狐七化け、狸八化け

神のように崇めていた主君、豊臣秀吉を討たれた復讐心だけで動いていた三成は、かつての友であり復讐の相手であった男、徳川家康と天下分け目の大戦の場で争い、家康を斬首する為だけに生きていた
しかし黒田官兵衛の乱入や織田信長の復活などの予期せぬ邪魔、戦う事を止めようと動いていた前田慶次たちの動きによって戦は起こったが終結へと向かった

家康を殺せなかったー………

その事実だけが三成の心を占めていた
何故、家康との一騎打ちを周りの者に邪魔されなければならないのかと自分の運を忌々しく思うし、また邪魔する理由も様々であったが邪魔された事実は変わらないので三成にはどうでもよかった
ただ一つ分かる事は、会う者は皆『豊臣秀吉』を過去として出すばかりであった
この事実は、三成にとって不愉快でしかなく、何故に皆が己の軍を「凶王軍」や「石田軍」と総称してくるのかが不思議で堪らなかった

しかし、もはや戦は終結へと向かって行き、家康とは刃ではなく言葉を交わす事しか許されてはいなかった
秀吉が倒された当初よりは冷静な判断が出来るまでには回復していたが、憎しみが消える訳ではない
否、消せるはずがない思いだった

そして今日(こんにち)も日ノ本の為、話し合う場が設けられていたが三成は大谷に止められていた
「三成よ、徳川と顔を突き合わせ刀を抜かぬ事ができるか」と問われたのだ
その問いに偽りを知らぬ三成は肯定も否定もする事ができなかった
今の三成には、もう己の心を計りかねていた為である
そんな三成を見て大谷は左近を引き連れ、ただ一言「しばし話してくる」と部屋を退室してしまったのだった

慌ただしく出て行った左近が開けっ放しにして行った障子を閉める気にもなれず、三成はただ庭を濡らす重苦しい雨を見つめながら未だ抱えている疑問を口にしていた

「家康…何故、貴様は裏切ったのだ…」

共に豊臣の兵として並び立っていた頃、友と思い背を預けた事もあった事を思うと忌々しくも、家康に心を開いていた事になると冷静な頭が告げていた
しかし三成にとってその事実は己の心を焼き切る程の苦痛しか生まぬものであった

そこまで静かに考え込んでいると、考える邪魔をするようにドタドタと品の無い足音が部屋へと近づいてきていた

「三成様!暇でしょ?酒、かっぱらってきたんで飲みませんか?」
「騒がしいぞ、左近、第一…何故、酒なんぞ持っている」
「あー…それなんですけどね?宴会になっちゃったんですよねー刑部さんも呆れちゃって部屋に戻っちゃったみたいですし」
「何ぃ!?刑部が居て、この有様とはっ!やはり私も行くべきであったっ!」
「まぁまぁ!三成様!まだ初日ですから!まだ日数はあるし今日くらい息抜きしましょ!」

笑顔で三成の傍へと近寄ると両腕いっぱいに持っていた酒の入った瓢箪やつまみの品を三成の前へ広げていく
そんな左近を止めようとはせず、好きにさせながら先程までの考えなどは次の機会だと頭の片隅に追いやる
三成のそんな考えなど露ほども知らぬ左近は、準備を終えるとお猪口を差し出す
その素直な好意を寄せる左近の態度に自然と力を抜き、お猪口をいつの間にか取っていた



「あー…三成様、そのぉ」
「なんだ、言いたい事があるなら早く言え」
「は、はいぃい!!!あ、あの!俺も飲んで良いっすか!?」
「ふん、そんな事か…好きにしろ」
「ありがとうございます!あ、お猪口が空ですよ、はい!」

珍しく酒を素直に嗜む三成に左近は問う事はせず、ただ三成のお猪口が空けば酒を注ぎ、隣で一緒に酒を飲むだけであった
そんな左近に三成も異を唱える事はなく、好きにさせていた
何処か穏やかな時に三成は、自分が酒を飲む事を拒否しなかったのも家康の裏切りに思い耽るのも嫌いな雨の為であろうと思った
でなければ三成は自身の心に生まれていた寂しさに近い感情など覚えないと思ったのだ

