■2022/5〜の読み切りログ(ルシファー)

 形だけの結婚式をしてからもう一年経ったなんて信じられないけれど、今日は結婚記念日。なんだかくすぐったい響きだ。どう切り出そうかなぁ、悪魔にとって一年経ったくらいなんでもないよなぁ、と考えあぐねていたところ、向こうから「絶対に邪魔されたくない、二人だけで過ごしたいから人間界に行く」と言われたときには驚きやら喜びやらで変な声を出してしまった。口では大人気ないと笑った反面、心の底から嬉しくて涙が出そうになったなんてことは秘密だ。
 ロンドンの冬は寒い。晴れることなど殆どなく、小雨はすぐに雪に変わる。うちには暖炉なんて豪華なものはないからなおさら冷える。ヒーターはあるけれど、それよりも窓やドアからの隙間風のほうが厳しかったりする。最近上手く魔力を操れるようになった私は、それを有効活用しない手はないとアロマキャンドルの炎が暖炉のように暖かくなる魔法を使っている。おかげで心地よく暮らせるようになった。人間界で魔法を使いすぎるのはよくないが、このくらい許容範囲だ。これならルシファーが来ても寒くないだろう。
「よし、これでいいかな」
 小さなテーブルの上に所狭しとセッティングしたのはシャンパングラスやカラトリー。それから例のパン屋さんで仕入れたサクサクのクロワッサンが入ったバスケット、その旦那さんの花屋で作ってもらったブーケ。こっちに来てくれるんだからお料理は私が用意するよと言っておいたので、残りの場所にはいつもより少しだけ気合いの入ったオードブルをたくさん並べた。私の好きなものばかり選んでしまったが、ルシファーなら許してくれるよね。でもそういえば人間界の料理で嫌いなものはあるのかな、と今更ながらに考える。魔界留学初日から数えると、割と長い付き合いになるのにそんなことも知らなかったと少し凹む。
「いや、まだまだ知れることがあると思えばいいのかも!うん!ポジティブにいこう!」
 無理矢理喝を入れて一旦腰を落ち着けるも、すぐに立ち上がっては冷蔵庫を無駄に開けたりしてソワソワ。トラブルさえ起こっていなければそろそろ……と、ケーキを取り出してセッティングしようとしたところでコンコンとキッカリ二回玄関をノック音がして、危うくそれを落としそうになったがなんとか耐える。「入るぞ」と律儀にも許可を取るところがルシファーらしい。こんな機会滅多にないので、妻らしく玄関まで出迎えてみる。
「おかえりなさい、るし、ふぁ!?」
 ルシファーの顔を見る前に、何かで視界を遮られる。ふぁさっと顔に触れたものとその香りですぐに察しがついたが、うん、映画で見るようなことが現実に起こると相当に恥ずかしいんだなと顔が熱くなった。差し出されたそれがずらされると向こうも向こうで少し頬を染めていてさらに気恥ずかしい。
「……ただいま」
「っおかえり……!」
「少し、待たせたか」
「ううん!全然、本当に今準備が終わったところでね、」
 パタンと後ろ手に扉を閉めたと思えば、次の瞬間には私はルシファーの腕の中。このところ暫く人間界にいた私はこの感覚が久しぶりで嬉しいのにそれ以上に恥ずかしくてあわあわとしつつも、最終的にはこちらからもぎゅぅっと抱きしめ返す。すると耳の傍で嬉しそうに空気が震えた。
「暫くぶりだな」
「会いたかった?」
「お前は」
「そりゃあ……メッセージのやり取りしてると、どうしても会いたくなるよ」
「なんだ。連絡を怠ったら捨てられるのか、俺は」
 不服そうな声がしたのをきっかけに少しだけ離れてその胸から顔を覗かせる。今日は素直でいなくちゃだめだ。強がっている場合でもなければ、恥に負けてる場合でもない。だって記念日なんだから。
「ごめん、うそ。魔界にいたときみたいに毎日顔を見れなくて寂しいときもある……けど、でも、こういう大事な日にルシファーと会えるから、平気だよ。来てくれて嬉しい」
「……そうか。それなら今日は目一杯お前を甘やかさないといけないな」
「それはこっちのセリフ。お疲れ様なところありがとう。それで、その、これ……」
 ルシファーが持っている薔薇の花束に視線を投げ、その用途は明確にわかっているが念のために聞いてみる。
「ああ、せっかくだからな。俺の育てた薔薇だ。受け取ってくれるな?」
「いいの?大切にしてたじゃない」
「お前に渡すために育てていたんだ。受け取ってもらえなかったら、その時間も、この薔薇も、無駄になるな」
 おどけた調子で言うものだから吹き出してしまいそうになったのをなんとか耐えて、ふわりとそれを抱きしめた。
「それなら、ありがとう……大事にするね」
「そうしてもらえたら、俺も、その薔薇も嬉しいよ」
