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スコーンが鼻をくすぐる夕方ごろ。
吸血鬼が活動するには少し早い時間帯だったが起きて早々に嫌な予感のしたノースディンは、スマホが告げた雪の予報を見て静かにキッチンに立った。
出来上がったスコーンをオーブンから出迎えたノースディンは淹れ終えた温かい紅茶が冷めぬうちに、と口にする。
出来たてのスコーンからは美味しい香りを纏わせた湯気が立ち上っており、まだ部屋には寒さのあるのか湯気は白い。
しかし寒さを感じながらも湯気が少しずつ消え、熱が馴染むのを待つこの時間は穏やかだ。
寒さは好きではないが、こんな寝起きは嫌いではなかった。
しかし招かれざる客は違うらしい。

「相変わらずスコーンは美味しく作るね、君」
「なっ!?なんで私の家に入ってるんだ、貴様!!!」

サクッという音に驚いて振り返ると、何故か人の家に入り込んでいる黄色い吸血鬼に目を見開く。
吸血鬼は招かれなければ入れない。
ましてや古い吸血鬼であればある程、効力は絶大で例え同じ吸血鬼の家であろうと例外ではないと言うのに……と困惑しているとスルリと使い魔であるはずの猫がスルリと足に懐いている姿に愕然とする。
どうしてその男に懐いているのだ、愛しのキティよ。

「キティ、何故……ッまさか!」
「決めつけは良くないなぁ、催眠術は使ってないよ?今回は」
「ほざけ!」
「私が折角、会いに来てあげたのに……おっと!」

チッ、すばしっこい奴めと避けられたことに悪態をつきながらも普段のように動けない自分に動揺する。
普段ならば確実に頬を当てている筈の己の拳から白い煙が漂った事をノースディンは見逃さなかった。
だからこそノースディンは咄嗟に拳の速度を緩め、黄色い男も避けられた。
いくら忌々しい男とはいえ、コントロールに自信の無い日に愚を犯すのはノースディンのプライドが許さない。
そしてそんな己を妙に見透かしているのだろうな、と苛立ちながら目の前の男を睨むと猫のように目尻を緩めてノースディンに声をかけてくる。

「相変わらずお前は上手く隠せていると思っているようだね?もっと温度あげてよ、寒いじゃないか」
「帰れ!……寒いのはスイッチを付けたばかりだからだ」
「あぁ、確かに少し夜には早いか……そうは言っても君の優しいキティたちも心配しているよ?」

ほら、とくるりと弧を描いた杖で指し示し「あちらを見ろ」と、しつこいので渋々と振り返る。
するとそこにはフサフサ、と表現するのはおかしいかもしれないが霜が豊かな使い魔の雪だるまが困った顔を作ってティーカップを運んで来ていた。
正直、毛のある動物のようで愛らしい。
しかし同時に外の寒さの影響から雪の体積が変わっているのも分かった。
優秀で優しい使い魔たちは、どうやら客を歓迎するつもりなのだと気付いたノースディンは遣る瀬無さで眉を潜めた。
大変、癪だが男の言うとおり使い魔たちはノースディンを心配しているのは明白だ。
もう追い出すのは難しいかもしれない、と料理に使った道具たちを片付ける事にした。
隣で律儀に雪だるまからカップを受け取る男に出すお茶は無いが仕方ない。
使い魔たちの好意を無下にはしたくなかった。

「有難う、可愛いメイド君!主人と違って優しいなぁ〜」
「黙れっ、しかしお前たちも普段はちゃんと部屋でゆっくりしているだろう?どうしたんだ……ッ!?」

爪を立てずにチョンチョンと肉球でティーポットを触る猫に驚いて、慌ててポットを持つ。
すると猫は驚いた様子もなく、口を開いて音は出さずに鳴き声を出す仕草をノースディンに向けた。
どうやらノースディンがポットを持った事が嬉しいらしく満足そうにゴロゴロと喉を鳴らし始めた。
どうやらお茶を注いでやれ、と言うことらしく「どうしてだ?」と声をかけても、そっぽを向いた猫に根負けして仕方のなくお茶を淹れる。

「はぁ、この子達に免じて淹れてやる……これを飲んだら帰れ」
「おや、こんなに良さそうな茶葉にお茶請けも用意しないのかい?あのスコーンとか良いと思うんだ、私は」
「居座る気か!?」

