■2022/5〜の読み切りログ(ルシファー)
堪忍袋の尾が切れた、というよりも、諦めや絶望の気持ちに近かった。
最近ルシファーとした約束は悉く破られ、それでも私はいい子を演じることをやめられない。
それに怒って呆れられ、嫌われるくらいなら離れた方がいいと思った。ただそれだけだった。でもそれすらも許してもらえなくて問い詰められたのがついいましがたのことで、私が本心を曝け出す以外の道は残されていなかった。
「ルシファーのせいじゃないってわかってる。だけど理解できても受け入れられないことだってあるの、わかる?」
「……」
「傷付くのはもう嫌だよ……だから、もう約束しない。約束するような関係でいたくない」
「それは、」
「ごめんねルシファー。大丈夫。何もなかった頃に戻れるよ、ルシファーも、私も」
契約した事実は残ってるわけだし、指輪だって返さないよ?
そうやって笑って見せると、不機嫌に眉を寄せた顔。手にとるようにわかるルシファーの中に渦巻く感情。納得いかないがどう言えばいいのか考えあぐねている表情。それでも私はそこに突っ込むことはしなかった。
「じゃあ、またね」
そう告げて、ずるい私はそのまま人間界に逃げ帰った。離れて暮らせば時が解決してくれると、その時は本気で思っていたのだ。
しかし。
それから少し経ったころ。
いつもチャットでやり取りする兄弟からの突然のコール音に嫌な予感がすれば、その胸騒ぎは誤りではなかった。
「落ち着いて聞けよ、…………ルシファーが、死んだ」
「……え?」
「おまえらちょっと前から様子がおかしかったけどよ、流石にこればっかりは黙っとくわけには」
「ちょ、ちょっと待って、悪魔って死なないんじゃないの?」
「何言ってんだよ、俺らの寿命は確かに長ぇけど、死なないわけじゃねぇ」
聞けば、ルシファーの姿が見えないと兄弟が気付いたのが始まりだったらしい。
初めこそ、「ルシファーのことだ。ディアボロと仕事に勤しんでいるんだろう」と気にもとめていなかったが、ディアボロの方から「ルシファーに回した仕事が終わっていない」と連絡が入ったことにより発覚したとのことだった。
「地下墓地に倒れててさ、あそこ、ケルベロスがいるだろ。だから普段から兄弟もあんまり立ち寄らねぇんだよ。それで気付くのが遅れて」
「って、ことは、もう」
「だからそう言ってるだろうが。俺たちが見つけた時にはもう冷たくなってて蘇生とかいうレベルじゃなかった」
「……っ……!」
「人間界の方でも色々あるとは思うんだけどよ、一回、帰ってこねぇ……?」
「ッ、う……ん……」
「一応言っとくと、悪魔に葬儀なんて概念はねぇ。死神に魂持っていかれたらそこで肉体も消滅するって感じだから、いつそうなるかわかんねぇってことだけはーー」
「今から行くからっ、大丈夫」
「……そうか、わかった。じゃあみんなにも伝えとくからよ」
「あり、がと。お願い……します」
「おう。じゃあ……また、後で」
「うん、」
「……あのさっ、」
引き止めたマモンは、少し間を取り、吃った上で、最後に一言、こう告げた。
「ルシファーと何があったか知らねーけど……目に見えて落ち込んでたんだよ、ルシファー」
「……」
「それだけ」
「うん」
「またな」
ツーツー、と虚しく響く通話終了の合図に、凍りついてしまったように足が動かない。
そんな私の気持ちを代弁するかのように降り出した雨は、いつしか強く窓を叩いていた。
それから数時間も経たないうちに私は魔界に戻り、ルシファーの部屋で二人きりにしてもらっていた。本当に息をしていないルシファーを目の前に、表情筋が仕事をしない。自分でも驚くほどなんの感情もなくなって、ただ、広すぎるベッドの真ん中にポツンと寝そべる端正な真っ白い顔を見つめる私がいるだけだ。どのくらいの時間が過ぎたかもわからなかった。
死神が来たら存在が消えてしまうのだと口を酸っぱくして言われた言葉が思い出されると、これではいけないと動こうとするのだけど、やっぱりまたその場で固まってしまう自分。いい加減にしないとと言い聞かせても脳からの信号がうまく手足に伝わらない。
そんなことを何度繰り返したか。
そんな私の瞳に、サイドテーブルに置かれたD.D.D.が映った。
「……そういえば、ルシファーのD.D.D.、落ちてたって……」
