同棲ナギカン

得てして喧嘩、と言うものは当事者たちからしてみると喧嘩だとは思っていない時があるんだなぁとサギョウは淡々と書類をファイリングするカンタロウを見て思う。
と言うか、只今絶賛観察中のケイ・カンタロウと言う男は大変サギョウにとってはハリケーンに変わりないのだけれど優しい言い方をすれば大変サギョウに懐いてくる年上の後輩だ。
可愛げがあるかは置いといて、伊達に退治人経験者ではないし別部署からわざわざ異動してはいないのだろう。
意外にも書類上の些事で愚痴を溢した際には、カンタロウに手伝って貰ったことで仕事が進んだ事すらある。
人は見かけによらない。
無論、だからこそ半田と共に注意したいのに出来ない金銀メダリストに入るので、サギョウとしては大人しくしていて欲しいのは確かだ。

「あ、サギョウ先輩!サギョウ先輩!これ前にお探ししてませんでしたか?」
「え?あ、ホントだ!なんでそっちにあったんだろ。ありがとうございます」
「どういたしまして!このファイルの内訳を見ると思っていたより複雑な内容でしたので、それが原因ではないでしょうか?」
「あぁ、なるほど。僕も戻す時に気をつけます」

至って普通だ、カンタロウが普通に見える。
だが明らかに普通じゃない。
それは多分、普段からカンタロウと仕事をしている全員が感じている事だろう。

「カンタロウ少し良いか?話がある、付いて来い」
「え、今からでありますか?…分かりました」

ヒヨシ隊長が大きな茶封筒を手に、カンタロウを呼んで部屋を出て行く。
本当に検討もつかないのか、不思議そうにしながらヒヨコのように付いていく姿に何故かサギョウは嫌な予感がした。
しかし、とても漠然としたものだったので仕事に戻り、さて帰ろうかと思っていた頃まで忘れていた。
そんな時だ。
カンタロウとヒヨシは何処か疲れた表情で帰ってきて驚いた。
まさかヒヨシ隊であるヒナイチや半田ですら帰宅やら仕事を持ち帰って今は居ないと言うのに、少し珍しいコンビによる帰還に思わずサギョウは声をかけていた。

「お疲れ様です、お茶淹れましょうか?」
「おぉ、サギョウすまん!いいのか?帰るところじゃろ」
「まぁ、お茶くらいは構いませんけど……んで、カンタロウさんは大丈夫なんですか?」
「え?…あ、本官でありますか!?そんなに顔色悪かったでしょうか?」
「いえ、でも元気ないなぁとは思います」

正直カンタロウの顔色は、いつの日だったか雨の日に子供の吸血鬼に誤って刺された事故の際の方が酷かった。
あの日はナギリが帰りを待ってくれているからと嬉しそうに話していたが、能力の暴走で錯乱した子供の吸血鬼に対応したのはカンタロウだった。
吸対の制服に緊張状態から落ち着いて子供は気を抜いてしまったのだろう。
子供の棘のようなものを出す能力は容赦なくカンタロウを刺してしまったのだ。
その後すぐ子供が再び混乱しそうになったのだがカンタロウが「大丈夫、怖がらせてしまったね」と時間をかけて話しかけ、聞き届けた子供は落ち着きを取り戻す事に成功した。
相手は子供なのもあり、サギョウや他のメンバーも麻酔銃は使いたくなかった為にカンタロウの説得で子供が無事に保護できて良かった筈だった。
だがその後が不味かった。
カンタロウの身体、そして制服は血に染まっているにも関わらず「辻田さんに会いたくなってしまったので失礼します」と手当てを拒否したのだ。
流石にナギリも驚くから手当てしてから帰れ、と半田とモエギが止めに入ったが子供のように拒否し続けたカンタロウは赤に染まった白い制服を隠すように蝙蝠傘を片手に帰っていった。
それからだ、カンタロウの元気が無いのは。

