛みすぎやろ! 寒くて口回らんくなっとんなぁ、はよ店いこか」
かっこよさは皆無で終わったが、カラスバが一瞬固まった後、けらけらと楽しそうに笑ってくれたのでまぁよしとする。キョウヤは恥ずかしさで泣きそうになりながらそう自分を納得させた。
しかしそのあとは散々だった。ランチに予約していたはずの店は、なにやらシステムエラーで予約が取れていなくて、店員にしこたま謝られながら、結局いつもお世話になっているカフェまで戻る羽目になって。
気を取り直してショッピングで挽回を……! と店を回りはじめたものの、少し背伸びをしてカラスバの趣味に合いそうな落ち着いたデザインのショップに入った結果、かなり良いお値段のブランド店に入っていたことに後から気付き。
しかしその時には「これ、カラスバさんに似合いそう!」「ん……どうや?」「わ! めちゃくちゃいいです! え、俺も同じのほしくなってきたなぁ……似合うかな……」「なんならオマエの方が似合うんちゃう」「そんなことないです! でもあの、プレゼントさせてもらうんで、色違いのお揃いで付けたりしちゃだめですか……?」なんてやり取りをして、無邪気にお揃いでイヤリングを買いたいとお願いした後だった。
そうして値段を見たときにキョウヤはぴしっと固まった。
うん。いつもよりゼロが一つ多い。しかもこれをお揃いなので二セット分。
ロワイヤルで稼いでいるのもあって、ギリギリ払えなくは無いが、その瞬間無一文になる。引くに引けない状況にキョウヤが忙しなく頭を働かせているその時、横から店員にすっと黒いカードが差し出された。
「これ、シルバーとゴールド一セットずつお願いしますわ。一括で」
「かしこまりました」
「……へ!?」
ぎょっと振り返った時にはもうすでに遅く、カラスバが差し出した黒いカードと色違いのイヤリングのセットが店員とともに会計に消えていった後だった。
「ちょ、カラスバさん!? 俺がプレゼントするって言ったのに……!」
「ん、そうやっけ? まあええやん、ここはオニーサンにカッコつけさせてや。な?」
悪戯っぽくそう顔を覗き込まれて、恥ずかしいやら情けないやら嬉しいやらで頭がいっぱいになる。あとちょっと懐事情的に安心してしまった自分も情けなくて。キョウヤはいろんな感情がごちゃ混ぜになったくしゃくしゃの顔で小さく頷いた。
「ウン……」
「ぷっ、なんやその顔」
カラスバがまたおかしそうにけらけら笑ってくれる。その笑顔だけが唯一の救いだった。
またもや失敗。かっこいいところどころか、むしろ情けない姿ばかり見せてしまっている。一方カラスバは最初からずっと綺麗でかっこよくて、でもふとした時に見せる表情がかわいくてたまらない。こんな、こんな素敵な人が俺のこと相手にしてくれるのだろうか。キョウヤは自分の中にあった自信がどんどん萎んでいくのを感じていた。なのに、好きだという気持ちはますます膨れ上がっていて、今にもはじけ飛びそうだった。
そのあと、ディナーはなんとか予約通りにお店に入れて、二人でスパークリングワインで乾杯なんかして。評判のいいレストランは夜景も綺麗で、料理もお酒ももちろん美味しくて、目の前の想い人は白い頬をお酒でほんのり赤くしながら笑っていて、夢の中にいるかのような幸せを味わって。
その結果――キョウヤはなんと、したたかに酔った。
「ほんっっとにごめんなさいぃ……」
「ええって。なんや、疲れでもたまってたんやろ。いつも街の皆さんのために頑張ってるもんなぁ」
ほとんど同じ身長のカラスバに肩を支えられながら、キョウヤはふらふらと店を出た。お酒で頭が回らないが、やらかしたということだけははっきりわかる。何なら今ここでカラスバが己を見捨てて帰らなかっただけでも本当に奇跡だと思っていた。
