小噺色々

「帰って、こないかな…」

鏡の前で椅子に座り、頬杖をついて足をぷらぷらさせてみる。
一分、二分…十分、二十分…
カッチコッチと時計の音がするのが寂しくて、以前教えてもらった心安らぐBGMとかいう音楽を流す気にもなれず、ただただ彼の帰りを待つ。

今日はアズールさんと私が初めて出会ってから丸一年が経過する日だった。
アズールさんは覚えていないみたいだけど、私にとってはものすごく大切な日で、ずっとずっと心に留めていたから少しだけ寂しい。
こんなことでアズールさんのことを試そうだなんて思っていない。
だからこそ、ひっそり日付が変わるのを待って、それで諦めようと思っていた。

「…10、9、8、7…」

アズールさんが、勉強に必要でしょうと言って買ってくれたタブレットの時計表示を見ながらカウントダウン。

「…3、2、1……寝ようっと」

綺麗さっぱり諦めた。タイムリミットがあるとそういうこともしやすいからいいな、なんて、気持ちを誤魔化すように頷きながら寝室に戻る。
幸いにも今日は満月だ。天窓を開いておけばいっぱい月光を浴びられる。私は月の光でちゃんと元気になれるから、大丈夫。
サラリとしたワンピースタイプの真っ白なパジャマに着替えて、ベッドに乗り上げ、ペタリと座る。くん、と顎をあげれば、まんまるなお月様が優しい光を注いでくれた。

「お月様、アズールさんにおやすみなさいと伝えてね…」

そのまま暫く何もかもの感覚を手放して、ただ月の光を浴びていると、突然背中から何かに包まれてビクリと身体が跳ね上がった。

「!?」
「ハァッ…はぁ…間に合わなかった…クソ…」
「へ…あ、アズールさん?どうしてこんな時間に、」
「タイミングが悪くて」
「タイミング?」
「昨日に限って精算が合わないし調度品は壊れるしで、やることが終わらなかったんです」
「えと、お疲れ様です…?」

固まった身体のまま、脈絡がわからない会話についていけば、ムッとした声が耳に響く。

「僕、今回は頑張りました。それでも少し遅れてしまったので、何も言えたものじゃないが…」
「な、何かありましたか?遅れちゃならないこと…」
「…貴女、本当に忘れてしまったのか?」

まさか、嘘よ、期待はダメだわと脳内で警鐘が鳴るけれど、よく考えたらアズールさんが私の期待を裏切ったことなど一度だってなかったなと、素直になって聞き返す。

「昨日は、記念日、でした…だから…とか?」
「とか、じゃありませんよ、その通りです。なのに間に合わなかった…どんなに頑張っても終わらなくて、はぁ」
「覚えててくれたなんて、」
「覚えているに決まっているでしょう!」

少しアズールさんのほうに顔を向ければ、不機嫌な色が浮かんだ瞳が私をとらえた。
こういう時どうしたらいいだろうと知識を総動員する。
ありがとうと伝えるんじゃなくて、私のためにがんばってくれたことが嬉しいと伝えたい。

「ありがとうございます、覚えていてくれて嬉しいです」
「褒めてください、もっと」
「ほめ、る?」
「…いけませんか」
「まさか!構いませんし、嬉しいです。でもそんなこと言われたの初めてだなと思ったらなんだか不思議な気分になったんです」

珍しい頼み事に心がほわほわ暖かくなって、ふふっと笑いながら半身をひねり、よしよしと頭を撫でてみれば恥ずかしそうに目を伏せるアズールさんは可愛い。
本当に疲れていたのだろう。頑張ってくれたのだろう。アズールさんが素直にしてほしいことを口に出してくれて、頬が綻んでしまう。
暫くそうしていると、ハッと何かを思い出したらしく、徐に私から離れてベッドの傍に立ち上がった。
今さっきのやわらかい時間はどこへ?とちょっと寂しく思ったところに差し出された手。それを見て首を傾げた。

「今日は満月でしょう?だから余計に昨日のうちに戻ってきたかったんです」
「あ、」
「来てください」

そんなに私のことを考えてくれていたなんてと感慨深くて動けずにいると、それを知ってか知らずか、アズールさんはフッと笑ってもう一度言った。

「おいで」

初めて聞くその言葉に、トクンと跳ねた胸は私の頬を赤く染めあげる。そんなに優しい声で私を呼んで、私のことをどうしたいのかしら。
差し出された手を取ってお庭に出ると、一層月の光がキラキラと私を纏う。

「踊りましょう」
「アズールさんも踊ってくれるの?」
「練習しました」
「本当…?とっても嬉しい…!」
「ただ、貴女の真似はできなかったので、ヒトがダンスパーティーでやる一般的なものですけど」
「えっ、それは私が躍れないかもしれません…。せっかく練習してくれたのにごめんなさい…」
「ええ、ですから僕が教えます。賢い貴女ならすぐに覚えられるでしょう。さあ!」
「わ、えっ!」

繋いでいた手を引かれたら、その先はアズールさんの腕の中。
蕩けるような愛情をたたえたブルーの瞳は、お月様よりもずっとずっと私にパワーをくれると、アズールさんはわかってる?
私はもう、あなたがいないと生きていかれない。
抱き合った二人の身体は、音楽がなくてもゆらゆらと揺れてステップを踏む。
いつもの、ベッドの上で交換する熱よりも柔らかい時間なのに、どくどくと心臓が脈打つスピードが速いのはどうしてなのかな。

「アズールさん、わたしっ、っあ!」
「わ!?」

話かけようとしたところで、気を付けていた脚の動きが少しおかしくなったために、二人の脚が変な形で交差して、もつれて倒れた芝生の上。
大丈夫ですか、ごめんなさい、と声をかけようとしてバッと起き上がると、私の下には突然のことに呆然としたのか、きょとんとしたアズールさんがいて、こんなときなのになんだか笑いがこみ上げる。

「ふふっ」
「へ?」
「ふふふっ、あははっ…!」
「な、なに」
「ご、ごめんなさいっ、アズールさん、大丈夫って、聞こうとしたのに、なんだかきょとんとして可愛いからっ…!」
「んなぁ!?貴女を助けようとしたのにっ!」
「ふふっ、うふふっ…!ごめんなさいっ、だって、でもっ」
「っ…くくっ…!もう、そんなに笑うなっ…!」

笑顔が伝染してしまったのか、二人で暫く笑い合う羽目になってしまったけれど、笑いが収まると、とても静かな夜が私たちを包み込んでいて、気づけば誘われるがままにキスをしていた。
ちゅ、ちゅぱ、と合わせるたびに大きくなるリップノイズは上がったそばから闇に溶けてゆく。そんな風にしていれば自然と身体が熱くなって、求めてしまうのだけれど、こんなところでそんな。

「っは…アズール、さんっ…わたし、」
「ふ…わかっていますよ、さぁ、僕らの家へ戻りましょう。今夜は夜通し愛し合いたい」

極上の声色で告げられた台詞に震えたのは心か、身体か。
軽々と抱き上げられた私がギュッとアズールさんに縋りつくと、満足そうな吐息が耳を掠めた。
ごめんなさい、お月様。
この先は二人だけの秘密にさせてね。
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