・短編

カラスバはサビ組のボスである。小さくはない一つの組織の代表であり、さらにそれがミアレ中の疚しいあれやこれやに目を光らせる役割ともなると、それはまぁ忙しい日々を送ることも多い。それこそ街で大きなイベントがある日など、時期によっては目が回るような業務量になることだって少なくなかった。
さらにこのカラスバという男、良くも悪くも責任感が強く矜持の高い人間でもあるので、「可愛い部下が頑張ってんのにオレが休むわけにはいかんやろ」と働き詰めになることも厭わないタイプであった。

そんなカラスバには恋人がいる。出会った頃から気に入っていた、可愛い可愛い年下の恋人だ。
自身があまり胸を張って言える仕事をしているわけではないので、カタギであり未来ある若者でもあるその恋人からの告白を、最初カラスバはのらりくらりと躱していた。しかし相手があまりにも熱心に、そして真っすぐ愛を伝え続けるものだから、カラスバはとうとう根負けして「お付き合い」とやらを始めたのだ。
しかし先に言った通り、カラスバとその恋人は少々立場が違う。片やアウトロー寄りの組織の親玉、片やミアレの英雄。

――付き合ってもええけど、周りには内緒や。

告白を受け入れるときにカラスバが課した条件は、それだった。恋人は――キョウヤは、少し不満げに口を尖らせながらもカラスバの条件を受け入れた。そうして二人は順調に交際を続け、今に至る。

そんなある日、カラスバはひょんなことから激務に次ぐ激務に追われ、本日なんと記念すべき四徹目を数えようとしていた。異次元やらなんやらの話も解決し、ここ最近ミアレの街は、表向きには落ち着いた平和な日々を送っていた。
しかし、つい二、三週間ほど前から水面下で少々嫌な動きがあった。ほかの地方から流れ込んできた少々後ろ暗い連中が、なにやらこのミアレでこそこそと企んでいるようだったのだ。かなり早い段階からその動きをキャッチしていたサビ組は、連中が街に入ってきた直後から監視と調査、ミアレに来るまでの軌跡の洗い出しを進めたうえで「お掃除」する方向へと動いていた。ちなみに初動の時点でそれなりに手間も時間もかかることが予想されたので、カラスバは恋人たるキョウヤへ「仕事でしばらく会えない」という連絡を事前に入れている。カラスバの仕事が忙しくなるのは珍しいことではないので、キョウヤもそれを了解していた。
以前、カラスバが忙しくなることを連絡しなかった時。いつもの気軽さで事務所へやってきたキョウヤが、鬼気迫る表情で仕事を捌き続けるカラスバを見て、声もかけられずに帰るというちょっとした事件が起きたため、忙しくなる時は事前に連絡を入れるのが二人の暗黙のルールとなっていた。この間、生存確認を兼ねてあいさつ程度の最低限の連絡は取り合っているが、基本的にはそれ以外のやり取りは控えるようにしている。

そんなわけでカラスバはめでたく繁忙期を迎えており、キョウヤとの連絡も控え始めてから三週間近くが経っていた。さらに仕事も佳境を迎え、事務所に缶詰のまま四徹目。仕事は終わりが見えてきたものの、カラスバは体力も気力も限界に近かった。
机の上に並ぶエナジードリンクと栄養剤、飲みかけのブラックコーヒーの残骸。眠気覚まし用の刺激の強いミントのタブレットは、もうとっくに効かなくなっている。目の下に濃い隈をこさえながらも、気を抜いたら寝てしまいそうなので休むことなく一心不乱にパソコンのキーボードを叩き続けていた。
時間感覚なんてとっくにない。そろそろ部下たちは休ませないといけない頃だっただろうか。そもそも今何時だ。頭に靄がかかったような状態で、カラスバはブルーライトが目に痛い液晶画面から顔を上げた。
いつもどおりのどこか冷たく威圧感のある事務所の自室。その正面にあるエレベーターの扉を見た瞬間、カラスバの脳裏に愛しい恋人の姿がふと思い浮かんだ。

――カラスバさん!