火照った顔に冷たい夜風が心地いい。ああそうか、もう夜か。本当はこのあと、一緒にイルミネーションを見に行こうと思っていたのに。実は告白するための花束も予約していて、イルミネーションの道すがら「ちょっと待ってて」なんて言って取りに行って渡そうと思っていたのに。とてもじゃないがそんな状態ではなくなってしまった。
本当に、本当に情けない。ダサい。ありえない。
好きな人の前でこんな姿を見せる自分があまりにも惨めで、鼻の奥がつんとしてきた。ああだめだ、今でも十分ダサいのに、いまここで泣いたりなんかしたら本当に目も当てられない。でも、アルコールで緩くなった自制心ではそんな感情のコントロールもできなくなっていた。
「うぅ……カラスバさん、カラスバさん」
「はいはい、ここにおるよ。ちゃんと水飲み」
カラスバさん、優しいな。こんな俺のことも見捨てずにお世話してくれるんだ。面倒見がいいもんな。
「ちがうんです、カラスバさん、おれ、おれね」
「うん?」
あぁ好きだな、可愛いな、きれいだなぁ。
「おれ、あなたのことが好きなんです」
「……っ」
――こんなの全然カッコ良くない。
ムードも何もなくて、なんなら自分はしっかり酔っぱらってて、好きな人に支えられながら歩いてるような状態なのに。口から零れ出る気持ちが、「好き」が、抑えられない。
「すきですきでたまんなくて、きょうもいっぱいかっこいいとこみせたかったのに、ぜんぶしっぱいしちゃって……ひっく……」
「失敗なんか、してへんやんか。今日一日楽しかったで」
とうとうぼろぼろと涙があふれてきて止まらなくなってしまった。キョウヤが幼子のように泣きだしたことに気付いたカラスバが、ちょうど大通りから少し見えにくい位置にあるベンチを見つけて、ゆっくりキョウヤをそこへ座らせる。その隣へ腰かけて、キョウヤの大きな目からこぼれる大粒の涙を紫色のハンカチで拭ってやりながら、カラスバはキョウヤの声に耳を傾けた。
「ほ、ほんとは、ぷらんたんどおりのイルミネーションのとこで、こくはくしようとおもってたんです」
「……そう、なんか」
「うん……でもおれこんなだし、これじゃカラスバさんにすきになってもらえないぃ……ぐすっ……」
えぐえぐと泣き始めたキョウヤの頭の中はもうぐちゃぐちゃだった。ただ唯一、ああこれで振られちゃうな、という直感だけが胸の奥に冷たく突き刺さっていて、隣に座るカラスバの顔も見れなくて視線を下げたままごしごしと自分の目を擦っていた。
いや、擦ろうとした。
「……キョウヤ」
カラスバが、語尾を甘く蕩けさせるような声音でキョウヤを呼んだ。そして、キョウヤが目を擦ろうとしていた手を止めさせると、そのまま少し冷えた柔らかい何かがキョウヤの目尻に触れて。
ちゅ、と可愛らしい音を響かせた。
「……はぇ?」
キョウヤはびっくりしすぎて涙が引っ込んだ。動きの鈍った頭では、いまいち何をされたのか正確に分かっていないけれど、なんだか多分、いやきっと、とても可愛いことをされた気がした。
「お、涙止まったか?」
なんて、揶揄うようにくすくす笑っているのにどこか優しい声が降ってきた。信じられない気持ちで目を瞬かせて、ゆっくり視線を上げてみる。
砂糖を煮詰めたような綺麗な黄金色の目がキョウヤを見つめていて、目が合った瞬間にそれがふにゃりと溶けた。
「はは、せっかくの男前な顔がくっちゃくちゃやんか!
……でもオレは、カッコつけてるキョウヤよりこっちの方が好きやで」
「へ……。……え、え、えぇ……!?」
すき。すき? すきっていった!?
