金カム
記憶、と言うのは己の考えでどのようにでも曲げられる。
尾形百之助は哀れな母の後ろ姿を見ながら幼いながらに気付かされた。
だからこそ父に美味しいと言われたアンコウ鍋が良き記憶となり、思い出となり、囚われてしまったように思う。
幼いながらに哀れだと思う感情は残っていたからこそ殺したのだ。
狂った様しか知らぬ母の死体に尾形は感じるものなどありはしなかったが何処か父親が会いにくるのではないかと思いもしたりした。
しかし父は来なかった。
それが尾形百之助の色濃く残っている前世の記憶である。
運命とは分からないもので転生とも言うべき状態で尾形は前世と似たような経歴を辿ることとなっていた。
流石に尾形の母は心労による病死だったが延命に関する書類にサインしたのは尾形だ。
他にも寮付きの男子校に出されて警官となったが当時の上層部に居た鶴見にスカウトされる形で鶴見の作った警備会社へと転職したりもした。
無論それは表向きでしかなく、地元のヤクザ紛いと裏取り引きなどザラにあったりと尾形にとって餌でしかない仕事が多かった。
故に情報を警察に流そうとしたのだが、まさかの杉元佐一に邪魔をされた挙句に鶴見にバレてしまったのだ。
のちに尾形の逃走はバイト学生である杉元にとって仕事の邪魔だったらしいとアシリパと呼べと言った少女、小蝶辺明日子が語っていた。
この事実は尾形からすれば迷惑でしかなく、仕方なく杉元も雑用のバイトしていると言う土方のアパートに厄介になる事になったのだ。
しかし今、現状で直接、世話になっていたのは杉元やアシリパの紹介で再会した警官時代の部下であった谷垣だった。
勿論、杉元やアシリパ達と再会した事で蘇っていた記憶を辿り、谷垣の事も思い出していたからこそである。
経緯としては転がるように慌ただしく鶴見から逃げてきた尾形に住居手続きなどを済ませる前に土方の会社に世話になってしまっており。
暫くはネットカフェでも利用すれば良いかと考えていた時に遊びに来ていたアシリパに見事に見破られ、ちょっとしたお祭りになったのだ。
「尾形も覚えているんだろ?」
何処か期待しているような青みがかった瞳は何処か青空を思わせた。
「あ、白石テメー!それ俺のだろうが!」
「杉元の名前なんて無いだろー!」
「それ以前に腹の中じゃねぇか!」
「……」
落ちてくる前髪よりも鬱陶しい奴らだと思いつつも席を外さない。
と言うか、外せない。
隣で皿に肉をよそって来ては食べるまで見つめてくるアシリパが見張ってくるのだ。
ヒンナって言えるだろ?と。
尾形すると確かに用意された焼肉の食材は肉ばかりであったが上質で、歓迎されていると思わせる品々だった。
野菜も食わせろと言いたいがメンバーの性格や好み的に無理な話なのかもしれない。
だからと言って楽しいかと言われると尾形としては慣れずに自分も参加している事が不思議な空間だと感じていた。
だが杉元による余計な一言で尾形は席を立つと決めており。
ならば、する事は決まっている。
「トイレに行ってくる」
「ん?オソマか、ちゃんと手を洗えよ!尾形」
アシリパの女子とは思えない言葉を背に持ってきていた財布とスマホを尻ポケットに仕舞いながら気付かれないように、そそくさと招待されていた杉元の部屋を出て下の階に降りる。
どうせ、肉が食いたいだけだろうがと呆れつつ、勝手知ったるとばかりに鍵を開けるとキッチンから顔を出した谷垣の間抜け面に尾形は先程の杉元の言葉を思い出す。
谷垣は殆ど覚えてないみたいだよな、と。
心底どうでもいいと思っていても半ば強制的に顔を見る住人を知っているのに知らないと言うのは中々気分の良いものではない。
だが、ふんわりと香ってくる出汁の香りに。
そして何より驚きから立ち直った谷垣からのおかえりなさい、と言う言葉が。
尾形の逆立った精神を穏やかにさせた。
「まさかこんな時間に帰ってくるなんて思ってもみなかった」
