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退屈した天才と






 羽織った黒いパーカーの裾を翻して人混みの中を急いでいる様子で駆けてくるその人を見つけてファーストフード店の階段の手すりに組むようにして両腕を置いて下を見下ろしていた紫宮京はニンマリと笑んだ。
「ホントに来てくれたんだ」
 自然と口から洩れたというように出た言葉はため息まじりで満足そうで、目はこれからのことに期待でいっぱいだというようにキラキラと輝いていて、笑みを浮かべたその顔は喜びと興奮が隠し切れないというように頬が赤かった。
「京!」
 顔を上げてそこにいる京を見つけて必死の形相で叫ぶように名前を呼ぶ相手に京は余裕たっぷりに笑ってひらひらと手を振って見せる。
「やぁ、友一先輩、来てくれてありがとうございます。慌てなくても大丈夫ですよ。今そっちに行きますね」
 途端に友一の足が止まり、ゆっくりと階段を下りてくる京を不審そうに上から下まで全身を観察するようにジロジロと首を上下させる大きな動きで見て、それから忌々しそうに顔を歪ませて舌打ちした。
「ご苦労様です、友一先輩、僕のためにわざわざありがとうございます。それもそんなに慌てて。正直来てくれるかどうかも不安だったんですけど。感動的だなぁ。僕、あまりのことに嬉しくて、泣いちゃうかも」
「……おい、京、お前」
 目の前に立ち、後ろで腕を組んで首を傾げるようにして面白そうに友一の顔を覗き込む京を、あごを上げて眉をひそめて最低まで細めた目で友一が威圧的に見下ろして脅すような低い声を出す。
「『助けてくれ』って言ったよなぁ? なんだ? これは?」
 持っていた封筒を開いて中から数枚の写真を取り出して京に突きつける。
「昔の写真ですよぉ」
 頬や腕や足に痣がついたり切れたりした自分の写真を見せつけられて京は平然として返す。
「僕、昔、イジメられてて。その時の、えーと、証拠写真的なものです。いざとなったら訴えようと思って撮っていた写真が何故かまだあったんですよね。それにしても、お腹は脇腹の傷がないから怪しまれると思って抜いておいたんですけど、顔でわかりません? 今より幼いでしょ~?」
 黙って冷たい顔でじっと京を見下ろしていた友一は『はぁ』とため息を吐いて目を閉じて首を横に振った。
「……わからないな。京は童顔だから。だいたいこんな顔の下半分しか映ってない写真じゃ判別のしようがないだろ」
 騙されたということを知り、怒りを堪えながら苦い口調で自分に言い聞かせるように言う友一に、京は京で頬を膨らませて口をとがらせる。
「あ、それ、侮辱ですよ! 友一先輩! 僕はちゃーんと成長してます!」
「童顔は変わんねぇよ!!」
 言い放ち、写真を束に重ねて中央から破こうとした友一の手を、京がつかんで止める。
「やめてくださいよ。こんな街中でそんな。いくら僕でも恥ずかしいです。少しでも残っちゃうと。どうせならシュレッダーにかけなきゃ」
 友一はニヤリとどす黒い笑みを見せる。
「なら、まだ他にもこの写真はあるんだな、スマホに残ってるのか? それともパソコンか? どうでもいいが、それなら破らずにいっそこのまま、街中にバラ撒くっていうのはどうだろうなぁ?」
 ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべて写真を持つほうの手を広げて力を緩めようとする友一の手首を握った京が強い力で自分のほうに引き寄せる。
「ホントやめて。やめてください。お願いですから。いくらハッキリ顔が映ってないからって困ります。どうして友一先輩は他人の嫌がることをさせるとそんなに上手いのかなぁ」
 最後は独り言のようにぼやく京に、強く握られた手首の痛みでしかめ面をした友一は、顔面凶器と呼ばれる怖い顔を京に近づける。
「京、『助けて』ほしい事態になるのは、これからなのかな?」
 迫力のある顔でニコッと微笑む友一のわかりやすい脅しに京の顔が強張る。
「しゃ……写真のことは謝りますよ! それは確かに騙したことになるかもしれないですけど! でも嘘は吐いてないんですから!」
 『先輩が勝手に思い込んだだけで……』ともじもじとして言う京に『ほぉう?』と友一の凄みのある笑顔が大きくなる。
「助けてほしいような何かが京にはあるのかなぁ……?」
 『うっ』と身を引いて、京は不貞腐れたようにムスッとしてなぶるような目で自分を見ている友一をにらみ返し、手から写真を取り返して、友一にもう用はないと渡された封筒も受け取り、渋々というように言う。
「退屈で死にそうだったんです。暇で暇で仕方がなくて。何も面白いことがなくて、どうしようもないから、『あっ、そうだ、こういう時の友一先輩』……」
「ふざけんな?」
「……ですよね」
 真面目な顔で即座に返す友一に京が肩を落としてしょんぼりとする。
「僕、正直に答えたのにぃ、何をそう怒ることがあるんですかー……」
 うなだれる京を前に、奇妙な生物を目にしたように友一は信じられないというように目をいっぱいに見開いて、首を傾げてまじまじと見る。
「……いや、京、その理由で俺が怒らないと思うほうがおかしいぞ」
 友一は青ざめて、引きつる口元を片手で抑えて横を向き、京の前にもう片方の手を出して遮るようにする。