キョウヤは思わずガバッと勢い良く立ち上がり――そして酔いのせいでふらついた結果、カラスバごと押し倒す形でベンチに倒れこんだ。
「う、わ……! こら、急に立ったら危ないやろ!」
「か、かっこわるいおれでいいの!?」
なんとかキョウヤを抱きとめたものの、そのままベンチに押し倒される形になったカラスバはそう叱るが、キョウヤはそれどころではなくて。自分の真下にあるカラスバの白い顔を子犬のようにうるうると見つめながらそう尋ねた。その表情にもうとっくに絆されているカラスバは、叱ることは諦めて小さく息をつくと苦笑した。
「ええよ。オレのこと大好きで一生懸命で、空回ってちょっとダサくてカッコ悪くて、」
それから、どうやら今日一日ずっと一人で空回っていたらしい年下の男の頬を、両手で包んでじっと見つめて囁いた。
「……でもこういう時に真正面から気持ちが伝えられる、カッコよくて可愛いキョウヤがオレは好きや」
カラスバにそう真っすぐ想いを返されたキョウヤは、あまりの嬉しさに目の前の体をぎゅうと抱きしめた。しかしそこでアルコールで馬鹿になった涙腺のせいで再度大泣きしてしまい、カラスバは声を上げて笑いながらその背中を抱きしめ返した。
もちろん昔は自覚などなかったが、幼少期から大人たちには可愛がられ、同級生たちにもなんだかちやほやされてきた記憶があって、それは成長するにつれて加速していって。いわゆる思春期を迎える頃には、あぁ自分の顔は整っていて人気があるらしい、と自覚するに至った。
キョウヤは結構強かな性格をしているので、使えるものは使えばいいじゃんの精神をもっている。だから自分の顔の良さを自覚してからはそれをフル活用することを厭わなかったし、外見に惹かれて寄ってくる人々には男も女も関係なく受け入れた。
来るもの拒まず去るもの追わず。
まさにそんなスタンスで、必要であれば数々の男女と関係を持ってきた。そしてもちろん、その一方で色恋沙汰の面倒には巻き込まれないように上手く立ち回るようある程度の線引きをしてきたつもりだ。
キョウヤにとって、恋はするものではなくされるものだった。だからこそそうやって、自分の手に収まる範囲内でコントロールできていたのだ。
そんなキョウヤだったが、ふと思い立ってやってきたこのミアレの地で。
生まれて初めて本気の恋をした。
それも、アウトローな組織のボスを務める年上の男に。
(待って嘘だろ……)
その事実にキョウヤは頭を抱えた。初恋の相手が男、それもよりによって(警察の世話になってはいないらしいが)反社会的な組織のトップを務める人だなんて。
第一印象は、正直言ってあまり良くなかったはずである。綺麗な人だな、とは思ったものの、仲間に課せられたタチの悪い借金と利子に、とんでもない人に目をつけられたものだと思った。
けれど少しずつその振る舞いの裏側、事情を知るにつれて、最初の警戒心は不要なものだったと知って。ランクアップ戦をする頃には、サビ組のボスとしてではない「素」の彼の一面に触れられた気がして嬉しかった。今思えばもう、その頃には彼の毒に染まっていたのかもしれない。知れば知るほど、その魅力に取りつかれて、離れがたくなっていく。
「また事務所に遊びにおいで」
そんな社交辞令を真に受けて、一般人は寄り付かないようないかつい事務所に足繁く通う程度には、キョウヤはすっかり彼に――カラスバという男に、夢中だった。
ミアレの危機を(他のランカーたちも一緒だったが)共に救った頃には、もう彼への恋心はすっかり大きく育ってしまっていた。その目に映りたい、触れたい、自分のものにしたい。そんな欲まで湧き上がってくるようになっていて、とうとうキョウヤは自分の気持ちに白旗を上げた。
(絶っ対落とす!)
こうしてキョウヤは自分の恋心に対して素直に開き直ることにした。キョウヤは恋をするのは初めてだが、経験値は高いと思っている。彼女もいたことがあるし、日ごろから男女問わずたくさんのアプローチを受けてきた。それに普段からかっこいいだのメロいだの言われているのだから、それなりに武器も多いはずなのだ。
今回は少々、ちょっと、いやだいぶ難易度が高い気がするが、自分の武器と経験を最大限に生かして必ずカラスバの恋人の座を射止めてやる。そんな覚悟を決めていた。
幸いにもカラスバはどうやら、キョウヤのことを気に入っているらしかった。彼の部下にすら「ボスのお気に入り」とまで言わしめるくらい、分かりやすく可愛がられている自覚がある。
これならきっと、カラスバさんとお付き合いする日も遠くないはず。
絶対絶対、俺がカッコよくあの人を落としてみせるんだ!
