同棲ナギカン

辻田さんの話

俺はあの時お前になんて聞いたんだったか?

「もう事件を起こさぬと言うのであれば然るべき処置を受けて頂くだけであります」
「お前はそれで納得するのか?」
「本官でありますか?うーん、しかし本官が納得すれば貴方の更生になる、と言う訳では無いでありますし…あ!無いのにありますって言うとややこしくなっちゃうであります!」
「やかましい!自分で言ったんだろうが!大体……チッ、もういい」

それは答えになってない、と本当は言えば良かったのかもしれない。
とりあえず今は本官と一緒に、一週間の監視生活を頑張りましょう!と意気込む目の前に居る男が本当にカンタロウなのだろうか?とナギリは自分の目を、耳を疑った。
笑って敬礼してはいるがナギリには何故か決定的に違うと思ったのだ。
きっとあのカンタロウに似た奴が俺に言った事は嘘ではない、とナギリは分かっている。
現にナギリが国語の読み書き問題で躓いた際に質問してみるとカンタロウは驚きはしたものの、すぐに三冊の出版社は違う辞書を持ってきて説明と違いを見せてきた。
何故、三冊?しかも紙の辞書なんだな。とナギリが尋ねると。

「自分の意思で今から探すぞ!と考えながら探すと意外と記憶に残るのであります!」

などと言うので妙な説得力すらあった。
だからと言ってナギリに勉強を無理強いをする訳ではなく、寧ろ勉強するとカンタロウは褒めてくるので最初、警戒心が強かったナギリも悪い気はしない。
元々の器用さもあり、長い路地裏生活であったナギリは必要なのか?と思いつつも小中高までの五教科や体育関係や生活に大事な家庭科など一通りの勉強をしていった。

「凄いでありますなぁ〜本官、実は勉強は嫌いじゃないんですが身につけるのは苦手でして…」
「だろうな、この前の問題、お前の採点内容の方が間違えてた時は驚いた」
「うぅ、あの時は本当にすいませんでしたっ!」
「ふん!まーその、なんだ。お前も仕事してるしな…無理して俺に付き合わなくても良いんだぞ?」
「つ、辻田さん!うぅ、ありがとう御座いますっ!」

でも本官これからも辻田さんの為に頑張るであります!と感動しましたとばかりにナギリの両手を掴んでて上下に振り回されたのが一昨日の夜だった。
そして問題の昨日の夜。
この日はナギリの一週間の監視生活最終日であり、一度カンタロウとの同居を解除してナギリは次の日にはVRCに再び輸送される予定であった。
せめて最後の日に一緒に夕食でも取らせて頂けませんか?と言ったのはカンタロウだったのに。
その日、カンタロウは負傷した身体を雨で濡らした状態で慌てて帰ってきた。
ガタンゴトゴロ、と凄まじい音を立てながら玄関を開けるものだから思わず寝起きのナギリは何事かと最初は呆れていた。
しかし、そんな呆れはイヤというほど知っている血の匂いでどうでも良くなる。

「おい、何を派手な音を立てて……っ何してるんだ、馬鹿!!!」
「あぁ…辻田さん、すいません雨が凄くって、とりあえず家に入ろうと思ってたら転けたんですけど…玄関が濡れちゃったでありますね」
「そんな事はどうでもいい!お前、なんで手当てしてないんだっ!」

雨の匂いに混じって明らかに血の匂いがする。
慌ててナギリは玄関の明かりを付けてカンタロウの姿を見てギョッとした。
制服が白いせいだろうか、制服の上半身は真っ赤に染まっていたが普通に喋る様子から傷は浅いようだ。
慌ててカンタロウの肩を掴むと、ナギリはその場に座らせて持ってきたバスタオルといつも何故か玄関やリビングと部屋の隅に置いてあったタオルを使ってカンタロウを包んで止血して、雨を拭いてやる。
その間も吸対の制服、タオル、雨を拭いて居るバスタオルにさえ血が滲んでナギリは焦る。
どうして。どうしてカンタロウは手当てしていないのだろうか。
あぁ、それになんで俺はこんなにも焦っているんだ訳が分からない。
ぐるぐると色んな事が頭をよぎったが兎に角ナギリは触れる度に感じるカンタロウの体温があまりにも低い体温だったのが嫌で仕方なかった。
本当にどうして、そんなに辛そうな顔をしている癖に手当てしなかったんだ。