「いつ帰ろうと俺の勝手だ」
「まぁ、そうだが……って、あ」
パクリ、と作られていた小松菜の煮浸しをつまみ食いする。
すると尾形がつまみ食いをするとは思わなかったらしい谷垣はキョトンとした後、困ったような顔を見せた。
「アンタ、飯は食べたんだろう?」
「あぁ」
「ちょっ!?食べたなら摘むな!せめて箸を使え!」
箸で食べたら良いのかよ、と思いつつ不思議に思う。
谷垣は別に料理が出来ない訳では無いが得意と言う訳でもない。
なので二人して食事は好き勝手にしているのだが谷垣は調理する頻度が増えているようだった。
今日に至っては出汁はインスタントであろうと男が作ろうとするようなものではないと思いつつも、摘む手は止めない。
それだけ油で胃がもたれそうでも食の進む匂いと味付けで。
だからこそ谷垣の台詞には思わず目を見開いてしまった。
「これはインカラマッに教えて貰って正解だったな」
「……は?」
「あ、いや。アンタも俺もあまり食生活が良いとは言えないだろ?だから少しは気をつけてみようと相談したら教えてくれるらしくて」
その料理も俺が作ってみたんだが塩辛くないか?と何処か照れ臭そうな谷垣に唖然とする。
何処の乙女だ、お前。
思わず摘む手を止めて、差し出された麦茶を飲みつつ尾形は何とも言えない気持ちにさせられる。
そう、尾形は谷垣に物の見事に翻弄されていると頭を悩ませていた。
正直、記憶の中の谷垣の情報は断片的で少なくも多くもない。
だと言うのに手を差し伸べてきた谷垣の部屋に転がり込んでからと言うもの、ドジだが愛嬌のある谷垣の行動に尾形は目でついつい追ってしまっていた。
無論、全く見向きもしていなかった訳では無い。
ただのむさい男ではなく仕事をさせれば、それなりに使える男だと言う認識はあったのでドジさには呆れた事もあったが。
まさか谷垣の私生活は意外と子供と戯れる事が多いやら、一つの役目を任されると身体を壊そうと折れないやら。
知ろうと思った事の無い、尾形からすれば余計な情報は必然と目にして入ってくるようになっていた。
今では谷垣に帰りの土産を時たま買って帰るほどに絆された、と尾形は頭を抱えたくなる。
「しかし……結構、食べたな。アンタ」
「まぁな」
「……不味くなかったのなら何よりだ」
つまみ食いとは言え小鍋、半分ほどを食べた尾形に怒る事もせずに残りを皿に移すと食事にするらしく。
気付かなかったが違う鍋から味噌汁を注ぐと谷垣はリビングへとせっせと運ぶ。
そんな谷垣の動きを麦茶を飲み干した尾形は、谷垣に尋ねる事もせずにビール缶を二本取り出すとリビングへと移動すると目の前にビール缶を差し出してやる。
「飲むだろ?」
「む、あぁ、って!なんで避けるんだ!」
「礼は?」
「……有難う御座います」
「ふっ、20点」
低いな、と言いつつ大して気にした様子もない谷垣に暇つぶしにもならんと思いつつも付かず離れずにソファーへと座る。
実は別にビールが好きな訳では無いのだが谷垣が買ってきて、有れば飲むのだ。
そうすれば谷垣と飲み比べやら酒盛りになり、暇つぶしになると尾形は言い訳のように頭で呟く。
そんな悶々と考えている尾形を尻目にソファーに合わせた低めの机に簡素な和食を広げている谷垣は黙々と食事を取っていく。
テレビでも付けていなければ食事をする谷垣の後ろで酒を飲みながら観察する尾形と言う謎の不思議な空間と化す。
流石に不自然に思われては尾形は、これからの関係が面倒になると思い興味のないテレビを垂れ流す。
だが流石の谷垣もコロコロと変わるテレビ画面に見ていない事に気付いていたらしく、おかわりを持って帰ってきた谷垣は聞いてはいけないであろう言葉を口にしてしまった。
「そういえばアンタ、もう部屋の契約は出来そうなのか?」
「あぁ?」
ガラの悪い返事だったと自覚はしているが仕方ない事だろう。
居心地も良く、今など気分も割と良かったと言うのに谷垣に聞かれたくない事を質問されては気分も下がる。
