◆薄明の暁星

 「おいで」と誘ったベッドの上。彼女は少しむくれて「ここ、私のベッドなのに」なんてこぼしつつも素直に俺の足の間に座り込んだ。
「こうされることを望んだのはおまえだぞ?」
「そ、そう、なんだけど……」
「実際されると恥ずかしい、か」
「っ……わかってるならっ」
「くくっ……それでやめて貰えると思ったら大間違いだ」
「、わ!」
 腕を取って腰を引き寄せると、驚くほど簡単に倒れこんでくる身体。いきなり何するの!とのお咎めは、同時に上を向いた口を塞ぐことで俺が呑み込んだ。
「ん、ぅ、」
「ふ、……は、ンっ」
 後頭部を固定して逃げられないようにすると、大人しく向こうからも舌が伸びてきて、絡めて食んで吸ってやれば、あふ、と悩ましい声が俺を内外から満たす。俺の胸のあたりに縋ってくる手が愛おしいと思う。こいつのこの行動は小悪魔に相違いない。暫く貪って舌を引き抜いたときには蕩けた瞳だけが残った。
「ふ……そんなによかったか」
「っは……だって……んも……きかないでっ」
「全部知りたいから聞くんだ。教えてくれ」
 ちゅっと触れるだけのキスをもう一度。くすぐったそうに笑う彼女を頬、耳、首筋と唇で辿れば捩られる身体。それを全身で押さえつけて、服を剥いでいく。
「ルシファーとキスするとすごく力が湧いてくるの……なんでだろうね?」
「俺の魔力を分け与えているからだ」
「は!?えっ!?聞いてない!」
「言うことでもないだろう」
「じゃあ私が魔術を使えるようになったのって」
「俺のせいでもある」
「う、うそぉ、……愛の力とか夢見てた私って一体……」
 その告白にはさすがに頭を抱えてしまう。いくら俺の出自が天界だったといってもそんな夢のような話があるものか。どれだけロマンティックな可愛いらしいことを考えていたのか。しかしそれでも、表情筋を保つのが大変だ。
「俺はおまえのことが心底心配だ」
「っバカにしてるんでしょ!夢見るのは自っぁっ、そんなっンン、ふぁ、」
「ハァ……違うよ」
「……、?」
「俺が心配してるのは、おまえがあまりにも可愛いことを言うからだ」
「はひ……?」
 なぜ言った本人がわからないんだ。
 腕の中にある体温を抱き上げたら半回転。そのままベッドへ押し倒した。
 ぱちくり、と一度の瞬きでは、どうやら理解が及ばなかった様子。そんな彼女にはとどめの一言をやらないとな。
「今夜は寝かさないぞ」
「!?」
「煽ったのはおまえだ。覚悟するんだな」
 その台詞を最後に、部屋から会話らしい会話は消え、後に残されたのは艶めく吐息と喘ぎだけだった。

 それから何時か経ったろう。

 魔界では見慣れない日の光に、意識が覚醒するのは早かった。普段は億劫な「起き上がる」という行為も、人間界では素直にしてしまうのが不思議だ。
 乱れた髪をかき揚げながら気怠い身体を傾けると、んん、と小さな声がして、次いで隣にある体温を感じた。知らず下がるのは眉。誰も見ていないから律する必要もない。
「……全く、幸せそうな顔をして。おまえの隣にいるのは悪魔だぞ?」
 むにゃ、と柔らかい表情で眠る姿を見るのに慣れすぎると、魔界に帰ったあとで寂しくなるかもな、なんて自分らしくない考えが浮かんで苦笑した。それを誤魔化すように、目の前にある唇を指で弄ぶと、ふにゅ、と変な声があがる。昨晩はあんなにも色香を滲ませていたというのにと自然と頬がほころんだ。
「俺が構っているというのに起きないとは……お姫様にはキスをしてやろうか?」
 眠っているのがわかっていてこんな言葉をかけても返事があるわけがないのだが、それをいいことに唇を奪う。
 ちゅっと音があがる。
 起きない。
 もう一度押し当てる。
 起きない。
 今度は暫く口を塞ぐ。
 ここまですればきっと。
「ん……ふ、んぅ!?」
「ンッ、は、いい朝だな」
「な、ぁ、ン!!?」
 やっとお目覚めの姫は、一度のキスで目覚めないあたり、御伽噺のように素直ではないらしい。
 目が開いたところですぐに俺から距離を取ろうとした身体を自分の身体で押さえつけ、片方の手は彼女の指を絡めとってベッドに縫い付け、もう片方で顔を固定すると今度こそ遠慮なく吐息を奪う深いキスをする。
 だんだんと力が抜けるのを感じ取ると、頬に添えた手を、首筋、肩、横腹、腰と這わせて、ぐっと引き寄せれば、観念したように向こうの腕も俺の首に回されてきて気分がよくなった。
 暫く、くちゅりくちゅりと唾液の交わる音と、それから濡れた声、衣擦れの音が朝の静かな部屋を満たした。もぞ、と俺の下で物欲しそうに擦り合わされる足に口角が上がる。求められるのに悪い気はしない。
「っ、ハァ」
「は、ふぁ、はぁっ……!」
「目が覚めたろう」
「さ、めた、なんてもんじゃ、ないよっ……!」
 真っ赤に熟れた顔が愛おしい。俺に翻弄されてくれているとわかるから。
 起き抜けのときのように、ふに、と指で唇に触れると、今度はむにゅと変な声が耳に届いて、俺は笑いを噛み殺せずにくつくつと喉を鳴らした。
「悪かった。起きるか?それとも昨日の続きといくか?」
「っ……あ、んなに、したのに、」
「おまえ相手なら何度でもできる」
「なっ……!?」
「というのは本当なんだが、別におまえの身体を軽んじてるわけじゃない。人間には酷だろう。朝食でも作ってくる。待ってろ」
 あわあわとする彼女の髪を一撫で。額にキスを落としてから身体を起こした刹那。首に回っていた腕に力が籠り、ぐいと引き寄せられる。予想していなかったことに咄嗟に対応できずにまた彼女の上に逆戻りすると、耳に囁かれた悪魔の誘いには乗らざるを得なかった。
「るしふぁーがしたいなら、っ、」
「!」
「今日は、家で過ごそ……?」
 断られるとでも思ったのか、心許なげに揺れる瞳。それになんと返事をするかなんて、千年前から決まっているのに変なところで臆病だ。まぁそこも可愛いところなんだがな。
「目を閉じて、俺だけ感じてろ」
「ん、っ」
 俺たちを覗くのは、月でも太陽でも許されない。彼女の全ては誰にも見せない。俺がすべて隠してやろうと、その身体の上に再び覆いかぶさった。
 明けたばかりの空に浮かんだ千切れ雲の向こう側で、今日も太陽が真っ赤に燃えていた。
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