「なんて、思っていた時期が俺にもありました……」
キョウヤはサビ組事務所の近くにあるカフェのテラス席でがっくりと肩を落とし、テーブルに突っ伏していた。何を隠そう、カラスバをデートに誘おうとして失敗すること五回目を記録したのである。
カラスバを落とすと決めたキョウヤは、早速行動を開始していた。まずはいつもの事務所通いに、ちょっとしたプレゼントを添えてみたり、少し距離を詰めるように意識してみたり。前者は……なんというか、あまりにもいつも通りだった。もともとカラスバに喜んでほしくて、日ごろからちょっとした差し入れやプレゼントなら持って来ていたのだ。自分が無邪気過ぎて怖い。そして後者は――キョウヤが、保たなかった。
例えば。
「ね、カラスバさん。そっち座ってもいいですか?」
キョウヤが訪ねると、カラスバは仕事の手を止めて休憩ついでにお茶をしてくれることが多い。この日もそれで、ジプソが淹れてくれたコーヒーとキョウヤが差し入れた焼き菓子を応接セットの方に持って行って、カラスバがキョウヤの対面に座ったところだった。そこでキョウヤは心の中でよし、と気合を入れて、カラスバの隣に座る許可を申し出た。
初めてのキョウヤの申し出に切れ長の目を少しだけ見開いたカラスバは、すぐに目元を緩めると小さく笑って自身の隣をぽんぽんと叩いた。
「ん? 別にええけど……なんや珍しいな、どないしたん」
小首を傾げながら促されるのがなんだかやけに色っぽくて可愛らしく見えて、キョウヤは内心でウッと胸を押さえる。何とかそれを表に出さずに堪えると、年下らしくあざとく見えるようにえへへと笑って見せた。
「なんとなくお隣座ってみたくなっちゃって。お邪魔します!」
「はいはいどうぞ」
無邪気にぽすん、と隣に収まって隣を見てみると――想像以上に近い距離にカラスバの綺麗な顔があってキョウヤはぴしりと固まった。隣に座ったのだから当たり前なのだが、近い。
金色の目がよく見えて、長いまつげが少し影を作っていて色っぽい。への字に曲がりがちな小さい唇が今は緩く弧を描いていて、っていうか色が薄ピンクで可愛すぎる、それからそれから、それから…――
(め、めちゃくちゃいいにおいする……!)
隣に座って無邪気な年下のふりをして軽いスキンシップを図って、自然な感じで口説こうと思っていたのに、キョウヤの頭からその算段はすっかりすっぽ抜けた。
笑顔のまま石のように固まってしまったキョウヤに、カラスバが怪訝な顔をする。形の良い眉を少し寄せて、心配そうにキョウヤの方へ顔を寄せた。それから、白くて少しひんやりした手のひらがキョウヤの額に当てられて――その手のひら越しに、こつんと互いの額がぶつかった。カラスバの、綺麗な黄金色の目が至近距離でキョウヤを気遣わし気に見つめる。
「キョウヤ? もしかして体調でも悪いんか?」
「ひぃん……」
――キョウヤはそこで、真っ赤になった情けない顔と声を上げてリタイアした。
それならば、ちょっとでもかっこいいところを見せられやしないか。やはりキョウヤと言えばポケモンバトルである。いつでもバトルをしてもらえる間柄ではあるが、やはり公式戦は緊張感があってまた一味違う。リワード戦でカラスバと当たって、いいところを見せよう。
そんな風に考え、夜のミアレでポイントを稼ぐためにバトルに興じた帰り道。
いつもと違う出口を使ったせいで、少し治安の悪いエリアに出てしまい、運悪く性質の悪い酔っぱらいに絡まれた。そしてしつこいそれに辟易し、適当にあしらって踵を返そうとしたら、気が大きくなった酔っ払いに腕を掴まれそうになった。その瞬間だった。
「やめときや」
ぱし、と乾いた音と共に、キョウヤに伸ばされた酔っ払いの男の腕が止まる。その腕を掴んで止めたのは、カラスバの白く骨ばった手だった。そこそこ大柄な男が相手だったのに、カラスバの手は微動だにしない。慌てた男がさらに暴れるより前に、カラスバがぐっとその手のひらに力を入れたのが分かった。
「いだだだだだ!」
「酒で機嫌が良ぉて、なんや色んな人に絡みたなるんも分からんくはないけどなぁ……無関係な人に迷惑かけたらあかんと思わんか?」
キョウヤを背中に庇うようにしながらカラスバが男に圧を掛ける。男は一気に酔いがさめた様子で、ぶんぶん首を縦に振ると許しを請うように声を上げた。
「わ、悪かった! もうしない!」
「物分かりのええ人でよかったわぁ」
ぱっ、とカラスバが手を離した瞬間、男は一目散に逃げていった。それをポカンと眺めていたキョウヤを、カラスバが振り返る。
「キョウヤ、怪我あらへんか?」
「大丈夫、です。カラスバさんが助けてくれたから。ありがとうございます」
「あんまりこの辺通らん方がええで、見ての通りあんまり治安良ぉないさかい」
「は、はい。分かりました」
ああくそ、かっこいいなぁ。ほんとはこういう時、俺が助ける側になりたいのに。そんな複雑な思いを抱きながら、キョウヤが素直にカラスバの言葉に頷くと、カラスバはふっと眦を柔らかく下げて微笑んだ。そしてほとんど目線が変わらないキョウヤの頭を撫でる。
「ん。ええ子」
「ミ゚」
――なんですかその可愛い顔は!
