退屈した天才と




 さすがに店内に居づらくなり、残った食べ物を包んで京の鞄に入れて、まだ片方の服の袖で顔を覆っている京の手首をつかみ、転ばないように注意して見てやりながら、友一は店を出て、天を仰いで息を吐いた。
「はぁ……」
 白い息が上にのぼっていくのを見やりながら、歩きつつ、自分の後ろに隠れるようにしている京に向けて言う。
「まさか泣くなんて思わなかったぞ」
 ひょこんと京が跳ねるようにして友一の前に出て、握られている手首を反対に強く引っ張り、近くにあるデパートのほうに導く。
「友一先輩が僕にヒドことを言うからです。ああ、先輩としては、『ちょっとした意地悪』なんでしたっけ? それに僕はいつも嘘泣きするんだとか? それは自分でも知らなかったなぁ。周囲に聞こえるように言って上手いですね」
 友一はふいとそっぽを向く。
「嫌味を言うな」
 赤信号で立ち止まり、隣に立つ京の握った手首を見て『う~ん』と難しい顔をしてうなり、友一はそろりと京の顔を覗き込む。
「……泣いてたんじゃなかったのか?」
「え? 泣いてましたよ? もちろん!」
「……もう大丈夫なら手を放すぞ」
 しれっとして言う京に、『やれやれ』と苦い顔をして、友一は握っていた京の手首を放す。
「もう少し優しくしてくれてもいいのに」
「いや、っていうか周囲の視線がヤバい、それくらい気が付けよ」
「先輩に泣かされたのに」
「罪悪感なんてねぇよ」
 腹立たしさを堪えるように友一は仏頂面で返す。
 夜を迎えた街は帰宅途中の学生や会社帰りの人々やこれから遊びに出る人々で賑やかだ。
 信号が青に変わり、京は咎めるような目で友一をジトッと見ることをやめて、その代わりに友一の腕に腕を絡めて元気いっぱいに引っ張って歩き出す。
「おい」
「逃げられちゃかないませんから!」
「もう勝手にしろよ」
 心底疲れたという様子でげっそりとした顔をして京に引っ張られるまま友一はついていく。
「僕、泣いちゃったんで、デパートのトイレで顔を洗いたいんです。こんな顔を万里兄ちゃんに見せるわけにいきませんし。それから、先輩はなんか誤解してるみたいだけど、僕にもちゃあんと羞恥心はあるんですよ~」
 振り向いて目をすがめて口をとがらせる京。
「なるほどな」
 あからさまに面倒臭そうにしながらももはや手錠をかけられた囚人のように友一はおとなしく京についていく。
「このデパートの屋上からでもいいかもな……」
 信号を渡り終えたところで、目の前のデパートの屋上を見上げてうっすらと笑んで呟く友一に、ぱっとその顔を見上げて『え?』と京が声を上げる。
「……えーと、友一先輩って、死にたい人?」
 冗談かと図りかねたという困惑顔で率直に訊ねる京に友一は『いいや』と首を緩く横に振る。
「別にそういうわけじゃない。ただ、お前がさ、どうなのかと思ってさ。試してみたいだけだよ」
「この高さから落ちたら死にますよ」
 わずかに顔に焦りを浮かべながらも冷静に告げる京にどうでもよさそうな顔をして友一はただうなずく。
「どう……って、さっきの目の前での……って話なら、死んだら僕がどうするかなんてわからないじゃないですか!」
 若干の怯えを見せてその行動を阻止しようというように強い口調で言う京に対して友一はまた首を緩く横に振る。
「俺が試したいのはそういうことじゃない」
 京がムッとして、『なんだかなぁ』と呟いて、友一の腕を放す。
「入るの怖くなっちゃったじゃないですか。いきなり屋上までダッシュされたら困ります。ちょっと、ちゃんとトイレまで一緒についてきてくれるんですよね、先輩?」
 疑いの目でジロジロと見て来る京に友一は情けないからでへらっと笑った。
