退屈した天才と






 京の出した疑問いっぱいの大声に、友一はわざと意識させるようにさっと周囲に素早く目を走らせて、ズイッと身を乗り出して京の顔に自分の顔を近付けて声を潜めて囁く。
「あの<ゲーム>で、俺がマリアに暴力を振るった時、お前は真っ先に声を上げたよな。それはもちろん、暴力はルール違反で即失格になり自分たちの勝ちが決まるからってこともあるんだろうが、そのわりには冷静を欠いてただろ。あれが味方への暴力ならルール違反にはならないってその程度のこともお前の中からは抜け落ちていた。やけに敏感だと思ったよ。その手のことに」
 緊張した様子でだ黙り込んでいる京に、友一はあくまで仲の良い友達同士の間での内緒話というように親しそうに笑んで、優しげな甘い猫撫で声で話す。
「最初は単純に京が小さくて弱そうだからかと思ったんだ。ああ、こいつ、そういう目に遭ってるんだろうなってさ。あの時、関係を壊すのに俺が探してた相手は、一番優しい男だ。そしてそれは百太郎でも違いないだろ。だが、京は弱い奴に優しいな、ただでも優しいけれど特に」
 そこで友一は首を傾げてニッコリとする。
「だから甘いんだよ」
 京の手首をつかんでいた手を放し、テーブルに両肘をついて手であごを支えて小首を傾げてニコニコとする友一に、京の眉がつり上がり目が細められる。
「お言葉ですけれど、僕はそんなに優しい人間じゃありませんよ、あれは本当に僕らの勝機になるからと思っただけで」
 もともと切れ長の細い目であるが故に笑うと糸のようになる目を友一はほんの少し開いてニヤッとした。
「自分のミスを認めると?」
 京は瞬間ピクリと頬を引きつらせたもののすぐに微笑んでうなずいた。
「ええ、そうですよ、あれはちょっとしたミスです」
 余裕を取り戻したとばかりに短く息を吐いてジュースを飲む京を顔から表情を消して友一は眺めながらまた口を開く。
「京、お前はさぁ、学歴社会の人間だろ。いや、まぁ、お前がどう思ってたってだ。だってお前は天才だろ。学校での成績……京クラスになると全国になるのか……俺には想像もつかんくらいだが。競い合いだよな。テストで誰がどれだけいい成績を取れるかっていう。大学は海外にでも行けばいいって言ってたけどさ。それでも今のこの日本でお前に勝てなくて悔しい思いをしてる人間がいるわけだ。どれだけ頑張っても勝てない、どれだけ努力したところでお前には勝てない、どれだけ勉強したところで天才のお前には全然敵わないってことを思い知らされてる奴がいたるところにいるわけだ。しかも勉強だけじゃないよな。運動にしてもそうだ。一年でバスケ部のレギュラーだっけか。百太郎が言ってたぞ。全国狙えるような学校なんだろ。そういうところって、結構部員多いんじゃないのか、よく知らないけど。もちろん全員レギュラーになれるっていうわけじゃないよな。つまりお前は」
 そこで友一は微苦笑して片目を閉じて続けた。
「そいつら全員を蹴落とした」
 向かいの京は椅子に背を預けて『はーっ』とつまらなさそうに仏頂面で大きくため息を吐いた。
「まぁーたその話ですか。そんなの当たり前のことでしょ。凡人が天才に勝てないのは。そういえば、前に『なんでお前みたいなチビがテストで一位なんだ?』とかっていちゃもんつけてきた奴がいたけど、『背丈で勉強するわけじゃないからってこともわからない君らが馬鹿すぎるんじゃない?』って返したら突っかかってきて。あの時は大変でした。ちょっと騒ぎが大きくなっちゃいまして。でもうちの親は謝り慣れてますから。いつもペコペコしてるんですよ。でも万里兄ちゃんに怒られちゃって~」
 ケロリとして言って憎たらし気に笑って『ベーッ』と舌を出す京に友一がげんなりとする。
「京……それはお前が悪いぞ」
 ムッとした京が冷たい目で友一を見据えて低い声で返す。
「じゃあなんです? どうしろって言うんですか? テストでわざと低い点を取らないとイジメるって言ってきた馬鹿もいるけど友一先輩もそうすればよかったとでも? 当然聞かなかったけどね! 平均点が僕のせいで上がるのが嫌? 学校に来られると迷惑? そんなことこの僕の知ったことじゃないね! 僕が見てるのはもっと上だしあんな馬鹿ばっかのちっぽけな学校なんて……」