「辻田さん、いえ……ナギリさん」
「なんだ急に!兎に角、止血を」
「ナギリさん、今もし俺がこの血を飲んでも良いって言ったらどうしますか?」
「はぁあ!?フザケてる場合か!」
「フザケてません、俺は本気です!」

叫ぶように告げられた言葉に思わずカンタロウの髪を拭いていた手が止まる。
なんで今そんな血の匂いをさせている癖に一番、聞かれたくない質問をしてくるのか分からない。
髪を拭いていた手を掴んでくるカンタロウの手はやっぱり低いし、力も弱い。
振り払って手当てをするべきだ。
あぁ、今、喉がゴクリと動いたのは緊張のせいだ。
俺は血がほしい訳じゃない。
そうだ、喉が乾いているのは緊張しているからだ。
俺はVRCから血液パックだって貰っているから昔のように腹がずっと空いている訳でもない。
カンタロウの口からナギリ、と呼ばれたから反射的に緊張したんだ…そうだ、コイツは辻斬りを。
辻斬りを許さない、ナギリの知るカンタロウなら絶対に。

「どうして何処にでもタオル置いてたか分かりますか?それ俺がいつでも止血に使えるようになんです、お気付きでしたか?」
「…は?止血だと?」
「はい。貴方に万が一、斬られても止血出来るようにです」

血に染まったタオルを押し当ているせいで血を纏うナギリの手にカンタロウは優しく手を添える。
顔は未だ青かったが声に弱々しさはなく、ハッキリと喋っているのでタオルで抑えていれば血の流れは収まるだろう。
だが丁寧な手当てをしなければ傷は開く。
出来るならば話している場合ではない筈なのだ。
しかし二人とも何処かで今、話さなければならないと確信していた。

「……なら、なんで今日は血なんて流してる。お前、防刃服はどうした」
「貴方と……過ごせる最後の日だから、と脱いでしまいました」
「っは…馬鹿が、そんなもん家に帰ってから脱げば良かったんだ!」
「今まで家には貴方が居ましたから」

そのカンタロウの容赦のない言葉にハッとした。
と同時に歯を食いしばる己にナギリは驚いていた。
あぁ、俺は自分が思っているよりもカンタロウの事を信用していたのだと気付いたからだ。
だが同時にポタポタ、と拭いた筈なのに自分の手が濡れて思わずカンタロウの方を見た。
容赦のない言葉を告げたのはカンタロウの方だと言うのに、ポタポタと温かい涙を流してカンタロウは普段と殆ど変わらない口ぶりで謝ってくる。

「ごめんなさい、俺もうどうしたら良いか分からないんです…なんで、なんで貴方が辻斬りナギリなんだって思わずにはいられない」
「カンタロウ」
「俺は貴方が努力しているんだって側で見ているから分かります……俺はどれだけ貴方が今まで苦労したか知りません、お腹が空いたことによる苦痛も知りません。でも、それがなんだって言うんですか!苦労したなら人を斬っていいんですか!?あぁ、でも、俺、頑張る貴方を否定したくない…どうして俺は決められないんだろ…」
「……カンタロウ」
「すいません、きっとこれは俺の、我儘なんです。けれど忘れられない、無力だった自分も非道な辻斬りも……ぶっきらぼうだけど優しい貴方も……辻斬りを許せない自分も全部、忘れられない」

