【完結】僕らの思春期に花束を

ジェイドには陸に上がってきたときからずっと一緒に暮らしている、御付のメイドが一人いる。
このメイド、ジェイドにからかわれてぷりぷりと怒る姿こそ有名であるが、実は由緒ある家の出である。
その家名は、業界において名を知らない者はいないとまで言われるほど。
一族皆が代々執事やメイドのエキスパートとして育て上げられており、右に出るものはいなかった。
執事やメイドは、斡旋所から依頼がくるとそこにお仕えしに向かうのが通例であるが、ことこの一族のものは雇用費がバカにならないこともあり、富裕層でも簡単に引き抜きができるものでもないと専らの噂になっている。
けれど、だからこそ数名の一族だけでも稼業が成り立っており、今は一族外の人間を立派な執事・メイドに教育するための事業にも熱が入っているのだとかなんとか。

さて、そんな出自のこのメイドがジェイドにお仕えすることになったのは、ジェイドが十二の誕生日を迎える少し前のことだった。
ジェイドよりほんの少しだけ早く生まれただけでほとんど年齢も変らないメイドは「私がどこかの御屋敷に行くなんてまだまだ先のことだわね」とタカをくくりながら教育を受けている真っ最中であった。
その日、メイドの家は朝からバタついていた。
今日のレッスンは始まるのが遅いなぁと、ぼーっと椅子に座っていたところに、お達しがきたのだ。

「あの子を明日からリーチ様のところへお仕えさせる」
「おじい様!あの子にはまだ荷が重いですよ!教育も行き届いていませんし、何より『あの』リーチ様ですよ?」
「しかし他の者は今手が離せない。リーチ家に一族以外の者を出向かせるわけにも行くまい」
「けれど、」
「あそこは今年、双子がともに陸に上がって学びに来るんだ。二人いっぺんに預かることはできないから苦肉の策だ」

そんな声が聞こえてきて、なになに?なんだかいつもと違った雰囲気だわとそわそわし始めた矢先。扉が開かれて、中へと呼ばれた。

「お前、今日のレッスンはなしだ。すぐに出かける支度をしなさい」
「へ?おじいちゃん、私まだ、」
「こら!おじいちゃんと呼ぶなとあれほど言っただろう!」
「いったぁ!!ご、ごめんなさい…しつじちょぉ…。でも、あの、支度って…?」
「お前は明日からリーチ様のところの坊ちゃんのメイドとして奉公することに決まった」
「りーち………ってあのリーチ様!?」
「そうだ。正直お前の教育はまだ中途半端なものだが、他の者に任せられる案件ではないからな。支度が整ったら最終チェックをしてすぐに出発だ」
「ちょ、ま、まって、私まだ!!ていうかおじ……執事長がいけばいいじゃないですか!!どうして私なんですか!?」
「リーチ様のご子息は双子で、別々で暮らすことになっている。一人は私が面倒を見るが、もう一人まで手が回らんのだ」
「ま、まじかぁ……」
「これ!!まじか、とはなんだ!!口には気をつけなさいといつも言っておろう!!」

……そんなやりとりの後、メイドの祖父がフロイドのところへ、そうしてメイドはジェイドのところへと来たという流れだ。
年齢が近いということもあって、結局こんな距離感でお仕えしている状態だが、これでもメイド業をさせたら右に出るものはいないくらいの仕事っぷりではあった。
と、昔話はこの辺にして。
今現在、時計の針は二十三時を指している。

「ぼっちゃーん!ジェイド坊ちゃん!就寝のお時間ですよー」
「おや、もうそんな時間でしたか。テラリウムをいじっているとすぐに一日が終わってしまいますね」
「最近、アルバイトも始めたから余計なんじゃないですか?」

花屋でアズールに会ったあの日から数日後。
ジェイドが屋敷に帰るなり唐突に「アズールのカフェで仕事をすることになりました」と言ってきたのはメイドの記憶に新しい。
陸の常識を学ぶには働くのも大事だろうと、特に咎めることもなく、ご両親に一報入れるのみに留めていた。
ジェイド坊ちゃんは紅茶を入れるのも得意だし、所作も綺麗。それに学園内のカフェということであれば、さほど心配もいらないだろうと踏んだのだが、案外しっかりとした「事業」のようで、シフトのある日は帰宅時間も遅かったりして少しだけ心配になる。
メイドはとりあえずで様子見をしているところだが、あまりにも私生活に影響があるようなら手を打たなければとの考えもあったのは秘密である。

「ラウンジの仕事は興味深いですよ。お客様は想定外のことをなさるので、僕の常識も覆されっぱなしで。なかなか楽しんでいます。フロイドも一緒ですしね」
「それなら良かったです。坊ちゃんのことだから大丈夫とは思いますが、学業に影響が及ぶとご両親が心配なさいますから」
「問題ありませんよ。ただ、貴女と一緒にいる時間が減るのは少し考えモノですが」