当たり前だがそのD.D.D.にはパスコードがかけられていて開かなかったそうだ。そんなもの、私にだってわかるわけない。ルシファーのことだ。誰かの誕生日なんて簡単なものにはしないだろうし。
でも、じゃあ、なんだろう。
それは純粋な好奇心だった。
脳が弾き出す四桁の数字の組み合わせなどたかが知れている。
ルシファーの部屋にカレンダーなんてものはない。この暗い魔界では季節感だって皆無だろう。だとすれば、忘れたくない日付けを設定して、自らにそれを刻んでいる可能性は高いと思われた。
(私がルシファーから離れた日、とか)
まさかね、と自嘲しつつもその考えを捨てきれない自分に辟易する。自分が切り出したくせに未練がましい。それでも、これが外れたら、自分的にもきちんとケジメをつけられる気がして、その四桁の日付けをゆっくりとタップする。
四桁目を入力したところで、ピコンとロック画面に映っていた鍵マークが外れ、表示されたのはチャット画面だった。
その呆気なさに、画面を勝手に見てはいけないと目を逸らすタイミングもなく。視界に飛び込んできた言葉たちを受け止めた私の瞳からは、今度こそ、間違いなく大粒の涙が溢れ出した。
俺は、おまえが俺のことを何と思おうと、ずっとおまえのことを愛しているよ
「なんで……っ……?そういうことは、ッ早く言ってよっ……!」
打ち込まれたまま送信されなかったメッセージを読み返したって、何の奇跡も起こらないのだけれど、私に宛てたありったけの愛情を、死んでしまった最愛の人からこんなタイミングで受け取るなんてと、後悔せずにはいられない。
「るしふぁぁ……っルシファーッッ!!死んじゃヤダ……やだよぉっ……!!私の魂、喰べてくれるって言ったじゃんっっ!!私より先に死ぬなんて聞いてないっ!!聞いてないよ!!私が死んだらルシファーの一部にしてくれないとやだよ!!私よりっ……ますたーよりさきにどっかにいくなぁっ!!!!」
涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、溢れ出す想いをなりふり構わず声に出し、ベッドに乗り上げる。死人になんてことをと思われるかもしれないが、幸いこの部屋には今、私とルシファーの亡骸しかない。何をしようと私しか知らないのだから許してほしい。
シワ一つない黒いシャツの襟を引っ張って、ネクタイ辺りに顔を押し付けると、大好きなルシファーの香水のかおりが鼻腔を掠める。ぶわりと、これまでの幸せな日々とか、ルシファーの笑顔とか、照れた顔とか、体温とか、いろいろなものが目の前にありありと映し出された。ああ、もう。こんなにも、まだ、大好きで、忘れたくないものがたくさんあるのに、私ってなんて馬鹿な女。
キッと眉間にシワを寄せて顔を擡げ、そのままルシファーの唇に自らの唇を押し当てる。
とてもじゃないけど暖かいなんて微塵も思えないそれは、私の思い出とはほど遠く、硬く冷え切りガサついた唇だった。
「好きよ、ルシファー。こんなにも後悔したのは後にも先にも今だけ。どうしてあんなこと言っちゃったのが最期にならなきゃいけないの……?わたしっ……ほんとうにばかだった……もう遅いけど、謝らせて……」
ぽたり、また一つ涙の雫が頬を伝って、ルシファーの顔の上に落ちた。それをきっかけに、ぴくりと、ルシファーの瞼が動いたのに、私は気づかないで独白がツラツラ続く。
「死神が来たら私が追い払うっ……魂があれば消えないんでしょう……?これまでもらったルシファーの魔力、全部返してでも生き返らせてみせるからっ……生き」
「っは!!」
「、は、ぇ、え!?!!」
生き返るまで死なせない、と言おうとしたところで、今の今まで閉じたままだったルシファーの瞼がバチッと開き、紅の瞳がぐるりと回転した。
真っ白だった顔には少しずつ生気が戻って生き物の色を取り戻す。
「る、るし、ふぁ、?」
「俺は……?」
むくりと自分の力で起き上がったルシファーは、自分で自分の顔を触り、それから何度か瞬きをする。そうして、目を見開いて固まったまま、ルシファーの上でぽかんとする私を認めると、こう言ったのだ。
「食っちゃいけないものを口に入れたか……?」
「は?」
「俺は確か……少し疲れて死んだように眠りたいと……Akuzonでも有名なぐっすり眠れる秘薬を手に入れて飲んで……それで誰にも邪魔されない場所に……」
「え……?寝てた、だけ、?」
心臓完全に止まってたけど?