ごめんなさい、と言って涙を流すカンタロウにナギリは何も言えなかった。
肯定をするには烏滸がましく、否定するにはあまりにも自分の本心とかけ離れている気がするからだ。
ただどうしても声をかけたくて普段はあまり呼ぶことのないカンタロウの名を、呼んでみる。
グスグスと音をたてて、顔を上げないカンタロウのタオルから覗く髪を見つめてナギリは思う。
罪への償い、なんてものはとても曖昧だと常々考えていた。
例え罪を犯した人間が今、努力している事が償いだと思っているとして。
その努力が被害者にとっても償いなるか決めるのは被害者本人しか無理ではないだろうか。
少なくとも、そんな曖昧なことをするくらいならば殴られるなり罵倒される方が分かりやすいとナギリは思ったのだ。
そもそも別にカンタロウの方から償いを要求された事はないし、今もカンタロウは自分の問題だと話しているだけでナギリに何かして欲しいとは言っていない。
でもナギリは欲しくなってしまった。

「っナギリさん?」
「お前やっと俺に向かって名前呼んだな」
「そ、れは本当にごめんなさい。俺の意気地が無いから貴方をナギリと呼ぶのが怖かったんです」
「そうか。まぁいい…とりあえず今は止血が先だ、大人しくしてろよ」
「え、あ、待って!待って下さいナギリさん!」

以前は容赦なく人の手首を掴んでいたのに今は怪我もしているせいか、自分の手首を掴んだカンタロウの手が震えている事に気付いてナギリは揺らぐ。
別にナギリは怒っていないのだ、本当に。
寧ろ今まで斬ってきた中で唯一カンタロウだけが辻斬りナギリを覚えていて探してきた。
ましてや今は辻斬りナギリを許せない癖に、それでもナギリの努力を認めている。
なんて矛盾した奴だと思いながらも、ナギリはもうカンタロウを手に入れたくて俺の方が我慢が出来ないのだ、と腕を掴まれて確信した。
辻斬りをした償いを、己が生きる為に歩いていた道を、ナギリ自身が忘れた事など無い。
忘れたくても、無理なほどナギリの記憶にこびり付いている。
でも、それとは別にカンタロウが欲しいと思う自分の身勝手さがナギリにとっては心地良かった。
何処にいる誰よりもカンタロウならばナギリを絶対に忘れないと掴まれた手首が証拠のように思えた。

「っ救急箱を取ってくるだけから大人しくしてろ。あともう俺に不用意に触るな、お前の血を吸いたくなる」
「で、でもまだ話は終わってません!」
「安心しろ、は無理な話だな。だが本当に救急箱を取りに行くだけだ、とりあえず手当てしなければ話もまともに出来なくなるぞ」
「俺は大丈夫です!だから、だから話を、ナギリさっ、ぅ!」
「どうせ痛むんだろ。まぁ、何かあっても…お前は必ず棺桶に入れる事に決めたから、もう諦めておけ」
「か…カン、オケですか?」
「その言葉は拾うな!兎に角、じっとしてろ!良いな?」
「はい……」

何処か落ち込んでいるカンタロウに少し不思議に思いながらもナギリはピンク色くらいの色味で赤くならないタオルを確認する。
どうやら血はある程度は止まったようなので今のうちに早く手当てをする為に、リビングにある救急箱を取りに向かわなければならない。
だからナギリは気付かなかった。
まさかカンタロウが棺桶に入れたいと言うナギリの欲が、カンタロウにとってはカンタロウを始末して棺桶に入れると言う意味だと勘違いした事。
更に始末したいと思うほどナギリさんは俺の事を嫌ってしまった、と落ち込んでいる事。
そして何よりナギリ自身もまたカンタロウの事をどれほど欲しているのか、自覚していなかった事。
しかし仕方なかったのかもしれない。
カンタロウも、またナギリを応援したいと思う自分の心と向き合いきれずに「辻田さん離れ」出来ないまま辻田さんに人知れず失恋していたのだから。


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