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熱中したバケモノと






『友一……』
 誰かに呼ばれた気がして友一はパッと目を開けた。
「……お母さん……」
 相手の名前を呼んで、それからふっと微かに苦く笑い、友一は見開いていた目をスッと半眼にして呟く。
「俺も大概大嘘吐きだよな……」
 息をするように嘘を吐くと言った相手は誰だったかと、思い出そうとして途中でそんなことを言う奴は幾人もいたのだからと、無意味なことだとやめる。
「……」
 面白いことでもあったかのように口角をつり上げて笑んで、布団に顔をこすりつけるようにしてうつむき、そこにある丸い頭を見つけてぎょっとして、すべてを思い出し、平然と寝ている相手に何故だか無性に腹立たしくなり、チッと鋭く舌打ちをする。
 先ほどまで鬱陶しいくらいに自分の名前を連呼していたのはこいつ、枕替わりに自分の胸に乗るようにして眠っている、紫宮京だ。
 それを意識した友一は、顔から感情を消して穏やかともいえるほどの無表情に変えて、静かに京の寝顔を眺める。
 きれいに切り揃えられた赤紫の前髪から覗く白い額、力をこめずに閉じられたまぶた、まだ幼さの残るふっくらした頬はほんの少し赤くなっていて、鼻も同様、緩く開かれた薄赤い唇からはスゥスゥと穏やかな息が漏れていて、まったく無警戒に完全に安心しきったこどものように眠っていた。
「……」
 折れそうな細い首、きゃしゃな肩、それでも大きく開いたシャツから覗く胸は筋肉がまったくついていないというわけでもない若くて弾力のある艶々とした白い肌、友一はそれをまじまじと観察して思う。
「容易いよな」
 絞めやすそうな首だ、切り甲斐のありそうな肌だ、簡単に屈しない性格もいたぶるのに楽しそうだ、そんなことをただ思うということを確認しただけで、実行しようとは思っていないので目を逸らし、顔を上げる。
 しようと思ったところで後ろで両の手首を縛られているため何もできない。
 移動して布団をずらして口に押し当てて窒息させるくらいはできそうだが。
 そんなことをしてなんになると馬鹿馬鹿しくなり、友一は苦い顔でできるだけ京から距離を取ろうと、起こさないようにゆっくり動く。
「……なんだってこんな……」
 ただ気持ち悪いのだ。
「……怖い……」
 聞こえる規則正しい呼吸、上下する胸、微かに肌にかかる息、胸から足にまでピッタリとくっついているために布越しでも感じられる体温、京の匂い。
 同時に思い出してしまうのは、自分に向けられる明るい笑顔や声や、優しさや思いやり、そういう目、それとは反対の目、短気で怒りっぽく、ころころと変わる表情、京はいきいきとしすぎている、生きている。
 人間らしいのだと思う、人間の皮を被っただけの自分とは違う、そんなことはどうでもいいことだがと自分に言い聞かせ、友一は自分の熱を逃がすように『ふーっ』とため息を吐き、外から聞こえる鳥の声に部屋にある安物の時計を見て時間を確認し、目を見開いて数秒後、がばっと身を起こし、起こすまいとしていた京を呼んだ。
「京!! おい!! 京、起きろ、今すぐに!!」
 まだ明け方なので声を潜めてはいるが限りなく怒声に近い低い声で言った。
「起きろって!! 起きないと殺すぞ!!」
 物騒な発言にも、京は『んう~っ』と目をこすりながら、もぞもぞと寒そうにまた布団の中にもぐりこもうと丸くなる。
「テメェ!! 寝るんじゃねぇ!! 大変なんだよ!!」
 大いに焦った友一は、結果、ぶつかるようにして京の上に乗った。
「ぐえっ」
 押し潰されそうになった京がようやく目を開き、ぼけーっとして自分の真上にある友一の顔を見て、迷惑そうに眉をひそめて頬を膨らませてぼやく。
「なんなんですか、友一先輩、朝っぱらから……。僕は寝てたのにぃ……。まだ時間あるでしょ~……」
 隙あらばまた眠る気満々という様子の京に、友一は京の上から退いてくるりと背を向け、縛られた手首を見せて訴えた。