食事の楽しみと言うものがあるだろ?と笑いかけてくる男にノースディンは寄せている眉を更に寄せた。
この男は訳知り顔で、ちょっかいをかけてくるが肝心な部分は分かっていない筈だとスコーンを取り分ける。
確かに彼は人や吸血鬼の心の機微に敏感で大抵は面白いからと声をかけるのだが時折、その言葉で救われる者も居るだろう。
勿論その直後にはブチ壊している可能性の方が高いので台無しかもしれない。
それでも彼の言葉は的確でどんな薔薇の棘よりも鋭く刺さって抜けにくいほど的確だ。
だからこそ忘れられない事も多かったがノースディンは瞼の裏で男を笑う。
お前に気付かれないように心ではなく瞼の裏に隠した私の気持ちに気付いていないだろう、と安心していた。
無論、隠し事をしていることは男には筒抜けだ。

「……ほう?」
「なんだ、ジャムは用意しているだろう」
「ふーん……まぁ、それよりこの前、古い教会で佇んでいたけれどアレから探しものは見つかったのかい?」
「なっ!?……チッ、貴様には関係ないことだ」

顕になっているノースディンの手を見て、ヨルマと呼称される事のある黄色い男は意外にも深刻かもしれないな、と香りの良い紅茶を口にする。
普段ならば親友のドラウスの前でさえも服装に気を使い、竜の一族に恥じぬようにと一人で過ごしている屋敷でもノースディンは手袋をする。
それなのに今は己を律する為にしている節すらある手袋をせず、その手をカップで温めているのはコントロールが不安定な証だ。
そんな状態のノースディンに彼、クラージィを新横浜で見かけたと話せば坊やは、なんというだろうか?どんな反応をするのか?と言う考えをスコーンと共に飲み込む。
話す気は無い。
話したところで意味は無い。
ここでヨルマが再びクラージィについて教え、ノースディンは信じる可能性もあるだろう。
しかし、それは酷くつまらないしクラージィとノースディンは血族という強い繋がり以上に強い縁があるとヨルマは考えていた。
縁遠いとはいえ竜の一族でもあり、歴戦の悪魔祓いでもあったクラージィが吸血鬼と人間が寄り添っているような理想の街、新横浜と言う場所で早々に死を迎える筈もない。
ならば今してみたい事は、目の前の寂しがり屋で寒がりな男との時間を楽しむ事だった。

「愛想が無いなぁ。普段ならもう少し可愛げがあるのに不機嫌だなんて、そんなにも今日は温もりが恋しいとはねぇ」
「どうしてそうなる!?貴様が勝手に私の時間を邪魔しに来たんだろう!」
「なら聞くけど手袋は今日はしなくても良いのかな?」
「は?……なっ!?さ、触るなッ!」
「おっと!怖い怖い」

ノースディンはどうやら気付いていなかったらしく、スルッとティーカップを持つ手を撫でてやるとハッとした表情で手を引いて、ヨルマの手から逃げた。
そんなあからさまな反応に流石のヨルマも眉を寄せたが、ノースディンの怒っていながら僅かに垣間見えた動揺を見逃さなかった。
確かに怒り、ヨルマを殴ることすらあるがノースディンは肝心なところではヨルマの身を案じることすらあった。
いじらしいことだ、とヨルマは呆れながらも払いのけられた手の指先の感触を確かめる。
すると、そんなヨルマの仕草は今のノースディンにとっては煽るものでしかなく、誰が見ても分かるほど瞳が揺らいだ。
強がっていても肝心なところで隠すのが下手な子だ、と思わず溢れた笑みを隠さずに俯いてしまったノースディンのつむじを見つめる。
氷の能力が暴れ出すのではないか?と怯え、己を律することで能力を封じるように努めているノースディンにとって今、能力のコントロールが効かないのは苦痛なのだろう。
明らかに動揺しているノースディンの頬に躊躇いなく触れてみると、隠すことも出来ずに泣いてしまいそうな、そして驚いた顔を見せた。

「なんのつもりだ、触れるなと言ってるだろっ!」
「ならさっきみたいに払いのければ良いじゃないか」
「う、ぐぅッ!」
「大好きな私に触れられて嬉しいだろ?なーんて」