「ああ、それは、安心していいぞ。一応何かあったら困るから。京がひとりでトイレにも行けないお子様だっていうんなら」
「違うから!!」
 『そうじゃないでしょっ』と憤然として怒鳴る京に、プッとふき出して友一は笑いながら両手を前に出して遮るようにして、『まぁまぁ』と言い猫撫で声でなだめる。
「言っただろ、万里先輩が来るまでは、お前に無事でいてもらわないとって」
 ムーッと頬を膨らませてジトッと友一を見ていた京がぷいとそっぽを向く。
「……なんか、よくわからないな、先輩は僕の反応を見てるにしても。ようするに僕を怒らせたいわけ? それとも悲しませたいわけ? たまに喜ばせたいようにも見えるし。いったいどういうつもりでいるの?」
 『わけがわからない』とすねたというよりは途方に暮れた迷子のこどものように寂し気な表情の京の問いには答えずに友一は軽く階段を二段抜かしで飛んでデパートの中に入っていく。
「さっさと行くぞ」
 振り向いて言って本当に歩き出す友一に京が愕然とする。
「わーお。こんな楽しくないデパートって初めて。っていうか不愉快だっ!!」
 恥も外聞もなくデパートの前で頭をかきむしって悔しそうにわめいてから京も慌てて『待ってくださいよ!』と駆けだして友一を追いかける。


+++++



「目が赤いし、腫れぼったいし、こんなの最悪だよ……」
 男子トイレの洗面台で鏡を前に水を出してバシャバシャと顔を洗い終えた京が濡れた自分の顔を鏡でじっくりと見て嘆く。
「そこで平然と見てる人がいるし」
 腕組みをして壁にもたれて顔を洗う京を暇そうにぼんやりと眺めていた友一が京の非難げな言葉に真面目な顔をして壁から離れて近寄って手拭き用の紙を数枚取る。
「何をする気だよ」
 最高に不機嫌な京が敬語も使わずに傍に立つ友一をにらみつける。
「俺にできることは顔を拭いてやることくらいだから」
「さっきからそれ痛いんだけど!?」
「スマン。これよりトイレットペーパーがいいか? それとも乾燥機に顔を押し付けるか?」
「ちょっ、まっ……、なんでその二択!? いいよ、なんにもしないで、もう友一先輩に期待なんてしない!! 優しさなんて求めないから!!」
 ぷりぷりして怒る京に『そうか』と言って友一は紙を丸めて捨てる。
「雑巾のほうがまだマシだよ……」
 粗雑に扱われたことに膨れっ面をしてぼやく京を無表情で見つめていた友一はゆっくりと動いて掃除用具入れのほうに向かった。
「ちょっと、友一先輩、何してるのさ!?」
 パカッと掃除用具入れを開けて中を覗いていた友一は、京のびっくり仰天したという大きな声に、振り向いてきょとんとして言う。
「いや、京が雑巾のほうがマシだって言うから、あるかと思って」
 京がガックリとうなだれる。
「……すみません、僕はハンカチ持ってるんで、平然と見ててください……」
 力が抜けているところを、無理やり声を絞り出すようにして言って、京は鏡に向き直り、『また涙が出そう』と鏡の中の自分に向けて言って、もう一度水を出して両手で受け止めてバシャバシャと顔を洗う。
「……」
 しばらくうわの空で考えてから、バコッと掃除用具入れを締めて、友一は京の傍に戻った。
「ふーっ!」
「うおっ?」
 顔を上げた京が、全身ずぶ濡れになった犬や猫のようにぶるぶると激しく首を横に振り、濡れたおかっぱ頭についた水滴が飛んできて逃れようもなく友一に直撃する。
「お前な……」
 『そう来ると思ったよ』と呆れ顔で言う友一に京が得意げにニンマリと笑んで友一のシャツをつかんで引っ張りそこに思い切り顔をこすりつける。
「げっ」
 パッと京が顔を上げた時には、友一のシャツはびしょ濡れで、その悲惨な有り様を眺めて友一は青い顔をして『あーあ』と嘆く。
「こんなことってあるか……?」
