退屈した天才と






「とりあえず移動しますか」
 片方の手のひらにもう片方の手を拳にしてポンと軽く手をたたいて京が笑顔で提案する。
 二階建てのファーストフード店についた階段の横手の陰になったような場所で話をしていたが、いくら目立たない場所とはいえ騒ぎ過ぎた上に、長居をし過ぎた。
 先ほどから頻繁に店の裏口から物を運び入れたり運び出したりしている店員や同じ道を繰り返し何度も通る通行人などに怖がるような不審そうな目でジロジロと見られている。
「それもそうだな」
 ポケットに手を突っ込んで友一はゆっくりと歩き出す。
「だからって京の遊びに付き合うと決まったわけじゃないんだぞ」
 すぐに隣で非難げな声が上がる。
「えぇ~、そんな、なんでですかぁ!」
 『ここまで来て……』とぼやく京は、こちらは頭の後ろで腕を組み、胸を反らして悠然とそれでも友一に遅れないように大股で歩いている。
「どのみち万里ってやつは怒り狂ってるんだろう?」
「まぁ。ここで逃げても遅いとだけは。完全に誤解してますし」
「ああいう執念深いやつに目をつけられるのは面倒なんだけどなぁ」
 わざと京に歩調を合わせた友一はすまし顔でさりげなく横目で京を窺う。
「執念深い……ですか? 万里兄ちゃんが? そうかな……?」
 考え込みながらというふうに首を傾げて遠くを見るような目で疑念たっぷりに言う京に友一はふっとうつむいてわずかに苦笑する。
「京、お前の『近所のお兄さん的存在』でありながら、学校で、しかも部活まで一緒なのにそれを仲間にバレないでいられるって、お前はともかく、あいつも相当隠し事の上手い人間に間違いないよな。京は天才だし、演技が上手いからだとしても、あいつは秘密主義なんだろ。ようするに自分の大事な物は隠す。他人に奪われたくないって感じじゃないのか。それに俺には少ししかわからなかったけど、かなりの漫画ファンだろ、いちいち台詞を覚えてるほどの。あれは粘着質なストーカータイプだよ」
「……万里兄ちゃんはそんな人じゃ」
「根に持つタイプだろ」
「……」
 必死に何かを思い浮かべていた様子の京が『うっ』としかめ面をして頬に冷や汗を垂らしてうなだれる。
「……いつまでも覚えてることはありますね。そんな昔のことはもういいじゃんって僕は思うのに。でもストーカータイプというのはちょっと」
 前に持った鞄に目を落として京は難しい顔をして『んー』とうなる。
「されたことないし、わかりませんよ、そんなこと。決めつけはよくないんじゃないですか? そんなのただの友一先輩の妄想でしょ?」
 怒っていいものか戸惑うというふうに困惑した様子で眉を下げて口をとがらせて自分を見上げる京に友一はニヤリとしてみせる。
「今、京の携帯電話の電源を入れたらどうなってるか、楽しみだな」
 『あー……』と京は微妙な半笑いを浮かべてズボンのポケットを押さえる。
「どうします?」
 友一は真面目な顔で正面を見て『うーん』と自分のあごに手を当ててうなってから返した。
「あまり離れるのもマズいな……」
 京がメールで教えた居場所から離れすぎると万里が探しにくいだろうと思って呟く友一に京が呆れ顔をする。
「いや、そうじゃなくて、『殴り合いします?』って」
 全身から力が抜けたというように友一が『はぁ……』と深くため息を吐く。
「京」
 さっと振り向いて、友一はわざとらしくへらへらと笑い、小首を傾げる。
「別に一方的にお前が殴られるんだっていいんだぞ?」
「僕がおとなしくやられてると思います?」
 明るく言って興奮に頬を赤くして期待にキラキラと目を輝かせてシュッシュッと拳を繰り出してみせる京にげんなりとして友一が横を向く。
「それも勝てるかどうかわかんねぇんだよなぁ……」
 ボソリと低い声で出された苦悩しての独り言に京はきょとんとして友一を窺い見て問う。
「友一先輩? 先輩ってなんか変なプライド持ってます? 僕をメチャクチャにしてやるって言ったからにはそうしなきゃみたいな?」
