熱中したバケモノと
「ゲエェ……」
コードで両手を縛られたままうつ伏せになった状態で友一は真っ青な顔でだらだらと顔じゅうから汗を垂らしてまるで吐くかのように苦しそうにうめいている。
「友一先輩、さっきからそればっかりですね、さすがに僕ちょっと傷つきますよ?」
携帯電話に落としていた目を上げてチラと友一のほうを見て、本当に傷ついたというように眉を下げて、困惑顔でしょんぼりとして言う京。
「まさか舌まで入れてくるとは……!!」
ガンッと記憶を消そうと自ら床に額を叩きつけて悔しそうに友一は言う。
抵抗はしたのだ、突然のことに口を唇でふさがれたものの開くまいとはしたのだ、だが京のテクニックがすごかった。
唇と唇を合わせて、何度も角度を変えて上から吸うようにされて、息苦しくて思わずほんの少し開いたところに、無理やり舌がねじ込まれ、歯列をなぞられて、メチャクチャにされた。
「既成事実ですね」
振り向いて、友一を見下ろしてニコと首を傾げて微笑む満足そうな京に、顔を向けた友一は情けない顔で言った。
「嫌なこと言うな!! なんで京は平気でそういうこと言うんだよ!? 俺を泣かせて楽しいのか!?」
京は真面目な顔になり『うん』とこっくんとうなずく。
「すごく楽しいです」
友一はまたガックリとうなだれる。
「事故でしたとノーカンにするにはあまりにも濃いやつしやがって……。ファーストキスも男に奪われたってのに、なんでだよ、チクショウッ……。とっとと俺に謝りやがれ!」
最後は京のほうに向けて声を抑えて怒鳴る友一に、すまし顔でまた携帯電話をいじっていた京は『ええ?』と目をすがめて、嫌そうに言う。
「なんで僕が謝るんです? 悪いとも思ってないのに。っていうか、奪った側なんでそれこそ謝るなんてことはできませんよ。もしかして友一先輩は許してくれる気あるんですか? だったら余計に言えません!」
信じられないと思い切り目を見開いて京を凝視する友一に、京は不満顔で頬を膨らせて、ぷいっとそっぽを向く。
「なかったことにしようとして~」
責めるような口調で言われて友一は『はぁ?』と間抜けな声を出してピクピクと頬を引きつらせる。
「なかったことにしたいわ。当たり前だろ。ちょっとは考えてもみろよ。好きでしたんじゃないんだぞ。俺は忘れ去りたいんだよ!」
『へ~え』と軽く笑うように言って、京は不機嫌そうな顔で友一を冷たい目で見下ろして、挑発するように言う。
「失礼ですね。そんなに嫌がるなんて。なんならもう何回かします? そしたらきっと関係なくなりますよ。一回したことが嫌だっていうんなら」
友一は『くっ』と言って横を向いた。
「好きにしろよ」
『あ!』と京が嬉しそうにする。
「開き直った」
「ここまでになるとどうでもよくなるわ」
友一はもぞもぞと身を起こしてその場に胡坐をかいて座り、ドンと壁に背中をつけて、赤い顔をして『ふー!』と息を吐く。
「友一先輩、キスは気になるのに、縛られた写真を撮られたことはどうとも思わないんですか?」
観念して目を閉じた友一は何かを堪えるように眉間に皺を寄せて黙っていたが諦めたように力を抜いて答えた。
「……いや、触れたくなかったっていうか、もう仕方ねぇからな」
苦々し気に吐いて、『まったく』と言って、友一はぼやく。
「なんだか胸もはだけさせられるし……」
現状に理解が追い付かないと考えることを放棄してただ嘆く。
「京にいやらしいことをされた……」
堪え切れないというように京が『ぷっ』とふき出して片手を口元に当ててクスクスと悪戯っ子のように笑う。
「これ友一先輩のほうだとしたら『この写真をみんなに見られたらどう思われるだろうなぁ……?』とかって言うところですか?」
「そんなこと言うわっ……」
京を眼光鋭くにらみつけて思い切り怒気を込めて低めた声で言いかけた友一がふと何かを思い出したというように言葉を途切れさせる。
「……あー。ううーん。えーっと……」
気まずそうに何かを言いかけて、目を丸くしている京の前で、結局は黙り込む。
「……はぁ、まぁ、いいですけど」
『言ったことあるんだ……』と若干引いた様子で京は呟いて、曖昧な微笑を浮かべてその話を流し、携帯電話を確認すると、それを縛られた友一の手が届かない棚の上に乗せ、疲れ切って壁にだらしなくよりかかっている友一のところに布団を引きずってきた。
「万里兄ちゃんに僕が無事だっていう連絡も済んだし。友一先輩の弱みも無事握れたことだし。さてっと、一緒に寝ましょうよ、友一先輩。僕のことは気にしないでいいですから。一晩くらいこれでいいでしょ」
ぐいぐいと押し込められて友一は『誰の家だと思ってんだ』と仏頂面で文句を言うが京は気にする様子がない。
「手は我慢してくださいね。まだ解いてあげるわけには行きませんから。明日の朝にしましょう!」
自分の隣に平然ともぐりこんできて他人と眠ることに慣れた様子でピッタリと胸にくっついてくる京の頭を友一は無表情でじっと見つめて『ああまぁ……』と上の空で返す。