などと思い出しているとヒヨシとカンタロウが何かアイコンタクトをしたかと思うとヒヨシが温かいお茶を啜って一息つくとカンタロウに許可を出した。

「ん、カンタロウが良いなら話してもかまわんぞ」
「それでは……実は本日より正式に辻斬りナギリの監視員になる事になったので先程、隊長にお手伝いして頂いて手続きを進めてきたのであります」
「えっ、えぇ!?でもアレって監視対象にも一応、確認とかありますよね?確か何かあったら監視員ってサポート出来るように一緒に住む場合もありますし……え、本当にあの監視員ですか?」
「そうじゃ、その監視員で合っている。しかもナギリの方からご指名でな、全く何を考えているのやら…」

あのナギリが指名した、カンタロウを。
そのヒヨシの言葉にサギョウは思わず飲んでいた温かいお茶を吹き出しそうになった。
何もかも信じられない。
少し前からナギリは吸対や退治人たちと高等も下等も関係なく、要請が出れば共に協力して吸血鬼を補導や捕縛の仕事をしていた。
だからナギリのそんな協力姿勢が認められ、厳重な監視は続くものの専属の監視員を付けることで本格的な社会生活をしていくことに許可が出たのだ。
勿論ナギリの要望が叶えられるかは別であったが長期に渡り関わる監視員について意見を述べる事が許されている時点で、充分にナギリの功績が認められている証拠なのだ。
そんな貴重なナギリの要望に上がった人物がカンタロウである事に、サギョウは驚きしかない。
しかしそれはナギリに、ではなくカンタロウの反応に対してだ。

「嬉しくないんですか?凄く喜びそうなのに」
「そ、れは…」
「カンタロウ曰く辻田さんに失恋中らしいからなぁ」
「ちょ、隊長!?ほ、本官あの別に悩んでる理由はそんなんじゃないでありアッツイ!」
「めちゃくちゃ慌ててるじゃないですか、はいコレ」

あひがとう御座いまふっ、とお茶で口を火傷しているカンタロウは冷水を受け取るとチマチマと小さく小分けにして飲んでいる。
ポロッと大粒の涙を流したカンタロウの瞳は、ゆらりとボヤケたと思ったら確実にポロポロッと流す涙の量を増やしていった。
あぁ、この人は本当にブレーキと言うものが壊れてしまっているのだな、とサギョウは静かに茶を啜る。

「っふ、ぁ、あれ?申し訳、ありませっ」
「…大丈夫ですか?もう隊長がイジろうとするからですよ!」
「えぇ!?そんなつもりは…そう!おみゃあのお茶が熱すぎたんじゃろ!」
「何言ってんすか、お茶が熱くて泣く訳ないでしょ!」
「え、え?あ、お茶は大変美味しいで、ありますよ」
「そこじゃねぇわ!アンタは泣き止め!!!」

えーっ!?とサギョウの容赦ない言葉にカンタロウは驚いている間も目の端は赤く、ポロポロと落ちる涙はワイシャツの襟元などが涙を吸収していく。
リアクションは普段のカンタロウに近いものの涙は出続けており、カンタロウ自身も泣くつもりがなかったのか慌てた様子で涙を拭いている。
正直、成人男性で自分よりも年上である人が泣いていると居た堪れない気持ちはある。
しかし不思議と、もっと泣いてしまった方がスッキリしそうなのに随分と奥ゆかしく泣くもんだ、と冷静に状況を分析する自分の意見にサギョウは熱いお茶で蓋をする。
泣いてる同僚にトドメは必要ない。

「まぁ、失恋相手に監視員とはいえ一緒に暮らすかもしれんとなると辛いわな」
「失恋失恋って連呼してますけど別にちょっとした喧嘩したとかじゃなかったんですか?」
「喧嘩?誰とでありますか?」
「え、誰ってカンタロウさんとナギリさんですよ」
「……喧嘩、これは喧嘩なんでありましょうか?本官が一方的に悩んでるだけなのでピンと来ないであります」

まさかこの前の監視生活の直後に一緒に暮らす事になるなんて思わなくて、と話すカンタロウは涙が時折まだ落ちていたが何処か気恥ずかしくも嬉しそうに笑っている。
それを見たサギョウは、声は喜んでいるのに迷子みたいな気弱な顔で悩むんだなぁと湯呑みの底を眺める。
ナギリもカンタロウ不器用な癖に器用に悩むヒトたちだ、と言うのがサギョウの中の二人だった。
ただ誰にも言うつもりはない。
言ってしまえば多分、本人たちを困らせる。

