退屈した天才と
小さな公園にたどりつき、ふたりは他人の目につかないよう、遊具の陰に身を潜める。
友一はゼェハァと荒い息に大きく肩を上下させながらどっかりと胡坐をかいて座って遊具にもたれて、京は同じように荒い息を吐きながら友一の隣で膝を抱えて体育座りをする。
しばらく呼吸を整るためにふたり無言でいたが、ようやくそれがなんとか静まると、友一は頭を抱えてぐしゃぐしゃとかいて、京はポケットから携帯電話を取り出して電源を入れるなり『げっ』と言って青ざめて慌てて操作し始め、少しの間ふたりの他に誰もいない公園は静かだった。
「マズいことになっちゃったなぁ……」
携帯電話を操作したまま思わずというように困惑げにこぼした京を、頭をかきむしることをやめてただ黙ってぼうっとしていた友一は、振り向いて物言いたげな視線を向けることで問う。
「僕、あそこに鞄を置いてきちゃったんですよぉ、どうしよう……」
手を止めないまま、友一の視線に気付いた様子で、京が気が弱いように小さな声で言ってチラと友一を見る。
「幸いこうしてスマホは無事だったんで、万里兄ちゃんに場所を教えて今からここに来てもらいますけど、僕の鞄、誰か拾って交番に届けていてほしいような、届られていてほしくないような……」
『微妙なところですね』と続けてあごに拳を当てて『うーん』と思案げに言う京の公園の中にあるわずかな灯りに照らされた横顔をを友一は不思議そうに見つめてゆっくりと口を開く。
「何がマズいんだ?」
落としたことはともかくとしてと友一が省いて短く問うと、本当に困った顔をして眉を下げて口をへの字に曲げて『うーん』とうなった京が情けなくしょんぼりとうなだれて、また元気のない小声で独り言のように言葉を落とす。
「SNSに画像が拡散されてますね。まぁ、後ろ姿だけですし、僕だと特定されるかどうかは運次第……でもないか。知り合いとか見てたらアレだし。高校生が歩道橋の上から飛び降りを計ることがどれだけ世間にとって面白いかっていうのもあるかな。でもバレたら学校で怒られるんだろうなぁ。逃げてきちゃったし。僕はそんなつもりなかったのにぃ。友一先輩が無理やり引っ張るから~」
なじるような口調で不満げにぼやく京に友一がカッと目を開く。
「ビビるだろ!! 救急車だぞ!? 逃げるよりあの場は他になかったんだよ!!」
一応見つかることを恐れての小さく低めた声だが友一の憤りがたっぷりと込められている。
「いたずらだと思われるじゃないですか~」
京はむすっとした膨れっ面でツンと唇をとがらせてメールの返信が送られてきたことに気が付いてまた携帯電話に目を落とす。
「俺は呼んでねぇよ」
「そりゃそうでしょ」
返信を打ちながら京は不機嫌そうにボソボソと低い声で話す。
「うわ。マジで最悪。なんて日だろ。喜んでください、友一先輩、先輩の予想は当たってました。万里兄ちゃんからの着信やメールがスゴい数です。ラインもヤバいです。っていうか部活の仲間にまで声をかけて総動員で僕を捜しています。先輩がボコられないで済むように万里兄ちゃんだけ来てってメールしましたけど。それとも百太郎先輩たちに会いたいですか? メチャクチャ怒り狂ってますけど?」
目をすがめて京に訊ねられて友一は神妙に首を横に振る。
「いいや、会いたくないな、配慮してくれてありがとう」
『どういたしまして』と皮肉っぽく返して京はムスッとして『ふぅ』と疲れた重いため息を吐いて再び携帯電話を見つめて指を動かす。
「……ほらな」
片膝を立ててそこに腕を置いて友一は、緩く笑んでひとり納得したとでもいうようにうなずいてうつむいて、暗い地面を見つめて静かに口を開く。
「……やっぱりお前は死んでいいような奴じゃなかったんだよ」
