◆聖夜の星に願い事

昨日は私の願った通りにルシファーの部屋に連れて行ってもらい、彼の宣言通りに眠れない夜を過ごさせてもらった。けれどそんな夜を越えても、どれだけの愛情をもらっても、私の中に居座った『何か』は、なかなかなくなりはしなかった。
もともと自分はリリスの代わりに愛されているんだと思っていた節があって、それについては否定してもらって納得もしたはずではあったが、昨日のことが私の気持ちをまたそういったネガティブな方面に引き戻したことが原因だと思われた。
ルシファーの愛情が信じられないわけではない。これは自分自身の気持ちの問題で、私が私を理解しなければ治らない類のもの。
だからこんなことをルシファーに知らせる必要も、知られる必要もない。一人でケリをつけなければ。

ざわつく心を沈めるために私が選んだのはミュージックルーム。どういう仕組みなのかわからないけど、四六時中小さな音でレコードが奏でられているここは、なんとなくそういうのに適しているかなと感じたのだ。
「誰もいないといいけど……」
この館の住人は放任主義だ。誰もが何千年単位の時を生きているから当たり前かもしれないが、基本、いつ、誰が、何処にいるのかはD.D.D.で連絡を取らなければハッキリしなかった。学校が休みの今日も皆の所在は掴めない。なんとなくの想像は、当たる時もあれば当たらない時も多かった。
ミュージックルームの中をそっと覗き込む。人の気配は無さそうだ。幸運に感謝しつつ足を踏み入れたその時。ポロロン、と突然ピアノが鳴り響き、びくりと私の背筋が正された。
(誰かいたんだ…。ピアノなんか弾いて)
ピアノの鍵盤を弾ませている者として思い当たるのは……マモンとレヴィはなさそう、サタンはありそう、アスモはワンチャン、ベールはなさそう、ベルフェは…ありそうかな。
(でも一番似合うのは、きっと、白い盤の上を滑る赤いマニキュア)
贔屓目に見てしまうのは許して欲しい。その妄想を確かめるべく、もう一歩進めば、やっぱり。

「ルシファー……」

弾き始めたばかりのところを止めたくはなかったけれど、自然と口に出てしまった名前。そしてその至極小さな音も拾ってしまう彼の耳は一体どうなっているのかわからない。「居るんだろう」と、そう告げられた時にはピアノの音色は止んでおり残念に思う。当初の目的は叶わなかったのだから、少しくらいと願うのも許して欲しい。
そんなことを考えている間に、ぱたん、と鍵盤蓋が閉まる音がしてルシファーが立ち上がってしまった。そのまま蓄音機のほうに向かったと思えば今かかっているレコードを別のものに入れ替える。すぐにヂヂッと針がレコードを擦れる独特の音がして、別の音楽が流れ始めた。

「……あ、これ知ってる。仮面舞踏会の……ワルツ、じゃない?」

人間界でも割とメジャーなメロディーラインが鼓膜を震わせたので曲名を口にすると、よく知っているなと髪を撫でられた。それからとんでもない一言を投げかけられる。

「一曲踊らないか?」
「え?ダンスってこと?ごめん、私、そういうダンスはちょっと……」
「知らないなら俺に合わせて揺れるだけでいい。上手くサポートするのがパートナーの役目だからな」
「でも……」
「お手をどうぞ」

羽織っている上着をピアノの上に放ったと思えば、少し腰を折って手を差し出したルシファーは、さながら王子様だ。ここに来た時からわかってはいたけど、この嘆きの館に住む悪魔たちは皆、容姿が整いすぎている。そんな悪魔に、こんな風に手を差し出されては、断れる人間などいるはずないだろう。

「足、踏んじゃっても知らないよ?」
「魔界の留学生はそんなことを気にするタマだったか?」
「っふ……!それもそっか。ルシファーの足を踏むくらい、なんてことないって笑い飛ばさないとね」
「それでいい。ほら、早く」
「あっ、」