「いや……その、一ヶ月ほど経ったし、アンタも俺が居ては落ち着かないだろうと思ってな」
「それはお前がむさ苦しいと感じてるんじゃねぇのか?」
「なっ!?それは違う!アンタはちゃんと家の事を手伝ってくれるし有難いほどだ!」
食事の途中だと言うのに尾形の言葉が余程、納得出来ないらしい谷垣はすぐに反論してくる。
真面目な性格ではあるので茶化したり脅したような質問をすると早く伝えたい時など電光石火で答えるので谷垣は分かりやすいのだ。
故に本心だろうと言う事は分かっていても中々愉快だと尾形は鼻で笑う。
「まぁ、出ていく事については、そろそろ決まる。お前にも改めて言うから安心しろ」
「わ、分かった」
「……変な奴だな。とっとと退け」
「いだっ!?アンタ、テレビまともに見てないじゃないか!」
なんなんだ……と困惑する谷垣の落ち込んだような反応に苛立ちが湧いてくる。
どうせ、己が期待する理由ではないと言うのに期待させるような反応を見せてくるなと思ってしまうのだ。
だからと言って居心地が良くなってきたからこのまま住む、と言うのも尾形の中では何かしっくり来ない。
言うなれば谷垣の方から行くな、と言わせたかった。
しかし同時にそれは不可能に近い考えでもあると言う事を尾形は重々承知している。
だが目の前のドジ小熊は呑気に口の端に米粒を付けて、ご馳走様でしたと言っているのだからイラッとくるのは仕方ないだろう。
だから意趣返しをしてやろうと思った。
ただそれだけ。
「……おい、付いてるぞ」
「む?っえ!?」
「ん、取れたぞ?谷垣」
なんてことはない。
口の端についていた米粒を取ってやった後、食べただけだ。
だが、それは男同士でするような行為では中々ないだろう。
それは尾形は理解していて当たり前のように尾形は食べた。
さて驚きで固まった谷垣は解凍したら、何をするんだと困惑するだろうか。
それとも気持ち悪いと嫌がるだろうかと楽しみにしていた。
だが谷垣の反応は尾形の考えるものではなく。
「いや、あの!気持ち悪いのは分かっている!すぐに落ち着くから待ってくれ!」
「……」
「まさか、その、アンタは潔癖そうだから!ビックリしてだな!」
赤面して、狼狽えてきたのだ。
確かに汚いと思う物を触ろうとは思わないが潔癖症と言う訳でもない、と瞬間的に尾形は反論しそうになりながら冷静になれと己を奮い立たせる。
今、言うべきことはソレではない。
確かに杉元や白石が同じ状況だったとして同じ行為はしないと断言できると何処か冷静さの欠ける頭で考える。
目の前で照れる獲物をどうしてやろうかと落ちてくる前髪を後ろに撫でる。
なんと愉快な反応をするのだろう、この男は。
この反応を見て期待しないなど愚の骨頂とも言えるだろう。
最早この行為にも何か言い訳を作れても良いし、無くとも良いと思えた。
「谷垣」
「本当にすぐ収まっんん!?」
「へぇ……存外お前の口は柔らかいな」
「な?え、は!?」
さてキスまですれば鈍い男でも後は嫌でも分かるだろう。
何より、それは赤く火照っていた部分が耳や首筋まで及んでいる谷垣の様子から充分に分かる。
そして目の前の男は自分が性的に見られているかもしれないと知りつつ自分を追い出さない、と言う選択肢をするのか。
そんな何処か自暴自棄のような、そして何処か賭け事のだと考えながら今度こそ尾形はビール缶を片手に谷垣の様子を堪能する。
それはそうだろう。
前世と違いすぎる……と恥ずかしさだけでなく悔しげに呟く声と言葉は尾形の胸に染み渡るように響いた。
前世を覚えていたのだ、この小熊。
狼狽える谷垣に尾形は機嫌が良くなるのを抑えられそうになく勝手に上がる口の端を抑える事もせず、視線を寄越せば目の前には突っ伏した谷垣が居る。
こうも無防備に出されたら項に噛み付いてやらねば逆に失礼だろう。
勝ちの見えている勝負で油断するのは、もう御免だった。