「でも少なくとも好きなんじゃろ?ナギリのことが。ならドーンとカンタロウの方も思った通りに当たってぶつかれば良いじゃろ!とっとと告白してしまえ」
「僭越ながら隊長の話を実行したら本官、砕ける気がするであります!」
「それは充分に有り得そうですね、それにカンタロウさんの場合こんなに悩んでなきゃ告白なんてとっくの昔にしてるでしょ」
「あぁー…じゃあおみゃあ、何か悩みごとがあるから告白してない訳か」

う、と小さく呻いたカンタロウの様子を見ると図星なのだろう。
大変分かりやすい。
ポロリと丁度、涙も溢れて消える。

「……本官、分からなくなってしまったんです。辻斬りナギリは恐ろしい吸血鬼だと思う気持ちは変わりません。でも!…それでも本官は、あの人の努力を応援できない自分がイヤです。生きたいと思う気持ちを本官は嫌と言うほど知っています」
「カンタロウさん……」
「ふむ、ちょっと聞きたいんだが、カンタロウ」
「……はい、なんでありましょうか」

実直にしかし確実に自分が苦しむであろう方向へカンタロウは悩む、そういう不器用な人だとサギョウは再認識させられた。
するとヒヨシは落ちた自分の付け髭をチラリと見た後、真剣な顔付きでカンタロウに声をかけてきた。

「応援できない自分がイヤ、だとお前は言うが別に良いんじゃないか?イヤなものはイヤ、それを変えることは難しいし無理に変える必要があるのか?」
「で、でも折角、努力している辻田さんに対して、この矛盾した気持ちで接するのは相応しくないかと…」
「なら逆にどうしたら相応しくなるんじゃ?」
「え…」
「これは俺の意見でしか無いじゃろうが。少なくともナギリ本人が罪を認めた以上、判明している辻斬り事件の犯人はあの男だろう。今、本人が努力している理由がなんであれ、それは一生ヤツに付きまとう事じゃ……無論、ナギリはよく頑張っているとワシも思う。だが奴の努力しなければならない理由を見誤ってはいかんと思う、特に俺達のような職業はな」
「ナギリさんが、努力している理由…」
「…………あー!ほら、なんじゃっけ?なんか罪は憎んでいいけど、本人は憎まずみたいなヤツあるじゃろ?アレじゃ、アレ」
「あーあ、せっかく良い話になりそうだったのに最後に台無しですよ、隊長」

思い出せなかったんだから仕方ないだろ、サギョウなら分かるんかー!?と叫ぶ隊長と呆れるサギョウの姿にカンタロウは、少しポカンとしたが言葉をお茶と共に飲み込んで二人にお礼を言ったカンタロウは帰宅する為に選んだ道を歩きながら思う。
カンタロウが逮捕現場で見たいナギリが逮捕された際、それはもう凄まじく暴れた。
と言うか、ナギリが暴れなければ結果として見ればカンタロウは死んでいた可能性が高かったと冷静になっている自分が告げている。
当時カンタロウと辻田として共に行動していたナギリは、山中の方に赴いた時に発見したカマキリのような下等吸血鬼が他にも巣を作っていないか、と辻斬り捜査のついでに確認しようと思ったのだ。
案の定、巣は他にも存在し、下等吸血鬼との乱闘のせいで洞窟が崩落してカンタロウとナギリは閉じ込められる羽目になった。
ただ当初は焦ったものの幸いにも無線は生きており、カンタロウの要請により救助は直ぐに来る予定となったのだが下等吸血鬼の巣は予想以上の規模で大きく、戦うには洞窟は狭すぎた。
流石に崩落するような場所でパイルバンカーを使う訳にもいかなかったカンタロウは防刃服もあり、パイルバンカーを振り回すだけで対応可能と判断してしまったのだ。
結果として、そこで一般人である辻田を庇って怪我をしたカンタロウと代わるように、ナギリは渋々血の刃で下等吸血鬼を駆除した。
その後、駆け付けた救助隊に対してナギリは、カンタロウを人質に取る羽目になったがカンタロウは咄嗟にナギリを拘束することで逮捕となった。
呆気なかった。
それが当時のカンタロウの感想だった。
拘束をした際、カンタロウはナギリからの血の刃に斬られる事を覚悟した上で抵抗し返した。
だがナギリは、カンタロウを血の刃で斬ること選ばず逮捕された事に驚いたのだが理由は後からVRCからの報告で判明した。
ナギリは不死性を失っていた上に、人に例えると餓死しそうな程の飢餓状態であったと書かれていたのだ。
当時の抵抗も精一杯だったのだと気付いたカンタロウは報告書を読んで、クシャクシャに握り潰したのを昨日のように覚えている。
きっと報告書を読んだ日からも、そして辻斬りに斬られた日からもカンタロウの奥底にあるものは変わっていない。

