◆薄明の暁星
今日も引き続きお土産を求めて有名な場所を訪れることになった。ディアボロやバルバトスが好きそうな酒や紅茶類はこの国では定番な商品だからこそ、ルシファーの頭を悩ませているようだ。
ただ、そうやって悩んだだけあってやっとのことで一級品の、二人が好きそうなものが手に入った頃にはほっと安堵のため息を漏らした。
一日などすぐに過行くもので、ふらついていたらあっという間に夕方になっていた。せっかく近くまで来たのだから記念にロンドン・アイに乗ろうと、ルシファーの腕を引いて観覧車へと歩を向けたのが今しがたのこと。おまえはこう言うものが好きだなと苦笑されたけど、乗りたいものは乗りたいのだから遠慮は不要だ。
「魔界でも観覧車、乗ったよね。覚えてる?」
「ああ、デビルズコーストか」
「うん。一回目は違法カジノのときで二回目はルシファーが記憶喪失になっちゃったとき」
「覚えてるさ」
「素直な気持ちの告白、嬉しかったなー」
「おい、それは忘れろ」
ロンドン・アイは珍しく空いていて、待ち時間なくそのままゴンドラに乗り込めた。観覧車にしてはあまり見ないタイプのロンドン・アイのゴンドラは、一つ一つがとても大きく、立ったまま景色を眺める人も多い。私とルシファーもそれに倣って、ガラスに近いところに並んで立って外を眺める。そうしてから、先の台詞に対する回答を告げた。
「忘れるなんて、い・や!」
「おまえな」
「……忘れられるわけ、ないよ」
「え?」
「ルシファーと過ごした時間は、全部、全部忘れない。お墓まで持って行くの。これだけは誰の指図も受けないって決めてるから、いくらルシファーの命令でも無理だよ」
ふふっと笑い返したら、思いのほか神妙な顔つきでルシファーがこちらを見てくるものだから、ちょっと戸惑ってしまう。
「えっ……そ、そんなに、いやだった?あの、こうは言ってるけど私も物覚えがいい方じゃないし、鮮明に全部覚えてるわけじゃないから安心し」
「確かにおまえは俺たちのように気の遠くなる時間を生きることはできないが、寿命の話をするのはやめろ」
斜め上のその言葉に、つい、ぽかんとしてしまった。だって、ルシファーが言ったのに。おまえの生きる場所は魔界 じゃないって。
「ルシファーは……私を人間のままでいさせたいみたいだったから、そんな風に思われていたなんて、ちょっと意外」
「おまえを悪魔に堕とすようなことはしたくないだけだ」
「私が天使の子孫だから?」
「そんなことは言っていないだろう」
「冗談だよ。ごめんね茶化して」
なんだかルシファーの顔を直視するのは恥ずかしくて、手すりに寄りかかって外を眺めながら「意外だと思ったのは本心だけど」と紡ぐ。
「それ以上に嬉しい」
「なにが」
「だって少しでも一緒にいたいって思ってくれてるってことでしょ?嬉しい」
あまりにも乙女なことを口にした自覚が湧いてきて、すぐに、「あっ、ねぇあれ見て!昨日行ったところ!」、なんて話題を変えようとしたが、そんなことは許されるわけもなかった。
私の背中側から、私に覆いかぶさるようにして手すりに手をついたルシファーは私の耳に唇を寄せて囁く。
「この先何があっても、おまえは俺のものだ」
「!」
「魂まで俺が喰ってやるといっただろう。逃れられると思うなよ?」
忘れていたわけではないけれど、改めてそれを告げられてハッと振り向くと、柔和に細められた紅と視線が絡んで、途端顔が熱くなる。その視線から目を逸らすなんてできるはずがない。
「おまえが嫌になったとしても絶対に逃がさない」
「っ……その言葉、一生忘れないんだからね……」
「忘れたとしても何度でも思い出させてやるから安心しろ」
そう言ってククッと喉で笑ったルシファーは、どこで満足したのかわからないけれど満足気な表情をすると、ぽすっと私の頭に顎を乗せて遠く沈みゆく夕陽が空を赤く染めていく様に目を向ける。
そのあと私たちは一言も言葉を交わさなかった。
景色を眺めていれば観覧車の一周なんてすぐに終わりが来て、乗客たちはみな思い思いの感想を交わしながら乗り込み口に向かっていった。
止まることのない観覧車。
降りなければ、次に乗る人達の邪魔になる。
降りなきゃと、そう思うのだけどなんだか胸がいっぱいでその場から動けないでいると、ルシファーの大きな手が私の頭を撫でた。
「ほら、行くぞ」
「……ん」
「そんな顔するな。気になるならまた来ればいい」
「そだね」
こちらに背を向けて歩き出したルシファーからは色濃い影が伸びていた。
そういえば、悪魔にも影はあるのか、なんて今更なことが頭をよぎる。魔界はずっと暗いからあまり気にならなかったのかな。いや、そんなことはないか。ライトはたくさんあるし室内は明るいし。するとやっぱり人間の姿になったときだけ影があるのか。人間界 での存在を疑われないように。魔術だったらそのくらいできる気がする。