そう叫ばずに謎の奇声だけが喉から出たのを、キョウヤは嘆けばいいのかなんなのか。
可愛いとカッコいいのギャップの間で振り回されて、なんかもう好きですという単語しか出てこない。夜で薄暗いおかげだろうか、またしても顔を赤くしてフリーズしてしまったキョウヤに幸いにもカラスバは気付くことなく。
「ほな、気ぃつけて帰りや」
それだけ言って、キョウヤの背中を大通りの方へ押し出してくれたのだ。
こんな風に、思い出したらきりがないのだけれど。
カラスバが、色っぽくて可愛いのにカッコよすぎる。キョウヤのような成人したてのひよこなんかでは全然歯が立たないほど大人の、たいそう魅力的な男なのだ。何をするにもスマートで余裕があって、かと思えば素の可愛らしい一面を見せられてキョウヤは翻弄されっぱなしだ。
それに比べて自分はといえば。
――経験値がそれなりにある、とか自負していたのが恥ずかしくなるほど、本気の恋を前に無力だった。
まず、カラスバを前にするととにかくめちゃくちゃ緊張する。正直これが一番情けない。
それはもう心臓はどんどこお祭り騒ぎのように脈打って体温が上がるし、あの綺麗な黄金色の瞳と目が合うと息が止まるほど嬉しい。緊張で体が強張って手汗が止まらなくなって、カラスバを構成するすべてから目が離せないし、頭が真っ白になって余裕なんて毛ほども無くなるのだ。
今まで俺にアタックしてくれていたみんな、本当にごめん。みんなすごい。ほんとに尊敬する。そんな風にキョウヤは過去に自分に好意を寄せてくれていた子たちに本気の謝罪と称賛を送った。
頑張れば頑張るほど空回る。
この頃はもはやなりふり構っていられなくなり、あの手この手で必死にサビ組のボスを口説き落とそうと奔走するミアレの英雄の姿は、街でもすっかり有名になっていた。最近ではすれ違う市民から声援を送られる始末である。
少し前まで「キョウヤくんかっこいい! メロ過ぎる!」なんて黄色い歓声を上げてくれていたファンの女の子たちでさえ、今ではキョウヤを見かけると「がんばって! 自信もって!」「さっきカラスバさん見かけたから今のうちに深呼吸ね!」と励ましの声をかけてくるのだ。そしてカラスバへのアタックで撃沈して一人でカフェで反省会をしていると、みんなが慰めるように肩を叩いたりミアレガレットを差し入れてくれる。
……情けなくて涙が出てきた。
感触は、悪くないと思うのだ。カラスバが己を見る目は、他の人に向けるものとどこか柔らかさが異なるし、どちらかと言えば甘さが含まれているとも思う。それすらも彼の毒で、計算の上なのだと言われたら……もうどうしようもないけれど。
そしてある日。キョウヤはブルー広場の前で、ひとり拳を握っていた。
「今日こそ。今日こそ決めるぞ……!」
紆余曲折あったが、今日はなんとカラスバと半日デートができる日。午前だけ仕事があるとのことで昼過ぎに合流することになっているのだけれど、落ち着かなさ過ぎて二時間も前から待ち合わせ場所に来てしまった。合流したら人気のカフェでランチして、二人でショッピングに行く。出来れば何かプレゼントもしたい。今日は完璧なエスコートをして、最後はディナーの後にイルミネーションが綺麗なプランタン通りで告白する。