そしてその感情に戸惑っていると庭の林がガサッと動いたかと思うとドサリと重い物が倒れる音がした

「ん?なんすかね…俺、念の為に見てきます」
「……………いや、私も行く、武器は持っておけ」
「はい!」

不穏な音に左近は睨みを効かせながら立ち上がるのを見ながら、三成は何故か心のざわめきを感じて愛刀を手にし、左近が傘をさして音の元へと足を進める

そして林の方まで行くと、そこには木に背を預け血だらけで体中に見える斬撃の後から血を流す黒髪の青年がいた
そのあまりの惨状に左近は慌てて三成に傘を渡すと青年に近寄り、生存確認をする
三成はといえば部下の無礼な態度を叱る事はせず、ただ二人を見つめる

「三成様!息があります!」
「それがどうした」
「え…」
「音の正体がこの男だと分かっただけだ、適当な使いに伝えておけば良いだろう」
「そんな!三成様、コイツ早く手当てしないとマズイですよ!急所はほぼ外れてるけど一線一線の傷が深いっす!出血もこれ以上は!」
「ならば左近、貴様が助けろ、私がコイツを助ける義理はない」
「っ、分かりました!三成様、部屋を少しの間だけお借りしますよ!」
「好きにしろ」

助ける気はないと言った三成だったが一番近い部屋である三成が使っている部屋に左近が青年を入れると騒ぐ為、三成は部屋と戻ると障子を大きく開いた後は左近が広げたつまみや酒を部屋の片隅へと移動させる
左近が濡れながら青年を縁側へ連れてくると、三成は左近へ布と備え付けの救急箱を渡す

「あ、ありがとうございます!」
「手当てはお前がしろ、その男を拾ったのはお前だ」
「はい、分かってますよ!」

拭き終えた左近は慌ただしく部屋へと戻ると着替えの着物を出し、青年の顔や体を拭いてやると上半身から手当てをしていき全てを応急処置し終えると手早く着物を着せてやる
その間、三成は一部始終を見守っていたが手当てが終わる頃には布団を出していた

「すんません!布団出してくれたんですね!」
「礼は良いからさっさと布団に移動させろ、邪魔だ」
「あ、そういうことですか…はいはい!動かしますよー!」
「いや、その必要はないよ」
「え?」

突然の第三者の声に左近は驚き、声のした方向を見ると青年が微笑みながら座り込んでいた
いつの間にか目を覚ましていたらしい青年は先程までの惨状がまるでかすり傷のように思わせる程、穏やかで凛とした雰囲気を感じて三成はフッと家康の事を思い出したが、すぐに眉間に皺を寄せて排除する
そんな三成の様子に気付くことはなく左近は青年の言葉にしかめっ面を浮かべる



「ちょっとアンタ、必要ないってどういう事だよ」
「突然すまない、目を覚ましたら驚いたが助けてくれたのはアナタだろうか」
「そ、そうだけど…」
「そうか、ありがとう!手当てまでしてもらっていて申し訳ないがこれ以上の迷惑はワシの意に介しないんだ、お礼もままならないがせめてこれ以上の迷惑をかけない様に退散させてもらおうと思う」
「ふん、長々と甘言を並べるか、ようは早急にここから離れたいだけだろ」

起きて間もないと言うのに青年は怪我を感じさせない雰囲気でごく普通に礼と立ち去る事をやんわりと伝えてくる言葉に三成は何故か焦燥感にも似た苛立ちを感じながら、いつになく攻撃的な言葉で青年を睨む
青年は三成を見て一瞬、目を見開いたが三成が青年の様子をよく見ようと思った時には既に起きた時の雰囲気に戻っており、ただ微笑みは苦笑いへと変わっていた

「ハハハッ!なかなか手厳しい指摘をするのだな、凶王殿は」
「なっ!アンタ、なんで三成様を知ってんだ!何もんだ!」
「何者も何も貴方たち、朝方この下(しも)の方の茶店で居なかったか?」
「……………あー!!!あの羊羹の美味い店!?」
「そうそう、そこで仲良く話しているのを偶然、聞いて覚えていたんだ」
「なーるほどなー!そりゃ名前を聞いたら合点がいくわ!」