待ちきれなくなったのか音楽が佳境に入ったからか、私の手を引っ張るように取って引き寄せたルシファーはくるっとターンしてそのまま流れるように部屋の中央に進んだ。
背に添えられた大きな掌は今日は紳士に私を支えて、もう片方の手は私の手を軽く握る。音楽に合わせてゆっくりとリズムを取りながら二人で揺れていると、それだけでなんだか心地よかった。基本は無言だったけれど、稀に、「手は俺の肩に置け」だとか「ターンするぞ」とかちょっとした指示が飛んでくる。それに従っているだけで自分も踊れる気になってくるから不思議。だんだん慣れてきて、音楽も耳に届くようになるとスムーズにいくようになり、こちらから話しかける余裕も出てきた。

「本当になんでもできるんだね、ルシファー」
「長く生きてきたからな、暇潰しのようなものだ」
「謙遜?傲慢のルシファーなのに」
「そんなんじゃない」
「ふふっ、じゃあ、そういうことにしておくよ」

ダンス中だということも忘れてルシファーの方を見て微笑むと、思いのほか近くにルシファーの顔があったので驚いてしまった。その瞬間、足元がおそろかになる。

「あっ、わ!」
「おい!」

グイッと手を引かれて余計に体勢が崩れ、あ、これ床に叩きつけられるパターン!?、と咄嗟に目を閉じたけれど、覚悟した衝撃はなかった。恐る恐る瞼を開くと、眉を下げたルシファーが私の視界を満たす。

「っはは……!本当に、おまえといると飽きないな」
「もうっ!茶化さないでよっ」
「悪いな。……怪我がなくてよかった」
「ぇ、んぅ、ぁ、は、」
「ふ、ンっ……」

ちゅっと可愛らしいリップノイズを響かせて唇を掠め取られると、どうやら私の目が素直に「もっと」と告げてしまったようで、もう一度触れ合った唇に、今度は深い口付けが返ってきた。舌を絡めていれば次第に荒くなる吐息。徐々に足が立たなくなる私をうまく誘導しながら床に座り込み、私をその膝の上に誘った。それでも互いにキスを止めようとはしない。むしろ体勢が楽になったことで、更に何度も角度を変えては咥内を貪る。どちらのものともつかない唾液が、口の端から伝っていった。
暫く無言で求めあって、息が苦しくなってしまった自分を恨めしく思いながらもルシファーの首に回していた手で彼の耳を弄ると、ふっと笑って少しだけ距離を取ってくれた。綺麗な瞳を輝かせて、ルシファーは私を見つめる。

「ンッ、は、ふ……っぁ、はふ、」
「ふ、はぁっ……気になることがあるなら何でも言え」
「ふぇ、」
「おまえの考えていることはなんとなくわかる」
「!?」
「先に言っておくが、俺は、おまえを、愛しているんだ。別の誰かの代わりじゃない」
「っ、」
「いい加減に信用しろ」

苦笑混じりのその言葉に怒りは含まれておらず、ただただ優しさに溢れるものだった。
気の利いた台詞を紡ぎ出すことができず目を見開くだけの私を、もう一度抱きしめたルシファーの目尻は薄く赤色に染まっていた。それを見た私はほろりと一つ涙を溢すと、その胸に大人しく抱かれてありがとうと呟いた。

「今夜も俺の部屋で眠るか?」
「っ…えと、」
「安心しろ。今日は、寝かせてやるから」
「!…っ、それなら…」
「ただし、日付が変わってから、だがな」
「っもー!!」

笑いながらも、私はこんなことを考える。

違うよルシファー。私、わかっちゃったんだ。なんでこんなに不安なのか。
私は、私がリリスみたいにいなくなるときのことを考えるのが、怖いんだ。
私はルシファーみたいに長い命をもたない、ただの人間だから。いつかルシファーとお別れするときがきたらーーううん、それよりも早く、自分だけが老いていくその様をまざまざと見せつけられたらと無意識に思っていて、恐れている。これはね、愛されたが故のわがままだよ。ごめんね、ルシファー。

こんな風に戯れ合う時間は、いつまで続くのかな。
悪魔と人間にも、永遠の愛は、あるのかな。
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