◆Dead Drop

【第四話】

 次の日。部屋から出てきて食堂でバッタリバルバトスとアプリーリスが顔を合わせた瞬間、「きゃーー!」と叫んでアプリーリスが部屋から立ち去ってしまったのは、少しばかり話題になった。
「おや。彼女はどうしたんだい、バルバトス。昨日のミッションはうまくいったと聞いているけれど」
「さぁ……わたくしには分かりかねます」
「ウッソだぁ。その笑顔見たら誰でも嘘ってわかるよ」
「坊っちゃまとレヴィアタンは徹夜明けですか?」
「まぁね」
「そうだね」
「ほどほどにしてくださいね」
「肝に銘じておくよ」
 そんな会話を他所に柱の影に隠れたアプリーリスは胸をバクバクさせながら頬を手で覆ってナンデェ……とか細い声を上げていた。
「こんなっ……たかが一回一緒に仕事しただけじゃないっ……!」
 これまで基本的に一人だったアプリーリスは、女扱いなんてターゲットに下衆な目で見られるとき以外にされることなんてなかったため、突然のことに困惑し、人生で初めて「焦り」とか「戸惑い」とか、そういった類の気持ちを抱いていた。隠れた柱の影からそっと顔を覗かせ、もう一度バルバトスの姿を視界に入れる。
「う……何これっ……眩しい……カイがキラキラしてるぅぅぅっ」
 もはやアプリーリスの瞳にはバルバトスが輝いて映っているようだ。それはさながら王子様のように。
「うそうそうそ! だってデビルズの一員だよ!? 禁断の恋じゃないこんなの!」
 自分で言っておきながら「禁断の恋、かぁ……」なんて、言葉の余韻に浸るアプリーリスはもう完全にバルバトスの虜だった。そして視線に気づいたバルバトスに微笑まれてまた奇声を上げるまで、さほど時間はかからなかった。
 閑話休題。
 そんなことがありつつも朝食後にバルバトス特製のスイーツをいただきながらミッションの結果報告を改めてしている状態だ。今ミーティングルームに残っているのは、ベルゼブブにベルフェゴール、サタン、それからバルバトスにアプリーリス。昨日手に入れたカードキーと謎の図形が書かれた紙を見せて難しい顔をしている。いつこんなに作ったんだろうと不思議になる程たくさんのスイーツがあったのに、すでに半分ほどは空になっているのはベルゼブブが勢いよく腹に収めていっているからで、その様を初めて見たアプリーリスは驚愕して自分の分は守らなくてはと早々に膝の上にスイーツを取り分けたお皿を確保していた。粗方話し終えたところでプチシュークリームを一つ口に放り込むと、話を締め括る。
「……というわけなのよね。私、こういうのは専門外で困ってるの」
「わたくしもパッと思い当たるものがなく。ルシファーにはミッションが終わるまで報告はいらないと言われる始末」
「ボスっていつもあんな感じなの? よくみんなついてくわよね」
「俺たちは家族みたいなものだから。ルシファーは昔からずっとあんなんだ。もう慣れた」
「俺はあいつのことはストレートに嫌いだ」
 わいわいと雑談に花が咲く中、ポツリとベルフェゴールが呟いた台詞に一同が視線をそちらに集中させる。
「ぼく、その図形、最近どっかで見た」
「え? ほんと?」
「うん。でもなんだっけ……思い出せなくて。ここまで出かかってるんだけど」
 ヘタリと机にへばりながらうにうにと声を出すベルフェゴールの姿はスリーパーの異名の通りとても眠そうだ。うーんうーんと唸る、そんなベルフェゴールの横で、サタンが「あっ」と反応する。
「そうだった。それだ。その話」
「サタンも何かあるの?」
「ああ、おまえたち、本当にわからないのか?」
「へ?」
「それは地図だ」
「ちず? これが?」
「……なるほど、地図記号ですか」
「ビンゴだバルバトス」
「きごう〜?」
 貸せ、と図形が描かれた紙をアプリーリスから取り上げると、サタンは、その上にもう一枚の薄い紙を敷いてからペンの蓋を外した。それから、一つ一つの図形に丁寧になぞる。
「例えばこれ。これは東にある島国のものだったと思う。これは荒地を表している」
「は? 三本線が書いてあるだけじゃない」
「元も子もないことを言うな! 雑草が生えて荒れているのを模しているんだ」
「ええ〜?」
「地図記号は各国独自のものばかりだからな。知らなくて当然だ」