END
尾形百之助は哀れな母の後ろ姿を見ながら幼いながらに気付かされた。
だからこそ父に美味しいと言われたアンコウ鍋が良き記憶となり、思い出となり、囚われてしまったように思う。
幼いながらに哀れだと思う感情は残っていたからこそ殺したのだ。
狂った様しか知らぬ母の死体に尾形は感じるものなどありはしなかったが何処か父親が会いにくるのではないかと思いもしたりした。
しかし父は来なかった。
それが尾形百之助の色濃く残っている前世の記憶である。
運命とは分からないもので転生とも言うべき状態で尾形は前世と似たような経歴を辿ることとなっていた。
流石に尾形の母は心労による病死だったが延命に関する書類にサインしたのは尾形だ。
他にも寮付きの男子校に出されて警官となったが当時の上層部に居た鶴見にスカウトされる形で鶴見の作った警備会社へと転職したりもした。
無論それは表向きでしかなく、地元のヤクザ紛いと裏取り引きなどザラにあったりと尾形にとって餌でしかない仕事が多かった。
故に情報を警察に流そうとしたのだが、まさかの杉元佐一に邪魔をされた挙句に鶴見にバレてしまったのだ。
のちに尾形の逃走はバイト学生である杉元にとって仕事の邪魔だったらしいとアシリパと呼べと言った少女、小蝶辺明日子が語っていた。
この事実は尾形からすれば迷惑でしかなく、仕方なく杉元も雑用のバイトしていると言う土方のアパートに厄介になる事になったのだ。
しかし今、現状で直接、世話になっていたのは杉元やアシリパの紹介で再会した警官時代の部下であった谷垣だった。
勿論、杉元やアシリパ達と再会した事で蘇っていた記憶を辿り、谷垣の事も思い出していたからこそである。
経緯としては転がるように慌ただしく鶴見から逃げてきた尾形に住居手続きなどを済ませる前に土方の会社に世話になってしまっており。
暫くはネットカフェでも利用すれば良いかと考えていた時に遊びに来ていたアシリパに見事に見破られ、ちょっとしたお祭りになったのだ。
「尾形も覚えているんだろ?」
何処か期待しているような青みがかった瞳は何処か青空を思わせた。
「あ、白石テメー!それ俺のだろうが!」
「杉元の名前なんて無いだろー!」
「それ以前に腹の中じゃねぇか!」
「……」
落ちてくる前髪よりも鬱陶しい奴らだと思いつつも席を外さない。
と言うか、外せない。
隣で皿に肉をよそって来ては食べるまで見つめてくるアシリパが見張ってくるのだ。
ヒンナって言えるだろ?と。
尾形すると確かに用意された焼肉の食材は肉ばかりであったが上質で、歓迎されていると思わせる品々だった。
野菜も食わせろと言いたいがメンバーの性格や好み的に無理な話なのかもしれない。
だからと言って楽しいかと言われると尾形としては慣れずに自分も参加している事が不思議な空間だと感じていた。
だが杉元による余計な一言で尾形は席を立つと決めており。
ならば、する事は決まっている。
「トイレに行ってくる」
「ん?オソマか、ちゃんと手を洗えよ!尾形」
アシリパの女子とは思えない言葉を背に持ってきていた財布とスマホを尻ポケットに仕舞いながら気付かれないように、そそくさと招待されていた杉元の部屋を出て下の階に降りる。
どうせ、肉が食いたいだけだろうがと呆れつつ、勝手知ったるとばかりに鍵を開けるとキッチンから顔を出した谷垣の間抜け面に尾形は先程の杉元の言葉を思い出す。
谷垣は殆ど覚えてないみたいだよな、と。
心底どうでもいいと思っていても半ば強制的に顔を見る住人を知っているのに知らないと言うのは中々気分の良いものではない。
だが、ふんわりと香ってくる出汁の香りに。
そして何より驚きから立ち直った谷垣からのおかえりなさい、と言う言葉が。
尾形の逆立った精神を穏やかにさせた。
「まさかこんな時間に帰ってくるなんて思ってもみなかった」
「いつ帰ろうと俺の勝手だ」