「今日から宜しくお願いします!」
「………あぁ」

あまりにも以前と変わらずにテンション高く挨拶したカンタロウにナギリは呆れていた。
この間、監視員にカンタロウを指名してみて今後の話を進めようと言われてカンタロウ本人とその上司が尋ねた時は驚いた。
元とはいえ辻斬りナギリ本人に警官とはいえ被害者である人間を本当に監視員にするとは正気ではない。
だが今や、カンタロウを手に入れたいと思っているナギリにとって都合は良かったので顔色の悪いカンタロウを尻目に正式な手続きは完了した事をナギリはほくそ笑んだと言うのに。
何があったのか、カンタロウは以前のようにナギリに微笑んで持っていた荷物を置きつつ、話しかけてくる。

「とりあえずお荷物は運び入れていますが自室を何処にするか見てみませんか?」
「……自室を持っていいのか?」
「はい、それは勿論!自分の部屋を持てるとワクワクしませんか?……本官はナギリさんに沢山、色んな体験をして欲しいのであります」
「そうか、好きにしろ」

監視員として良いのか?と思ったが勿論と即答したカンタロウの目は変わらず真っ直ぐナギリを見つめて頷いてきた。
いつだってカンタロウの目は力強くナギリを見て話しかけてくるのでナギリは以前は苦手だったが、不思議と今は嫌ではなく。
その自分の変化に思わず、鼻で笑って部屋を下見していたらしいカンタロウに付いて行く。

「此処の部屋だと日当たり良すぎるでありますかね?」
「そうだな、軽く当たる程度なら死ぬことは無いが可能な限りない方が楽だ」
「ならもう一つの部屋があるので一応、見て決めましょう!」
「……分かった」

うんうんと頷いてカンタロウが意気揚々と部屋を出るのでナギリは呆れ半分、驚き半分で付いて行く。
なんで本人より楽しそうなんだ。
寧ろ、どうして。
どうしてカンタロウは一週間の最終日あんなに泣きじゃくった癖に監視員になったんだ。
以前ならば遠慮なく聞いていた疑問を口の中に留めてカンタロウの整った後ろ髪を見つめて考える。
ナギリは最終日を終えた後も考えていたのだ。
自分は本当に殺されると思っていた男、カンタロウに欲情するのかを。

「ナギリさん、ボーッとされてますがお疲れですか?」
「っあ!?いや、大丈夫だ」
「そうですか?到着したばかりですし、のんびりしたいなら後でも構いませんので!」

来たばかりだと、しなくてはいけない準備は多いでありますから!と笑うカンタロウに、いくらナギリでも流石に罪悪感はある。
しかし、まさか本人に「お前で抜いてた事を思い出していた。首筋なんか特に実際に見ると噛んでみたくなるし押し倒したくなる」とは言えない。
幸い、カンタロウは疲れているのかな?くらいにしか考えていなかったので部屋の中心にある大きいベッドに腰かけて説明を始めた。

「ベッドは来るまでに時間がかかるので先に決めてしまいましたが本官の足を伸ばしても狭くないものと同じベッドを注文しています!ナギリさんも平気じゃないかなと思うのですが如何ですか?」
「…VRCの奴より柔らかいな」
「あ、硬い方が良かったでありますか!?」
「いや、こっちで良い」