 そう言いながらも地図記号を読み解き、文字で書き記していく。すると段々と目が「地図」を認識できるようになるから不思議だ。
「あ、わかった。ぼくなんでこれに見覚えがあったか。これ、この前の潜入捜査で乗り込んだビル群がある場所じゃない?」
「ああ、確かにそうかもしれない。俺とベルフェがチームで乗り込んだところか」
「そうそう。あの時もベールが、えーっと……あ、ここだ。ここの美術館の隣にあるカフェでちょっと休んだらさ、お店のペストリー全部食べきっちゃいそうで大変だったよね」
「そうなんですね。しかしながら、こちらは綺麗に区画された場所なのですね。チェス盤の目のようではないですか?」

design

「え?」
「ん? なに、サタン」
「それだ」
「ん?」
「おまえたちの行き先がわかった」
 こつ、とペンで示された場所は三角と四つの長方形が組み合わさったマークを叩いた。
「理由をお伺いしても?」
「もちろん。イラストロジックは知ってるか?」
「たしか、パズルゲームのようなものでしたか」
「そうだ。縦横の数字をもとにマス目を塗りつぶして埋めていく。正しく埋められるとイラストや文字が浮かび上がってくる、といったゲームだ。それで、」
 さらにペンが走る。大きく五×三のマスに切られた地図に数字が書き込まれた。
「最初にこのカードを見たとき番号に違和感を覚えたんだ。1323334253152534。カードキーに書かれるとしたら社員証のナンバーや口座ナンバーなんかになると思うんだが、それにしては桁数が多いし、使われている数字が少なすぎる。こんなものが一緒にあった時点で地図に使うしかないだろうと思っていた。そこで先ほどのバルバトスの言葉」
「……チェス盤」
「ああ。地図をチェス盤に見立てて区切り、番号に沿ってマスを潰す。そうして一つだけ残ったマスの中には」
「美術館が残る、と」
 どうだ、と自慢げな表情をしたサタン。話を聞くだけだった三人も、なるほど、と目を瞬かせて納得だ。
「よく頭が回るわね……」
「サタンも本オタクだからじゃない?」
「読書家と言ってくれ」
「まぁまぁ。サタンを表す言葉については一旦置いておきませんか」
「幸い美術館なら入り込みやすいし、その中のどこにあるかは見てみるしかなさそうってとこかしら」
「いえ、一度レヴィアタンと坊っちゃまの耳に入れてみましょう。先に中のことを調べてもらえるかもしれません。さぁアプリーリス、行きましょう」
「え、あ、い、いえ、こんな潜入くらい私一人でっ、!?」
 逃がしませんよとでも言いたげにアプリーリスの腕をとったバルバトスはそのままズルズルと彼女を引き連れて部屋を後にした。残った三人は顔を合わせて苦笑する。
「バルバトス、あれ結構アプリーリスのこと気に入ってるな」
「サタンもそう思う? あんな風に引っ張っていかれるの、ディアボロくらいしか見たことないよ」
「俺も初めて見たな。でも仲がいいことは良いことだ」
「仲がいいっていうか」
「あれはレヴィが言うリア充になるパターンの方、と言いたいんだろう」
 はぁー、と溜め息が聞こえた頃には二人はすでにレヴィアタンの部屋の前。朝食後もゲームに勤しんでいたディアボロにお小言の制裁を加えてから本題に入ったのだった。
「できるよ」
「本当に?」
「ああ! レヴィアタンならできるさ!」
「美術館ってのは当たり前のように監視カメラがあるもんだからそれをハッキングしてそれからシステムに侵入できれば館内図の詳しいところもわかるはずでしょ、で、それを監視カメラの映像と合わせて不自然に映ってないところとか館内図にない扉が存在しないかとかそういうところを探るって感じになるよ」
「一息に喋った……すごい」
 感心するところそこじゃなくない? と言いつつ、フンスと息巻いたレヴィアタンが、とにかく一時間待っててよね!、と三人を部屋から追い出したので、ディアボロは不服そうだった。仕方なしにきっかり一時間お茶を嗜んだ後、またレヴィアタンの部屋に戻る。
「遅いよ」
「失礼ですが、わたくしたちはきっかり一時間で戻って参りました」
「あーもー、そういうのはいーから。それよりほら見て」
 部屋の特大モニターに映し出されていたのは監視カメラから取得されただろう映像。その数二十以上。そしてレヴィアタンの手元には大判の図面が。