青年の言い分に記憶を呼び起こされたのか、左近は嬉しそうに青年の肩を叩く
そんな左近の様子に叩かれた為か顔を少ししかめながらも微笑みを完全には崩さず笑う
しかし三成はそんな左近の首根っこを掴み、退かせると鞘に納めた状態の愛刀で青年の肩を叩く

「っぐ!」
「み、三成様!!!何してんすか!?」
「貴様ぁ…何故、嘘を吐く!!!」
「え!?三成様?嘘ってなんすか?」
「お前の記憶力はどうなっている、左近!あの茶店に私たち以外の人間は居なかっただろ!そもそもあの斬撃であれば騒ぎがある筈だ、貴様!何者だ!!!」

三成の言葉を聞いて左近は更に思い出したのか目を見開き驚いた顔になったかと思うと、すぐさま青年へと視線を寄越す
そんな左近には目もくれず、ただただ三成は謎の苛立ちを抱えながら鋭く青年を睨む
だが青年に怯える様子はなく、ただ微笑みを消し真っ直ぐに三成の目を見つめ話し始める

「………はぁ、ちょっと嘘が下手すぎたか…まぁ、正体を明かすのは構わないんだが襲わないと誓えるだろうか」
「貴様…この機に及んでまだ言うか!ふん、だが良いだろう…誓ってやる」
「み、三成様!!!何言ってんすか!!!こんな怪しい奴と約束するなんて!!!」
「黙れ!!!決めるのは私だ!!!」
「っ!………分かり、ましたっ!すんません…」
「……………両者、良いだろうか?」
「あぁ、さっさとしろ」

青年は悔しげな左近に少し視線を寄越し一瞬、戸惑いの目を向けたがすぐに潜めるとスッと立ち上がり、まだ雨が降り注いでいるにも関わらず庭に出ると身を翻す

するとそこには青年ではなく、一匹の大狸が居た
もとい体の模様や独特の尻尾を見なければ、熊にも間違えんばかりにデカく尾も通常よりも長く蜷局を巻いている程であった
予想外の事態に流石の三成も目を見開いて動く事ができず、左近に至っては驚きすぎて立ち上がれぬほどであった

「どっ!えぇえええ!!?いや、今、え!?」
「煩いぞ、左近!!!…だが物の怪の類だったとはっ!」
『ふふっ…流石の凶王殿も化け物はお初の様で…』
「っ!それがどうした!まだ傷の理由を聞いていないぞ!」
『あぁ………それはとりあえず人の姿で話そう、流石に雨の中で立っているのは体に響く』
「………ふん、好きにしろ」

未だ慌てふためく左近を置いてけぼりに二人は話を進め、また身を翻して人の姿になった青年は縁側へと足を進めるとそのままその場に胡坐をかく
その様に三成は咎める事はせず、ただ青年を見つめるばかりだった

「この傷はワシがここを通過する際に邪魔が入り、そのまま戦闘した結果だ」
「何度も言わせるな!何故、この屋敷や周りの動物どもが騒いでいないと聞いている!」
「それはワシが結界を張っていたからだ、相手は知らないが少なくともワシは動物や人を巻き込んでまで戦うつもりはなかったからな」
「あ、アンタ、さ…、もしかして戦い慣れしてる?」
「ん?あぁ、慣れてるよ、これでもその辺の妖怪どもは一掃できると自負しているつもりだ」

人の姿になり冷静さが出てきたのか、左近は恐る恐る気になった事を尋ねると青年は左近の雰囲気が可笑しいのか微笑みながら何処か自慢げに口角を上げる
そんな自慢げな青年に態度を変える事無く、三成は手ぬぐいを投げつけながら問う

「おい、何故、そんな目をする」
「三成様?」
「……………そんな目、と言うと?」
「何かを恐れる怯えきった目だ、さっき戦い慣れていると言っていたが貴様、戦う事を恐れるのか?」
「っ!」

青年は先程までの自慢げな笑顔を消し、ここまでの態度では見せなかった驚愕の顔色を見せて体を強張らせた
左近もそんな動揺しきった青年に驚くと青年の目線の先に居る三成を見た
二人に見つめられる三成は、先程までの怒りや苛立ちは消えており、ただ静かに青年のわずかな動きも見逃さない様に視線を注いでいた
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