obm V!

女の子なら誰もが心を弾ませるバレンタインデー。もちろん私だって例外ではないから、たくさんのチョコレートたちを見てうきうきしてしまうのも仕方がない。売り物として並んでいるそれは、チョコレートそのものはもちろん包装まで可愛らしくて目移りしてしまう。
ついつい探してしまう、赤と黒を基調とした包装もの。私の頭の中のディアボロは、多分どれを渡したって喜んでくれるだろうなあと思う。だけど本当にそれでいいのかと自問しながら棚を眺めていたら、なんだか分からなくなってきてしまった。どれも素敵だけれど、どれもしっくりこない。手にしている大きなカゴの中では、他のみんなに渡す予定のチョコレートが最後のひとつが入るのを待っている。私の頭を悩ませるこの違和感はなんだろう。そんなことを考えながら売り場を進んでいると、遂に既製品のコーナーは終わってしまった。辺りを見るとそこは手作りをすることを目的とした商品が並んでいて、脳内の私と現実の私が、同時にこれだ!と声を上げる。周りにいた女の子たちがこちらを見てきて恥ずかしかったけれど、彼女らも同志たち。がんばれ、と声をかけてくれる子もいて私は嬉しさと恥ずかしさを笑って誤魔化すしかなかった。

バレンタイン前日、キッチンに並ぶチョコレートの塊たち。私はそれをひたすら、ただひたすらに細かくしている。チョコレート作りのコツはルークとバルバトスに聞いた。手伝おうか、と聞いてくれたけれど私はその申し出を思い切って断ることにしたから、これはある意味自分との戦いでもある。手伝ってもらうのも魅力的ではあったけれど、それ以上にひとりで頑張ってみたいと思ったのだ。
チョコレートを刻むのはなかなかに根気がいる。最後のひとつを刻み終わる頃には少し手首が痛くなっている気がしたけれど、こんもり積もったチョコレートの山を見たらやり遂げた嬉しさで頬が緩んだ。温めた生クリームに、刻み終わったチョコレートとバターを入れる。じんわり溶けていく様を見るのは、少し楽しい。この光景を見ていると、ディアボロと一緒にいる時のことを思い出す。彼はこの生クリームのように私のことをとろとろになるくらい甘やかしてくれるから、その時のことが思い出されて頬が緩む。そういえば今日はまだ顔を見ていないなあと思ったら会いたくて堪らなくなってきてしまったけれど、今日はチョコレートを作るという重大任務がある。喜んでくれるかなとか、美味しいって言ってくれるかなとか、そういうことを考えながらくるくるとかき混ぜた。早く会いたいな。……好き、だな。ぽろりと口から零れた言葉も一緒に溶かすみたいに、丁寧に。甘い香りに包まれて、私の思考も甘くなっているみたいだった。
必要な材料を溶かして固める、ただそれだけだけど、それだけの方が今の私には合っている気がした。凝ったことをするよりもシンプルに、その分愛をこれでもかってくらいに溶け込ませる。
コンロから下ろしたチョコレートをバットに流し込んで粗熱を取ってから冷蔵庫にしまう。ベールに食べられてはたまらないから、厳重に、それはもう厳重に注意書きをしておいた。
気合を入れて朝から励んだおかげでその日の夜には固まってくれていて、ほっと胸をなでおろす。包丁で食べやすい大きさに切り分けて、味見を兼ねてひとくち食べてみた。思っていたよりも甘いチョコレート。余分な材料は入れてないはずなのにこんなに甘いのは、もしかして隠し味にした私の愛のせいだったりして。そんなことが頭を巡ってひとりでちょっと恥ずかしくなって頭を振る。それを隠してもらうみたいに少しビターなココアパウダーを振りかけた。
包装するのに用意したのは、赤チェックの包装紙に黒色と赤色の細身のリボンを一本ずつ。それから琥珀色をしたハートのシール。それは可愛らしくぷっくりと膨らんでいて、これを見た瞬間彼の優しい瞳を思い出して思わず手にしていたものだ。これらを使ってできる限り丁寧に包装を施す。ようやく満足のいく様相になったころ、もうまもなく日付が変わる頃だった。集中していて気付かなかったけれど、ディアボロからチャットが届いていた。それに頬を緩ませながら返事をする。明日の予定もバッチリ確保して、あとは彼に会うのを待つだけだった。うまく渡せるかな、喜んでもらえるかな、美味しいって言ってくれるかな。不安と緊張でなかなか寝付けなくて、私がようやく眠りについたのは世界が目覚め始める頃だった。