そんなことを考え出したら、あれ?もしかしてルシファーの存在のほうがあやふやなんじゃ?なんて。なんだかそれは私の心に不安を運んできた。
ルシファーは私の寿命のことを気にするけど、リリスは天使だったのに亡くなったわけだし、そういう意味ではルシファーだってーー。
止まらない負のイメージに怖くなってルシファーの腕をぎゅっと掴むと、ゆるりとこちらに顔が向いた気配がした。
「どうした」
「ううん……なんでも、ない」
「そうは見えないが?」
「っ……」
「言いたくないなら今すぐ言わなくてもいいが、」
「るしふぁー、」
空にはすでに紺色の幕が掛かり始めていた。見上げたルシファーの向こう側に広がるグラデーションは涙を誘うほどに美しい。
「ルシファーは、いなくならないよね」
「……」
「ずっと魔界で待っててくれる?」
私の台詞は大層矛盾を孕んでいたことだろう。さっきの今でこんな思考に陥っているなんて、自分で自分を笑い飛ばしたいくらいだ。
それでもどうにもならない気持ち。相手に押し付けるにしても重い、こんな気持ちを吐き出してしまって申し訳ないとも思った。でも飛び出した言葉はもうしまうことはできない。
一瞬きょとんとしたルシファーだったけれど、何か思うところがあったようで、困ったように眉をハチの字にして笑った。
「心配するな。仮にも七大君主の長男の俺がそう簡単にいなくなるわけないだろう」
「……うん」
「俺に対峙したときとは大違いのしおらしさだな。お望みなら俺がここにあることを夜通し教えてやってもいいが?」
「お願い」
「ははっ!おまえはそう言うと思……は?」
「お願いっていったら、してくれるの?」
ありえない幻想におびえるなんてまっぴらごめんだけど、自身ですぐに払拭できなくて残りの貴重な五日間をこんな気持ちを抱えたまま過ごすなんてもっと嫌だ。
だったら。だったら、明日私の腰が立たなくなったって、たくさん愛してもらったほうがきっといい。ね、素直になるって決めたもの。
「……はぁ……。そんな目で俺を見るな」
「んっ、」
私が抱きしめているほうではない側から腕が伸びてきたと思えば、すっぽり頬を包み込まれた。反動で瞼を閉じると、その上に暖かな感触が触れる。
熱が離れていくのを肌で感じて薄っすら瞼を開くと、嬉しそうなルシファーの顔が瞳に飛び込んできてトクンと胸が跳ねた。
「るしふぁ、」
「おまえが何に怯えているのか全部は理解できないが、おまえが俺を喜ばせるのが得意なことだけは理解した」
「え、」
「今夜は眠れないと思え」
指を絡めとられ、歩き出す。
隣を歩くルシファーに、もう影なんて気にならなくなっていた。
私、こんなにも単純だったっけ。
ううん、違う。
ルシファーが私の不安、全部拭い去ってくれるんだ。
家に戻ったら、きっと、飽きもせずルシファーからのキスを受け入れて、その胸に抱かれて気を失うまで愛してもらうことになるにちがいない。
それはなんて素敵な物語の結末なんだろう。
私を幸せにしてくれてありがとう、ルシファー。
いつかこの身が朽ちたって。
ルシファーのこと、ずっと愛するよ。
ただ、そうやって悩んだだけあってやっとのことで一級品の、二人が好きそうなものが手に入った頃にはほっと安堵のため息を漏らした。
一日などすぐに過行くもので、ふらついていたらあっという間に夕方になっていた。せっかく近くまで来たのだから記念にロンドン・アイに乗ろうと、ルシファーの腕を引いて観覧車へと歩を向けたのが今しがたのこと。おまえはこう言うものが好きだなと苦笑されたけど、乗りたいものは乗りたいのだから遠慮は不要だ。
「魔界でも観覧車、乗ったよね。覚えてる?」
「ああ、デビルズコーストか」
「うん。一回目は違法カジノのときで二回目はルシファーが記憶喪失になっちゃったとき」
「覚えてるさ」
「素直な気持ちの告白、嬉しかったなー」
「おい、それは忘れろ」
ロンドン・アイは珍しく空いていて、待ち時間なくそのままゴンドラに乗り込めた。観覧車にしてはあまり見ないタイプのロンドン・アイのゴンドラは、一つ一つがとても大きく、立ったまま景色を眺める人も多い。私とルシファーもそれに倣って、ガラスに近いところに並んで立って外を眺める。そうしてから、先の台詞に対する回答を告げた。
「忘れるなんて、い・や!」
「おまえな」
「……忘れられるわけ、ないよ」
「え?」
「ルシファーと過ごした時間は、全部、全部忘れない。お墓まで持って行くの。これだけは誰の指図も受けないって決めてるから、いくらルシファーの命令でも無理だよ」