振り向いて、わずかな光に照らし出されている友一の横顔を少しの間じっと驚いたように目を見開いて見つめていた京が、急に眉間に皺を寄せて不愉快なことを聞いたというように顔をしかめてとげとげしく吐き捨てる。
「『自分と違って』ですか?」
『はは』と力のない笑みを浮かべて目を閉じた友一が長いため息を吐いて首を横に振る。
「京は怖いからもう言わないよ」
あごを上げて不審そうに目を細めていた京は『ふん』と鼻を鳴らす。
「わかればいいんだよ」
わざとらしく憤慨したように言って、顔を上げないままで『そうだな』と返す友一に、力を入れて寄せていた眉を下げてボソリと言う。
「それなら僕も頑張った甲斐がありますよ」
何をと言わず、京は満足げな笑みを浮かべて、携帯電話の操作を終えて電源を切りポケットにしまい込んで、頭の後ろで腕を組んで、友一と同じように公園の遊具に背中を預け、友一のほうを向く。
「昔読んだ本に書いてあったんですけど、異性と友達になれない人っていうのがいるらしいんですけど、友一先輩は同性とも友達になれない人なんですね」
面白そうにニコニコして言う京を、疲れ切ったというふうに横目で見て友一は嘆息を吐き、もぞもぞと座り直して遊具から身を離し、隣にくっついていたために『おっと』と体勢を崩す京を片手で止めて、パッと手を放して億劫そうに口を開く。
「異性とか同性とかそういう問題じゃないんだ。友達になれるかどうかってのはともかく。基本的に俺は人間が怖いんだろうな」
投げやりに言い放つ友一に『えっ』と京が声を上げる。
「……友一先輩って実は宇宙人だったりとか?」
「……」
真剣なのか冗談なのかと真面目な顔の京に戸惑いを見せて黙り込んでいた友一は慌ててさっと前を向いた。
「あ、いや、そういうんじゃなくて。どう言えばいいんだろうな。人間の怖ろしさというものを知っていると……どうしてもな」
興味津々というように身を乗り出して顔を覗き込もうとしてくる京に嫌そうなしかめ面をして友一は苦く吐く。
「俺も含めてだ」
『へーえ』と京が目を細める。
「友一先輩、さっき僕のことも『怖い』って言いましたけど、あれも同じ?」
友一はガシガシと己の頭をかいた。
「あれは違う。京は突然何をするかわからないから怖いって言ったんだ。まさかああ出るとは思わないだろ!」
京が顔を明るくして『ああ!』と言ってポンと手のひらを打つ。
「あれは大丈夫ですよ! 落ちても僕は絶対に助かる自信ありましたし!! それほど高さがないし、信号があるんだから車の流れが止まったタイミングを見計らって、後はいろいろ計算して……」
「俺も一緒に落ちてるんだが?」
「先輩も大丈夫ですって!! だって意外と頑丈ですし!! たとえ車が走ってきたところで敏捷に身を起こしボンネットの上にひらりと飛び乗りスタッと降りて次が来る前に駆け出せば……」
「俺にスタントマン張りの能力を期待するんじゃねえぇっ!!」
あまりに非常識さに場面を忘れて思い切り怒鳴った友一はきょとんとしている京を見て眉間の間を指で押さえて全身の震えを必死に止めようとする。
「……いや、京、お前おかしいぞ。大丈夫って、絶対に助かるって、なんでそんなに自信満々なんだよ。俺もあの高さなら死にはしないだろうと思ったけどさ。落ち方が悪ければすぐには起き上がれないだろ。万が一足をくじいたりしたら走れないだろ。車の流れとかそれだって信号無視して走ってくる車があるかもしれないんだぞ。そしたら轢かれて死ぬじゃねぇか。あと俺は別に頑丈でもないからな」
途中で<何故なら僕は天才ですから!>とお決まりの台詞を得意げに言おうとした京を友一は察して口を手のひらで覆って焦って早口で言ってカッと目を開いて脅すように低い声で必死の形相で怒鳴る。