 小さなこのアパートの一室は玄関を抜けたらもうそこはダイニングだ。話しながらルシファーを促して部屋へとすすむ。自分が用意したブーケの隣に薔薇の花束を並べて振り向くと、その刹那を狙ってまた抱きしめられて、しかし今度はそのままちゅっと唇を奪われる。一度は触れるだけで離れたものの、それだけで済むはずもなく。どちらともなくまた口付けをはじめて、それは深くなっていく。舌を絡めて咥内を嬲り、角度を変えてはくちゅりと湿った音が部屋に満ちる。何度も重なって互いを味わうことどのくらいか。もう息が続かないギリギリのところで呼吸を許された。はぁ、はぁ、と肩で大きく息を吸う私を見ていたずらに笑うルシファーは大人で子供で……悪魔だった。いくら魔力が宿ったところで人間でしかない私とは根本的に異なる、悪魔。私がいなくなったらまた別の誰かとこうして過ごすのかなと考えると何度だって心臓がキュウと締め付けられる。全く、幸せだったり切なかったり忙しい脳内だ。でも今は、どんな感情が流した涙だったとしても全部キスの余韻だと捉えられるからいいか。ぼんやりとそんなことを考えていると、その涙を掬った指が頬を滑り首筋に触れたのでピクリと身体が震えた。
「っちょ、あの、るしふぁ、先にディ」
「着けてくれているんだな」
「、へ?」
「前よりは自信が持てるようになったか?」
「……あ……」
 ルシファーが触れたのは私の肌……ではなく、ハイネックの服の上、首元で揺れるチャームだった。それは以前に二人きりで人間界に暮らしたときに買ってもらったネックレスのアレキサンドライトで、そのときにはこんな高価なもの似合わないと断ったのだがルシファーに言われたのだ。「ほしいものややりたいことがあったら、身の丈に合わないと諦めるんじゃなく、努力しろ」と。あまりに高価だから魔界に行く時なんてつけれたもんじゃなくて、かといって普段使いにもできなくて、でも、言われたことだけは頭に強く残っていて、たまに合わせてみては「まだだめだ」なんて笑ったものだ。だから、結婚一年記念日にも、もしかしたらまだ身の丈に合わないって思ったらどうしようと不安もあったが、鏡で見たそれを着けた自分は、前よりは見劣りしていない気がしてそのままそれをベースに服や化粧を考えてみたのだった。
「えと、トクベツな日だから、その」
「いつもと違う印象がしたのはメイクも少し違うからか。やっぱりお前に似合う。あのときの直感は間違いじゃなかったな」
 殊更嬉しそうに微笑むからモジモジしてしまったけれど、なんとかありがとうと絞り出す。着けてみてよかったなと心底思った。
「それと、さっきから気になっていたんだが、そのケーキ」
「ん……ああこれ?ふふ、すごいでしょ?記念日の特別だよ」
 テーブルで一際目立っているケーキには大きな数字の1のロウソクと、それから小さな二人の人形が乗っている。
「作ったのか?」
「まさか!ベースは頼んで作ってもらったの」
「そうだったのか」
「そういえばね、例のおばあちゃんと世間話してるときに結婚記念日ってバレちゃったんだけど、もう大変!初めての記念日はあの男はちゃんとおまえさんのところにいるんだろうね、とか、二人で過ごさないといけないよ、とか」
「はは、あの人なら言いそうだ」
「でしょ?それで、自分をただのパン屋だと思ったら大間違いだ、ケーキだってお手のものだっていうの。でもケーキはもう予約した後だったから……そうしたら、マジパンの扱いを教えるから人形でも作ろうってことに」
「ほぅ?じゃあこれはお前作なのか。教えてもらったとはいえ、初めてなんだろう。よくできてるな」
「そう!?嬉しい!あ、あとね、メッセージの下のところ、孔雀の羽みたいにしてもらったの。チョコレートのマーブルで。で、一年目ならって書いてもらったのがペーパーウェディングだったんだけど、そういえばこれの意味を調べるの忘れてた」
 やりたいことで頭がいっぱいでも必要なことが抜け落ちているのはまだまだだとシュンとした私の頭を撫でながらルシファーは、それなら俺が教えてやると言う。
「まだ何色にも染まっていない二人の将来を白紙に例えて、幸せになれるよう未来を描いていくための新しい一年を、という意味があるそうだ」
「ほぁ……そうなんだ……!ふふ、あのね、さっきちょうど、ルシファーのこと、まだまだ知らないことがたくさんあるから、もっともっと知れるといいなって思ってたの。ペーパーウェディングそのものだね」
「俺も、これだけ長く生きてきたが、お前のことに関しては知らないことのほうが多いように感じる。誰よりもお前のことを理解できるようにどんなささいなことでも教えてくれ」
 椅子を引かれてテーブルにつけば、自宅のダイニングも一流レストランのように輝いて私の瞳に映る。もしかしたらルシファーが魔力でなんとかしたのかもしれないけど、それを聞くのは野暮だろう。
 ルシファーも席につきつつ注がれたのはデモナス。こちらではあまり見ない青色。私はこの酒では酔わないけれど、すでにルシファーに酔っているようなものだから充分だ。
「これからも、ルシファーのこと、ずっと愛してるよ。生命ある限り」
「俺はお前の魂とともにあり続けると誓おう」
「次の一年も幸せでいっぱいにしようね」
「ああもちろん。それじゃあ、今日という記念日に」
 乾杯、の言葉にシャンとグラスの音が重なる。ケーキの上の数字がいくつになっても、こうやって幸せを積み重ねていきたいなと祈りながら、二人きりの夜は耽る。
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