えっ、てかそれなら周りの悪魔たち、みんな知ってて?
みんなで私を騙したの?
「るしふぁ、わたし、るしふぁが、しんだって、」
「俺が?死ぬ?まさか」
「馬鹿!!ばか!!どれだけ心配したと思ってんのっ!?ばかばかばか!ルシファーのバカ!!なんでそんなことしたのぉっ……!」
「なんでと言われても、眠りたくてだな」
「眠るだけなら睡眠薬くらいにしなよばか!!!!心臓止めて眠る悪魔がどこにいるの!?!?」
「す、すまない、まさかおまえが魔界にいるなんて……」
「いたら悪いの!?ルシファーの一大事だっていうから飛んできっ……うぅ〜っ……もぉやだぁ……っ……」
「泣かないでくれ、この上おまえの涙を見たいとは思わない」
「るしふぁーがいなくなっちゃったら、わたしっ、私っ、何を支えに生きたらいいのよぉっ!!」
何が何だかわからないけれど、ルシファーが生きていた、その事実がハッキリとして、今度は安心の涙が止まらない私を前に、困ったようにオロオロするルシファー。
こういうときは抱き締めて、と思えど、そういえば私が別れみたいな話をしてしまったから、この真面目な悪魔はそういう素振りができないのだと、冷静な自分が天から指令を送ってきたので、こちらからぎゅうっと抱きついた。途端、びくりと硬直する身体に、ごめんの気持ちを込めて、より一層強く縋り付く。
「るしふぁ、いなくならないで……」
「……おまえが、それをのぞむなら」
「わたしと一緒に、生きてよ……じゃないといやだ」
「は……?いや、だが、」
「私がバカだった……あんな些細なことで、あんなこと……ごめんなさい。許してもらえるなら、もう一度抱き締めてほしい……だってまだ、こんなに、こんなに愛してるんだもん……」
「!」
「ルシファーじゃなきゃ、だめ。最期に私の魂を喰べてくれるのはルシファーじゃなきゃいや。お願いだからいなくならないで……」
「おまえ、」
抱きついていた身体を離して、私から一つ、触れるだけのキスを。触れたそこはもう硬くも冷たくもなくて、ふに、と滑らかな感触がした。
「んっ……」
「ッ、」
「魔力なら、私からも分けられる?償いならなんでもする。ルシファーが私のこと許してもいいって思えるまで、」
「待て、そもそも俺はおまえに怒りをぶつけた覚えはない」
「……?でも、私、ルシファーに酷いことして」
「酷いことをしたのは根本的には俺の方だろう。約束を毎度反故にするのは最低だと怒られたんだ。それでやっと反省に至ったのはいいが、そのときにはおまえは人間界に戻ったあとで今更どうすればいいのか分からなくてな……。たしかに、それを考えるあまりに眠りが浅くなっていて、数日に渡るくらいに深い睡眠を求めたのは確かだが、それはおまえに怒っていたからじゃない」