何回も脳内シミュレーションした計画を復唱して、キョウヤは何回も目の前のビルのショーガラスで身だしなみを確認する。髪よし、服装よし。今日はカラスバの隣に立っても釣り合うように綺麗めのコーデをしてきたのだ。
「お、キョウヤくんとうとうデート?」
「大丈夫大丈夫! 似合ってるよ!」
「待ち合わせ何時?」
「みんなありがとう……十三時……」
「あと二時間あるじゃん! 風邪ひかないようにね!?」
「おっちゃんがカイロをやろう」
「うううみんなありがとう~……」
せわしなくそわそわしているのを見かねた市民の皆さんからもそんな声援が飛んでくる。もはやキョウヤの恋路はミアレ市民全員が見守るところとなっていた。
市民の皆さんの温もりに守られながら待ちに待った十三時……の、十分前。緊張を緩めるために精神統一をしていたキョウヤの頬に、唐突にあたたかい缶がくっつけられた。
「うひゃ!?」
「お、ええリアクション」
驚いて飛び上がって顔を上げれば、ベンチに腰掛けるキョウヤを覗き込んでいる天使、いや、想い人の姿があった。
「か、カラスバさん!」
「すまんな、まさかもうおるとは思ってへんくて。待たせてもうて堪忍な」
「い、いえ! 今来たところなので!」
「ほんまに? まぁでも、寒かったやろ。これお詫びに受け取っといて、ぬくいで」
少し申し訳なさそうに眉を下げながら、カラスバはキョウヤの頬に当てていた缶を差し出す。キョウヤがよく好んで飲んでいるモココーヒーだ。覚えてくれてるんだ、とそんな些細なことで胸があったかくなって、口元がもにょもにょと緩みそうになる。ありがとうございます、と返しながらキョウヤはベンチから立ち上がる。受け取ったモココーヒーから伝わる温度にほっと息を吐きながら、改めてカラスバに視線を映した。
(はわ……)
午前の仕事が終わってから、着替えてきてくれたのだろうか。あの特徴的なジャケットもグラスコードも身に着けていないカラスバの姿は新鮮だった。いつものシャツと同色のニットのタートルネックに、黒のチェスターコート。落ち着いた装いに少しごつめの黒いブーツを合わせていて、遊び心を感じる。ところどころに毒っぽいモチーフが散りばめられているのは、彼のこだわりだろう。
私服、初めて見たな。かわいい。かっこいい。好きだ。そんな思いでいっぱいになってしまって、キョウヤは口を動かすのが遅れてしまった。その代わり、立ち上がったキョウヤの全身を眺めたカラスバの方が先に口を開く。
「今日の服、よぉ似合っとるで。オマエそういう雰囲気も似合うねんなぁ。どこの男前か思たわ」
ふふ、と笑いながらコートの襟を直してくれたカラスバに、キョウヤはバクバク鳴り響く心臓を押さえながら慌てて口を開いた。
「あ、や、その! か、からすばしゃんもしゅてきですほんとに!」
(おああああ~!)