どうしても触れたくなり頬を軽く撫でてみた後、柄にもないことをしたと降参でも宣言するように両手を上げる。
しかし、きっと怒った後はいつものノースディンに戻るだろうと高を括っていたのもある。
そうすればきっとヨルマのよく知る生意気な坊やのノースディンに戻るであろうと。
だが、そんないつもに戻るのを止めたのはノースディンの方だった。

「はっ!貴様ともあろう奴が見誤ったな……!」
「……なんだって?」
「貴様の言ったソレは間違っていない」
「は?……それは、つまり」

まさかノースディンが認めると思っていなかったらしく、彼を知る者ならつられて驚いてしまうほどヨルマは分かりやすく驚いた。
そんなヨルマに貴様のそんな呆気にとられた顔なんて初めて見た、とノースディンは愉快な気分だったが、その顔は悲しみを帯びて笑っている。
ノースディンの表情にヨルマもまた笑みが控えめとなり、愛用の杖を撫でた。

「お前いつからそんな冗談を言うようになったんだい?」
「残念だったな、貴様に向けられる冗談なんぞ持ち合わせていない」

カチャリと音を鳴らして置かれたティーカップの湯気は無い。
白い手袋に覆われていない手は青白く、まさに古き吸血鬼らしく男らしいがバランスの取れた美しい手だ。
そんな手は震えていなかったがキラリと輝くのが見えてたヨルマは、再びその手に己の手を添えた。

「なら付き合おうか、私たち」
「分かったなら、サッサと出て……は!?」
「好きな者同士なんだ、当然だろう?ノース♡」
「ほざけ!!!今すぐその口を閉じろ、クソ黄色ぉッ!!!」

本当に何しに来たんだ、と怒るノースディンに笑いかけて酷いなぁ!本気なのに、と返して殴らずに顔を伏せたノースディンを優しく見つめる。
すっかり暖房が行き渡り、寒さを感じなくなっても離れないヨルマの手に、それどころではなくなったノースディンは結局、気付くことはなかった。





長い吸血鬼の生涯で好きな相手が出来たところで、それは一見すると小さな出来事でしかないだろうとは思う。

「おっぱいぱーい!!!」
「最早それくらいでは動揺もしなくなったか!退治人くングーッ!!!」

赤い帽子がトレードマークの退治人ロナルドの拳を浴びたのを最後に、見慣れてしまった白い清潔感のある天井をぼんやり見つめて目を覚ます。
もはやいつも通りとすら言えるVRCの白い天井であったので今回は久しぶりに拳を浴びてしまったな、と肩を回す。
歳をとったが逃げ足を維持する為に運動は疎かにしていない賜物だろう。

「よぉ、おっさん!もう目が覚めたんだな」
「あぁ、拳くんか!おはよう」

VRCで知り合って以来、拳の優秀な能力と見知った気配に思わず笑いが込み上げたのは記憶に新しい。
軽く話せば性癖に対する素直さに対して血筋や一族に対してはぐらかす態度に、ますます笑ってしまったのは許してほしい。
しかし、まさかあんなに露骨な態度をするなんて思わないではないか。
ただヨルマにとっては吸血鬼の一族なんてつまらないものよりも拳のしっかりとした性癖に対する拘りを聞いている方が愉快だったので問題ない。
などと思っていると壁についているスピーカーに割って入られる。

『ホテル代わりに使うな』
「んだよ〜ケチくせぇ!」

ここ飯も食えるしシャワーとかもあるから楽なんだよなーと話す拳に確かに味も良いと思っていたが、フッと思い出したことがあった。
拳には彼が大切にしている弟たちが居た筈だ。

「拳くんにはあの子たちが待ってるんじゃないのかね?」
「へっ!?あー……その、そういうアンタは帰りたいなぁとか思う場所は無いのかよ?」
「あるよ」
「え、あるの!?」

はぐらかすようにソワソワと身じろいだ拳は珍しく下手なはぐらかしをした。
どうやら何か訳あってVRCにまで逃げてきたのか、と笑う。
そんな拳に慈悲を向け、拳の質問に答えてやる。
すると、まさか即答されると思っていなかったのか、拳は拗ねたような表情から驚いた顔を見せた。
驚く拳を気にせずにヨルマは、目を閉じて簡単に思い出せる愛しく寂しげな後ろ姿を思い出していた。

「寒さ厳しくも降る雪が美しいところでね、決まってそんな日にただ暖炉の火や紙が捲れる音を聞く……そんな穏やかな場所が意外と私は気に入っているんだよ?」
「なるほど、無いんだな」
「どうしてそうなるのかな?」