傲慢の悪魔が聞いて呆れるんだが、と顎をさすりながら頬を染めるルシファーは、眉をハの字に下げている。
なんだか申し訳ない。
ルシファーは気づいていないようだ。それは遠回りには私の行動が引き金になっていて、それで結局のところ、私を手放したくないと、私に執着してくれているルシファーの気持ちが根底にあるのだということに。
こんな形でだけど、ルシファーの気持ちを知れて満足してしまった自分の頬を、内心でぺちんと叩いた。
「ルシファーが怒ってないなら、いい。でも私が私のこと許せないの。だから、何か償わせて?ルシファーの言うこと、なんでも一つ聞く。なにかできることないかな。今すぐじゃなくても、」
「それなら、ある」
「!なに?なんでも言っ、ンッ……!」
「ん、ふ、」
会話の途中で塞がれた唇。舌が唇を突く久しぶりの感触にも素直に応じた私の身体。咥内を深く貪られ、混じる吐息に交わす唾液はいずれも熱く、くらくら眩暈がした。暫くして離れたときには息が上がってルシファーにしがみつくのがやっとだ。
そんな私を熱が燻る瞳で見つめたルシファーは、今度こそあらんかぎりの力で私を抱き締めてくれたのだった。
「もう俺から離れたりするな」
「っ……、もちろん……。本当にごめんね。大好きだよ、ルシファー」
「俺は愛してるよ」
そんなわけで、魔界を上げての大騒動……というか、大きなお芝居は幕を閉じ、私は皆をこってり絞って、皆は私とルシファーにぶーぶーとお小言を言い。結局笑い話にして和解した。
私とルシファーはといえば、魔界にいても 人間界にいても 、暇さえあればチャットにスタンプを送ったり電話したり、気兼ねなく連絡をとるような関係を築いたのだった。
今日も今日とて送るのは、例のルシファー王子のスタンプに、それから一言。
【会いに行ってもいい?】
返事はもちろん。
【今すぐ来い】
最近ルシファーとした約束は悉く破られ、それでも私はいい子を演じることをやめられない。
それに怒って呆れられ、嫌われるくらいなら離れた方がいいと思った。ただそれだけだった。でもそれすらも許してもらえなくて問い詰められたのがついいましがたのことで、私が本心を曝け出す以外の道は残されていなかった。
「ルシファーのせいじゃないってわかってる。だけど理解できても受け入れられないことだってあるの、わかる?」
「……」
「傷付くのはもう嫌だよ……だから、もう約束しない。約束するような関係でいたくない」
「それは、」
「ごめんねルシファー。大丈夫。何もなかった頃に戻れるよ、ルシファーも、私も」
契約した事実は残ってるわけだし、指輪だって返さないよ?