「常に最悪の事態を想定しろ!! 世の中そんなに甘いものじゃねぇよ!! どれだけ自分に自信があっても思う通りに物事が運ぶとは限らねぇんだぞ!!」
口を友一の手のひらで覆われているため『ムーッムーッ』と不満顔で何か言いたげにうなっていた京はしまいには額に青筋を立てて大きく口を開けて友一の手をがぶりと噛んだ。
「いてぇっ!!」
悲鳴を上げて手を退けてその噛まれたほうの腕をもう片方の手で押さえる友一に満足げに鼻を鳴らしてそれからすまし顔をして京は言う。
「何をいまさら先輩面してお説教してるんですか。先輩ってそんなにまともでしたっけ。たいていのことは今まで僕の思い通りになってきましたけど~」
怒りのあまりに殺気立って友一は京を振り向いて『チクショウッ』と吐き捨てて凄みのある笑顔を近付ける。
「今、お前の横っ面を張り飛ばさないでやってるのは、俺の保身のためだからな?」
暗に『そうでなくなったら思い知らせてやるから覚悟してろ』という意味を込めた友一の言葉を受け取って京は平然として素知らぬフリで言う。
「そんなふうにいつも悪いことばかり考えてるから友一先輩は幸せになれないんですよ。良いことを考えたほうが楽しいじゃありませんか。そうでしょ?」
京に対して抱いた殺意を堪えようとして友一はわざと痛む手をきつく握りしめながら苦い口調で言う。
「言っておくが、お前の『良いこと』ってのは、お前にとって都合の良いことだぞ」
「それのどこがいけないんです?」
京は明るい笑顔を見せて両手を広げて能天気そうに返す。
「僕は僕にとって良いことばっかり起こったほうがいいですし。そのほうが幸せですし。わざわざ何か悪いことが起こるんじゃないかって心配してたら疲れますよ。友一先輩、人間関係でもそうでしょ、こいつはいつか自分を裏切るかもしれないっていちいち用心して見てるでしょ。自分を騙すんじゃないかって警戒してたりとか。だから付き合いが面倒臭いんですよ。もっと気楽でいればいいのに」
京が話している間に落ち着きを取り戻していた友一が仏頂面で返す。
「うるせぇよ。クソガキが。俺はそういうふうにできてるんだ。悪いことは必ず起きるんだよ。たとえ普通に生きててもな」
『お前がのんきに生きてる分には何も構わないけどな』と突き放すように付け足して友一は思い直したように腕組みをしてきつく眉根を寄せて目を閉じて難しい顔をする。
「……今現在、俺は最悪の状況下にいるんだったな、思い出したぜ……」
うなるように言う友一に京はあっさりと言う。
「じゃあ先輩は悪いことでも考えてたらどうですか。僕は良いことを考えてますから。それで後で相談しましょう」
『ねっ?』と小首を傾げてニッコリと人懐こい笑みを浮かべて人差し指を立てて提案する京に友一がげんなりして本日何度目かのため息を吐く。
「まったく京のおかげで散々だよ……」
+++++
夜の公園にガサガサというビニールがこすり合わされるような音と共にザッと大きな足音を立てて入ってくる何者かに気が付いた京がひょこんと遊具の横から顔を出してその人物を確認する。
「あ、来ましたよ、友一先輩……」
ビクッとして気の進まない様子で陰に隠れたまま身を縮めていた友一は怯えることなく相手を確かめた京が隣でギクリとして身を強張らせたことに訝し気に自身も立ち上がってそっと遊具の上から顔を出して相手を確認する。
「げっ」
街灯だけが照らす薄暗い公園の中を、両手にパンパンのビニール袋を下げた男が、ゆっくりと大股で歩いている。
背が高く、うつむき加減で長めの横顔が落ちていてその上に眼鏡をかけていて顔がよく見えなくてその表情はわからないものの、鬼気迫るものを感じる。