「なんでそうなる?」
「鬼畜の名が廃るみたいな?」
「おい」
 不機嫌そうな仏頂面で京をギロッとにらみつける友一に京は平然として怯まず悪びれずに言う。
「いや、もう同じでしょ、どうせ万里兄ちゃん怒ってますって。友一先輩が僕をヒドい目に遭わせていようがいまいが。そりゃ心配させただけのことはあると思わせることができれば僕への怒りは軽減するかもしれませんけど。先輩に関してはどうせ何も変わりませんよ。どうして付き合ってくれてるんです?」
 本当に不思議そうに訊ねる京に、友一が足を止めて向き直って何かを言おうとし、考え直したというようにまた歩き出して一度閉じた口を改めて開く。
「どっちにしろ『した』と思われてるのならしないのは損だよな」
 足を止めた友一に合わせて立ち止まっていた京が、再び歩き出した友一に慌てて追いかけてきて隣に並び、脅しようでもなく素っ気なく言い放った友一に申し訳なさそうな顔をしてうつむいて小声で言う。
「すみません。一応言っておきますね。あとホテルでも入ります?」
 今日の夕飯は何かと問うようにさらりと出された一言に、友一は足を止め、バッと京のほうを振り向き、驚愕に大きく見開いた目で凝視して、ザッと飛びのくようにして距離を取り、青ざめて震えながら声を絞り出した。
「げえぇっ……、京、何言ってんの!?」
 その反応に驚いたという様子で京は目をまん丸くして言う。
「えっ、いやぁ、そういう方法もあるじゃないですか。このまま歩き続けるのもなんですし。本当にはしなくてもそれでじゅうぶん誤解させられますし」
 近寄る京に怯えた表情をした友一がジリジリと後退する。
「どうしたんです、友一先輩、嫌だなぁ。怯えないでくださいよぉ。男同士でも入れるところありますから。僕、入ってみたいですし、もちろんただの好奇心ですけど。いい機会だから試しにふたりで入ってみましょうよ!」
「入ってみるような場所じゃなくない!?」
 蒼白になって己の身を両腕で抱きしめて庇うようにして涙目でぶんぶんと首を横に振り全身で拒絶を表す友一に京が『あれ?』と笑顔を引きつらせて意外そうに目をパチパチとさせる。
「どうしたんですか? 先輩? その反応……? 冗談でしょ? ねぇ?」
 恐怖に蒼白になった顔を引きつらせてぶるぶると震えて無言の友一に困惑顔になり京は両手を広げて警戒することはないとアピールしつつ友一に向かってトコトコと歩いていく。
「よせ! 来るな!! 怖いっ!!」
 道の端で壁にへばりついて恐怖の表情でわめく友一に、京は足を止め、両手を広げたまま肩をすくめて、『はぁ』と小さくため息を吐き、友一の傍に歩み寄り、ずいっと詰め寄ると瞬間ニコッと可愛らしく笑って、それから下から挑発するようにスッと細めた目でなめるように見てニヤリと嫌らしく笑んで言う。
「僕をメチャクチャにするんじゃなかったんですか?」
 『ひぃっ』と細い声を喉の奥から出して、ビクッとして身を縮めて固く目を閉じる友一に、京がガクリと肩を落として地面に向けてぼやいた。
「なんなの、この情けない生物、友一先輩とは思えない」
 『やれやれ』と諦めた様子で少しだけ離れてつまらなさそうに片足をぶらぶらとさせて地面を蹴る京にようやくホッとした様子で友一が壁から離れる。
「嫌な思い出があるんだよ」
 前に京の言った言葉を出して話を済まそうとした友一に京が仏頂面で言う。
「僕に何かする気はないんでしょ。僕も先輩に何もする気はないですし。ただの暇つぶしですよ。それと万里兄ちゃん対策の。どこに問題があるんです?」
 京と決して目を合わせないように友一はまだ青い顔を背けていまいましそうに苦い口調で言う。
「いや……たとえそうだとしても、そういうことになるような場所には入りたくないっていうか、京が信用できないっていうか」
「あ、ヒドい、僕のほうがされるんじゃなかったっけ?」
「だってお前のほうが強いじゃん!!」