「まぁ、そうだが……って、あ」
パクリ、と作られていた小松菜の煮浸しをつまみ食いする。
すると尾形がつまみ食いをするとは思わなかったらしい谷垣はキョトンとした後、困ったような顔を見せた。
「アンタ、飯は食べたんだろう?」
「あぁ」
「ちょっ!?食べたなら摘むな!せめて箸を使え!」
箸で食べたら良いのかよ、と思いつつ不思議に思う。
谷垣は別に料理が出来ない訳では無いが得意と言う訳でもない。
なので二人して食事は好き勝手にしているのだが谷垣は調理する頻度が増えているようだった。
今日に至っては出汁はインスタントであろうと男が作ろうとするようなものではないと思いつつも、摘む手は止めない。
それだけ油で胃がもたれそうでも食の進む匂いと味付けで。
だからこそ谷垣の台詞には思わず目を見開いてしまった。
「これはインカラマッに教えて貰って正解だったな」
「……は?」
「あ、いや。アンタも俺もあまり食生活が良いとは言えないだろ?だから少しは気をつけてみようと相談したら教えてくれるらしくて」
その料理も俺が作ってみたんだが塩辛くないか?と何処か照れ臭そうな谷垣に唖然とする。
何処の乙女だ、お前。
思わず摘む手を止めて、差し出された麦茶を飲みつつ尾形は何とも言えない気持ちにさせられる。
そう、尾形は谷垣に物の見事に翻弄されていると頭を悩ませていた。
正直、記憶の中の谷垣の情報は断片的で少なくも多くもない。
だと言うのに手を差し伸べてきた谷垣の部屋に転がり込んでからと言うもの、ドジだが愛嬌のある谷垣の行動に尾形は目でついつい追ってしまっていた。
無論、全く見向きもしていなかった訳では無い。
ただのむさい男ではなく仕事をさせれば、それなりに使える男だと言う認識はあったのでドジさには呆れた事もあったが。
まさか谷垣の私生活は意外と子供と戯れる事が多いやら、一つの役目を任されると身体を壊そうと折れないやら。
知ろうと思った事の無い、尾形からすれば余計な情報は必然と目にして入ってくるようになっていた。
今では谷垣に帰りの土産を時たま買って帰るほどに絆された、と尾形は頭を抱えたくなる。
「しかし……結構、食べたな。アンタ」
「まぁな」
「……不味くなかったのなら何よりだ」
つまみ食いとは言え小鍋、半分ほどを食べた尾形に怒る事もせずに残りを皿に移すと食事にするらしく。
気付かなかったが違う鍋から味噌汁を注ぐと谷垣はリビングへとせっせと運ぶ。
そんな谷垣の動きを麦茶を飲み干した尾形は、谷垣に尋ねる事もせずにビール缶を二本取り出すとリビングへと移動すると目の前にビール缶を差し出してやる。
「飲むだろ?」
「む、あぁ、って!なんで避けるんだ!」
「礼は?」
「……有難う御座います」
「ふっ、20点」
低いな、と言いつつ大して気にした様子もない谷垣に暇つぶしにもならんと思いつつも付かず離れずにソファーへと座る。
実は別にビールが好きな訳では無いのだが谷垣が買ってきて、有れば飲むのだ。
そうすれば谷垣と飲み比べやら酒盛りになり、暇つぶしになると尾形は言い訳のように頭で呟く。
そんな悶々と考えている尾形を尻目にソファーに合わせた低めの机に簡素な和食を広げている谷垣は黙々と食事を取っていく。
テレビでも付けていなければ食事をする谷垣の後ろで酒を飲みながら観察する尾形と言う謎の不思議な空間と化す。
流石に不自然に思われては尾形は、これからの関係が面倒になると思い興味のないテレビを垂れ流す。
だが流石の谷垣もコロコロと変わるテレビ画面に見ていない事に気付いていたらしく、おかわりを持って帰ってきた谷垣は聞いてはいけないであろう言葉を口にしてしまった。
「そういえばアンタ、もう部屋の契約は出来そうなのか?」
「あぁ?」
ガラの悪い返事だったと自覚はしているが仕方ない事だろう。
居心地も良く、今など気分も割と良かったと言うのに谷垣に聞かれたくない事を質問されては気分も下がる。