絶望的な己の滑舌にキョウヤは頭を抱えた。
「ぶはっ、噛みすぎやろ! 寒くて口回らんくなっとんなぁ、はよ店いこか」
かっこよさは皆無で終わったが、カラスバが一瞬固まった後、けらけらと楽しそうに笑ってくれたのでまぁよしとする。キョウヤは恥ずかしさで泣きそうになりながらそう自分を納得させた。
しかしそのあとは散々だった。ランチに予約していたはずの店は、なにやらシステムエラーで予約が取れていなくて、店員にしこたま謝られながら、結局いつもお世話になっているカフェまで戻る羽目になって。
気を取り直してショッピングで挽回を……! と店を回りはじめたものの、少し背伸びをしてカラスバの趣味に合いそうな落ち着いたデザインのショップに入った結果、かなり良いお値段のブランド店に入っていたことに後から気付き。
しかしその時には「これ、カラスバさんに似合いそう!」「ん……どうや?」「わ! めちゃくちゃいいです! え、俺も同じのほしくなってきたなぁ……似合うかな……」「なんならオマエの方が似合うんちゃう」「そんなことないです! でもあの、プレゼントさせてもらうんで、色違いのお揃いで付けたりしちゃだめですか……?」なんてやり取りをして、無邪気にお揃いでイヤリングを買いたいとお願いした後だった。
そうして値段を見たときにキョウヤはぴしっと固まった。
うん。いつもよりゼロが一つ多い。しかもこれをお揃いなので二セット分。
ロワイヤルで稼いでいるのもあって、ギリギリ払えなくは無いが、その瞬間無一文になる。引くに引けない状況にキョウヤが忙しなく頭を働かせているその時、横から店員にすっと黒いカードが差し出された。
「これ、シルバーとゴールド一セットずつお願いしますわ。一括で」
「かしこまりました」
「……へ!?」
ぎょっと振り返った時にはもうすでに遅く、カラスバが差し出した黒いカードと色違いのイヤリングのセットが店員とともに会計に消えていった後だった。
「ちょ、カラスバさん!? 俺がプレゼントするって言ったのに……!」
「ん、そうやっけ? まあええやん、ここはオニーサンにカッコつけさせてや。な?」
悪戯っぽくそう顔を覗き込まれて、恥ずかしいやら情けないやら嬉しいやらで頭がいっぱいになる。あとちょっと懐事情的に安心してしまった自分も情けなくて。キョウヤはいろんな感情がごちゃ混ぜになったくしゃくしゃの顔で小さく頷いた。
「ウン……」
「ぷっ、なんやその顔」
カラスバがまたおかしそうにけらけら笑ってくれる。その笑顔だけが唯一の救いだった。
またもや失敗。かっこいいところどころか、むしろ情けない姿ばかり見せてしまっている。一方カラスバは最初からずっと綺麗でかっこよくて、でもふとした時に見せる表情がかわいくてたまらない。こんな、こんな素敵な人が俺のこと相手にしてくれるのだろうか。キョウヤは自分の中にあった自信がどんどん萎んでいくのを感じていた。なのに、好きだという気持ちはますます膨れ上がっていて、今にもはじけ飛びそうだった。
そのあと、ディナーはなんとか予約通りにお店に入れて、二人でスパークリングワインで乾杯なんかして。評判のいいレストランは夜景も綺麗で、料理もお酒ももちろん美味しくて、目の前の想い人は白い頬をお酒でほんのり赤くしながら笑っていて、夢の中にいるかのような幸せを味わって。
その結果――キョウヤはなんと、したたかに酔った。
「ほんっっとにごめんなさいぃ……」
「ええって。なんや、疲れでもたまってたんやろ。いつも街の皆さんのために頑張ってるもんなぁ」
ほとんど同じ身長のカラスバに肩を支えられながら、キョウヤはふらふらと店を出た。お酒で頭が回らないが、やらかしたということだけははっきりわかる。何なら今ここでカラスバが己を見捨てて帰らなかっただけでも本当に奇跡だと思っていた。
火照った顔に冷たい夜風が心地いい。ああそうか、もう夜か。本当はこのあと、一緒にイルミネーションを見に行こうと思っていたのに。実は告白するための花束も予約していて、イルミネーションの道すがら「ちょっと待ってて」なんて言って取りに行って渡そうと思っていたのに。とてもじゃないがそんな状態ではなくなってしまった。
本当に、本当に情けない。ダサい。ありえない。