 言いかけた京が思い切り椅子をきしませて体重をかけて頭の後ろで腕を組んで天井を見上げて『あ……』と呟いて憤りを消して表情を穏やかにして言う。
「……いえ、その、今の高校はそうでもないかな。馬鹿ばっかなのは相変わらずだけど。先輩たちといると楽しいし。それにそんなに嫌じゃないかな。ああいうことももうないし」
 独り言のようにぶつぶつと言って、ハッと目を見開いて『しまった』と言って苦虫を噛み潰したような顔をしてもぞもぞと椅子に座り直し、友一に向けてぷいっとそっぽを向いて膨れっ面で言う。
「友一先輩、そうやってわざと過去のことを思い出させるようなこと言うの、やめてください」
 横目で反応を窺われて、友一はきょとんとして言う。
「え? 俺が? お前が勝手にペラペラ喋ったんだぜ?」
 途端に塩をかけられたなめくじのように京が脱力してだらりとテーブルの上に突っ伏す。
「嘘だ~。わざと僕の気に障ることを言ってるし~。情報収集してる~」
 京が動く前に察してテーブルの上からさりげなく京のトレイを横にずらしていた友一は両腕を置いてそこに頭を置いて右に左に頭を振って嘆いている京を真面目な顔で上から覗き込む。
「俺が言いたいのはさ、京、お前は自覚なしの人殺しなのかもしれないってことだ」
 ゆっくりと京の頭が持ち上がり、友一がひょいっと顔を退けて、互いにじっと見つめ合う。
「……え?」
 大きく目を見開いて友一を見つめる京に友一は真面目な顔でさらりと言う。
「努力していい成績を取っていい大学に行って……そういうことに命を懸けてる奴もいる、努力していい選手になっていい成績を残して……そういうことに命を懸けてる奴もいる、選ばれるための努力だ。もともと才能があっても選ばれるのはごく一部なんだから並大抵の頑張りじゃない。そういうことがお前にわかるか?」
 真剣に訊ねられて京はパチパチと瞬きをする。
「……僕、できなかったこととかわからなかったこととかないんで、全然」
 友一が憂いの顔で『はぁ』と盛大にため息を吐いて微苦笑する。
「そうだよなぁ。そうだろうよなぁ。ところでさ、そういうことに一生を捧げてきた奴が、目の前でなんの努力もせずにあっさりと自分を追い越していく奴を見たら、京、お前はどうすると思う?」
 まじまじと友一を見ていた京が『ふん』と鼻で笑う。
「そんなの、どうするかなんてその人の自由でしょ、僕が決めることじゃありませんし。そんな問いになんの意味もないですよ。第一、さっきの人殺しって言葉の意味がもしそれで負けた人間が死んでたらどうするなんてことだとしたら、何もそれは僕だけの話じゃないはずです。競争社会で勝ち負けは当たり前なんですから。それで自ら命を絶つ人間は他にいくらでもいるはずですよ」
 『そういう世の中なんですから』と冷淡に割り切ったように言い切って見せる京に友一は満足げに笑んで言う。
「そう。そうだよな。その通りだよ。競争社会で勝ち負けは当然あるし、負けて死を選んだところで自分には関係ない、そうだろうな。京は正しいよ。それが絶対的勝者の立場からの言葉でも。別に京の目の前でお前に負けた奴の死体が転がったわけじゃないんだし……な!」
 両目を閉じて優しく穏やかな声で話していた友一の目がカッと開かれ、怯んだ京の頭を片手でつかみ、ぐいっと強い力で自分のほうに引き寄せて耳元で低い声でボソボソと囁く。
「なぁ、死んだ奴が夢に出てきて俺を責めるんだよ、『全部お前のせいだ』……ってさ。事実俺のせいなんだけどな。たとえ自分が殺したんでも……だよ?」
 一瞬ですぐに京の頭を放し、何事もなかったかのように友一は首を傾げてニコニコとして、呆然としている京に通常の大きさの声に戻して言う。
「目に入らない殺人は自分には無関係だよな」
 対照的に暗い顔をして目を伏せてうつむき加減で黙り込んでいる京に、友一がニヤリとして人差し指を立てて提案する。
「京、ひとつ、ゲームをしようか?」
 おずおずと京が恐怖心と警戒心とで躊躇いがちに顔を上げて助けを求めてすがるような目で友一を見て問う。
「……なんです?」
 友一は安心させるようにニッコリと笑う。
「あそこに歩道橋があるだろ。あの手すりの上に乗って、落ちずに端から端まで歩けるかを賭けるんだよ、もちろん俺がやる。京はやらなくていい」