サビ組の事務所に笑顔で連日通う唯一の人間と言っていい青年の声が、脳内に響く。その瞬間、カラスバを支えていた、張り詰めた最後の糸がぷつんと音を立てて切れた。
「あー……もうあかんわ」
ぽつり、それだけ言ったカラスバが、自身の腰かける仰々しい革張りの執務椅子の背もたれに全身を預け、脱力する。例の座り心地が良すぎるソファと同じメーカーで誂えているそれは、カラスバのくたびれた体をしっかり受け止めてその身を深く沈めた。
ぼんやりした顔のまま、カラスバは半ば無意識にスマホロトムを呼び出す。もうろくに頭が回っていない。そんな状態で、脳裏に浮かんだたった一人の名前をタップして呼び出した。ぷるる、と響く短いコール音。そしてそれは一コールもしないうちに途切れた。
『もしもし、カラスバさん? どうしました?』
即座に応答してスマホ越しに聞こえてきたのは、間違いなく先ほど脳裏を過ぎった恋人の声で。カラスバは思わずほっと息をついた。
「……キョウヤ」
『はい』
呼べばすぐに応えが返ってくる。その心地よさたるや。しかも三週間、顔を合わせていないどころか、声も聞いていなかったのだ。疲労と寝不足と、ついでに言うと恋人不足。
判断力が鈍りに鈍ったカラスバの脳みそは、もうただ一つの事しか考えられなくなっていた。その衝動に突き動かされて口を開く。
「オマエ、いまどこおるんや」
『え、ブルー広場の前ですけど……』
唐突に問われて戸惑いながらキョウヤが返す。
ブルー広場。すぐそこやないか。うんうんと勝手に満足したカラスバは、一方的にこう告げた。
「さよか。ほなそっから動くな」
『へ?』
完全に虚を突かれて思わず間抜けな声を上げただけだったのだが、カラスバの疲れ切った脳みそは「へ? なんで? 来る必要ありますか?」くらいのニュアンスに勝手に受け取っていたので、カラスバの中のレスバ担当が「なんや文句あるんか?」というテンションにスイッチを入れてしまった。元から白い肌が、寝不足でさらに青白くなっている額にピキリと筋を浮かべて、それはそれはアウトローらしい顔でスマホに向かって吠えた。
「動くな言うてんねん聞こえとんのかア゙ァ?」
『いやガラ悪ぅ!? え、俺なんかしました!?』
「じゃかぁしぃ黙っとれ分かったなァ!?」
『は、はいぃぃ!』
何が何だか分からないまま恋人に凄まれた哀れなキョウヤは悲鳴のような返事をしたが、カラスバはそれでよかったらしい。キョウヤの返しを聞いた直後にブツッと容赦なく通話を切った。
傍から聞いていると「※なお、二人は付き合ってます」なんて注釈がつかないと色々と誤解されそうな剣幕での恫喝をしておいて、カラスバはそのまま何事もなかったかのようにすくっと立ち上がる。そうして、実は同じ部屋にいて、ボスの奇行に呆気に取られていたジプソに声をかけることも忘れて、足早にエレベーターに向かう。そのままどこか強張った硬い表情のまま早歩きで事務所を後にした。

一方、久々に恋人から連絡があったと思ったら、電話に出るなり「そこから動くな」と脅されたキョウヤは、何が何だか分からないまま言われた通りにブルー広場で待っていた。
旅行者としてミアレにやってきたキョウヤであったが、先のミアレの危機を救った立役者であることはもちろん、ZAロワイヤル初のAランク到達者であり、マチエールの手伝いとして街中で人助けをしているのもあって、今ではすっかり有名人だった。そのため、何もせずに広場でぼーっと座り込んでいるだけでも道ゆく人から声をかけられる。それこそ最近ではファンのような人も多いので、特に忙しそうにしていなければ数人に囲まれることは日常茶飯事だ。今回ももちろん例外ではなく、老若男女色んな人から気軽に声をかけられる。
「キョウヤくん! この前の試合見たよー!」
「ありがとうございます!」
「ロワイヤル新記録だって? 相変わらずすごいねぇ」
「いや、あれは運が良かったのも大きいんですよね」
「キョウヤのにーちゃん! バトル教えて!」
「んー、ごめんね、待ち合わせしてるからまた今度ね! アカデミーまた行くから」
「キョウヤくん、一緒に写真撮ってー!」
「え、俺と? あー、せっかくだからみんなで撮りましょう!」
「お腹すいてないかい? ミアレガレットの新作作ったから食べてくれよ!」
「いいんですか!? ありがとうございます! またカフェ行きますね」
キョウヤ、キョウヤくん、キョウヤさん。あちこちから掛けられる声に、キョウヤは嫌な顔一つせずにこにこと、一人ずつ丁寧に応えていた。最初の頃こそ有名人のようにもてはやされることに戸惑っていたが、ピュールから「キミはとっくに有名人でしょう。あと、応援してくれる人には応えたほうがいいんじゃないですか。ファンサってやつですよ」と、ファンサの何たるかを叩きこまれたので、今となってはごくごく自然に応対できるようになっていた。
そんなわけですっかり人気者としてミアレの人々に囲まれていたキョウヤの元に、ものすごい剣幕で歩み寄ってくる人物が一人。もちろんカラスバだ。もともとどこか近寄りがたい雰囲気があり、なおかつサビ組のボスとして名が通っていることもあるので、直接世話になった人以外には少々敬遠されてしまうのがカラスバである。そんな彼が額に青筋を浮かべて、血走った目でキョウヤを睨みつけるようにしながら早歩きで向かってくるのだ。
(あ、これキョウヤくん死んだな)
何も知らない周囲の一般ミアレ市民の皆様はそんな風に戦慄しつつ、かといってカラスバの顔があまりに怖すぎて、思わず花道のように彼とキョウヤの間の道を開けた。そのおかげで視界が開けて、カラスバの姿に気付いたキョウヤはパアッと顔を輝かせて、にこやかに手を上げた。
「あ、カラスバさん!」
カラスバの表情をもろともせず呑気に手を振るので、それだけでも周囲の人々は信じられないものを見るような顔をしていた。肝が据わっている、とは常々言われていることは有名だが、ブチギレている(ように見える)サビ組のボス相手にもこれである。度胸があるにもほどがあるだろう。
一方、キョウヤの姿を視界に収めてその声を聞いたカラスバは、それによってさらに歩みを早めた。カツカツカツカツと上等な革靴の音を響かせながら、キョウヤの元へ一直線に歩み寄る。そうしてほとんど同じ高さの目線の二人が向かい合った。
(キョウヤくん、いったい何をしたんだ!?)
キョウヤを囲んでいた人々は、そんな風に思いながら、向かい合った二人の姿を固唾をのんで見守るしかできない。無言のままじっと睨みつけるようにキョウヤを見つめる凶悪な顔のカラスバと、そんなカラスバの威圧をもろともせずに少し困ったように首を傾げるキョウヤ。
動いたのは、カラスバの方だった。
向かい合ったキョウヤの胸倉を掴み上げたカラスバに、あぁ終わった……と人々がぎゅっと目を閉じる。心の中で十字を切る人すらいた。一方でカラスバの後ろから慌ててついてきたジプソが、このあと何が起きるかを予想して子供達の目を覆って後ろを向かせるファインプレーを決める。
そして次の瞬間。