 三人を代表するかの如く、アプリーリスが声を上げた。
「できたの!?」
「逆に聞くけどできないとでも思ってたの? だとしたら僕のこと舐めすぎ」
「だって私あなたと仕事したことないんだもの。仕方ないでしょう?」
「そういう正論はいいんですー。で、僕の見解としては、ここ。お目当てのものはここじゃないかと思うわけ」
「どうしてそう思うんだい?」
「そちら、死角というわけではなさそうですが」
「チチチチ。素人はこれだから」
「この際素人でもなんでもいいから理屈を教えてくれない?」
 反応が不服そうなレヴィアタンだったが、彼曰く、館内見取り図には存在しているはずの部屋なのにそこに繋がる扉が一つもないことがわかったのだそうだ。
「他の部屋から繋がっているのではなく?」
「そんな初歩的なミスしませーん。館内の全監視カメラの撮影範囲、人の出入りがある場所、その他諸々の条件を考慮しての結果ですー」
「へぇ? そこまで言い切るってことは余程自信があるのね。さすがデビルズのメンバーだわ」
「えっ、あっ、や、ほ、ほめ、褒めてもっ、何もでっ、出ない」
 レヴィアタンがあたふたふためく中、バルバトスはささっと見取り図を丸めて手に取ると、アプリーリスの肩に触れる。
「さぁ行きましょう」
「ん!?」
「今日はこれから忙しくなります。美術館が閉館する直前に入り込まないといけませんから」
「ちょ、ちょっと待ってだからさっきも言ったけど私は一人でってきゃああああ!?」
 昨日と同じく軽々と抱き上げられたアプリーリスの身体はバルバトスの腕にガッチリ拘束されて、そのまま二人は部屋から去ってしまった。置いて行かれたレヴィアタンとディアボロの時は一瞬止まって、それから「ゲームの続きしよっか」「そうだね」とおさまったとか。
 その後、すぐに準備を済ませたアプリーリスとカイロプタラは、美術館の秘密の部屋に足を踏み入れていた。
「意外でした。ただカードキーをかざすだけで入れるようになっているとは」
「いくえにも仕掛けても、それはそれで本来入らないといけない人たちも面倒になっちゃうしこのぐらいがベストなんじゃない?」
「それも一理ありますけれど……」
 顎に手をやりながらなんだか考えこんだカイロプタラを横目に、リスは一歩、また一歩と進む。
 レヴィの事前情報の通り、たしかにそこには扉がないように思えた。しかし実際にはあったのだ。館内図上でポッカリと穴が空いたような空白の場所にぽつんと佇む一つの扉が。それは立派な、しかし恐ろしく存在感の希薄な扉だった。そこだけ見ればあるいはそれ自体が美術品に見紛うと言っても過言ではない。扉は絵に同化していた、というよりもアートの一部だったから。見た目こそわかりにくいが、わかっていれば探せないことはない。閉館するまで身を潜めていた二人は、人気がなくなるとすぐに真正面から扉にキーをかざし、部屋に身を滑り込ませた。
 カイロプタラとアプリーリスは簡素な部屋を物色しはじめる。
「ここまでして隠したいものってなんなのかしらね」
「おや、ご存知ないのですか?」
「え? カイは知ってるの?」
「ええもちろん。むしろモーニングスターがなぜあなたに隠しているのか……」
「余所者だからじゃない? ボスから頼みにきたのにと思うと気に食わないけど、よくある話だわ。だから詳しくは聞かない。ただ形状は知っておきたいわね。探しようがないもの」
「それはそうですね。そうとは知らず失礼しました。簡単に言えばスキャンダルのネタ……写真のようなものです。ですので封筒か何かに入っているかと」
「要人か誰かの写真かしら。いつも思うけど、そこまでして隠したいなら最初からしないか、もしくはオープンにしたらいいのにね」
 目標のものがなんなのかを理解したアプリーリスは、雑談をしつつもブツを探し始める。簡素な部屋とは言っても先日のちゃちなアングラアジトとはわけが違う。ここで公にできない美術品を隠して捌いているのか、どこぞで見たことのある骨董品や、一眼では判別し難いくらいに精巧な模造品が所狭しと並べられているせいで手元も見づらく探しにくい。時刻はすでに月明かりが差し込む頃に差し掛かっている。天窓が一つのこの部屋は、かなり暗い。恐らくではあるが、美術館のセキュリティであればあと一〜二時間で出なくては明日朝まで出られなくなるだろうと算段をつけていた二人は、早々に二手に別れる。