「京、これ外してくれ、早く!! バイトがあるんだよ!! 遅刻するわ!! お前はいくらでも後で寝ていいから!! とにかく急ぐんだ!!」
「はー……」
「おい!?」
 気の抜けた返事に、この緊急事態が伝わらないのかと怪訝に思い友一が顔だけ向けると、京は眠そうに目をこすり、瞬きをして、じっと友一を見てから、のろのろと起き上がる。
「ちょっと待っててください」
 友一が解くのが面倒だから鋏でも取りに行くのかと思えば、京が向かった先は流し台のほうだった。
「コップ貸してくださいね」
 友一の返事も待たずに京はコップをひとつ手に取り、蛇口をひねって水を出して、コップに入れた水を一口飲んだ。
「……おい?」
 呆気に取られて見ている友一に構わず、返事もせずに、京はそのまま動かずに少しの間じっとしていて、やがてとろんとしていた目がしっかり開くと移動して、棚の上に置いていた携帯電話を取るとそれをポケットに入れて、ずっと待っていた友一のところに戻り、『仕方がないですね』とさらりと言って手首を縛るコードを解きにかかった。
「おい……」
 三度目だが今度は怒りを込めた低い声での『おい』に、京はすまし顔で『僕が準備できるまで待ってほしかっただけですよ』と平然と返して、解き終えた瞬間に勢いよく繰り出された友一のパンチをひょいっと避けて、パシッとその手を取り、もう片手で友一の腕を握るとくるりと身を回転させて、上腕をつかんで背負い投げをして床に叩きつけると、素早く肘を腹に入れた。
「……ッ!!」
 ドシンッという凄まじく大きな音がしてオンボロアパートが揺れて隣の住人の壁を殴る音させもせずに後は沈黙あるのみだった。
「……」
 腹を抱えて声も出せずに冷や汗を垂らして苦しんでいる友一を京は冷ややかに見下ろしてまだ隙のない様子で構えながらボソリと低めた声で冷静に言う。
「遊んでる暇あるんですか?」
 『先輩』と問われて、ようやく平常通りの息ができて、声も出るようになった友一はうめいて、無言でしばし考えてから、のそりと起き上がってボサボサの頭をかいて投げやりに言う。
「ねぇよ。俺はバイトに行ってくる。京、お前は、ちゃんと家に帰るんだぞ」
「こんな朝早くから電車動いてませんよ」
「動くようになったらすぐにここを出ていけ。俺のいない間に。盗られるような物もないから鍵もかけなくていい。いいか? 絶対だ!」
「そんなぁ」
「もし俺が帰ってきた時に京がまだいたら俺は全力で殺しにかかるからな!!」
「怒ってます?」
 友一の正面に立ち、ただ興味があるというふうに首を傾げて問う京に、友一はニッコリと笑って同様に首を傾げてみせる。
「……ここまでされて怒らない奴がいたらお目にかかりたいよ」
 京にグイッと近付けるその顔は、笑っているのに爽やかさとは程遠い、憎悪に奇妙に歪んだ暗いものだった。


+++++



「おかえりなさーいっ」
 玄関を開けた友一はその場で棒立ちになった。
 もはや見慣れた人懐こいニコニコ笑顔で目の前に立っている京がいる。
 寝不足の上に疲労と空腹のため上手く動かない頭で友一は返事もできずにただ呆然と京を見つめる。
「友一先輩、疲れたでしょ~、ご飯ありますからどうぞ!」
 勝手知ったる我が家というふうに背を向けて部屋に上がるよう促す京に無言のまま友一は背後から抱き着いた。
「先輩……」
 友一が締め上げようとすると、京はさっと膝を曲げて両腕を上げて友一の手を振りほどきくるっと回転してドッと友一の腹部に肘鉄を入れて、崩れ落ちる友一からさっさと離れて設置したテーブルのほうに向かった。
「……お疲れ様です。友一先輩の分も昨日コンビニで買っておいてあげたんですよ。全体的に貧しい食事だったから今朝もかなと思って。僕ひとりにしてはやけに多いなと思ったでしょ。僕はスマホはあったんで」
 上機嫌で自分を振り向いて『食べましょ?』と言う京に友一も何事もなかったように『そうだな』と返して立ち上がってそちらに向けて歩きながら辺りを見回す。
「あ、あのコードなら、危ないから捨てちゃいましたっ!」