そうやって笑って見せると、不機嫌に眉を寄せた顔。手にとるようにわかるルシファーの中に渦巻く感情。納得いかないがどう言えばいいのか考えあぐねている表情。それでも私はそこに突っ込むことはしなかった。
「じゃあ、またね」
そう告げて、ずるい私はそのまま人間界に逃げ帰った。離れて暮らせば時が解決してくれると、その時は本気で思っていたのだ。
しかし。
それから少し経ったころ。
いつもチャットでやり取りする兄弟からの突然のコール音に嫌な予感がすれば、その胸騒ぎは誤りではなかった。
「落ち着いて聞けよ、…………ルシファーが、死んだ」
「……え?」
「おまえらちょっと前から様子がおかしかったけどよ、流石にこればっかりは黙っとくわけには」
「ちょ、ちょっと待って、悪魔って死なないんじゃないの?」
「何言ってんだよ、俺らの寿命は確かに長ぇけど、死なないわけじゃねぇ」
聞けば、ルシファーの姿が見えないと兄弟が気付いたのが始まりだったらしい。
初めこそ、「ルシファーのことだ。ディアボロと仕事に勤しんでいるんだろう」と気にもとめていなかったが、ディアボロの方から「ルシファーに回した仕事が終わっていない」と連絡が入ったことにより発覚したとのことだった。
「地下墓地に倒れててさ、あそこ、ケルベロスがいるだろ。だから普段から兄弟もあんまり立ち寄らねぇんだよ。それで気付くのが遅れて」
「って、ことは、もう」
「だからそう言ってるだろうが。俺たちが見つけた時にはもう冷たくなってて蘇生とかいうレベルじゃなかった」
「……っ……!」
「人間界の方でも色々あるとは思うんだけどよ、一回、帰ってこねぇ……?」
「ッ、う……ん……」
「一応言っとくと、悪魔に葬儀なんて概念はねぇ。死神に魂持っていかれたらそこで肉体も消滅するって感じだから、いつそうなるかわかんねぇってことだけはーー」
「今から行くからっ、大丈夫」
「……そうか、わかった。じゃあみんなにも伝えとくからよ」
「あり、がと。お願い……します」
「おう。じゃあ……また、後で」
「うん、」
「……あのさっ、」
引き止めたマモンは、少し間を取り、吃った上で、最後に一言、こう告げた。
「ルシファーと何があったか知らねーけど……目に見えて落ち込んでたんだよ、ルシファー」
「……」
「それだけ」
「うん」
「またな」
ツーツー、と虚しく響く通話終了の合図に、凍りついてしまったように足が動かない。
そんな私の気持ちを代弁するかのように降り出した雨は、いつしか強く窓を叩いていた。
それから数時間も経たないうちに私は魔界に戻り、ルシファーの部屋で二人きりにしてもらっていた。本当に息をしていないルシファーを目の前に、表情筋が仕事をしない。自分でも驚くほどなんの感情もなくなって、ただ、広すぎるベッドの真ん中にポツンと寝そべる端正な真っ白い顔を見つめる私がいるだけだ。どのくらいの時間が過ぎたかもわからなかった。
死神が来たら存在が消えてしまうのだと口を酸っぱくして言われた言葉が思い出されると、これではいけないと動こうとするのだけど、やっぱりまたその場で固まってしまう自分。いい加減にしないとと言い聞かせても脳からの信号がうまく手足に伝わらない。
そんなことを何度繰り返したか。
そんな私の瞳に、サイドテーブルに置かれたD.D.D.が映った。
「……そういえば、ルシファーのD.D.D.、落ちてたって……」
当たり前だがそのD.D.D.にはパスコードがかけられていて開かなかったそうだ。そんなもの、私にだってわかるわけない。ルシファーのことだ。誰かの誕生日なんて簡単なものにはしないだろうし。
でも、じゃあ、なんだろう。
それは純粋な好奇心だった。
脳が弾き出す四桁の数字の組み合わせなどたかが知れている。
ルシファーの部屋にカレンダーなんてものはない。この暗い魔界では季節感だって皆無だろう。だとすれば、忘れたくない日付けを設定して、自らにそれを刻んでいる可能性は高いと思われた。