カンタロウに習うようにベッドへと座って触り心地などを確認して素直に思った事を言ってみる。
ただの感想でしかないが不思議と素直な気持ちを話すのさえ緊張する自分にナギリは思わず苦笑する。
こんな有様で、よくカンタロウに抱きたいと話そうとしようとしたものだ。
しかしカンタロウの方は、ふんと鼻で笑ったが顔も笑っていたナギリに嬉しくなった。
あぁ、やはりどれだけ悩んで苦しんでも、そして辻斬りナギリだったとしても。
目の前で不器用に笑うヒトは、不器用な優しい辻田さんでもあるのだと感じ。
気付けばカンタロウは立ち上がると、座るナギリの頭を胸に仕舞い込むように抱き締めた。

「っごめんなさい!でも…少しだけお話を、このまま聞いて欲しいであります!」
「……寝転べ」
「え?」
「お前の身体が重くて邪魔だ、寝転べ……それなら似たような体勢でも良い」
「っありがとう御座います!」

改めて寝転ぶ事は思っていたよりも恥ずかしく、カンタロウは我ながら凄い事をしたもんだと気付く。
無論ナギリの方も、まさかカンタロウが自分を抱き締めてくるとは思っておらず動揺していた。
しかし包まれた時の人間特有の温かさは離れがたく、顔が埋まったカンタロウの胸に不快感は無い事に驚いた。
寧ろ不思議と温かい布団のように優しく、心地良いとも思える心地に手放したくない気持ちは増していく。
カンタロウは珍しく何処か困ったような表情をしていたがナギリが欲望に忠実にカンタロウの胸に頭を預けると優しく微笑んでナギリの頭を軽く撫でながら話を始めるのだった。

「ナギリさん、俺は今でも…辻斬りナギリが、貴方が怖いです。少なくとも本官は今も恐るべき吸血鬼であると思います」
「ふん……そんな事を本人に言うな、馬鹿が」

聞いて、すぐにナギリは思わず言葉を吐いていた。
カンタロウの言葉は吸血鬼にとっては畏怖欲を満たす、逆効果な言葉だろう。
そんなナギリの鼻で笑う声が聞こえたのだろう。
鼻先を掠める胸も温かく包み込んでくる腕もピクリと跳ねて緊張している。
あぁ、この馬鹿は俺が気分が良くなることを分かっていないのだろうと思う。
だが流石と言うべきか、カンタロウは緊張した声で言葉を続けてくる。

「…俺、貴方に斬られて本当に怖かった。自分は死ぬんだと思ったし、血の刃も迫りくる銃を物ともしない影も大きくて…この世のものとは思えないのに現実で…あ、そういえばアレは貴方の吐息だったのでしょうか?貴方は体温は今も低いのに炎を浴びていると勘違いした程、俺は身体が熱く感じて焼けそうだとも思いました」
「ヒヒっ!止めておけ……全部、俺には賞賛にしか聞こえん」
「え、そ、そうでありますか?」

ようやくナギリの様子に気付いたカンタロウは、別に褒めたつもりは…と困惑している。
しかし今まで我慢していたカンタロウの言葉に思わずナギリは遠慮なく、目の前の胸板に額を押し付けながら込み上げる嬉しさや可笑しさで耐えきれずに笑う。
だが仕方ないではないか。
あまりにも畏怖しています!と分かる言葉を嘘も付けなさそうな真面目な人間に言われて喜ばない吸血鬼は居ないだろう。
カンタロウの方はそんなナギリに怒りはないらしいが不思議ではあるらしく。
珍しく肩を揺らして笑うナギリに困惑した様子で揺れる振動がくすぐったいのか身じろぎつつも、ナギリの身体に手を添え直すと話を続ける。

「えっと、何が言いたいかと言いますと……本官は痛感したんです。警官としてではなく一人の無力な人間であると痛感し、焦った事で俺の方が先に貴方に攻撃してしまった…一人の警官として恥ずべき行為です。ただ同時に不死の身体なんて常識が通じない相手であります。自力で倒す為なら常識なんて捨ててしまおうと思ったのは確かです」
「はぁーーー…辻斬りと同じ所に来れる奴は、もう人間じゃないだろ」
「そんな事ありません……貴方は不器用だけど優しいヒトです」
「なっ!?そんな訳あるか、寝言は寝て言え!」