 得意満面の笑顔で京は人差し指を立てて唇に当てて友一の顔に近付けて内緒話をするように声を潜めて言う。
「女の子相手にこういうことされないように気をつけたほうがいいですよ?」
 やられたと文句も返さずに顔を赤くして黙り込む友一に満足そうにニコニコとして京はポケットからハンカチを取り出してそれで己の顔を拭く。
「冷たいな」
 気持ち悪そうに自分のびっしょりと濡れたシャツをしかめ面で見ていた友一は初めて気が付いたというように不思議そうに呟いて手拭き用の紙に手を伸ばし数枚を取ってそれでシャツを拭く。
「どうしてくれるんだよ。これなかなか乾かないぞ。まったく厄介な……」
「脱いじゃったらどうです? 上にパーカー着てるんだし。前を止めてしまえば問題ないでしょ?」
「京、お前、パーカーの下に何も着てないところをもし警察に止められでもしたら」
「まぁ、そのパーカーっていうか、コートみたいなの微妙ですもんね」
「っていうか寒い」
「自業自得なんで」
 さらりと言い放つ京に、友一はその目つきが悪いと自他共に認める細い目を最大限に見開いて、凶悪なご面相を近付けて吐き捨てる。
「ク・ソ・ガ・キ!」
 そして眼光鋭くにらみつけ、それにも関わらず『わ~怖い!』と怯えたフリをして楽しんではしゃいでみせる京に、首を引っ込めて肩を落とす。
「あのなぁ……」
 ケンカ慣れしている京にこういう状況での脅しはあまり効かない。
「……京、お前さ、本当に俺が……あー、デパートの屋上でも歩道橋でも学校の屋上でもどこでもいいんだが……目の前で落ちたら、どうする?」
 気の進まない様子で、苦い顔をして、それでも低い声は真剣そのものといった友一の問いに、京は不思議そうな顔をして、首を傾げる。
「……またその話ですか。僕がどうするか知りたいわけじゃなかったんじゃありませんでしたっけ。まぁ、そうなったら、僕は後を追いますよ」
 次第に何か狙いがあるのかというように怪訝そうに、それからまるで警戒するように、最後は用心深くゆっくりと言う。
「友一先輩が僕の目の前で死んだら僕は後を追いますからね」
 ふっと友一が小さく息を吐いて笑う。
「なんでだよ。なんの意味があるんだよ。まぁ、そうすればお前は苦しまなくて済むけどな、少なくとも」
 洗面台によりかかるようにして、隣の京の反応を面白がるように窺い見ながら言って、友一は正面を向いてうつむく。
「そこは笑って生きるべきだろ。残された者は自分にできることを頑張ってやるべきなんじゃないのか。もしも自分のせいだと思うなら余計にそうだ。自分が可哀想な奴みたいに振る舞うことは卑怯なことだよ。憎まれるぐらいに幸せになるべきなんだ」
 うつむいて柔らかく口元に笑みを浮かべ、軽く両目を閉じて、祈るように組み合わせて腹部においた両手に向けて静かに言葉を降らせる。


+++++



「苦しいんだよ。楽になれるのならそのほうがいい。責められながら生き続けることはつらい。自分さえいなければよかったのにって思うよ。俺じゃない他の誰かが生きてるほうがよかったのに……って。だけど俺は生きてる。いつか死ぬかもしれない、だけどただそれだけなんだ、俺にとっては。死ぬってことを目の前で見ちまうとな。それでも大好きな人に言われたことを守って生きようと思った。友達を大切にしなさいって……」
 目を開けて、見守るように自分を見ている京に向けて微かに苦笑して、すぐに友一はそれを消して正面を向いて続ける。
「京、お前は俺のことを『寂しい』と思ったみたいだけど、俺が本当に寂しいと思ったのは、友達に過去に人を殺してることが知られて、拒絶された時だよ。でもまぁ、それも当然だよな、『バケモノ』は人と人の間に入ることができない。だから『バケモノ』なんだ。いくら人の皮を被ったところでしょせんは……。いくら人間になれたつもりでいたって……」