「いや……その、一ヶ月ほど経ったし、アンタも俺が居ては落ち着かないだろうと思ってな」
「それはお前がむさ苦しいと感じてるんじゃねぇのか?」
「なっ!?それは違う!アンタはちゃんと家の事を手伝ってくれるし有難いほどだ!」
食事の途中だと言うのに尾形の言葉が余程、納得出来ないらしい谷垣はすぐに反論してくる。
真面目な性格ではあるので茶化したり脅したような質問をすると早く伝えたい時など電光石火で答えるので谷垣は分かりやすいのだ。
故に本心だろうと言う事は分かっていても中々愉快だと尾形は鼻で笑う。
「まぁ、出ていく事については、そろそろ決まる。お前にも改めて言うから安心しろ」
「わ、分かった」
「……変な奴だな。とっとと退け」
「いだっ!?アンタ、テレビまともに見てないじゃないか!」
なんなんだ……と困惑する谷垣の落ち込んだような反応に苛立ちが湧いてくる。
どうせ、己が期待する理由ではないと言うのに期待させるような反応を見せてくるなと思ってしまうのだ。
だからと言って居心地が良くなってきたからこのまま住む、と言うのも尾形の中では何かしっくり来ない。
言うなれば谷垣の方から行くな、と言わせたかった。
しかし同時にそれは不可能に近い考えでもあると言う事を尾形は重々承知している。
だが目の前のドジ小熊は呑気に口の端に米粒を付けて、ご馳走様でしたと言っているのだからイラッとくるのは仕方ないだろう。
だから意趣返しをしてやろうと思った。
ただそれだけ。
「……おい、付いてるぞ」
「む?っえ!?」
「ん、取れたぞ?谷垣」
なんてことはない。
口の端についていた米粒を取ってやった後、食べただけだ。
だが、それは男同士でするような行為では中々ないだろう。
それは尾形は理解していて当たり前のように尾形は食べた。
さて驚きで固まった谷垣は解凍したら、何をするんだと困惑するだろうか。
それとも気持ち悪いと嫌がるだろうかと楽しみにしていた。
だが谷垣の反応は尾形の考えるものではなく。
「いや、あの!気持ち悪いのは分かっている!すぐに落ち着くから待ってくれ!」
「……」
「まさか、その、アンタは潔癖そうだから!ビックリしてだな!」
赤面して、狼狽えてきたのだ。
確かに汚いと思う物を触ろうとは思わないが潔癖症と言う訳でもない、と瞬間的に尾形は反論しそうになりながら冷静になれと己を奮い立たせる。
今、言うべきことはソレではない。
確かに杉元や白石が同じ状況だったとして同じ行為はしないと断言できると何処か冷静さの欠ける頭で考える。
目の前で照れる獲物をどうしてやろうかと落ちてくる前髪を後ろに撫でる。
なんと愉快な反応をするのだろう、この男は。
この反応を見て期待しないなど愚の骨頂とも言えるだろう。
最早この行為にも何か言い訳を作れても良いし、無くとも良いと思えた。
「谷垣」
「本当にすぐ収まっんん!?」
「へぇ……存外お前の口は柔らかいな」
「な?え、は!?」
さてキスまですれば鈍い男でも後は嫌でも分かるだろう。
何より、それは赤く火照っていた部分が耳や首筋まで及んでいる谷垣の様子から充分に分かる。
そして目の前の男は自分が性的に見られているかもしれないと知りつつ自分を追い出さない、と言う選択肢をするのか。
そんな何処か自暴自棄のような、そして何処か賭け事のだと考えながら今度こそ尾形はビール缶を片手に谷垣の様子を堪能する。
それはそうだろう。
前世と違いすぎる……と恥ずかしさだけでなく悔しげに呟く声と言葉は尾形の胸に染み渡るように響いた。
前世を覚えていたのだ、この小熊。
狼狽える谷垣に尾形は機嫌が良くなるのを抑えられそうになく勝手に上がる口の端を抑える事もせず、視線を寄越せば目の前には突っ伏した谷垣が居る。
こうも無防備に出されたら項に噛み付いてやらねば逆に失礼だろう。
勝ちの見えている勝負で油断するのは、もう御免だった。
END