「退屈してたから? 俺の家のポストに自分がイジメられた時の傷跡のある写真を投函して? 助けてって言われて慌てて来る俺を見て喜んでただと?」
 自分のしたことを挙げられてその非難めいた口調に対して否定もせずに平然として無表情で待っている京を友一はチラリと横目で窺いため息を吐く。
「……天才様の考えることなんて俺みたいな凡人には理解できないよな……」
 わざとらしく笑みを口元に作って『やれやれ』と首を横に振って見せる友一に京は気に入らないという様子でまぶたを半分閉じた半眼で下から見据える。
「切手貼ってなかったでしょ。怪しむだろうと思ってわざとですよ。僕の手間と労力を考えてください。友一先輩は付き合ってくれるべきでしょ。僕が退屈してるっていうんだから!」
 本当に困惑げに友一は眉を下げて目の前の京に向き直って見下して言う。
「なんでそうなるんだよ。だいたい京は自分のいたぶられた写真をわざわざ家に届けてくるようなクソガキだぞ。気持ち悪いよ。相手の気持ちをもう少し考えるんだな。俺がどんな思いであの写真を見たと」
「興奮したでしょ?」
「おい」
 さらりと言う京に友一は聞き捨てならないことを言われたと額に青筋を立てて眉を上げて目をすがめる。
「俺は変態じゃねぇ。心配して駆けつけた人間に対してそれか。これでますますお前の相手をする気がなくなった」
 京の目が細められる。
「だって友一先輩、船の上で僕が魅嶋靖とやりあってる時に隠れてこっそり僕が殴られてるとこ見てたでしょ、あのタイミングで現れるってことはさ」
「……」
 なんの感情も浮かべずにただの事実というふうにあっさりと告げる京に友一は眉をひそめて黙って見つめ返す。
「あ、別にそれで友一先輩にすまないと思って暇つぶしに付き合ってもらおうだなんてセコいこと考えてないですよ、僕は。先輩は狙ってやったことに対していつまでも良心が痛むとかそういう人でもないでしょ。僕も自分のためと、それに先輩の信頼を得るためにしたことだし、後悔はしてませんから。ただ、そういう人なのかな~って、ちょっと思って。ああ、違いますよ、見られる類の人なのかなって」
 小首を傾げてニコニコと笑う京に、あごに手を当てて空の一点を見てしばらく考えた友一が、ふと思いついたというように京に問う。
「京、お前、俺がお化け屋敷が苦手なんだって言ったらどうする?」
 試すような真剣な口調でのその言葉に京が途端に目をキラキラと輝かせる。
「えっ? ……そうなんですか!? 何それ、すっごく面白いですね、今度一緒に入りましょうよ!!」
 友一は真面目な顔でゆっくりと首を横に振る。
「悪い。今のは嘘だ。確かに俺は残酷なものも平気で見られるほうだが……」
 うつむいて、難しい顔をして目を閉じて、ポケットに手を突っ込んで、自分の周囲を飛び跳ねながら『あれは苦手ですかこれは苦手ですか』と旺盛な好奇心をむき出しにして自分の弱点を探り出そうとしている京を無視し、しばらく考え込んでいた友一は、やがて『はあぁ』と深いため息を吐いて目を開けた。
「京。俺はな、お前に何かあって助けを求めてるようだからこうしてここに駆けつけたわけなんだが、実はこれから内職の仕事があるんだよ。付き合ってやりたいのは山々なんだがあいにくと俺のほうは暇じゃないんだ。すまないがまた今度にしてくれ。とりあえず今は解放しろよ」
 怒らせないようにこどもに言い聞かせるように優しく、それでいてうんざりとして『参った』と懇願するような調子で、友一ははしゃいでいる京を説得しようとする。
「いいですよ、仕事しながらでも、僕は構いませんけど」
「延々と造花を作ってる俺を見ていたいのか?」
「とりあえず家に入れてくれれば」
 『後は自分で好きなように楽しむので』と明るく続ける京に友一はぶんぶんと首を横に振る。
「はっきり言って面倒臭いんだよ、京、お前。邪魔する気だろうが。っていうか邪魔だ。こういうことは言いたくないが今現在俺はすごく迷惑してるんだ。こうしてる時間がもったいない」
「それなら僕も手伝いますって。内職。えーと、造花作りでしたっけ、簡単ですよ。それならいいでしょ。あ、ただし、僕はすぐに飽きますけど」
「……いや」
 顔をげっそりとさせて友一はゆるゆると首を横に振る。
 厄介な奴に捕まった、誰かに押し付けて逃げてしまいたい、そんな内心で。
 そもそも来たのが間違いなのだ、京なら自分でどうにかしただろうが、行かなければ行かないで面倒そうだと判断して友一はここにいる。
「おとなしく俺の内職を手伝ってくれるならいいが……」
 そうはいかないだろうなと想像した友一は自分を興味津々といった様子で覗き込んでいる京を見て諦めのため息を吐いて嘆く。
「ノルマもあるし、勉強もあるし、明日の新聞配達もあるのになぁ……」
 困惑顔で首を傾げてボサボサの頭を手でかいてくしゃくしゃとさらに乱しながらぶつぶつと呟く友一を、観察するようにまじまじと見ていた京が、パッと何かいいことを思いついたというように顔を明るくする。
「じゃあ僕が友一先輩を買いますよ!」
 友一は思い切り顔を歪めた。
「あ?」





(続く)
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