素直に教えてあげたのになぁ、と笑う黄色い老齢に拳は狐につままれたような気持ちになり、拳は横たわった。
明らかに、そして絶対にはぐらかしているだろうと思ったのだ。
そんな拳の後ろ姿を確認した黄色い男は、本当に白銀の絨毯に包まれた屋敷を思い出していた。
どんな旅人でも腰を落ち着けて眠りたい日くらいあるのだから、大切に思う場所くらい嘘で隠すのは許されるのではないだろうか。
まさか会いたくなって、訪れているとは夢にも思っていないだろうなー……とここ最近は訪れる頻度の増して見ることも増えた隣に座る険しい顔のノースディンに笑いかける。
VRCでいつものように契約をこなして出所してみると拳と帰りたい場所の話をした影響で足を運んだ自覚はあった。
どれほど私が会いたいと思っているか知らないだろうな、言ってないから!と思いながらヨルマは暖炉の前で紅茶を楽しんでいた。
今回は使い魔たちは巧妙にノースディンの手により隠されてしまっていたが、ノースディン本人に扉を開けてもらった為に雪の寒さは感じない。

「はぁ……よくもまぁ、私に会いに来れたものだ」
「どうしてだい?あぁ、土産の一つもなかったのは悪かったね」
「土産などいらん!この前、私が言ったことを忘れた訳ではないだろう!?」

何故わざわざ屋敷に来たんだ!と、しかめっ面と言うよりも悲痛な、困惑したような複雑そうな顔つきのノースディンはヨルマを見ない。
いや、正確には見る余裕がないのだろう。
その余裕のない態度の理由は知っていた。
新横浜でモジャモジャ、ことクラージィと再会できたにも関わらず少し話しただけでアッサリと解散する羽目になった事が寂しいのだ。
遠目からたまたま見かけて爆笑しそうになったが、雪が降り始めたので慌ててVRCに戻ったのは記憶に新しい。
そんなタイミングで己を屋敷に入ることを許した時点で本当に彼がヨルマに対して想いを寄せている、あるいは気を許しているのだと分かり、己の痴態を隠せていないノースディンにヨルマは思わず笑みがこぼれる。
しかしノースディンは違う。

「なんのつもりは知らないが貴様なら私の屋敷でなくとも行く宛などいくらでもあるだろッ!」
「それはそうだが恋人である君のところへ真っ先に来た私の一途さが伝わらないとは……よよよ」
「ほざけ!自分で言うやつがいじらしいものか!」

冷たいなぁ、と未だ楽しげに笑うヨルマにどうしてコイツはこんなにも私に構うんだ、とノースディンは頭が痛くなった。
ヨルマが好きだ、と言うのは決して驚かせる為の意趣返しではない。
本当にノースディンは彼が好きだったが、同時にそんな男が親友で吸血鬼としては親でもあるドラウスに大恥をかかせた事実がどんな相手よりも怒りが湧いてくる。
どうしてこんな男が好きなんだ、と。
そんなノースディンの苦悩は露知らず、紅茶を飲みながら目の前のしかめっ面をお供に香りを楽しむ。
屋敷に入れておきながら矛盾したように怒るノースディンの言葉を無視した訳ではなかったので静かに思案していたヨルマはあぁ、と納得する。

「あぁ、お前にとってはお気に入りのモジャモジャ君が一番、一途とは言えるのかな?今は新横浜で元気そうで私も嬉しい限りだが」
「なっ!知って、いたのか!?」

珍しく目を開いて驚くノースディンを見て、こぼれたヨルマの笑みは嘲笑ではない。
まるで泣いてしまいそうですらある表情に哀愁と愛らしさを感じて自然とこぼれた笑みだ。
されど変わらず必要以上の言葉を口にはしないヨルマの気持ちに気付くことはできなかったノースディンは、嘲笑とは思わずともヨルマすら己を見ていないように感じて顔を伏せた。