 『やっぱり俺はバケモノでしかなかった』とたんなる事実というように淡々と話す友一に京が口を開く。
「だけど、それを言うなら僕だって、みんなに『バケモノ』呼ばわりぐらいはされましたよ! 友一先輩と一緒なんです! 僕には先輩のことがわかります!」
「それなんだけど」
 振り向いてニッコリと明るい笑顔を見せて友一は言う。
「京、お前さ、人知を超えた生物が現れるといいな~とかって思ったことはないか?」
 真面目な話からいきなり変わって京が肩透かしを食らったようにぐらっと傾いて『はぁっ?』とすっとんきょうな声を出してあんぐりと口を開く。
「あ……ええと……怪物とかですか?」
 友一が首を傾けてニコニコとしながら『うん』とうなずく。
「まぁ、なんでもいいが、そういうのだな。吸血鬼とかでもいい。強ければなんでもいい。そうだな、神様だっていいんだけど、絶対に人間には敵わないようなや何か。その前には誰であろうと何もかもどうしようもないってほどの」
 『はぁ……』と戸惑いを見せて曖昧に相槌を打つ京に友一は憧れるような目を天井に向けて話した。
「俺はそうでもないけど、誰しもがある時に思うようなことだし、お前のほうがわかるんじゃないかな。日常が退屈だって。何もかもわかっちまうと、何もかも思った通りだと、毎日ってつまらないよな。繰り返しの日々。同じことばかりが続いていく。これから先も何も変わらない。もう知ってしまっている。自分では変えることができない。そうだろ、京は天才なんだから、そう思ったことがあるよな?」
 振り向いて、奇妙に歪んだ笑い方をして、友一は訊ねる。
「そこで人知を超えた生物の登場ですか……」
 複雑な顔で先ほどの友一の言葉を繰り返す京にまるで浮かれたように楽しそうに目を細めて友一は『うん』とうなずく。
「そいつがさ、自分に命令してくれたら、この日常が壊れても仕方がないって思うんだ。たとえそれがどんなものでも、それがどんな命令でも、言うことを聞くしかないんだ。そうしたら楽だよな。従うしか選択の余地はない。おまけに自分は何も悪くないと来る」
 両手を広げて軽く肩をすくめて『どうだ?』と訊ねる友一に、理解に苦しむとばかりに眉を寄せて不可解そうな顔をして、京はゆっくりと首を横に振る。
「聞きたくない……」
 細く小さな声で拒絶する京に、友一は感情を消して無表情になり、その顔をズイと近付ける。
「いいや、聞くんだ、京。何故なら認識しなければいけないことだから。お前は俺と会うタイミングが最悪だっただけなんだ。<かくれんぼ>の後の時は俺にそう興味を持たなかったよな。面白い人だと思ってもその程度だったはずだ。俺についていこうなんて思わなかったはずなんだよ。だけど、次の<ゲーム>でああいうことになったが、その前に京は退屈してたんだろ。<かくれんぼ>を終えていつもの生活に戻ったからな。あれでお前は日常にない刺激を覚えたんだろうし。普段の生活では使わない頭脳をたっぷり使えてスリル満点で。確かにあの後の<ゲーム>の参加理由はお前の言う通りなんだろ。そしてそこで再会した俺を『面白い人だから』ってついてくる気になったのは俺が『バケモノ』だったからなんだ」
 『お前とは違う』ときっぱりと言い切り、友一はジロリと殺意を込めた細めた目で京を一瞥し、軽く『よいしょっ』と言ってもたれていた洗面台から身を離し、呆然としている京をつついて、何事もなかったかのように微笑んで否を言わせぬ強い口調で言った。
「ほら、日常に戻してやるよ、大好きな人のところに」





(続く)
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