■読み切りログ(ルシファー以外)

この悪魔の兄弟が、何千年も生きているはずなのにどこか子供っぽいところが残る可愛い生き物だと知ったのは、もうずいぶん前のことだ。誰か一人と出かけたならば、次の日にはその内容はD.D.Dや食卓の場で共有され、デートだなんだ、ずるいのなんのと引っ張りだこ。結果として休みのたびにローテーションで出かけなくてはならなくなる…なんてことはざらで、平等にするには七つ身体があっても足りないと叫んだ日のことはまだ記憶に新しい。
面白いことにこの兄弟は下に行くほど大人びていて、つまりは特に上の二人には手を焼いていたから、この日マモンに呼び止められたのは予想の範囲内だった。

「なぁ、レヴィの部屋でゲームしたんだって?しかも二人きりで」
「ああうん。昨日ね。新しいゲームが出たらしくって、二人でしかプレイできないっていうもんだから」
「俺の部屋には誘ってもこねぇくせにあいつの部屋には行くんだな」

自称「初めての男」のマモンは三男のように嫉妬を司っているわけでもないのに、わりかし嫉妬深いのは出会った当初からなんとなく察していた。何かあるごとに、「お前は俺の」「俺に黙ってどこ行ってたんだ」「俺様以外に頼るんじゃねぇ」と言ってくる。そんな言葉は付き合っていてもあまり聞かないものだろうと心のどこかで『漫画の中のヒロインにでもなったみたい』と思っていたのは秘密だ。本人はそんな意味を込めて言っているんじゃないから簡単に口に出せるんだろうと、漠然と私は理解していたし、それに流されそうになる自分を何度も律している状況だった。

「用もないのに人の部屋に入る趣味はないよ」
「じゃあ用があればいいわけ?」
「そりゃあね。でもマモンの部屋に入る用事は今のところな」
「掃除」
「は?」
「掃除手伝ってくれよ」
「…一人でやりなよ」
「一人じゃできねぇから言ってんの!ほら来いよ!」
「え、ちょ、」

無理矢理理由を作られて、引っ張られた手は血の通った人間と寸分の差もなく暖かくて、なぜか心が凪いでしまった。絆されてるなぁと心の中で苦笑。今更異性の、しかも人間の手を握ったくらいで頬を染めるウブな男…いや悪魔に、私の警戒心は完全に無き者にされている。
しかしである。

「きッッッッッッたない!!!!」
「みなまで言うな!!いくら俺でも傷つくわ!」
「待って!?なんでこんなに汚いの!嘘でしょ!?いつから掃除してないの!」
「いつから〜わかんねーわ!」

頭を抱えても汚いものは汚い。いや、汚いと言うと語弊がある。単純に散らかっているのだ。脱いだ服やら飲みかけのデモナスやら、教科書やらなんやらで、部屋が、散らかっている。パッと見、出たままになっているモノを仕舞うべきところに仕舞えば綺麗になる気はするが、男にしては持ち物が多くないか?あ、そうか。強欲のマモン様はクレカちゃんが大好きなんだもんね。欲しいものは手に入れたいタイプなのか。それで手に入れたら途端に要らなくなるタイプ。なるほどそれなら頷ける。

「マモン…要らないもの、捨てよう」
「イエッサー」
「イエッサー、じゃないよ!要らないなら買わない!これ鉄則!物が多すぎるんだよ…早く取り掛かろう。日が暮れても終わらなくなっちゃう。ゴミらしきものはゴミ袋にポイ。後のものは適宜マモンに聞くから、都度必要なのか必要ないのか教えて」
「オッケ」
「いい?目指すは夕食までに一通り片付ける、だからね!マモンが頑張ってくれないと終わらないから本気出して!」

こちらは大層ゲンナリしているのに、なぜかニッコニコのマモンはヤル気満々のようで、『んじゃ俺は奥からいくわ』とゴミ袋を引っさげて部屋の奥へと歩を進める。

「はぁもう…ヤル気があるなら少しずつ頑張ればいいのに」

溜め息をついてももう遅い。私はマモンのテリトリーに連れ込まれ、役目を引き受けてしまった。途中で放りだすのも気がひける。とりあえずある程度まで付き合おう。そう思いつつ、ソファーの上に脱ぎ散らかされている服を拾って畳むところからスタートしたのだった。

それから数十分後。

取り掛かってみれば案外スムーズに進むもので、ゴミ、ゴミじゃない、服は畳む、教科書は積む…繰り返し繰り返し、拾っては捨て拾っては片付けを繰り返し、終わりが見えてきたなとマモンに『そっちはどう?』と声を掛けたところで事件は起こった。
机の下に不自然に転がった筒のようなものを見つけた私は、飲みかけの缶がいくつあるんだと頬を膨らませてそれを拾って、その形状に、あれ?なんか缶じゃないかも、と眉をひそめた後、それが何かに気づいてしまったのだ。そのタイミングでマモンの顔がこちらに覗く。

「っ!??!?!こ、これ、これ、ま、まさか、」
「おー!綺麗になってんじゃん!さすが俺様の部」
「っバカマモンーーー!!!!」
「は?」
「これくらい!!!ちゃんとゴミ箱に!!捨てろーーー!!!!!」