まるで戦場に赴く兵士のような覚悟を決めたというようなしっかりとした歩き方で真っ直ぐにこちらに向かって来る万里に、友一と京はさっと引っ込んで顔を見合わせ、聞こえないように小さな声で言葉を交わす。
「……あれ武器か?」
「……鈍器の類かな」
「……大量なんだが」
「爆弾かも……」
「マジかよ……」
そうしている間にも万里はどんどん近付いてくる。
「……さっき話した最悪の事態の場合なんだけどさ」
「はい、最悪っぽいですね、友一先輩にとっては」
「いや、それなんだけど、俺はこうするより他ない」
「……なん……」
不思議そうに訊ねようとした京の腹部にいきなり片腕を回してがっちりと捕らえて片腕の下に腕を入れて逃れられないように締め上げて友一は『痛い』と暴れようとする京の耳元で申し訳なさそうに笑んで囁く。
「京という人質だよ」
「あんたホント最低だな!」
わめく京を捕まえた状態でそのままズリズリと引きずって遊具の陰から出て万里の前に姿を現す。
「よう、お兄ちゃん、久しぶり」
ニコリと笑って言う友一に、足を止めて、ゆっくりと顔を上げた万里の眼鏡が不気味に光る。
「貴様に兄と呼ばれる覚えはない」
嫌悪感と敵意を剥き出しにして冷たく吐いて、万里は警戒して友一を見据えたまま、もがきながら『放せ!』とわめいている京に向かって言う。
「京、無事だったか、……と言いたいところだが」
人の良さそうなニコニコとした笑顔でいる友一が京を捕まえている現状だ。
「事情を説明してもらおうか」
ゆっくりとした動きでドサリとふたつのビニール袋を地面に置いて、腕組みをしてふたりの前に立ち、感情の読み取れない無表情で言う万里。
「ずいぶんと騒ぎになっているが、ふたりで何をしていた?」
京が一生懸命に首をひねって背後の友一を振り向いて必死に声を絞り出す。
「こういうことしたら取り返しがつかないですよ!! 友一先輩、誤解されると困りますから、早く放してください!! 万里兄ちゃん、ちょっと待って、僕がちゃんと説明するから!!」
耳元でわめかれて顔を背けて、友一は京の言葉に躊躇い、チラと万里のほうを窺い見る。
「……あの、念のため、その中身が何か教えてもらえます?」
わざとわかりやすく視線を足元のビニール袋に向けて問い、片目を閉じてヘラヘラと笑って見せるが、万里は微動だにしない。
「教える必要はない。そのうち嫌でも知ることになる。貴様と友好的に話し合いなど無用だ」
「それじゃ困るんスよね……」
「万里兄ちゃん、警戒する必要ないってところ見せないと、先輩が安心できないから!!」
京に言われてピクンとした万里が、己のズボンのポケットを引っ張り、唖然としているふたりの前で今度は着ていた上着をバッとめくりあげてズボンに何も挟んでいない証拠を見せた。
「武器の類は持ってきていない。ただし己の拳以外はな。気が済んだら京を早く解放しろ」
驚きで固まっていた友一がハッとして『あ……ああ……』と震える声で言って京を捕まえていた両手をパッと放す。
「万里兄ちゃん!」
駆け寄りたそうにした京が、ハッとしてその場にとどまり、友一のほうを見て気まずそうにして、ガックリと肩を落とし、全身から力を抜くように大きなため息を吐いて、改めて口を開く。
「ごめん、万里兄ちゃん、あれは先輩の悪ふざけだから。別に脅されてるとかそういうわけでもないんだよ。今から順を追って説明するから殴るのはそれからにしてくれる? ちゃんと叱られる気はあるから! あと友一先輩は逃げるとマズいことになるからおとなしくしててくださいよ!!」
京の忠告に不服そうに『なんでだよ』と言う友一を無視して、京は真っ直ぐに万里と向き合い、事と次第を……都合の悪いことは抜いて話せることだけ……説明した。
(続く)