 『えへっ』と片手の拳で自分の頭をコツンと叩いて笑顔で言って舌を出す京に友一は自分の中の何かがプツンと音を立てて切れた気がした。
「……京……」
 ズカズカと歩み寄って素の表情で自分をじっと見ている京の首に両手をかけて絞めようとすると、京が片腕を大きく上げて身をひねり肘を友一の腕に打ち付けて払い、そのままあごに肘鉄を食らわせた。
「イッ……!!」
 京はすぐさま距離を取り、右足を後方にずらして、左足を勢いよくブンと振り回す。
 友一の腹を蹴り、体勢を崩したところを狙い、踏み込んで胸倉をつかんで床に押し倒す。
 胸の上にまたがって顔面に拳を打ち込もうとして寸前で止めて、誰が相手だか気が付いた様子で、笑う。
「……あ、友一先輩、ごめんなさい」
 へらりとした力のない半笑いを浮かべて謝罪する京の下で、友一は獲物を狙うように赤い瞳を見開いてらんらんと輝かせて、無表情に京を見つめ返す。
「僕、ビックリしちゃって、つい。ホントごめんなさい! 謝りますから!!」
 自分にまたがって押さえつけたままペコペコとする京に、友一はなんの感情も浮かべていなかった顔に少し憂いを出して、諦めてゆっくりと横を向く。
「京はケンカが強いんだな……」
「先輩はケンカが弱いんですね」
 困ったように苦笑して言う京に、『ふぅ』とやるせなくため息を吐き、友一は振り向くと怒気を込めて吐いた。
「京!! 刃物を用意させろ!! 包丁くらいならある!!」
 『え?』と目を丸くした京が、次にはニッコリとしてうなずいて、ある方向を指さして言った。
「それじゃあ僕はこの家の蛍光灯を割って使わせていただきますね!」
 京が示すそこには、すでに外されてテーブルに立てかけられるようにして置かれている蛍光灯があり、それを見た友一はガックリとする。
「マジで、京、お前さ……。俺対策万全すぎるだろ……。殺される気ゼロじゃねぇか……!!」
「なんで僕が友一先輩に殺されてあげなくちゃいけないんです?」
 脱力して悔しそうに嘆く友一に京はきょとんとして言う。
「え? いやぁ、あれだけ俺は人殺しだって言ってるのについてくるし、家には泊まるし平気で寝るし……。もしかしてこいつ死にたいのかなとも思ったんだよ」
「勘違いですよぉ」
 京が膨れっ面をして唇をとがらせる。
「俺が顔面凶器なら京は全身凶器だよ……」
「そうですか? 僕は怖くないですよー。あっ、今退きますね、友一先輩!」
 寝不足に疲労に空腹にあちこちの痛みが加わり、京が退いても起き上がる気力もなく友一はグッタリとして、仰向けに転がったまま言う。
「京は俺のこと怖くないのか?」
 友一の横にくっついて座っていた京が友一を見下ろして不思議そうにする。
「うーん、怖いか怖くないかっていうと、それはやっぱり怖いと思う時はありますよ。正直なところ。でもたぶん友一先輩が思ってるような理由じゃないと思いますけど」
 大きく伸びをしてあくびをして、頭の後ろで手を組んで、ニヤニヤと笑う。
「そうか……俺は怖いよ」
「僕が?」
 友一は目を閉じて微笑んで黙って首を横に振り、また目を開けて京を見上げるとニヤリと皮肉げに笑んで口を開いた。
「じゃあ俺のこと嫌いじゃないのか?」
 『あっ』と嫌そうな顔をして京はツンと顔を上向けてすねたように言った。
「好きだって言ってるのに。やっぱり全然信じてくれないんだから。嫌いなわけないじゃん」
「俺は嫌いだよ」
 京が真面目な顔になる。
「えっと、友一先輩、それは僕……」
 友一は出した言葉に満足げに目を閉じる。
「……じゃないですよね」
 しょんぼりとして言って、京はあくびをした際に出た涙の浮かんだ目で天井を見て、『そっかぁ』と呟く。
「僕は先輩に幻滅されたのかな」
 ゆっくりと起き上がった友一が振り向いて、膝を抱えて小さくなっている京と向き合って、そっと顔に唇を近付けた。
「別に京のことは嫌いじゃない」





(おしまい)
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