カンタロウの言葉に思わずナギリは身体を起き上がらせながら目を見開いて怒鳴った。
しかし怒りではなく、驚きだ。
まさか被害者の一人であるカンタロウ自身の口から今だに優しいと言われ、どうしてそうなるのかと驚かない方が無理だろう。
確かにナギリはカンタロウを必ず手に入れようと思った。
誰かに覚えさせる、刻みつけるのではなく覚えていて、追いかけてきたカンタロウと言う人間を放したくないのだ。
しかし同時に一週間の最終日に起きたカンタロウの苛烈な様子から慎重に時間をかけて手に入れる方法でなければ難しいと考えていた。
諦めるなんて選択肢は最初から無い。
ギシリと大きくベッドを揺らし、ナギリはカンタロウに覆い被さるように身体を起こすと覆い被さってカンタロウの恐怖心を煽ってみる。
しかしカンタロウは慌てる様子もなく、ナギリの顔に手を添える。

「……ナギリさん、もし俺が今、血を飲んでも良いと言ったらどうしますか?」
「な、お前っ!」
「本官あの日の答えを貴方から聞いてないであります!…教えて下さい、ナギリさん」
「俺はっ………」

欲しい、欲しいのだが言いたくない。
違う、血が欲しいんじゃなくカンタロウ自身が欲しいのだ。
例えるならばカンタロウの質問と言うのは、人間に置き換えると今、自分の身体から得られるご飯が欲しいですか?と好きな人に聞かれているようなもので。
ナギリの思っている、カンタロウに伝えたい意味が違う。
少なくともナギリはもう、カンタロウを血を得るために存在している餌だなんて思えなくなっていた。
ならば目の前の甘ちゃんに気付かせなければならない。
我ながら必死で情けない、と自覚しながらナギリは己の欲に素直になる事にした。
今を逃せば次は無いかもしれない。

「んっ、え?な、ナギリさん?」
「あのなぁ…カンタロウ。俺はお前の血よりもお前を抱きたい」
「へっ…え!?だきっ、ぇええ!!?」
「ぐっ!至近距離で叫ぶな!馬鹿が!!!」

すんなりと服をたくし上げることに成功したナギリの手が、カンタロウの腹にある大きな傷を撫でてもカンタロウが抵抗しない事実に呆れる。
抵抗されないのは勿論、嬉しかった。
しかしナギリは今まで我慢してきたせいなのか、元々の気性なのか。
とにかく今は我慢が苦手だ。
困惑している癖に抵抗しないのなら本当にカンタロウに言うしかない。
それならいっそ伝われと、ナギリも真っ直ぐにカンタロウの目を見て告げる。
抱きたいのだと。お前は今、貞操の危機なんだぞ、と。
すると流石のカンタロウもナギリの仕草は血を飲む為の品定めではなく、更にナギリの言葉によって手の意味にも気付いて赤面しながら絶叫した。
しかし信じきれないらしく、赤面したままカンタロウは慌てたようにバッサリと尋ねてきた。

「え、いや、だってナギリさん、本官で勃つんですか!?」
「今まさにお前を襲ってる奴に聞くか!?」

分かりにくいがどうやら混乱しているらしいカンタロウに思わず、こいつの中にデリカシーと言う文字はないのか?と複雑な気持ちになるが、とりあえず相変わらずの爆音に苦情を入れる。
そもそも覆い被さっているとは言い換えるならば押し倒しているとも言える。
カンタロウがどれほど吸血鬼対策課の優秀な警官とはいえ、気を抜いている相手に遅れを取るほどナギリとて戦闘能力は鈍ってはいないつもりだ。
ましてや今となっては仮に襲う目的は辻斬りではないし、無差別ではなく確実にカンタロウ自身だ。
そんなナギリの必死な様子に、ようやくカンタロウも自分の貞操が危険である自覚は出てきたのか。
首筋や耳まで赤くなって珍しく目を泳がせ、カンタロウはナギリの顔に添えていた手は無意識なのか。
そろり、と自らの腹にある大きな傷を隠すように服を掴んで引っ張り。
もう片方の手も服の胸の辺りを掴んで乙女にも負けていない姿で顔をナギリから背けて照れている。

