退屈した天才と
茜色のきらめきが消えて、水中に墨を落とした時の反対の光景のように世界の下から黒い色がわき出してきて、空の青がだんだんと暗くなっていく。
「迷いそうだな……」
歩き続けることに気が進まないというように友一は億劫そうに呟く。
「あ、大丈夫ですよ、僕が道を覚えてますから」
『戻りたいならちゃんと戻れます』と自信満々で保証する京をチラと横目で窺って友一はすぐに目を戻し、ポケットに手を入れてゆっくりと歩きながら、思案顔で軽くうつむく。
「そういえば先に聞いておくべきだったんだが、京、あいつが来るまであとどれくらいかかると思う?」
携帯電話をポケットから取り出して、こちらは思案げというよりは不安そうな表情で眺めていた京が、『んー』と難しい顔をしてうなる。
「……あと45分くらいはかかると思いますけど……」
「マジか」
愕然として友一は隣の京を振り向く。
「この暇人め」
「だからそう言ってるじゃないですか」
ムスッと膨れっ面をして目を閉じて返す京に、『はぁ』とやるせなくため息を吐いて、友一は落ち着かないと手でガリガリと頭をかく。
「そんなに歩き続けるの嫌だぞ」
「僕もさすがにただこうして歩くのは飽きたんですけどー」
咎めるような目を友一に向けて不満たっぷりに言う。
「友一先輩が何か面白い話をしてくれるなら」
「面白い話なんてない!」
きっぱりと言い切って友一は口を閉じる。
「過去のこととか?」
「……」
「面白ければなんでもいいんですよ?」
「……」
「先輩、話し上手だって聞きましたし、仲間の失敗談とかも?」
「……」
かたくなに口を閉ざして開くまいとしている友一に『あっ』と京がいいことを思いついたというように声を上げる。
「天智君とのキスのこととか! 上手かったですか? それともヘタクソ?」
「……やめろ!!」
黙って真っ赤になっていた友一が堪え切れずに声を上げて遮って止める。
「思い出させるんじゃない! 仮に聞いたところでどうするんだよ? お前の参考にでもするのか?」
わざと嘲笑うようにあごを上げて上から細めた目で京を見下ろしてニタニタと笑んで問う友一に京は苛立つ様子もなく平然として言う。
「別にただ知りたいだけですよ。友一先輩、気持ちよかったのかなぁって、気になって。あとは童貞であることは間違いないみたいだし」
「あ、あああ……、……こんな奴に教えるんじゃなかった……」
後悔の色濃い顔で敗北感に絶望して崩れ落ちそうになる友一を京はきょとんとして見ている。
「いや、教えたっていうか、バレバレですよ。あの反応。男同士なんだし、こういう話、普通するでしょ。まぁ相手が男だったっていうのは珍しいけど!」
友一の顔を覗き込んでニィッと楽しそうに笑う京に、嫌そうなしかめ面をして友一はふいと顔を背け、真っ赤だった顔を冷静になって戻そうと苦心しながら話す。
「バスケ部か。あの純情な百太郎先輩じゃないな。あっちの女好きの千聖先輩のほうか。待てよ、そうとも限らないのか、普通はそういうものなのか。俺はあいにく運動部に入ってないからそういうことは知らないけどな……」
そこまでは苦々し気にそれでも静かに言った友一がズイと京に額に青筋を浮かべた怖い顔を近付けて低めた声で吐いた。
「その話もなしだ!!」
『ええ~っ!!』と京が非難げな声を上げ両手で拳を作ってぶんぶんと振る。
「じゃあどうするんです~?」
『チクショウ』と一言言って、友一はほんの少し笑みの形に口元を歪めて京の胸に銃で狙うように一指し指を突き付けて、さらりと軽い口調で言った。
「あと警告。肉体じゃなくてお前の精神をメチャクチャに痛めつけてやる。そういうことはしたくなかったんだけどな」
『気が変わった』と言って身を引く友一の、どこか楽しそうに浮かれた様子で軽く身を揺する様子を、京が訝しそうに目をすがめて見て言う。
