◆一番星に口付けを

 NAGEKIの人間界でのアイドル活動も軌道に乗り始めた。まだ新曲発表まで至っていないものの音楽番組でちょっと紹介してもらう機会も増え、ビデオレター的なものも出したりして、滑り出しとしては上々だろうと思う。事務所にもオファーの依頼がたまに来るそうだが、魔界から団体が行くとなるとそれなりに出演料が高額になるため、「考えます」と言われてしまうのが難点ではあるが。
 やはり大々的なスタートは新曲を携えて、こちらから宣伝を打ってからということになろう。レコーディング日程まではまだ時間があるので、極限まで詰めないとと私の気合いも十分である。パフォーマーではなくとも、回せる手は回しておきたいので、人間界側のツテに伝わるようにポートフォリオを送ったりする営業を頑張る日々が続いている。
 ただ一つ。気になることがあるといえばあった。それは、レヴィの歯抜けがここのところ目立つ件だ。
 メンバー曰く、もともとオタ活と称した消失癖があるらしいけど、ここまでじゃなかったということなので少し突っ込んだ話を聞かなければならないと考えていた。
 私がバルバトスさんから呼び出しを受けたのはその矢先のことだった。
 社長室に入ることは本当に久しぶりのことで、面接当時の緊張感が蘇るようだ。エレベーターの中で深呼吸をして、ポーンと軽い音がしたと同時、挨拶をしながら中に入る。
「失礼します。バルバトスさんとのミーティン……」
「というわけで、わたくし、秘書を辞めま」
「えええええ!?」
「!」
「や、やめ、辞!?」
「おや、もうそんな時間でしたか。わたくしとしたことが失礼いたしました」
「そんなことどうでもいいです!それよりも辞めるってどういう、」
「はぁ……一部情報のみの切り取りはおやめください。わたくしは秘書を辞すとは申しましたが弊事務所から退くと申し上げた覚えはありません」
「え??どういう……」
「わたくし、プロデューサー側に回ろうかと」
 告げられた一言に脳が停止した。
 秘書が?プロデューサーに?プロデューサーってなんだっけ?マネージャーみたいなもの?いや違う、マネージャーよりももっと幅広い業務を取り扱う立場で——と、てんで明後日の方向に思考が転がっていくのを感じて、ぶんぶんと頭を振る。
「バルバトス、君の気持ちもわかるが、君の代わりは」
「原石を見つけたのです。わたくしが、この手で導きたい」
「いやぁ、しかしだな、」
「もちろん今の仕事全てをすぐに投げ出したりは致しません。ですが彼女を他の事務所にとられるのはあまりにも惜しいのです」
「うーん、なるほど……よし、わかった!バルバトスがそういうなら、ぜひプロデューサーもやってもらおう!弊社としても原石を育てべきだからね」
「ありがとうございます。……そういうわけで」
 話の矛先が突然こちらを向いたために間抜けな顔を偉い人たちに見られてしまい、居た堪れず「すみません」と小さい声で呟く私を、ふふ、とバルバトスさんが上品な微笑みで受け流した。
「これからはライバル、ですね」
「へ?」
「わたくしも、あなたも、自分の担当アイドルをトップへ導かなければなりませんから」
「ハッ……!たしかに!?えっ、でも同じ会社内ですし、リリース時期をずらしたりは」
「小賢しい」
「はい?」
「そんな、小さな器に収まるようなことを弊社はいたしません。画策しなければ売れないようなアイドルを育てるおつもりで?」
「は……はぁ!?そんなことあるわけないでしょう!私は、私の担当の、NAGEKIを!次の新曲で必ず一位にしてみせますから!」
 相手がどんな立場の人であるのかも忘れ、ふんす!と息巻くと「お手並み拝見と言ったところでしょうか」と彼は笑った。
 その後、二、三の打ち合わせを経て解散に至った、と、まぁ、ここまではよかったのだが、実のところ私には、レヴィ以外にももう一つ困ったことがあった。そしてこちらは誰かに相談できる類のものではないのも心労のタネとなっている。
 そのタネというのはNAGEKIのリーダー、ルシファーのことであった。
 何がきっかけだったかと言われれば、思い当たることが全くないとはいえないのがタチが悪い。とにかく少し前から彼の距離のつめ方がおかしくなったのだ。最初こそ自分の勘違いだと思いこもうとしていたのだが、どうやらそうではないらしい。