ついに訪れたバレンタイン当日。私は朝食の席で兄弟たちにそれぞれ用意していた物を渡した。手作りの方を渡す相手を知られているルシファーとアスモからはからかい半分鼓舞半分のありがたいお言葉を頂戴する。それが何だか妙に心強くて、肩の力が少し抜けたような気がした。
うまくいきますように、という言葉とともにアスモがくれた紙袋にチョコレートの箱を忍ばせて、私は魔王城へ急ぐ。待っているよ、というメッセージにちょっと緊張が高まったけれど、かわいい紙袋が私の背中を押してくれている気持ちになった。
城に着くと、チョコレートの香りが満ち溢れていた。今年もかなりの量が届いているらしい。検品に追われるみんなは大変だなあと思いながらも、少し胸の奥がちりちりと痛むのには気付かないふりをした。出迎えてくれたバルバトスが優しい笑みでディアボロの所在を教えてくれる。彼は今、バルコニーにいるらしい。何度訪れたか分からないくらいのその場所は、私のお気に入りの場所。そんなところで待っていてくれるのが嬉しくて、自然と足が速くなる。バルバトスにギリギリ怒られないくらいの早歩きで城内を歩めば、目的の場所はもうすぐそこだった。
「ディアボロ!」
呼ぶ声に振り向いた彼が立ち上がって腕を広げてくれる。私は勢いをつけて彼の腕の中に飛び込んだ。危なげなく受け止めてくれるのが嬉しくて逞しい胸に自分の頬を擦り付ける。ちょっと笑いながら頭を撫でる彼の大きな手が温かい。それが私をとんでもなく幸せな気持ちにさせてくれるのが堪らなくて。少し乱れた前髪をかきわけて額に落とされる唇に目を細めた。
「時間通りだね」
「早く会いたかったんだもん」
私の言葉に満足そうな笑みを浮かべた彼が、そっと腕を解いて椅子を下げて座るよう促してくれる。バルバトスが見たら卒倒するかもね、という私の言葉に、二人で笑った。
有り難く腰を下ろしていよいよ本題である。丁寧にテーブルに置かれた紙袋を見たディアボロがちょっと表情を変えたのを見逃す私ではない。案の定紙袋から取り出されたそれを見て、彼の頬がほんの少し染まったのが分かってしまって私もなんだか頬が熱くなってきた。箱を持つ手が熱い。中身が溶けてしまうのではないかと心配になってしまってテーブルにそれを置く。ずい、とディアボロの方に押しやって、私は顔を伏せた。
「……そ、それ、バレンタインの、です」
そう言うのがやっとだった。かた、と小さく音がして、彼が箱を手にしたのが分かる。ディアボロが何も言わないから少し不安になって、ちらりと彼の顔を見た。ディアボロはその大きな手で箱を両手で持って、じいとそれを見つめていた。持ち上げて裏を覗き込んだり、ちょっと傾けて側面を見たり。何をしているのだろうかと尋ねてみると、彼は口を開く。
「これは、どこかで買ったもの……では、ないね?」
私が肯定すると、彼は口元を手で抑えた。なんかまずかったのかな、と思って眉を寄せてしまう。けれど隠しきれなかったディアボロの口角がゆるりと上がっているのに気付いた。もしかして、笑ってる?私の視線に気付いた彼が軽く咳払いをする。さっきよりも赤くなっている頬がなんだか可愛く見えた。
「いや、すまない。その……嬉しくて」
言っているそばからまた目尻と口角の距離が縮んでいく。諦めたのかもう隠すことはしなくなった。開けても?と尋ねてくるから、私は頷きで返す。するりと解かれるリボン、丁寧に開かれる包装紙と箱。綺麗な石畳のような、とはいかなかった、僅かに線の歪んだチョコレートが顔を出す。入れ忘れたピックをその場で直接手渡すと彼が少し笑ったのがちょっとだけ恥ずかしい。ピックがチョコレートに沈んでから、ディアボロがそれを口に運ぶまで。その間が何故か妙に長く感じた。
何度か咀嚼した彼の顔が輝く。それがあまりにも眩しくて、私は目を細めた。
ひとつ、またひとつと食べていってついに一列が空になった。彼はそれにハッとして、ピックを置いて蓋をする。ディアボロの顔はなんというか、完全に緩みきっていた。
「あまりに美味しくて手を止めるのが大変だったよ」
嬉しい言葉を言われて私は照れを隠すように目をそらす。くるくると指先で弄んだ髪の毛は、少し迷惑そうにしていた。
「そんなの、別にいいのに」
「そういう訳にはいかないよ。……せっかく君がくれたのだから、大事に頂きたいじゃないか」
本当に大切なもののように箱を撫でる。その手つきがあまりにも優しくて、私は胸が締め付けられるような気がした。少し身体が身震いする。多分、嬉しくて堪らないと全身が叫んでいるんだろうと思った。私はどうしても我慢が出来なくなって、腰を上げてディアボロの隣に立つ。その意図を汲んでくれた彼が私の腰に腕を回した。胸の辺にある彼の顔が少々期待しているみたいに輝くから、それにお答えするようにふわりと抱きしめる。私の胸に顔を埋めてこちらを見てくるのに思わず心がきゅんと鳴いた音が聞かれてやしないかハラハラする。それを誤魔化すように、今度は私が彼の額に口付けた。
「初めてだよ、好いた人から手作りのものを貰うなんて」
至極嬉しそうな表情でそういう彼に私は驚いてしまった。ディアボロにもまだ経験したことが無いことがあるなんて思いもしなくて、だからあんなに嬉しそうにしていたんだなあと理解する。やっぱり私の選択は間違ってなかったんだと分かって嬉しくて。
徐ろに立ち上がったディアボロが、改めて私のことを抱き締めてくれる。温かな身体と彼の匂いに包まれて、ここが幸せの頂点なのではないかとさえ思えてくるほどだ。顔中に降ってくる唇を私のそれで受け止める。今まで1番甘くて、今までで1番幸せな味。それは間違いなく、ナンバーワンだった。
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