「あのさぁ、友一先輩、それってわりと最初から考えてたことじゃないですか。だって先輩の得意技でしょ。それこそが。今さらっていうか。それほど頭に来たわけ?」
友一は背中を向けて無言だ。
「でも、僕、精神のほうも強いんで傷つけようとしても無駄ですよ。悪口とかも言われ慣れてますし。『バカ』とか『死ね』とか『キモい』とか。そういえば先輩が言われた『バケモノ』だっけ? 僕も言われましたよ、小さい頃から、周りからね」
わざとらしく嫌なことを思い出したというようにうつむいて『ふぅ』と小さくため息を吐いてみせる京を冷静な目で友一はじっと観察するように見る。
「今さら何を言われたところで僕にはなんともありませんから」
自信のありそうな様子で緩く笑って片目を閉じる京のことをジロジロと見ていた友一はそれをやめて興味が失せたというように視線を逸らして低い声でボソリと言う。
「いや、京には無理だよ、お前は優しいから」
『どういう意味ですか?』と不審がる京に友一はただ黙ってうつむいて口元に笑みを作る。
「教えてくれないならそれでもいいですけど、メンタルにショックって、じゃあゲーセンにでも入ります?」
友一を試すように下からジロリとにらみつけて京は近くにあるゲームセンターを指さした。
「友一先輩に負けたら、僕、傷ついちゃうかも!」
今気が付いたというようにポンと手を打って明るい顔で言う京に力の抜けたというようなげんなりした顔で友一は返す。
「どうせお前のほうが強いだろ」
「そんなことわかりませんよ?」
『やってみなくちゃ』とわくわくして元気に片方の拳を上げて意気揚々としてそちらに向かおうとする京の襟首の後ろをつかんで友一は引き止める。
「わかるんだよ。俺はほとんどやったことがないし。っていうか店に入ったこと自体ほとんどねぇよ。貧乏人はそんなことに金は使えない。無駄金を使うわけに行かないし。いいや、待て、ってかどうせお前勝つだろ。どう考えたって。だって天才だろ。なんでもできるじゃねぇか。こっちのメンタルがボロボロにされるわ」
「……初めてのゲームなら友一先輩が勝てるかもしれないですよ」
「初めてのゲームで低脳の俺が天才のお前に敵うとでも?」
「それもそうですね。何かできそうなゲームないんですか? えっと、先輩の得意そうなゲームっていうと、うーん……」
人差し指を口元にあてて、首を傾げ、空を見つめて考え込む京。
「京、自分は天才だから勝てるとわかってる相手と戦ってもお前はつまらないだけだろうし、俺も負けたところで当然だと思ってるから実は何らダメージはない」
思い切り深刻そうな顔で告げる友一に、京の体から力が抜けて肩がだんだんと下がっていき、ついにガックリとうなだれた。
「……なんだぁ。先輩とどっちが勝つか賭けをして僕の言うことを聞かせようと思ってたのになぁ。それじゃ挑発にも乗らないってことかぁ」
『本当にいい性格してるな』と苦々し気に友一はぼやく。
「そんなところだとは思っていたが。俺は勝てない勝負はしないんだよ。そんな安い挑発に乗れるほど熱い人間でもないんだ」
京は不貞腐れた様子で膨れっ面をして、おもちゃ売り場で欲しいおもちゃを買ってくれるまで動かないと両親にごねるこどものように道の端に座り込み、膝に置いた鞄に肘をついて頬を手に乗せて決して友一のほうを向かずに呟く。
「あーあ、せっかくのチャンスだから、友一先輩に僕のこと『王子』って呼ばせようと思ったのに……」
京がしゃがみこんでしまったので仕方なく渋々とそこに向かった友一はそれを聞くなり『ぷっ』とふき出して顔面を歪めた。
「『王子』!?」
『えっ?』と顔を上げて目を丸くする京に、眉をはね上げ目をすがめて口元を歪な笑みにニヤニヤさせながら、『くっ……くく……』と友一が笑いを堪えながら言う。