 ミーティングをすれば私を見る瞳は別の意味で熱く、妙にボディタッチが増え、ことあるごとに私の名前を呼ぶ上に、自分のことは呼び捨てにしろと言う。ここまでくるととてもじゃないが勘違いとは言えないだろう。
 どうしたものか。というか、なんで私なんだ。担当しているアイドルたちと犬猿の仲であるよりは、もちろん和気藹々としていて何でも言い合える仲のほうが良好に決まっているけれど、これはちょっと。
「行き過ぎ、だよねぇ」
「何が」
「うーん、いやねぇ、アイドルと恋愛沙汰はなぁ」
「えっ、まぁそれは困るよね」
「だよねー。そんなのバレた日にはファンダムが荒れ……え?」
「え?」
「わああああ!?」
「おわ!?なに!?」
 そんなことを考えながら仕事していては進むべきところまで進まないのも当たり前の深夜。少し気分を切り替えなければと、息抜きにコーヒーを淹れるためにキッチンで座っていたところ、予想もしない応答があれば誰だって驚く。声の方を向けば、そこにいたのはレヴィだった。
「う、わぁ……!びっくりした!いつからいたのレヴィ」
「ごめんって。そんなにびっくりするとは思わなかったんだ。いつかと言われたら今さっき」
「ていうか明日も早いって言ったでしょ!まだ寝てないの?お肌に悪いよ」
「同じ時間まで起きてるマネに言われたくないんだよね〜」
「あのねぇ、私は仕事だから仕方ないでしょ?もー……ただでさえレヴィは練習にも出てないっていうのに」
「い、いや、それはその、いつもごめんって」
「いい機会だから問い詰めちゃおっかなぁ〜?いつもどこに行ってるのか、何をしてるのか」
 漏らした独り言に対してツッコミがくると困るので先手を取ってじり、と詰め寄る。
「えっ僕!?ぼぼぼぼくはべべべつにっ」
「おやぁ?言えないようなことしてるのかなぁ?」
「そんなことはっ!ちょっと人間界にいァッ」
「人間界?そんな簡単に?ってかァッてなに?」
「あ、あ、」
 話の途中で突然レヴィが固まったものだからクエスチョンマークだらけになったが、彼が私を通り越して私の背後を指差しはじめたので、釣られてそちらに顔を向け。
 それからサァっと血の気が引いた。
「おまえ、なんでこんなところにいるんだ」
「は、え、な、んでるしふぁ、が」
「俺のメッセージを無視してまでレヴィとしたいことがあったのか?」
「メッセージ……?ご、ごめんなさい、D.D.D.は部屋に」
「あ、あ、なんかほら、ルシファーがっマネジャーに用事みたいだから、ぼっ、ぼくは、これで!!!!」
「あっちょっ、話はまゔっ!」
 ぐっと腹に力がかかったかと思えば、ルシファーの方に引き寄せられた。背中に体温を感じる。
「るしふぁ、あの、近くない……?」
「レヴィと二人きりで何してたんだ?」
「なにも!なにもしてない!たまたま会っただけよ!」
「にしては仲がよさそうだったが?」
「仲って、そんな、そりゃあマネージャだもってちょ、っと!耳で喋らなっん!」
「なんだ、おまえは耳が敏感なのか?」
「ンッ、も、ゃめっ、」
 ふぅっと吐息を吹きかけられてはたまったものじゃない。自分の意思とは関係なくゾワゾワと粟立つ身体を自らの腕でぎゅうっと抱きしめてキッとルシファーを睨む。
「ルシファー!今日という今日は言わせてもらうけどね!?どうしてそんなに私に構うの!?」
「俺も言わせてもらうが、なぜおちない」
「おち……は?」
「俺がここまでして何も感じていないとは言わせないぞ」
「な、にを、言って」
 言わんとすることがわかってしまっていたたまれない。むしろわからなければよかったのだがうまくいかないものだ。
「はっきり言わないとわからないのか?言って欲しいなら言ってやる。おまえを俺の恋人にしてやる」
「んなぁ!?わた、わたしは、マネージャーだから!そんなものにはなりませ」
「マネージャーだからだめだなんて誰が決めた」
「へ?」
「うちの規程にはそんな文言はないはずだ。恋愛禁止の文字すらない」
 そう言われて、はた、と時間を止めた。
「……たしかに、なかったかも」
「そうだろう。だからなんの問題もない」
