退屈した天才と
沈んだ表情で黙ったままの京を連れて友一はデパートを出て、先ほどまでいたファーストフード店のほうに、京を捜しているであろう万里を見つけるために歩き出す。
「やっぱりトイレは話がはずんでいいよな」
斜め後ろにいる京を振り向いて、友一は冗談のように言うが、京はうつむいて顔も上げない。
「……そうでもないか」
『ふー』と重たくため息を吐いて、どうしたものかという情けない顔で友一は気まずそうにポリポリとわずかに赤くなった頬をかき、正面に向き直る。
「言っておくがあれは……」
友一は言いかけて、その瞬間に隣を素早く何かが駆け抜けていったことに気が付き、言葉を止めてそれを目で追う。
「……おい!!」
近くにあった歩道橋を目掛けて京が全力疾走していくのを見て不安にかられた友一は慌ててその後を追いかけて走り出す。
「京!! 待て!! 止まれ!!」
嫌なニヤリとした笑みに口元を歪めて真っ直ぐに京は階段を駆け上がり歩道橋の真ん中まで来るとその幅20センチほどの手すりの上に足をかけて乗って両足を開いて立った。
「……友一先輩」
すぐに追いついて足を止めてハァハァと息を切らして青い顔をしている友一を前にして京はにっこりと微笑む。
「わかりました」
向こうには何もなく結構な高さがあり落ちれば下は道路で途切れることがないほど無数に走っている車のひとつに轢かれる可能性のあるその状態で京は場に似つかわしくない明るい笑顔で話す。
「僕がわかってるということを先輩に証明してあげますよ。僕が落ちればいいんだ。そうしたら先輩に価値ができます。僕のことを忘れないでくださいね。先輩のせいで死ぬんだから、他の殺した人と同様に、僕のことを心に刻んで」
「やめろ!!」
目をカッと開いて怒鳴る友一に、危ういバランスであるにも関わらず京は両手を広げてみせて、飛び交う様々なライトを示すようにして首を傾げる。
「だって、友一先輩って、それくらいしないと駄目な人じゃないですか。絶対にわかってくれないんだもん。先輩の中に入れてもらうにはこれくらいしないと。僕が死んだら先輩は責任を感じてくれますよね。痛みは感じるんでしょ。他人と痛みを分け合う気はないみたいだけど」
それまで爽やかともいえる明るい笑みを浮かべていた京の顔からふっと感情が消えて無表情になり少し後ろを向いて何もない空間を真剣な目で見つめる。
「そんな馬鹿なこと天才の京はしないよな?」
引きつった笑みを浮かべて問う友一を振り向くと京は鬱陶しい蠅を見るような目で見て冷たく返す。
「なんでですか。決めつけないでくださいよ。先輩、僕だってね、いないほうがいいと思ったことくらいはあるんですよ。っていうか、この世界にうんざりしちゃったっていうか、むしろ僕のほうが死ななければいけないって。世界と自分が合わないから。自分さえいなくなればいいんだって簡単な答えでしょ。まぁ、どうでもいいんだけど、それで何が変わるわけじゃないですし。確かに自分でも馬鹿なことだとは思います。最低で最悪だと思います。でも、意味がなくはない、先輩が死ぬよりはいいんですよ。僕にとって。本当に先輩のことを大切に思ってるってわかってもらえるなら。だってさぁ」
周囲にチラと目を走らせ、目立っていることに気付くと京は橋の手すりに乗ったままその場にしゃがみこみ、友一と目線を合わせてつまらなさそうな顔をしてボソリと低い声で言う。
「友一先輩、僕を万里兄ちゃんに渡した後、飛び降りるつもりだったんでしょ?」
さらりと出された言葉に、ピクンと微かに身動ぎして、なんとか笑顔を作ろうとしていた友一はそれをやめて、真面目な顔をして、目の前の京を見つめて脅すように低めた声を出す。
「……いつ気付いた?」
京が難しい顔をして『う~ん』とうなる。
「いつっていうか。かなり執拗だったから。死ぬつもりはなくてもどこかで飛び降りる気だったんでしょ。それで後日それを知った僕がどうしてるかを試してみたかったんだ。先輩が最低だって魅嶋が言ってたけどホント最低だよね。それで僕が平気でいるなら僕は先輩の友達じゃなくなるんだ。ようするに相手にとっていくらでも替えが効く存在じゃ嫌だとか、相手にとって自分の価値がその程度なら必要ないとか、そういうことでしょ。でもさ、実は気付いてないかもしれないけど、先輩は寂しいだけなんだよ」
ごく当たり前のことのようにまるでわかりきっていたことのように軽く言い放ち、じっと静かに川面に移る夕陽のように金色に輝く穏やかな目で自分を見つめる京を、眼光鋭くにらみつけていた友一は、顔を険しくして、皮肉げに口角をつり上げて歪んだ笑みの形を作った。
「……だから、それは、お前がそう思いたいだけなんだよ」
『あっそ』と素っ気なく返して、京はその場に立ち上がり、冷たい顔で軽蔑の目で友一を見下ろして言った。
「じゃあそろそろ行きますね。友一先輩には僕の気持ちは受け入れてもらえないみたいですし。どうでもいいってことですよね」
片方のつま先を反対側に向けようとしていた京が、『あ!』と何かを思い出したというように声を上げて、蒼白になって凍り付いている友一のほうを振り向いて明るい無邪気そうな笑顔で言った。
「友一先輩、言った通りに、ちゃんと笑顔で生きてくださいよ?」
『約束ですからね』とニッと笑って、片手を出してバイバイと横に振り、そのまま後ろに倒れようとする京の手を寸前で友一がつかんだ。
「やめてくれ!!」
友一は耐えられないと悲壮な顔をして大声でわめくとぐらりと傾いていた京の手を強く握って引っ張り体を抱きしめて受け止めると勢いで倒れ込み歩道橋の上にふたりして転がった。
「やめてくれ……頼むから……お願いだよ……」
仰向けに転がった姿勢からすぐさま起き上がり京のほうに向けて土下座をする友一に『へーえ』と状況に合わないのんきな声が返る。
「一緒に落ちるかどっちかなって思ったんですけど」
友一がおそるおそる頭を上げると、そこに京の満足げな笑顔がある。
「生きるほうを選ぶんですね」
仰向けに寝転がったまま、友一を見上げて嬉しそうに言って、『ふぅ』と息を吐いて目を閉じる。
「それはよかった」
その場に片膝を立てて座り込み、真っ赤になってしかめ面をして『うーん』とうなってから、友一は首を横に振ってきっぱりと言った。
「全然よくねぇよ!」
寝てしまいそうに見える京の額をペチッと叩いて、『あいたっ』と声を上げる京の手首をつかみ、友一は『早く起きろ』と急かす。
「他人が来るぞ!!」
起き上がったものの、叩かれた痛みから涙目で『え?』ときょとんとしている京の耳に下の騒ぎが届き、それでも微妙な笑い顔で困惑した様子でなかなか動こうとしない京をつかんだ手首を強引に引っ張って友一は走り出す。
「走れ!!」
人混みを駆け抜け、路地裏に入り、ひたすらその場から遠ざかろうとふたりは夜の街を走り回った。
(続く)