小噺色々

今日も今日とてオクタヴィネルの双子の部屋では、勉強をするジェイドの横で一生懸命絵本を捲る妖精の姿が見られる。
ぺらり。ぺらり。
妖精は人間界のことをじっくりと勉強している最中で、最近やっとジェイドたちが使っている言葉が書けるようになってきた。
話すことはあっても文字を書くことがない種族は割とたくさん存在しているのだ。

ジェイドが要領よいのは周知の事実。だから試験が迫ったこの時期に改めて勉強する必要もないのだが、妖精が隣で頑張っているのを見るのも好きだったので一緒に勉強しましょうと申し出ただけだった。

…このような理由があって、質問が飛んでくるたびにジェイドの頬は何度でも緩む。
そして今回の質問はなかなかに興味深かった。

「ジェイドさんジェイドさん」
「はい、なんでしょう?」
「この、『ろくじょう』ってなぁに?」
「貴女は珍しい言葉をご存じなのですね」
「ここに載っているのよ」

指さされたのは人魚のイラストが描かれたページだった。
その人魚は、人魚であるにも関わらず海ではなく家の中にいたので、恐らくヒトに捕まったとかそういう話なのかもしれない。人魚の涙でうっすらと水が張った部屋はとても狭く、その右上にはこうあった。
『ろくじょうひとまのへやにとじこめられたにんぎょは、かなしくてずっとないていました』
畳という概念をジェイドはもたなかったが、絵と文章を総合し、ふむ、と一呼吸分考えて、その小さな部屋のことを指しているのだと結論付けた。

「この部屋のことだと思いますよ。狭い部屋に閉じ込められて彼女は悲しんでいるのでしょう」
「えっそうなの?」
「?」

ジェイドの一言に対して驚いた声が返ってきたので不思議に思って、どうしたのですか?と妖精を覗きこむ。

「あ、ごめんなさい、その…私はこのが泣いている理由、狭いとか閉じ込められたとかじゃないと思ったから…」
「貴女はどんな理由だと思ったのですか?」
「私はね、この娘は一人でいることが嫌なんだと思ったのよ」

考えもよらない答えに、ジェイドはキョトンとしてしまった。

「一人が嫌…とは、」
「えっと…例えば私が今、一人になったとしたら、閉じ込められていなくたって助けてって叫ぶに違いないわ」
「おや、それは何故?」
「だってね、ジェイドさんがいないから」
「!」
「ジェイドさんがいる日常に慣れてしまったから、それが突然なくなったら、きっとこの幸せを諦められなくて泣いてしまうのよ」

その時のことを思い浮かべたのか、妖精はくしゃりと表情を歪めて、それでも無理矢理下手くそな笑顔を浮かべて瞳を細めた。

「僕は番を…貴女を一人にしたりはしませんよ」

伸ばした手の、指先に擦り寄る妖精は、当たり前だがとても小さい。ジェイドの手に収まってしまうほどに小さなその命は、ジェイドがいなくなること、ただそれだけを恐れているのだ。なんとまぁ、彼女の小さな世界はジェイドとともにあることで更に小さくなってしまったのかもしれない。

(僕がいなくては、生きていかれないようになってしまいましたね)

ジェイドは心の内でうっそりと微笑む。

「そうですね。僕も貴女がいてくだされば、どれほど狭い部屋でも理想郷にできる自信があります」
「!ジェイドさんも?同じなのよ!嬉しい!」

それを聴くと今度こそ、ちゃんと、幸せそうに笑った。それから妖精はふわりと飛び上がるとジェイドの鼻先にチュッとキスを贈ると、『お勉強の邪魔しちゃってごめんなさい、もう邪魔しないわ』とはにかんでから絵本に向き直る。
部屋にはまた静かな優しい時間が流れ始めた。

ジェイドは思う。
妖精も人魚も寿命は長い。
けれど、永遠など存在はしないのだ。どちらかが先に手の届かない場所に逝ってしまうのは自明の理。遺された方はそれをどう受け止めればいいのか。

そんなこと、今はまだ、わかりはしないが。

(消えない想いキズを遺せるように、それまではずっと一緒に生きてゆきましょうね)

一生懸命に本の文字を読む妖精を愛おしげに見つめながら、そんなことを思うのだった。
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