「お・う・じ・と・か! 王子! それはそれは存じ上げぬこととはいえ今まで大変ご無礼を働いてしまいました、王子、どうかご容赦を! なにぶんこのような下賎な生れの身ですので! ところで日本は王制ではないので失礼ながらお訊ねしてもよろしいですか? 王子はどちらの国の王子でいらっしゃいますかぁ? いやぁ、こんな小国の者には、わからないんですよっ! 王子っ!!」
明らかに嘲笑して見下ろして面白そうにネチネチと言う友一に驚いて、呆然としていた京が『くっ』と悔しそうに顔を歪めて歯を食いしばり、次に怒りを抜かすようにゆっくりとため息を吐いて、緩く笑んで呟く。
「……そうだ、こういう人だったんだよ、友一先輩は……」
なんとか堪えようとしている京を友一は立ったまま上から覗き込むようにニヤけた顔を近付けてジロジロと見ながらわざと丁寧な口調で言う。
「ねぇ、王子、答えてくださいよぉ? どこのお国ですかぁ? そこでどんな暗黒の歴史を作るおつもりで?」
『ぐっ……』と真っ赤になって両手で顔を覆った京が鞄が落ちることにも気が付かない様子で勢いよくがばっと立ち上がって思い切り大声で怒鳴る。
「うるさいよっ!! 何が黒歴史だよっ!! もういいよっ!! 友一先輩は呼ばなくていいからっ!! っていうか今後それは禁止っ!!」
友一はまだニヤニヤとして余裕ありげな口振りで返す。
「どうしてですかぁ? 王子が仰ったことじゃありませんか? ああ、でも、王子の命令に逆らったらいけませんよね!」
『怖い怖い』とちっとも怯えた様子もなく目を閉じて両手を上げて軽く肩をすくめて首を横に振る友一をギリギリときつく京がにらみ据えて荒く吐く。
「ホントムカつくことやらせたら世界一だよね……」
その言葉に懲りずに京に向けて『ベーッ』と舌を出して手をひらひらと振って見せる友一に京は無表情になる。
「……」
「あれぇ、どうしたんですか、王子?」
「……いや別に」
一生懸命に深呼吸を繰り返した京は、最後に『はぁーっ』と息を吐くと、傍にある友一の襟首をつかんでグイと引き寄せてうっすらと笑って言った。
「そんなに言うなら、友一先輩の王子様になってあげてもいいんですよ、僕」
唇を近付けて来る京に、友一は真っ青になり、『ひっ』と飛びのいた。
「げぇっ……!! 京!! お前!!」
『ほらね』としてやったりとうつむいて満足げに笑んで京は地面に落ちていた自分の鞄を拾い上げてパンパンとはたく。
「話し合いはしておくべきですよね。こうして相手の弱点がわかるから。二度と言わなければ許してあげます」
気まずそうに赤い顔をして目を閉じてムスッと黙り込んで手でボサボサの頭をかいていた友一はしばらくして頭を下げてへらへらと笑って言った。
「スマン。からかいすぎた。俺のことは『キング』と呼んでくれ」
「そういうのいらないから」
スゥッと目を細めていまいましげに友一をにらみつけて腰に手を当てて下からだというのに威圧的に感じられるほど堂々と胸を張って京は立つ。
「なんで罪に罪を重ねるような真似を……って笑うなぁ!」
おかしくて堪らないというように『プッ』とふき出して腹を抱える友一に京は激怒する。
「だいたいそのへらへらとしたそれ! ちゃんと謝る気ないでしょ!? イライラするんだからっ!!」
友一は必死に笑わないで真面目な顔をしようとしてピクピクと頬を引きつらせながらペコペコと何度も頭を下げる。
「悪いな。ツボに入った。なんかいろいろとさ。ごめん。本当に謝る!」
『信用ならない』とぷんぷんしている京は気に入らないというようにそっぽを向いて呟く。
「人がせっかく友一先輩が寂しくしてるんだろうから付き合ってあげようと思ったらこれだよ。心配なんてするんじゃなかった。チェッ」
つまらなさそうにぼやいている京の横顔を瞬間的に表情を消した友一が冷たい目で見る。
「ねぇ、もう少しだからさっきのファーストフード店のとこに戻って、何か食べながら万里兄ちゃんを待つことにしませんか?」
『先輩?』と訊ねられて、友一はハッとして、へらへらと愛想笑いをしてうなずいた。
「そうだな……それもいいか」
(続く)