 京が真っ青になった。
「ちょっ……本気で言ってるんですか!?」
 大声で注目が集まったために『やれやれ』と言って肩をすくめてみせて友一は片目を閉じて身を乗り出して怯む京に顔を近付けて内緒話のように話す。
「本気だよ。本気。俺が勝てば……そうだなぁ、京に何かひとつ命令を聞いてもらうとして、俺が負ければどうせ道路に落ちるだけだから」
 唖然として聞いていた京がくしゃっと苦し気に顔を歪める。
「狂ってる……!」
 一言呟いてそれきり、悄然としてうつむいてる京を無表情に見つめて、友一はぼんやりと窓のほうに視線を移して外を眺める。
「……どうしてですか……」
 消え入るようなかすれた細く震える小さな声に友一は京のほうを向き直る。
「……どうしてって?」
 うつむいたままの京が無理やり声を絞り出すように苦しそうに吐き出す。
「そういうことを言われて僕がなんとも思わないとでも……?」
 不思議そうな顔をして震えている京を見つめて友一はあっさりと返す。
「思ってるさ。つらいだろうなって。おいおい、だって宣言しただろ、俺は京を傷つけようと思って言ったんだ。自分でも苦しいよ。できればこんな思いはしたくなかったな」
 ぐっと唇を噛んで、ゆっくりとした動きでわずかに顔を上げて、前髪の間から京が怒りと悔しさをにじませてきつく友一をにらみつける。
「お前……!!」
 その目を平然と受け止めて友一は微笑を浮かべて静かに慰めるように言う。
「たとえ俺が落ちて、まぁあの程度なら怪我で済むだろうけどな、そこで運悪く自動車に轢かれて死んだとしても別にお前のせいじゃないよ。気にすることはないさ。俺には価値がないから。京にはあるだろ。天才なんだから」
 またうつむいた京の体の震えが激しくなる。
「なんでっ……」
 ガタンッと席を乱暴に背中で押しのけるようにして勢いよく立ち上がった京の顔を見て初めて友一は愕然として目を見開いて口を大きく開けてぽかんと気の抜けた顔をした。
「……は?」
 友一が見上げた京の顔は真っ青で呆然として目を見開いたままボロボロと涙をこぼしていた。
「……おい、待てよ、なんで泣くんだよ。京。最悪でも俺が死ぬだけだぜ?」
 言われて初めて気が付いたというように、京は服の袖でゴシゴシと乱暴に顔を拭ったものの、新たに涙が出てきて止まりそうになかったが、それでも口を開くだけの落ち着きは出たようで、鼻をすすりながら涙声で言った。
「友一先輩がそんな寂しいこと言うからっ……!!」
 『ええ~?』と驚きを全面に出して青くなってのけ反った友一は、あたふたとして自分のポケットを探り、最終的にトレイの上の紙を手に取った。
「いやあの、とりあえず落ち着いてくれ、京。お前もう高校生なんだから他人前でそんなに派手に泣くなよ。みんなに見られてるぞ? 恥ずかしいだろ? なんだったら俺も恥ずかしいよ……」
 紙で京の涙を拭こうとして立ち上がり、真っ青だった顔を羞恥に真っ赤にして周囲を見回して聞こえてくる勝手な憶測でのヒソヒソ話に困惑して身を縮める友一に、さらに京が『わーんっ』と大声で泣く。
「ちょっ、やめろ、マジで!」
 思わず怒鳴りつけてから、慌てて『嘘泣きだよな、いつもの、な?』と訊ねて京の涙を優しく拭きながら、周囲に向けて愛想笑いを浮かべてペコペコと頭を下げる。
「僕イジメられましたぁ~!」
 捨て身の嫌がらせに出た京に、背が低くて小さい京が相手のため、どう見ても分が悪い友一がしかめ面をして、泣きじゃくる京を軽く抱き寄せてその頭を優しくポンポンと叩いて、『俺が悪かったから』と渋々と謝罪を口に出す。
「ごめん。さっき言ったのはちょっとした意地悪だよ。絶対にしないから。あと別に許さなくてもいいぞ。ただし泣くのはやめてくれ」
「先輩のせいですからね」
「うん……」
 気まずそうにうなずく友一を、目を覆う拳を外して見上げた京が、涙の痕の残る頬を緩めてニコッと笑う。
「本当に泣かされるとは思わなかった」
 ぎょっとして京を見下ろした友一が疲れた顔で肩を落としてため息を吐く。
「今泣いた烏がなんとやらだな……」





(続く)
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