「今解かれたら、俺はこれ以上ないほどに腹を立てているから、京に何をするかわからないからな」
脅すような内容のわりに、感情のこもっていない言葉に、京が訝し気に『あれ?』と顔を上げてまじまじと友一を見る。
「どうしちゃったの? 友一先輩……」
ぼんやりとしたまま、友一はただ『眠いんだよ』と投げやりに返して、京から逃れようと体の向きを変えようとしてできないことに苛立ち、『クソッ』と吐き捨てて忌々しげに言う。
「だいたい何がしたいんだ、京、お前はさ。俺のこと恨んでるならここまでしておいて後は一緒に寝るとか。何かしろよ。殴るなりなんなり好き放題だろ。今なら無抵抗なんだぜ」
不思議そうな顔をして、自暴自棄になり不貞腐れて乱暴に言う友一を見つめていた京が、ズイッと上がり友一の目と目が合う位置に移動する。
「何か勘違いしてません?」
息のかかる距離で目の前にある顔を憎々し気に友一はにらみつけて吐く。
「京のほうこそ、何もわかってないんじゃねぇのかよ、俺はお前を利用したんだぜ。そのことで恨んでるんじゃないのかよ。お前がしたいのはこういうことじゃないはずだ。本当に自分のことがよくわかってないんだな。これじゃ気が済まないだろ」
京がムスッとする。
「友一先輩、僕は言ったはずですよね、先輩が僕から離れていかないようにしたいんだって。これは好意ですよ。僕は僕のしたいことをしています」
「やってることは犯罪だけどな」
「……あーもうっ」
頑なな友一に京がいきなり我慢の限界というようにわめいて両の拳でドンッと布団を叩いてキッと友一を振り向いてにらみつけて声を抑えて怒鳴る。
「やり方が悪かったっ! でも先輩も悪いっ! ゴチャゴチャ言うなっ!」
ぽかんとしている友一をにらみつけたまま京は憤然として吐く。
「僕を利用しただってっ? 先輩が言うならそうなんでしょ! そのまま信じてあげますよ! 許すも許さないもない!! ただの事実じゃんかっ……」
布団に叩きつけた拳をきつく握りしめて顔を下に向けて京は小さく震えながら苦し気に声を絞り出す。
「先輩はなんだかんだ言ってるけどそれ全部言い訳だから! 他人に踏み込まれたくないだけだから! 臆病で卑怯だし最低で狡くて嘘吐きだ!」
『おい京……』と我に返った友一が止めようと口を開くが無駄だった。
「ねぇ、友一先輩、先輩は自分のことを『バケモノ』だって言ってましたけど。なんなら僕も何度も言われたことありますけど。それだけで一緒とか思うなとか、自分が『バケモノ』だから惹かれたんだろうとか、そういうことより前にね。先輩は僕のことを『ひとりの人間』として見てくれたんだ。みんなに天才だから人間の感情なんて持ってないだろうって、他人の気持ちなんてわかるはずないって、何を考えてるのかわからないって言われてる僕のことを」
「俺だってそう言った」
感情を表に出さずに無表情で告げる友一に京が『はぁ』とため息を吐く。
「……それでも、特別扱いされて周囲に遠ざけられる僕のことを、友一先輩はちゃんと『人間』として見てくれました。そういう僕のことをそのまま見てくれたんです。『どうせ理解できないバケモノ』じゃなくて。生きている人間として。それを嬉しいと思っちゃいけませんか?」
悲しそうに微笑して京はゆっくりと片方の手を伸ばすと反射的にビクッとする友一の頭に置いて優しく撫でる。
「友一先輩、『友達に順番をつけるかどうか』、っていうのがあるでしょ?」
殺気だって鋭くにらみつけて無言で気に入らないことを表す友一に笑みを深くして頭を撫でることをやめずに京は続ける。
「ありますよね。優先順位ってものが。僕を一番にしてもらいたいんです」
「……」
「たとえば先輩の大切な友達の誰かが自殺するって連絡してきた時、同時に僕がもし交通事故にでも遭って死にそうだっていう時、僕のほうに来てほしいんです」
友一は視線を合わないようするために正面を向いて布団にあごをついて苦しい体勢で冷たく響く低い声でボソリと言う。
「自殺しそうだって奴が本当にしそうなら俺はそっちに行くぞ」
京が『あはっ』と軽く笑って撫でやすくなった友一の頭をさらに撫でながら静かに話す。
「まぁ、事故の場合は、救急車に乗せられますし、死にそうなら緊急手術でまず会えませんから、それは仕方ないですけど」
諦めたような口振りに、違和感を覚えた友一が横目で京を見やり、そこで京はニッコリと笑った。
「僕には友一先輩が必要なんです。できれば先輩にもそうなってほしいんですけど。僕に何かあった時には一番に駆けつけてほしいんです。先輩は僕にとって特別な存在ですから。たとえ会えなくても絶対に来てほしい」
友一はしばらく黙った後、とろんと眠そうに目をまぶたを半分閉じた半眼にして、のろのろと口を開いた。
「……そんな約束はできねぇよ……」
優しい目で穏やかに自分を見つめている京が苦笑して、『そっか』と言って寂しそうな顔で明るく笑うのを最後に目に留めて、友一はそっと目を閉じて布団にもぞもぞと潜り込んで呟いた。
「……俺には守れそうにないから……」
そして気絶するように眠りに落ちた。
(おしまい)