その言葉を受けたメイドはきょとんとしてから苦笑した。『坊ちゃんもあと三年したら一人で生きて行くんですから、慣れていただきませんと』、と。
ジェイドは暗に『十二で陸に上がってきてから約五年もの間、ほとんど一日中一緒にいたのだから、寂しいです、貴女は寂しくないんですか』との意図を込めて発言したのだが、メイドにはさっぱり響かない。
ヤキモキするな、早いところ既成事実の一つでも作ってつがいにしてしまおうか…などと思われていたことだって、メイドは知らない。

「と、ところで、あの、」
「はい、なんでしょう」
「おおおおおつかれのところ大変申し訳ありません、その、よ、夜の見回りが…」
「ああ、僕としたことがすっかり忘れていました。さ、行きましょうか」
「っ…!ありがとうございます!」

ここで注釈を一つ。メイドの仕事はもちろん、様々ある。多岐に渡っている。
基本的には食事の準備や掃除、洗濯がメインにはなるが、夜の屋敷見回り、なんていうものもあったりする。
しかしこのメイド、暗闇が大の苦手だった。
豪邸といえど、子息が一人で暮らすための別宅なので、くるりと一周するくらい十五分もかからない程度の大きさであるが、暗いものは暗いので怖いには変わりがない。
ここに来た当初こそ無理矢理一人で回っていたのだが、就寝したはずのジェイドが突然書斎から出てきたところに出くわして以来、おっかなびっくりが度を越してしまって一人が無理になった。
それをきっかけに「夜の見回りだけは二人でしましょう」との約束になったのだが、たまにおねだりされたい欲がでるジェイドにこうして「自分から言わされる」のだ。
ランタンを二つ手にぶら下げている時点で察すればいいものの、ジェイドにはこういうところがある。もちろんこれが「知っていてされていること」とは、メイドは気づいていない。

「いつもの通り戸締りのチェックと、それから不審者がいないかっうゎあ!!」
「!」

ぴゅっと何かが駆け抜けて行ったと思ったら、メイドがジェイドの腰に張り付いていた。
メイドがその何かに驚いたのと同じくらい、ジェイドの思春期が驚きで跳ね上がったのは言うまでもない。
それはもう、ぎゅん!である。ギュン、の勢い。

「いいいいいまなにかあああああ!!!!」
「……………………………………………………っ……落ち着いてください」

落ち着いてないのは僕の思春期ですなどとは口に出せなかった。ジェイドは冷静だった。
冷静?そんなわけありませんね。、と脳内の自分をぶちのめしてから言葉を発する。

「恐らくネズミかなにかでしょう。もういませんから」
「あ、あ、そ、っそうですよね!!私ったらすみません!!あは、あはは」
「いえ、問題ありません。ですがどうしましょうか?今日は僕一人で行きましょうか?」
「そ!そ!そんなわけには参りません!これは私の仕事ですので!!行きます!!」
「そうですか、では」
「っへ?」

この五年で随分と身長差が出てしまったメイドの小さな身体をいとも簡単に抱き上げて、にっこりと頬笑んだ。

「まだ震えてらっしゃるので、今日はこうして見回りましょう」
「!?坊ちゃん!?だめですそんな、坊ちゃんの手をこれ以上煩わせるわけには!!」
「貴女も見回りしているには変わりないでしょう。それに早く終わらせないと寝る時間も遅くなりますよ?」
「う、」
「さ、もう言うことはないですか?行きましょうか」

メイドを抱えてご満悦なジェイドはいつもよりもゆっくりとした速度で廊下を歩く。
揺れる横髪を見つめながら、メイドは少し笑った。

「ふふっ…ねぇ坊ちゃん、」
「はい」
「大きくなりましたねぇ」
「はい?」
「私がここに来たばかりのころは、同じくらいの背丈だったのに。たった五年で何センチ伸びたんでしょう。人魚ってやっぱり大きくなる速度が桁違いなのかしら」

首に回されていた手がよしよしと頭を撫でたものだから、冷静沈着なジェイドも息の根が止まるかと思った。
こんなに突然距離が近づいたらこれはもうつがいも同然なのではないかと。

「そうですね、貴女のことも簡単に抱きしめられるようになりました」
「でも、突然はダメですよ!いつもびっくりするんだから」

ぽんぽん、ぎゅっ。
慣れない陸でよく頑張ってますね。
そう伝えているのだろうか。
突然訪れた幸運に「今日が結婚記念日ですかね?」と脳内時空を飛ばしたジェイドがいたとは、ジェイドの日記だけが知るところであった。
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