「それはそ……っじゃない!あのねぇ、アイドルは夢を売る職業なんだから規程にあるないじゃなくてそういうことはしちゃダメなの!ましてやこんな、今から人間界に売り出すんだー!っていう時期に」
「バレないようにすればいい」
「いやいやそう言う問題でもないでしょ!?第一私の気持ちはどうなるの!ルシファーが私のこと好きだとして恋人になるにはステップが……って待って?そこまで言うってことは、冗談じゃなく好きなの?私のこと?」
「だからそうだと言っている」
 まさかそんなと疑問を抱きながらルシファーに向き直ると、じっとこちらを見る真剣な瞳と視線がかち合った。え?ほんとに?と一瞬、オロオロとしたのに気づかれたのか、にやりと笑ったルシファーにもう一歩距離をつめられる。ゔ、と仰け反る私の腰をまた取って。これでは私とルシファーが舞踏会かなにかでパートナーとして踊っているようではないか。
「ま、っ、」
「おまえ、度胸はあるし啖呵も切るくせにこういうのには弱いのか?」
「っ!」
「そういうところも可愛いよ」
 チュッと前髪越しに額にリップノイズが降ってきて、この人 —— いやこの悪魔が本気で私を口説いているのだと理解し、これはマズいと避けようとしたが、人間にはないモノによって阻害されたようにうまくいかない。目が逸せず、けれど何か言い返さなければこのまま喰われてしまうとなんとか絞り出した言葉はあまりにありふれた条件で、自らの頭を殴りたくなった。
「今度!」
「ん?」
「ランキング一位!取ったら!考えてもいい!」
「なんだ、そんなことでいいのか。一位はもともと取りにいくつもりだった。俺の勝ちだな」
「あ、あと、でも、私がその気になってたら!だから!」
「望むところだ」
 ハハッと軽く笑ったルシファーは私の髪を撫で、それから、「ああそういえば」と言いながら戸棚の中にあったコーヒー缶を取り出して私の前にコンと置いた。
「コーヒーを淹れてくれ」
「はい……?」
「こういうのはマネージャーの仕事だろう」
 この流れでなんでそんなことを言われるのか全く訳がわからなかったが、確かにそういう雑務も私の仕事の一環ではあるので首を捻りながらもコーヒーサイフォンを動かす。ルシファーはたしか濃いめに淹れるのが好きだったはず。砂糖やミルクもいらなかった。彼が一体なにを考えているのかわからない。ただ視線だけを感じながらも、彼の好みのコーヒーになるよう、丁寧に抽出する。暫くして、香り高いコーヒーをカップに注ぐと思った以上にドス黒くて、あれ?これもしかして失敗した?と冷や汗が流れた。しかしそれを告げる間もなく、横から伸びてきた手がマグカップを掴んで持っていってしまった。
「あっ、ちょっとま」
「ん……っぐ」
「やっぱりまずかった!?ごめんなさい、普通の感じで淹れたんだけど異常に濃く出ちゃったみたいだから淹れなお」
「っく……はは……フハハ!」
「え……な、なに……?どうしたの……?大丈夫?」
「いや、ハハハ!ここまでとは!くくっ……大丈夫だ、問題ない。ありがとう」
「ええ……?」
 ものすごい満足した顔でもう一口それを口に含むと、何事もなかったかのように出て行ったルシファー。その背中を困惑しつつも見送って、でもどうしても気になったので、少しだけサイフォンに残っていたコーヒーを自分のカップに移して飲んでみる。そして大変なことに気づかされた。
「うげ!?ゴッ!!ゴホ!!げろ!!何これ!?にがっ!!えっ!?なんでこれ持ってっちゃったの!?」
 いつの間にか元の通り、手の届かない棚にさっきのコーヒー豆が戻されていたので成分や産地を確認することはできない。けれど死ぬほど苦くて不味いことだけは私にも理解できて、これをマネージャーが、喉が大事なアイドルに飲ませたという事実に肝が冷えた。明日ルシファーの声が出なかったらどうすればいいんだ、と。

 この時の私は知らなかった。
 それが魔界で有名なヘルコーヒーというものだったことを。
 詰まるところ、もうこの時には、私は随分とルシファーが好きになっていたらしいということを。
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