「んむぅ!?」
「ん、ぅ……」

カラスバが、キョウヤの唇に噛み付いた。いや、噛み付くなんて生易しいものではない。それはそれは濃厚な、互いの口内を蹂躙するような深いキスをかましていたのだ。
沈黙が降りるブルー広場に唯一、ちゅ、くちゅ、という生々しい水音が響く。思っていたのとは完全に別のベクトルの衝撃に人々はぽかんと口を開け、ついでに目の前の光景を凝視する。突然繰り広げられた絡み合いに脳みそがついていかないまま、釘付けになってしまっていた。
「ちょ……から、すぁ……さ……!?」
「……ふ、っ……ん、んぅ……」
ぎょっとしてるのはキョウヤも同じで、驚いたようにキスの合間にカラスバに問いかけるが、その間もがっつり胸倉を掴まれているせいで身動きが取れないようだった。

――というか、キョウヤくんは戸惑ってはいるものの嫌がってないな? なんならカラスバさんの腰にしれっと腕を回して抱き止めてるな?
という風に、一部のミアレ市民がしっかり気付いていたのは余談である。

カラスバはそんなキョウヤの様子にお構いなしに、キスに夢中である。……しかもなんだかちょっと、聞いてはいけないような色っぽい声まで聞こえる気がする。そんなことが頭を過ぎった市民の背中に急に悪寒が走った。
ぞっとしながら視線の方を向くと――カラスバの肩越しに、刺すような鋭い視線を向けるキョウヤがいて、善良なミアレ市民の人々は思わずぶんぶんと邪念を払った。
聞いてない。何も聞こえてない。そう無心に唱えることに徹する。
その時点で人々はもうなんとな〜く、二人の関係性は察していた。というかそうじゃなければ大事件である。
周囲を凍り付かせたまま、たっぷり時間をかけてキョウヤの口内を堪能したらしいカラスバは、そこでようやくぷはっとその唇を解放した。唾液で濡れた自分の唇をぐい、と親指で拭って満足そうに目を細める。
色っぽいその動きに釘付けになっていたキョウヤは、そこでようやく公衆の面前で奇行に走った目の前の恋人の顔を見た。そして白い顔がすっかり青ざめており、目の下にはとんでもない濃さの隈ができていることにとうとう気付いた。
(……待って、もしかしてカラスバさん限界じゃない!?)
恥ずかしがりやな恋人からの、珍しい積極的な触れ合いに鼻の下を伸ばしてる場合じゃなかった。血相を変えてキョウヤが声をかけるよりも早く、カラスバの方がにこりとやけに綺麗な笑みを浮かべた。

――瞳孔が開いていて目が虚ろで、明らかに様子がおかしいままだが。

「よし、充電した。ほな!」

そう言ってやけに晴れやかな顔でその場を去ろうとするのを見て、キョウヤのみならずその場にいた全員が思わずその背中を引き止めた。

『まてまてまてまて!』

――なお、ミアレの英雄とサビ組のボスの交際は、その日のうちに全ミアレ市民の知るところとなり、次の日からやけに生暖かい目で見守られるようになるのはまた別のお話。
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