 またビクッとしてわめく友一を京は無表情で冷静な目で観察する。
「……それってさぁ。過去に何かされたの? 話の流れからすると女の人とじゃないよね? ホテルに連れ込まれたの? まさか体を売ってたとか……」
「違う!! そうじゃない!! それじゃない!!」
 今度は真っ赤になっておどおどして慌てて否定する友一を、珍しいものを見る目でまじまじと見て、京はひとりでうなずく。
「そっか……無理やりにって感じだし……『そういうことになる』って言い方をするってことは……へぇ意外だな……こういうの弱いんだ……」
 友一はぶつぶつと呟いている京の頭に拳骨を落とした。
「ぎゃん!」
 『いたた……』と頭を抱えて涙目で振り向く京に、好奇心のままにどこまでも追及しようとする京を黙らせるため、これ以上ないほど険しい顔で友一はきっぱりと言い切る。
「とにかくこの件はなしだ。トラウマがあるんだよ。踏み込むな」
 京が口をとがらせる。
「トラウマってことは何度もってことですか?」
「……い、いや……、一度だけだけど……」
「一度だけでそれだけ濃い体験をしたんだ?」
 『そう思っちゃいますよ』と小憎たらしく目がすがめて言う京に、友一はしばらく赤い顔で黙っていたが、ついに観念してのろのろと口を開く。
「……事情があって天智にキスされたんだよ……」
 『わーぉ!』と驚く京に、『もう行くぞ!』とぶっきらぼうに言って、友一は速足で歩き出す。
「待ってくださいよぉ!」
 京の泣きつくような声を無視し、友一はスタスタと歩くが、追いかけてこないことに気が付いて後ろを振り返る。
「……?」
 すると、先ほどの場所にいた京が途端にパァッと顔を明るくして、嬉しそうに駆け寄ってきて友一の腕を取る。
「やっぱり! さっきから友一先輩僕のこと待っててくれてますよね! 置いてかないように気をつけて合わせて歩いてくれてたりとか!」
 『なんだかんだ言って優し……』とはずんだ声で言う京の口をうんざりとして友一は手のひらで覆って止めて不快そうに掴まれた腕を振りほどく。
「そういう誤解をされると迷惑だと思って言わなかったんだが。確かにそうだがこれは別に優しさじゃない。俺はただ、こうなった以上はなんとしても京を無事でいさせる必要があると思って、一緒にいるだけなんだ。万里先輩が迎えに来るまでに何かがあると困る。無視して置いて帰ってその後に京に何かあったら俺のせいにされるだろ。だってそう言ったんだから」
 『へ~え……』と京は友一を見上げて顔を覗き込み首を傾げる。
「責任感ってやつですか?」
 友一はますます険しい顔つきになり眉を上げてきつく眉間に皺を作って痛みを堪えるようにしていまいましそうに言う。
「これから夜になり暗くなる危険な街中にこんなチビで生意気なクソガキを放り出せるか? いや、いくら京がケンカが強くてもだ、危険ってそれだけじゃねぇんだよ。俺のような奴に『面白そうだから』とホイホイついてくるような好奇心の強いお子様は置いていけない。繰り返し言うが優しさじゃない。俺自身が携帯電話を持っていればまた別の手を取るんだが」
 友一は疲れたようにため息を吐いて両手で顔を覆って嘆く。
「ああいう根に持つ奴が相手じゃなかったら喜んで見捨てて帰ったよ……」
 京が手を伸ばして、そっと友一の手に自分の手を重ねて外させて、ニッコリと笑顔を見せる。
「だけど、友一先輩、先輩は僕を心配して駆けつけてきてくれた人ですよ。そんなに自分で言うほど優しくないわけじゃありませんって。今だって理由はどうあれ僕の身を守ろうとしてくれてるんですから」
 嬉しそうに小首を傾げてニコニコしている京に、無表情でじっとその顔を見つめてから、友一は口元を片手で覆ってそっぽを向いた。
「それは優しいお前がそう思いたいだけなんだよ……」
 隠した口元は嫌らしい笑みに歪んでいた。





(続く)
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