 しかし捜索が思っていたよりも難航していたために一度方針を検討すべき頃合いかと、アプリーリスが振り向いた、ちょうどその時だった。
「アプリーリス」
「!」
 真後ろから声が聞こえたかと思えば、アプリーリスの口を覆ったのはカイロプタラのグローブで、恥ずかしさよりも緊張が走る。
「誰か入ってきました」
「……裏口があるのかしら。レヴィアタンの話では入り口は一つだったようだけど」
「わかりません。ただ、誰か入ってきた事実はかわりませんね」
 ヒソヒソと会話を交わしつつ、磨き上げられた床に伸びる影が二つであることを確認する。場合によっては叩けない数ではない。が、ここでうだうだとモノを探すよりは、聞いた方が早いのは明白だった。
「カイ、私、っ!」
 その言葉に対して、今一度アプリーリスの唇にグローブが押し当てられるが、今度は人差し指が一本。
「アプリーリス、ここはわたくしにお任せください」
「え、でも、」
「ご安心ください。わたくし、これでも」
「元秘書、でしょ……」
「ふふ。ご存じでしたね。先日は良い役どころをとられてしまいましたから。今日はわたくしにお任せを」
 ふっと体温が離れたと思えばカイロプタラはそのまま人影の前に躍り出た。両手をあげて、さながら降参するかのようだ。
「どうやってキーを手に入れた」
「やはり。このカードキーを翳した時点で通信がなされる仕組みだったんですね」
「よくわかったな」
「流石に何もなさすぎですからね」
「で? おまえは誰なんだ。何の目的でここに入った」
「相手の名前を聞くときはまず自分から名乗るのが礼儀ではありませんか? わたくしはヘヴン・バル・ヘル」
「は?! あの有名な海外のヘビメタシンガーが何でこんなところに」
「……に憧れるヘビメタ好きの一般人です」
 ニコッと一つ、薄暗い部屋で笑いが光る。否、光ったのは怒りで剥き出しになった相手の歯だったかもしれない。みるみるうちに血管が浮き出る相手にも怯むことなく、カイロプタラは言葉を続けた。
「騙す方も悪いとは思いますが、騙される方も少しは考える癖をつけたほうがよろしいかと」
「バカにするのもいい加減にしろよ……!」
 上手い具合に煽りに乗ってくれたものだと、カイロプタラが微笑みつつグッと拳に力を入れたそのとき。
「チュッ!」
「!」
 ピャッと、真ん中を駆け抜けていったのは、まごうことなく。
「ね、」
「ネズミ?」
 瞬時に場の空気がヒンヤリと冷め切ったのは、きっと思い違いではなさそうだ。全てを凍りつくしそうな重く冷たい声を発したのがカイロプタラだったなんて、アプリーリスは信じられなかった。
「どうして、美術館に、アレが?」
「ひっ……!」
「美術品は大切なものではないのですかいえ今はそのようなことを言っている場合ではありませんああそちらのあなた今更重要文書を持ち出そうとしても遅いですこれから十秒としないうちに全てが木端微塵に吹き飛びますのでええええアレもひっくるめて全てです」
 一息で思いを吐き出したカイロプタラのその顔といったら、鬼でも負けそうな形相であった。しかし木端微塵とは? とアプリーリスが首を傾げた刹那。降参のポーズを取っていたカイロプタラの右手がサッと腰のポーチから何かを掴み出した。ん? あれは? まさか? と思う間もなく、その何かを放り投げたカイロプタラはアプリーリスのほうに走り寄り、そうして彼女をむんずと小脇に抱えるとその耳に耳栓を。シュルッとフックを天井に向けて投げつけた。
「それではみなさま、よい夜を」
 ドォン……
 大きく、重い振動がした。
 ついですぐに目の前が赤い光で包まれる。カイロプタラとアプリーリスが二人揃って空中に投げ出されて秒と立たず、その場は吹っ飛んでしまった。暗い空にネズミが浮いて、どこか遠くに落ちていったのを見たが、それは口に出さないのが懸命だとアプリーリスは口を噤んだ。
 それからしばらく、パトカーのサイレンが聞こえてくる頃には、ただの爆発犯と見られても仕方のないことをしたエージェントは闇に姿を溶かしていたのだった。
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