小噺色々

「え…?」
「はい」
「いえ、はい、ではなくて」
「ええ」
「ええ、でもなくて!壁の人はなんでこんな、ウサミミなんて持ってきてるんですか!」

静かな部屋にキィンと、珍しく大きな声が響いて、屋根から小鳥たちが飛び立っていった。

ーーここは賢者の島の小高い丘の上にある教会に併設している信徒館内の図書室。

本日、世間は休日ではあるが、シスターに休みはない。
数時間前までは、教会に身を寄せる人々のために炊き出しを行なっていた。そういったこともシスターのお仕事であるからして、せっせと大きなお鍋にカレーを作っていた。そんな最中さなかに長身のイケメンがお手伝いにくる姿を見る日も増えたことは周知の事実。
そして仕事が終わればそのまま一緒にお茶を嗜んだり、こうして図書室で本を読んだりして緩やかに交流を持つ。そんな日が増えていた。

シスターに忍び寄るその男は、名をジェイド・リーチと言った。
ジェイドは、賢者の島の先端にあるナイトレイブンカレッジに通う魔法士だった。
彼は、彼の友人(?)たちと一緒に、教会の近くに店を構えるカフェの偵察に来ていたはずだったが、なぜか最近は教会ーーもとい、シスターの前に姿を見せることが増えていたのだ。

アズールとカフェのオーナーがいい雰囲気になったことは、誰の目から見ても丸わかりだった。
けれど、それならジェイドはもう用無しのはずで、こんなところで油を売っても魔法士の将来にはなんの好影響も及ばないのでは…と何度か諭してみせたのだが、暖簾に腕押し。『僕がしたい、ただそれだけの理由です』の一点張りで聞く耳を持たず、ふらりとやってくるジェイドにずるずるとお手伝いを頼む機会が続いている。
もちろんシスターとしては、男手はあればあるほど嬉しい。
食事提供や配膳が主といえど力仕事が多いものだし、そもそもジェイドの手際の良さは天下一品。お世辞ではなく十人分の仕事をそつなくこなしていくので、もはやジェイドがいないと仕事が回らない。ジェイドがいない日まで「壁の人、ちょっと」と呼んでしまうところまで来てしまっており、それでロスに揶揄われることも増えた。

そんなこんなでかなり近しい繋がりを持ってしまったジェイドとシスターであったが、よもやこんなものを、こんな真昼間に渡されるとは思ってもいなかったので驚愕しているところだ。

手渡されたのは所謂うさ耳。所謂も何も、長いうさぎの耳がついたカチューシャであった。

「教会にはそういった行事もあると、この本に書いてありましたが」

これです、と指さされたのは、『復活祭のお話』という低年齢向けにイースターの概要を説明するための絵本だった。
確かにその本にはイースターエッグにかけてわかりやすくウサギがたくさん描かれていた記憶があるが、とシスターは頭を抱えた。

「イースターはそんな破廉恥な行事ではありません!教会で最も重要とされている復活祭ですよ!?」
「おや、そうでしたか。それは失礼いたしました」
「そうです!失礼です!神聖な行事を貶さないでください!」

ジェイドの悪びれもない一言に対し、ピシャッとそう言ってからシスターはキュッと唇を結ぶ。
本当に、何を言っても響いていない感じが薄寒いのだこの男は。
それでも気づけばいつでも自分の隣にいて、なんだかんだと自分の目は彼を探し、自分の耳はその声を覚えてしまっている。

(どうして…?私は、ロスちゃんがいればそれで…それで良かったはずなのに、)

変わっていく自分が少しだけ怖い。
自分にはここしか居場所がないと、そう思っていたのに。
変わってしまったらどうなるのだろうか。
わからないし、わかりたくもない。だから、諦めて欲しい、はずなのに。

「イースターバニーでお祝いをするところも…確かに、あります、けど…」
「そうなのですね。ですがこちらではそういった習慣はないとのこと。差し出がましい真似をしてしまいました」
「…っ、で、でも」

少しだけ。
街ゆく人を見るたびに、本当に少しだけ、羨ましかった。
生まれた時に捨てられて親の顔も知らない自分と、彼・彼女を比べたことが一度もないなんて、そんなことは言わない。その度に懺悔して、赦しを得て。自分を保ってきたつもりだった。そんな感情は、とうの昔に捨てたと思っていたのに。
『ここだけが生きる場所。ここ以外の場所なんて知らなくてもいい。だって私にはロスちゃんがいるから』
それはむしろ、自分で自分にかけた呪いなのではないだろうか。

「その…い、イースターは、今の時期にするものでは、ない、し…」
「はい」
「だから、あの、イースターに関係なく、ただ、したらいいのなら、」
「ええ」
「つ、つけるくらいなら、いい、わ」
「そうですか。とても嬉しいです」

背の高いジェイドを見上げるようにしてグッと上げていた頭を少しだけ下げると、そっと頭につけられたカチューシャはピッタリとハマったようだ。ようだった、というのは、シスター本人にそれを確かめる術はないからだ。

「っ…あ、あの、どう、でしょうか」
「いつも真っ黒な修道服を着ていらっしゃるので、黒にしようかとも思ったのですが、真っ白の耳にして正解でした。よくお似合いですよ」

にっこり笑ったジェイドの顔が近づいてきたと認識する暇もなく、そのまま額の髪をさらりと分けられて、そこに降ってきたのはリップノイズだった。
ちゅ、と触れた唇はすぐに離れていったが、確実に熱を残した。その場所に、シスターの指がゆっくりと添えられて、次の瞬間、ボッと顔から火が吹き出した。

「っ!?!?!?」
「おや。熱でしょうか。お顔が真っ赤ですが」
「い、えっ!?!??!今、えっ、ええっ!?」
「本日はお日柄もよく。ロスさんもお昼寝中のようですね?」

案に「邪魔が入らなくて良かったです」と告げて、ジェイドはもう一度にこやかに笑った。
(壁の人がいつもの笑顔じゃなくて、本当に普通に、嬉しそうに笑ってる…)
珍しいその表情をボーッと見つめて思ったシスターは、『うさ耳が破廉恥だなんて、そこまで言うことでもなかったかな…』なんて考えを持ち始めたことこそジェイドに伝わっていない。けれど、引かれていた一線を一歩、また一歩と超えて「あちら側」に進んで行っているシスターがいることを、内心でほくそ笑んでいたジェイドがいることもまた、シスターは知らないのである。

(ここではないどこかに、連れ出してもらえるのかしら。まだみぬ世界を、この人は私に、見せてくれるのかしら)

深い深い場所に隠した願いに、光が当たってしまった。
果たして。
これからどのように、運命は転がるのだろうか。
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