(私がルシファーから離れた日、とか)
まさかね、と自嘲しつつもその考えを捨てきれない自分に辟易する。自分が切り出したくせに未練がましい。それでも、これが外れたら、自分的にもきちんとケジメをつけられる気がして、その四桁の日付けをゆっくりとタップする。
四桁目を入力したところで、ピコンとロック画面に映っていた鍵マークが外れ、表示されたのはチャット画面だった。
その呆気なさに、画面を勝手に見てはいけないと目を逸らすタイミングもなく。視界に飛び込んできた言葉たちを受け止めた私の瞳からは、今度こそ、間違いなく大粒の涙が溢れ出した。
俺は、おまえが俺のことを何と思おうと、ずっとおまえのことを愛しているよ
「なんで……っ……?そういうことは、ッ早く言ってよっ……!」
打ち込まれたまま送信されなかったメッセージを読み返したって、何の奇跡も起こらないのだけれど、私に宛てたありったけの愛情を、死んでしまった最愛の人からこんなタイミングで受け取るなんてと、後悔せずにはいられない。
「るしふぁぁ……っルシファーッッ!!死んじゃヤダ……やだよぉっ……!!私の魂、喰べてくれるって言ったじゃんっっ!!私より先に死ぬなんて聞いてないっ!!聞いてないよ!!私が死んだらルシファーの一部にしてくれないとやだよ!!私よりっ……ますたーよりさきにどっかにいくなぁっ!!!!」
涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、溢れ出す想いをなりふり構わず声に出し、ベッドに乗り上げる。死人になんてことをと思われるかもしれないが、幸いこの部屋には今、私とルシファーの亡骸しかない。何をしようと私しか知らないのだから許してほしい。
シワ一つない黒いシャツの襟を引っ張って、ネクタイ辺りに顔を押し付けると、大好きなルシファーの香水のかおりが鼻腔を掠める。ぶわりと、これまでの幸せな日々とか、ルシファーの笑顔とか、照れた顔とか、体温とか、いろいろなものが目の前にありありと映し出された。ああ、もう。こんなにも、まだ、大好きで、忘れたくないものがたくさんあるのに、私ってなんて馬鹿な女。
キッと眉間にシワを寄せて顔を擡げ、そのままルシファーの唇に自らの唇を押し当てる。
とてもじゃないけど暖かいなんて微塵も思えないそれは、私の思い出とはほど遠く、硬く冷え切りガサついた唇だった。
「好きよ、ルシファー。こんなにも後悔したのは後にも先にも今だけ。どうしてあんなこと言っちゃったのが最期にならなきゃいけないの……?わたしっ……ほんとうにばかだった……もう遅いけど、謝らせて……」
ぽたり、また一つ涙の雫が頬を伝って、ルシファーの顔の上に落ちた。それをきっかけに、ぴくりと、ルシファーの瞼が動いたのに、私は気づかないで独白がツラツラ続く。
「死神が来たら私が追い払うっ……魂があれば消えないんでしょう……?これまでもらったルシファーの魔力、全部返してでも生き返らせてみせるからっ……生き」
「っは!!」
「、は、ぇ、え!?!!」
生き返るまで死なせない、と言おうとしたところで、今の今まで閉じたままだったルシファーの瞼がバチッと開き、紅の瞳がぐるりと回転した。
真っ白だった顔には少しずつ生気が戻って生き物の色を取り戻す。
「る、るし、ふぁ、?」
「俺は……?」
むくりと自分の力で起き上がったルシファーは、自分で自分の顔を触り、それから何度か瞬きをする。そうして、目を見開いて固まったまま、ルシファーの上でぽかんとする私を認めると、こう言ったのだ。
「食っちゃいけないものを口に入れたか……?」
「は?」
「俺は確か……少し疲れて死んだように眠りたいと……Akuzonでも有名なぐっすり眠れる秘薬を手に入れて飲んで……それで誰にも邪魔されない場所に……」
「え……?寝てた、だけ、?」
心臓完全に止まってたけど?
えっ、てかそれなら周りの悪魔たち、みんな知ってて?
みんなで私を騙したの?