スコーン!とマモンめがけて投げつけたものは、俗にいうオナホであった。
それはキャッチャーミットに直球ストレートで収まった・・・わけもなく。マモンの顔にクリーンヒットした。

「ふぎゃ!!!!」
「いやまぁ!?見た目高校生男児だし!?ウン千年も生きてりゃ性欲もそれなりに溜まるだろうけど!?マナーってもんは人間界でも天界でも魔界でもどこでも一緒だろーーーーー!!!バカーーーー!!!」
「イッテェ…!何すんだテメ……あ?これ…あっ、ごめーん★」
「可愛く言ったって許さない!!ナニコレナニコレ!!こんなもの床に捨てんなバカ!」
「いやだって、女部屋に入れる予定なかったし。別に俺が俺の部屋で何しようと俺の勝手じゃん」
「そ、そりゃそうだけど!!そうだけど!!でもデリカシーなさすぎ!!もう私帰」

私は恥ずかしさからマモンの方を見もせずにギャンギャンと言い散らかすことに夢中になっていて、マモンがこちらに向かってきていることに全く気がついていなかった。
名前を呼ばれて振り向いた途端、とん、と肩を押された。
倒れた先には片付けたばかりで私以外には何も乗っていないソファーの上。
背中がソファーに触れて。
視線が天井を向いて。
マモンに視界を奪われて。
初めて、あ、押し倒されている、と気づくなんて。
我ながら随分と魔界に…いや、この、強欲の悪魔に、慣れてしまったものだ。

「こんなものって言う事は、お前、こう言う知識は持ってるわけだ」
「っ!?」
「んじゃ質問。俺がこれ使った時、何考えてたかわかるか?」
「、は、はぁ!?そんなのわかるわけ、ない、でしょっ…」

こんなことをしているにも関わらず、マモンの頬はうっすら赤く染まっていて、嫌でもその先の言葉を、言って欲しいセリフを、私に思い描かせた。私の声は言葉とは裏腹に尻すぼみになっていく。

「マモンが…男の人が、こんなことする理由なんて、女の私が、知るわけ、ないっ…し…」
「んじゃ教えてやるよ、最近俺の脳みそにいるのはな、たった一人。寝ても醒めても、お前だけだ」
「、…!」
「お前と契約してから、俺様はおかしくなっちまってる。なぁマスター?責任、取ってもらえるんだろうな」

くん、と持ち上げられた顎。視線はすっかりマモンに釘付け。
ああ、綺麗な髪に、力強い瞳。それなのにちょっと可愛らしくて母性を擽ってきて、でも身体はしっかりと男の人だ。
って違う、違うんだ。おかしい、こんなの。
私はマモンを使役する立場のはず。
そう、マモンは私の愛しいーーーえ?
『私の愛しい』って、なんだ?
私は一体、マモンのこと、「私の」何だと思ってたの?

「せ、責任って、」
「ん?」
「責任って、どう、取るの、」
「そうだなぁ?こう言う時はやっぱり…キスから、じゃねーの?

とうの昔にマモンに流されていた自分がいたなんて。
ただ、見ないふりをしていただけだったなんて。
その気持ちの蓋を少しずらしただけで、溢れ出して止まらない。

「キス、する前に、一つだけ」
「おう、なんだ」
「マモン、私のこと、好き?」
「…っくく…!この状態でそれを聞くかよ!」
「だ、だって、私、」
「俺はお前の初めての男だって、言ってんだろ。お前の初めては全部俺がもらうんだよ。つまりは、なんだ、だから、その」

態度は横暴なくせに、こういうところはものすごく繊細なんだから。
押し倒すことはできても、キスはできても、言葉は出せないなんて、許されると思ってるの?

「マモン!ステイ!」
「キャン!」
「好きって言うまで、全部お預け!」

私の言葉で硬直した身体は、私を囲ったまま動かなくなった。
少し余裕ができた私は、マモンの首筋から頬をツツツと指でなぞる。
クッソ…と言いながら歪む眉が可愛くて、ついつい緩む私の口元。

「キスしたいなら、言って」
「っお前なぁ」
「そのくらいいいでしょ?私の初めてが全部欲しい『初めての男』さん?」
「っ…ズリィ」
「お願い。言葉が欲しい。だめ?」
「お前も割と強欲だよな」
「当たり前だよ。マモンが惚れた女なんだから」
「俺は惚れたとは言ってねぇ」
「ふーん?じゃあ私がこのままこの部屋から出てってもいいんだ。じゃあさようなら」
「っちょ、ちょっと待て待て待て!!わかった!言うから!言うよ!言えばいいんだろ!?」

マモンの頬に添えていた手を少し下にずらして思わせぶりに唇をなぞれば「わかった、もう降参」と小さな声が上がった。

「好きだ」
「!」
「俺は、お前のことが、好きだっつってんの!これでいいだ、ンッ!?」

言葉を聞ければもう満足。そのまま首を引き寄せて、初めてのキスは私から贈ってあげた。
はにかんで見せれば、んな可愛い顔してんじゃねぇよと悪態を突かれたけれど、それとは対照的にまた唇を塞がれ。
そうしてキスに酔いしれていた私たちを呼びにきた兄弟には、マモンを選ぶなんて趣味が悪すぎ!と散々言われたけれど、まぁそれも一つの祝福の言葉ということで甘んじて受け入れた。

これからは何度も何度も、好きって言って。ね、マモン!
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