【完結】恋とはどんな音かしら

それは、ワールドツアーを走り終えて、今年のライブの最後を飾るファンミーティングが始まる直前のことだった。

「アズールさん、このライブが終わったら、お話したいことがあるんです」

彼女からの一言に、少し期待をしていたのは秘密だ。
最近、ジェイドも作家と上手く行っているようだし、フロイドは言わずもがな。次は僕の番だ、と浮かれるのも仕方がないと思いたい。
しかしながら、ライブ後に放たれた言葉は僕から全ての世界を奪うに等しいものだった。

「お待たせしました」
「いえ、全然です!ファンミーティングお疲れ様でした!稚魚ちゃんたちの声援すごかったですね」
「ええ、稚魚さんたちがいてこそ僕らも走り続けられると、今では心から思いますよ」
「ワールドツアーでまた一段とファンダムのパワーが増したというか。それだけ愛されるグループに関われたこと光栄に思わないといけないです、私…本当に楽しかったです。この半年間」
「?」

不自然な言葉に違和感を覚える。高揚していた気分が一気に現実に引き戻された。
『僕はこれから何を告げられるんだろう。聞かない方が良いのでは』と脳が警鐘を鳴らす。しかしながら目の前の彼女の口は止まることはない。

「私、実は今日で、専属契約を終えなければならないんです」
「はい?」
「上司から異動のお達しが来まして…。"専属契約なんて聞いてないぞ!会社に属する人間が個人で勝手にするな!お前の責任だから自分で蹴り付けて戻ってこい!"……って、怒られてしまって。言われてみれば当たり前だなと、マネさんにご相談して…」
「ま、待ってください。僕の預かり知らぬところで、そんな」
「はい。私の責任感のなさからこのような事態を招いたことは、何と謝罪しても許されることはないと思っています。本当に、申し訳ありません」

彼女は、そう言いながら深々と頭を下げた。
言われたことを処理するので脳が悲鳴を上げている。普段なら頭を上げてと言えるのに、言おうとしても口が動かない。
なぜ?どうして。そんな単純な言葉だけが、頭の中を駆け巡る。
僕が『わかりました、契約解除します』と言わなければ、契約書は破棄できない。一言『嫌だ』と言えば、それでまた一から話し合いにならざるを得ないのだから。
だけれど、こんな風に頭を下げる彼女に、僕の一存である種のわがままを押し付けられるほど、僕も子どもではないわけで。

「…わ…かりま、した」
「!」
「こちらこそ…貴女の仕事には、大変感謝しています。ふっ…貴女の抜けた後に僕らの名声が堕ちたらどうしてくれるのです?」
「そんなわけ、ないです…大丈夫です、OCTなら…いえ、アズールさんなら、絶対に大丈夫」

自分の力はあってないようなものだからと、謙遜するのが美徳と言わんばかりのセリフ。僕からは到底理解できないそれを聞いて、結局のところ、僕が一人で踊っていただけだったかと、やるせなくなった。共に走ってきたと思っていたのに。

「でも、私、アズールさんの専属メイクをやらせてもらって、アイドルという職業を深く知れましたし、とてもカッコいい生き様だと思いました!今までアイドルに興味がなかったからこそこの職場に配属されましたけど、終わる頃にはそのアイドルのファンにされてるなんて」
「え?」
「辞めるまでバレなくてよかったです。いただいたブロマイド、大切にします。それから、この、マスコットも…。たくさん一緒に働いてくれたから、少し汚れてしまったけど、それも私とアズールさんの思い出ということにします」

話を聞く限り、どう考えても彼女は…。

「もしかしなくても、稚魚、なんですか?貴女」
「あっ、内緒です!今日まで頑張って隠し通したんですからね!」
「あっ、そ、そうか…ですが…」
「ファンクラブも入れなくてヤキモキしました。だからこうして、グッズの差し入れをいただけたこと、ものすごく嬉しかったです。それともちろん、私は永遠にアズールさん推しですからね」
「…っ、」
「…だから…ここを去るのが名残惜しいのですが…会社の意向には一個人では逆らえませんし、私も食べて生きていかなければならないので…突然で、本当にすみません。それから、心からありがとうございました…!」
「あ、」

僕の言葉を遮って、彼女は言う。

「ごめんなさい…っ私はこの辺で。本当に、お世話になりました」

一礼のあと、クルリと背を向けて彼女が行ってしまう。
これを逃したらもうー…
そう思った時には、口よりも先に手が出ていて、彼女の腕を引っ張った。

「ぅ、わ!」
「あっ、す、すみませ…っ…」
「アズールさん?」

引き留めた彼女との距離は、ほんの数十センチ。
このまま抱き寄せれば、彼女は僕に堕ちてくれるのだろうか。
だけれどそんなことは、彼女の本心がわからない以上、できなかった。
なので、抱き寄せる代わりにプレゼントをそっとその掌に乗せた。
意図は違えど、もともと渡すために用意しておいたものだ。

「あの、こちら…餞別、です」
「えっ…、これ」
「その…今度、OCTのファンクラブ限定ショップで売るアクセサリーの試作なのですが、ピンクゴールドは販売されないことになったので…世界で一つのネックレスですから、よければ…」
「いいんですか?!」
「この色だと僕がしても、ね。ですから、もらっていただけたら助かるのですが」
「ありがとうございます、大切にしますねっ…!あっ、私からのお礼の品はマネさんにお渡ししたので皆さんでどうぞ!」

皆さんで、の言葉に胸が傷むが、それよりも。彼女が稚魚だとわかれば話はまた変わってくる。このプレゼントが功を成せば、あるいは僕の気持ちが、伝わる可能性もあるのだから。

そんな突然の別れから、早くもニ週間が経過した。
僕らはライブを終えたあと、早速カムバックに向けて作業を詰め込んでいる。表には出ないものの、それなりに忙しい日々が続いていた。

彼女に渡したあのアクセサリー、正確には巻き貝のネックレスだが、それには仕掛けがあった。あれは、ただの試作品ではあるが、後付けで僕が魔法を施して、デモテープを吹き込んだものだ。
もし、あれを耳に当ててくれれば、今度のアルバムに入るソロ曲のデモが…少しだけ異なる歌詞で聞こえるはずで、おそらくそこで彼女は僕の気持ちに気づくはずだ。
これは賭けだった。
気づいてくれたら、あるいは彼女が僕のもとへ戻ってくるかもしれないと。伝わらなくてもいいというのは真っ赤な嘘だけれど、そうとでも思い込まなければ耐えられそうになかった。

僕のソロ曲『lips of a seashell』は、今日からトレイラーが各所のスクリーンで流されるスケジュールとなっている。

僕もそろそろ、ケジメをつけなければならない時が近づいていた。
9/10ページ