「知っていたとも」
「なんで私に何も……いや、貴様は私の、誰かの狼狽える姿が見たいだけだったな!ドラウスに免じて耐えていたがもう沢山だ……今すぐに出て行けッ!」

ガタタッと音で窓が強過ぎる吹雪の影響で揺れる。
しっかりとした屋敷の窓を音が鳴るほど強く揺らす雪は、ノースディンの気持ちの現れであることをヨルマはすぐに分かった。
雪は吹き荒れ、もはや吹雪と言う言葉だけでは生温いだろう。
現に部屋に満たされていた暖炉の温もりも一瞬にして消え失せている。
ノースディンのそんな包み隠さぬ負の感情と冷たさを身に受けて、ヨルマは恐怖よりも笑みを崩さなかった。
痛いのは好みじゃない。
しかしノースディンのソレは、痛みを伴うのだから仕方がない。
本人が一番どうにかしたくて堪らないのに生真面目ゆえなのか不器用な形となり、氷が暴れて痛みが生まれてしまう。
だからと言ってヨルマにとっては恐怖するほどのことではなかった。
怖いと言う感情はあれど、その吹雪の中心で己すら凍えさせる男を知れば知るほど恐怖は薄れていったからだ。

「はははは!確かに誰かのY談は聞きたいものだが今は少し違うなぁ、誰でも良い訳じゃないよ?My dear」
「なっ!……っ、黙れ!私に触るな!貴様はどうして……あ、」
「おっと!……ノース!」
「なっ!?」

フッとなんとか保っていた暖炉の火が遂に消えた。
か細い灯りを保っていた火が消えた事で暗くなってしまった事に気を取られた一瞬だった。
戦う術など皆無に等しい筈のヨルマに距離を詰められ、動揺しているうちに杖で器用に足を払われた。
隙を見せてしまった、とは思ったが幸か不幸か、倒れた身体は上手くソファに受け止められて怪我は免れた。
そのままヨルマは、そのまま腰を下ろす形になったノースディンに覆い被さるように見下ろしたかと思うと頬にスルリと指を滑らせた。

「暖炉の火を消してしまうなんて……よっぽど狼狽えてるらしいな、ノース」
「クソッ……!退け!」
「そう怒鳴るなよ、このままで冷えてしまうよ?君、冷えやすいんだから」

暗い部屋でも分かるほど近くで優しく微笑むヨルマを見ていられず、思わず顔を背けたがクスクスと跳ねるように笑う声は遠ざけるどころか近付いてくる。
チュッと軽いリップ音と短い筈なのに熱を持った首筋に見知った甘い痺れは、どんな言葉よりも己が目の前の忌々しい黄色を意識しているのだと知らしめてくる。
それが押し倒されたことよりも悔しいが、同時に押し返すのも惜しい気持ちが確かにあった。

「……くそったれ、どうして私はお前を殺さないのか考えたくもない」
「ふふ……く、くくくくっ!」
「何がおかし、ぃ……おい?」
「あー本当にイヤになる。愛には勝てん」

自分を押し倒したまま笑うヨルマに最初は不機嫌になりかけたノースディンだったが己の首筋に顔を埋めてヨルマが抱き締めてきた驚きで油断していた。
ゆったりと近付いてきたヨルマの表情は穏やかだったが確実に口づけられたのだ。
いくらヨルマでも軽率に口づけを送らないことはノースディンにも想像が出来た。
口づけを送れば相手は簡単に魅力に落ちることは経験上、知っている。
しかし、だからこそ彼ほど魅力のある男が口づけを送れば、どれほど面倒な自体へと発展するか分かりきっているので彼が誰かに口づけを送るのすら見たことがなかった。

「ん、ぁ、え?」
「まさかここまで信じてもらえないのは私も驚きだ……ほら、まだ冷えている」
「あ、さわ、るなッ!その……まだ私はコントロールが出来そうに、ない」
「なら……少しずつ私と温まろう、さぁ目を閉じて」

驚きの後に残った気持ちを表す言葉をノースディンには分からなかったが、寄り添ったまま離れない体温を嫌ではないと思う。
声を聞きたくないし、顔も見たくないと確かに思う筈なのに今、この瞬間だけは穏やかな声で優しく笑う男の方から伸ばされた手に己の氷で傷つかないで欲しいと思うのだ。
本当に遣る瀬無いな、と瞳を瞑る。
すると己を包む向日葵よりも落ち着いた黄色にコートに包まれたので、再び灯されようとしている暖炉の火に耳を傾けた。
控えめだが確かに鳴り出した暖炉の音が部屋に響いても己を包む温もりが離れない事実にノースディンは瞳を閉じたまま、少しでも私の力で冷えてくれるなと温もりに手を伸ばしたのだった。



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