「るしふぁ、わたし、るしふぁが、しんだって、」
「俺が?死ぬ?まさか」
「馬鹿!!ばか!!どれだけ心配したと思ってんのっ!?ばかばかばか!ルシファーのバカ!!なんでそんなことしたのぉっ……!」
「なんでと言われても、眠りたくてだな」
「眠るだけなら睡眠薬くらいにしなよばか!!!!心臓止めて眠る悪魔がどこにいるの!?!?」
「す、すまない、まさかおまえが魔界にいるなんて……」
「いたら悪いの!?ルシファーの一大事だっていうから飛んできっ……うぅ〜っ……もぉやだぁ……っ……」
「泣かないでくれ、この上おまえの涙を見たいとは思わない」
「るしふぁーがいなくなっちゃったら、わたしっ、私っ、何を支えに生きたらいいのよぉっ!!」
何が何だかわからないけれど、ルシファーが生きていた、その事実がハッキリとして、今度は安心の涙が止まらない私を前に、困ったようにオロオロするルシファー。
こういうときは抱き締めて、と思えど、そういえば私が別れみたいな話をしてしまったから、この真面目な悪魔はそういう素振りができないのだと、冷静な自分が天から指令を送ってきたので、こちらからぎゅうっと抱きついた。途端、びくりと硬直する身体に、ごめんの気持ちを込めて、より一層強く縋り付く。
「るしふぁ、いなくならないで……」
「……おまえが、それをのぞむなら」
「わたしと一緒に、生きてよ……じゃないといやだ」
「は……?いや、だが、」
「私がバカだった……あんな些細なことで、あんなこと……ごめんなさい。許してもらえるなら、もう一度抱き締めてほしい……だってまだ、こんなに、こんなに愛してるんだもん……」
「!」
「ルシファーじゃなきゃ、だめ。最期に私の魂を喰べてくれるのはルシファーじゃなきゃいや。お願いだからいなくならないで……」
「おまえ、」
抱きついていた身体を離して、私から一つ、触れるだけのキスを。触れたそこはもう硬くも冷たくもなくて、ふに、と滑らかな感触がした。
「んっ……」
「ッ、」
「魔力なら、私からも分けられる?償いならなんでもする。ルシファーが私のこと許してもいいって思えるまで、」
「待て、そもそも俺はおまえに怒りをぶつけた覚えはない」
「……?でも、私、ルシファーに酷いことして」
「酷いことをしたのは根本的には俺の方だろう。約束を毎度反故にするのは最低だと怒られたんだ。それでやっと反省に至ったのはいいが、そのときにはおまえは人間界に戻ったあとで今更どうすればいいのか分からなくてな……。たしかに、それを考えるあまりに眠りが浅くなっていて、数日に渡るくらいに深い睡眠を求めたのは確かだが、それはおまえに怒っていたからじゃない」
傲慢の悪魔が聞いて呆れるんだが、と顎をさすりながら頬を染めるルシファーは、眉をハの字に下げている。
なんだか申し訳ない。
ルシファーは気づいていないようだ。それは遠回りには私の行動が引き金になっていて、それで結局のところ、私を手放したくないと、私に執着してくれているルシファーの気持ちが根底にあるのだということに。
こんな形でだけど、ルシファーの気持ちを知れて満足してしまった自分の頬を、内心でぺちんと叩いた。
「ルシファーが怒ってないなら、いい。でも私が私のこと許せないの。だから、何か償わせて?ルシファーの言うこと、なんでも一つ聞く。なにかできることないかな。今すぐじゃなくても、」
「それなら、ある」
「!なに?なんでも言っ、ンッ……!」
「ん、ふ、」
会話の途中で塞がれた唇。舌が唇を突く久しぶりの感触にも素直に応じた私の身体。咥内を深く貪られ、混じる吐息に交わす唾液はいずれも熱く、くらくら眩暈がした。暫くして離れたときには息が上がってルシファーにしがみつくのがやっとだ。
そんな私を熱が燻る瞳で見つめたルシファーは、今度こそあらんかぎりの力で私を抱き締めてくれたのだった。
「もう俺から離れたりするな」
「っ……、もちろん……。本当にごめんね。大好きだよ、ルシファー」
「俺は愛してるよ」
そんなわけで、魔界を上げての大騒動……というか、大きなお芝居は幕を閉じ、私は皆をこってり絞って、皆は私とルシファーにぶーぶーとお小言を言い。結局笑い話にして和解した。
私とルシファーはといえば、
今日も今日とて送るのは、例のルシファー王子のスタンプに、それから一言。
【会いに行ってもいい?】
返事はもちろん。
【今すぐ来い】