好きな人の前でこんな姿を見せる自分があまりにも惨めで、鼻の奥がつんとしてきた。ああだめだ、今でも十分ダサいのに、いまここで泣いたりなんかしたら本当に目も当てられない。でも、アルコールで緩くなった自制心ではそんな感情のコントロールもできなくなっていた。
「うぅ……カラスバさん、カラスバさん」
「はいはい、ここにおるよ。ちゃんと水飲み」
カラスバさん、優しいな。こんな俺のことも見捨てずにお世話してくれるんだ。面倒見がいいもんな。
「ちがうんです、カラスバさん、おれ、おれね」
「うん?」
あぁ好きだな、可愛いな、きれいだなぁ。
「おれ、あなたのことが好きなんです」
「……っ」
――こんなの全然カッコ良くない。
ムードも何もなくて、なんなら自分はしっかり酔っぱらってて、好きな人に支えられながら歩いてるような状態なのに。口から零れ出る気持ちが、「好き」が、抑えられない。
「すきですきでたまんなくて、きょうもいっぱいかっこいいとこみせたかったのに、ぜんぶしっぱいしちゃって……ひっく……」
「失敗なんか、してへんやんか。今日一日楽しかったで」
とうとうぼろぼろと涙があふれてきて止まらなくなってしまった。キョウヤが幼子のように泣きだしたことに気付いたカラスバが、ちょうど大通りから少し見えにくい位置にあるベンチを見つけて、ゆっくりキョウヤをそこへ座らせる。その隣へ腰かけて、キョウヤの大きな目からこぼれる大粒の涙を紫色のハンカチで拭ってやりながら、カラスバはキョウヤの声に耳を傾けた。
「ほ、ほんとは、ぷらんたんどおりのイルミネーションのとこで、こくはくしようとおもってたんです」
「……そう、なんか」
「うん……でもおれこんなだし、これじゃカラスバさんにすきになってもらえないぃ……ぐすっ……」
えぐえぐと泣き始めたキョウヤの頭の中はもうぐちゃぐちゃだった。ただ唯一、ああこれで振られちゃうな、という直感だけが胸の奥に冷たく突き刺さっていて、隣に座るカラスバの顔も見れなくて視線を下げたままごしごしと自分の目を擦っていた。
いや、擦ろうとした。
「……キョウヤ」
カラスバが、語尾を甘く蕩けさせるような声音でキョウヤを呼んだ。そして、キョウヤが目を擦ろうとしていた手を止めさせると、そのまま少し冷えた柔らかい何かがキョウヤの目尻に触れて。
ちゅ、と可愛らしい音を響かせた。
「……はぇ?」
キョウヤはびっくりしすぎて涙が引っ込んだ。動きの鈍った頭では、いまいち何をされたのか正確に分かっていないけれど、なんだか多分、いやきっと、とても可愛いことをされた気がした。
「お、涙止まったか?」
なんて、揶揄うようにくすくす笑っているのにどこか優しい声が降ってきた。信じられない気持ちで目を瞬かせて、ゆっくり視線を上げてみる。
砂糖を煮詰めたような綺麗な黄金色の目がキョウヤを見つめていて、目が合った瞬間にそれがふにゃりと溶けた。
「はは、せっかくの男前な顔がくっちゃくちゃやんか!
……でもオレは、カッコつけてるキョウヤよりこっちの方が好きやで」
「へ……。……え、え、えぇ……!?」
すき。すき? すきっていった!?
キョウヤは思わずガバッと勢い良く立ち上がり――そして酔いのせいでふらついた結果、カラスバごと押し倒す形でベンチに倒れこんだ。
「う、わ……! こら、急に立ったら危ないやろ!」
「か、かっこわるいおれでいいの!?」
なんとかキョウヤを抱きとめたものの、そのままベンチに押し倒される形になったカラスバはそう叱るが、キョウヤはそれどころではなくて。自分の真下にあるカラスバの白い顔を子犬のようにうるうると見つめながらそう尋ねた。その表情にもうとっくに絆されているカラスバは、叱ることは諦めて小さく息をつくと苦笑した。
「ええよ。オレのこと大好きで一生懸命で、空回ってちょっとダサくてカッコ悪くて、」
それから、どうやら今日一日ずっと一人で空回っていたらしい年下の男の頬を、両手で包んでじっと見つめて囁いた。
「……でもこういう時に真正面から気持ちが伝えられる、カッコよくて可愛いキョウヤがオレは好きや」
カラスバにそう真っすぐ想いを返されたキョウヤは、あまりの嬉しさに目の前の体をぎゅうと抱きしめた。しかしそこでアルコールで馬鹿になった涙腺のせいで再度大泣きしてしまい、カラスバは声を上げて笑いながらその背中を抱きしめ返した。