「だ、だって!…だって辻田さんの頃も今も好きなのは本官ばかりで……正直、嫌われていると思っていました!と、突然、本官を抱きたいだなんて言われても困ります!」
「……は?」

この馬鹿、今なんと言った?とナギリは背けられた事で晒されたカンタロウの首筋を見つめていた事も忘れて目を丸くする。
だが、そんなナギリの様子にカンタロウは気付いていないのか、一人悲しげに何処か思いつめたような表情で続ける。

「ナギリさん…貴方は一週間の監視生活の最終日!あの日なんてカンオケに入れる、なんて仰ってたじゃないですか……っ流石に本官でも傷つくであります!」
「お、おい待て!そ、れは、だなぁ…っ!」
「でも、あの、本当にナギリさんが…その、俺を抱きたいと仰るなら……俺、頑張ります!」
「……ッ」
「……ひ、引かないで欲しいでありまーす!!!!!」

怖気づいてしまった自分に恥じつつもカンタロウは緊張している事も隠せずに、どんどん声を小さくしながらも頑張ると言い切ることに成功して、カンタロウ自身はホッとした。
突然の出来事で混乱していたが、カンタロウはナギリの方から差し伸べられた手を取りたいと思った。
まだ自分が抱かれる事が想像できずにいるが、それでも側に居させてほしいと思ったのだ。
しかし自分を押し倒しておきながら反応しないナギリに、勇気を出して頷いたつもりだったカンタロウは居た堪れない。
やはりナギリさんなりに本官に「俺を舐めるなよ!」と注意してたに過ぎなかったのかもしれないであります!とカンタロウが目を閉じ、早とちりした己を恥じて反省し始めた頃。
バキメキャ、とベッドの端。更に言えばカンタロウが身体を預けていたベッド、そしてマットレスが耳の隣で凄まじい音を立てた。
思わず騒音による驚きから目を見開いて、ナギリの方を見ると顔から小さく血の刃を出して怪我もしており、ナギリはかなり凶悪な顔になっていた。

「っお前!!!絶対覚えてろよっ!!!」
「ナギリさんは引いたんじゃないんですか!?いや、それより怪我がっ!」
「やかましい!寧ろ勃ったわ!クソが!」
「え、なぜ今!?」

ドンっとカンタロウの顔の横を殴るナギリに恐怖よりも告げられた言葉が理解出来ず、カンタロウはパチクリと目を見開く。
しかし押し倒された事で自分の足に当たる熱に気付いたカンタロウは、本当に何故か勃ってる!と身を固くする。
しかし驚いたもののカンタロウは自分でも不思議なのだが当たる熱は全く不快ではなく。
寧ろ何故かニヤついている口を手で隠し、フッと過ぎった提案をナギリさんに尋ねたら怒るだろうか?と考えて止める。
何もせずに後悔するのは、もうごめんだ。
決意したカンタロウは一つ深呼吸をすると目の前で、何やら目を閉じて動かなくなってしまったナギリの首へ軽く手を添えるように腕を回す。

「なっ!?……カンタロウ?」
「これでも俺、ちゃんと本気であります!ナギリさん!」
「……ふん、メチャクチャな口調になってる癖によく吠える奴だ」
「そ、それは言わないで下さい!」

まぁいい、今日は挿れたりしないから安心しろ、と言いつつも遠慮なく首筋や胸の辺りに顔を埋めてくるナギリに苦笑いする。
ナギリからの刺激は優しく甘いくすぐったさがあるのにカンタロウが肩を震わせて、嬉しさの滲む牙がチクリと当たると吐息混じりな自分の声が出てしまうので、ナギリにはお手柔らかにして欲しかった。
まだナギリから好きとも聞いてないし、自分から好きとも言っていない。
それなのに色んなものをすっ飛ばして壊れかけのベッドの上で抱き締めあっている事が自分たちらしいと思えて笑ってしまう。
ただ流石に好意を超えて性欲を突然ぶつけられたのは予想外だった。
何よりやっぱりナギリさんは本官を抱くつもりなんですね?とは流石に羞恥心から聞けないまま、それでもカンタロウはナギリに委ねるように目を閉じた。



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