ふふっと笑い返したら、思いのほか神妙な顔つきでルシファーがこちらを見てくるものだから、ちょっと戸惑ってしまう。
「えっ……そ、そんなに、いやだった?あの、こうは言ってるけど私も物覚えがいい方じゃないし、鮮明に全部覚えてるわけじゃないから安心し」
「確かにおまえは俺たちのように気の遠くなる時間を生きることはできないが、寿命の話をするのはやめろ」
斜め上のその言葉に、つい、ぽかんとしてしまった。だって、ルシファーが言ったのに。おまえの生きる場所は
「ルシファーは……私を人間のままでいさせたいみたいだったから、そんな風に思われていたなんて、ちょっと意外」
「おまえを悪魔に堕とすようなことはしたくないだけだ」
「私が天使の子孫だから?」
「そんなことは言っていないだろう」
「冗談だよ。ごめんね茶化して」
なんだかルシファーの顔を直視するのは恥ずかしくて、手すりに寄りかかって外を眺めながら「意外だと思ったのは本心だけど」と紡ぐ。
「それ以上に嬉しい」
「なにが」
「だって少しでも一緒にいたいって思ってくれてるってことでしょ?嬉しい」
あまりにも乙女なことを口にした自覚が湧いてきて、すぐに、「あっ、ねぇあれ見て!昨日行ったところ!」、なんて話題を変えようとしたが、そんなことは許されるわけもなかった。
私の背中側から、私に覆いかぶさるようにして手すりに手をついたルシファーは私の耳に唇を寄せて囁く。
「この先何があっても、おまえは俺のものだ」
「!」
「魂まで俺が喰ってやるといっただろう。逃れられると思うなよ?」
忘れていたわけではないけれど、改めてそれを告げられてハッと振り向くと、柔和に細められた紅と視線が絡んで、途端顔が熱くなる。その視線から目を逸らすなんてできるはずがない。
「おまえが嫌になったとしても絶対に逃がさない」
「っ……その言葉、一生忘れないんだからね……」
「忘れたとしても何度でも思い出させてやるから安心しろ」
そう言ってククッと喉で笑ったルシファーは、どこで満足したのかわからないけれど満足気な表情をすると、ぽすっと私の頭に顎を乗せて遠く沈みゆく夕陽が空を赤く染めていく様に目を向ける。
そのあと私たちは一言も言葉を交わさなかった。
景色を眺めていれば観覧車の一周なんてすぐに終わりが来て、乗客たちはみな思い思いの感想を交わしながら乗り込み口に向かっていった。
止まることのない観覧車。
降りなければ、次に乗る人達の邪魔になる。
降りなきゃと、そう思うのだけどなんだか胸がいっぱいでその場から動けないでいると、ルシファーの大きな手が私の頭を撫でた。
「ほら、行くぞ」
「……ん」
「そんな顔するな。気になるならまた来ればいい」
「そだね」
こちらに背を向けて歩き出したルシファーからは色濃い影が伸びていた。
そういえば、悪魔にも影はあるのか、なんて今更なことが頭をよぎる。魔界はずっと暗いからあまり気にならなかったのかな。いや、そんなことはないか。ライトはたくさんあるし室内は明るいし。するとやっぱり人間の姿になったときだけ影があるのか。
そんなことを考え出したら、あれ?もしかしてルシファーの存在のほうがあやふやなんじゃ?なんて。なんだかそれは私の心に不安を運んできた。
ルシファーは私の寿命のことを気にするけど、リリスは天使だったのに亡くなったわけだし、そういう意味ではルシファーだってーー。
止まらない負のイメージに怖くなってルシファーの腕をぎゅっと掴むと、ゆるりとこちらに顔が向いた気配がした。
「どうした」
「ううん……なんでも、ない」
「そうは見えないが?」
「っ……」
「言いたくないなら今すぐ言わなくてもいいが、」
「るしふぁー、」
空にはすでに紺色の幕が掛かり始めていた。見上げたルシファーの向こう側に広がるグラデーションは涙を誘うほどに美しい。
「ルシファーは、いなくならないよね」
「……」
「ずっと魔界で待っててくれる?」
私の台詞は大層矛盾を孕んでいたことだろう。さっきの今でこんな思考に陥っているなんて、自分で自分を笑い飛ばしたいくらいだ。
それでもどうにもならない気持ち。相手に押し付けるにしても重い、こんな気持ちを吐き出してしまって申し訳ないとも思った。でも飛び出した言葉はもうしまうことはできない。
一瞬きょとんとしたルシファーだったけれど、何か思うところがあったようで、困ったように眉をハチの字にして笑った。
「心配するな。仮にも七大君主の長男の俺がそう簡単にいなくなるわけないだろう」
「……うん」
「俺に対峙したときとは大違いのしおらしさだな。お望みなら俺がここにあることを夜通し教えてやってもいいが?」
「お願い」
「ははっ!おまえはそう言うと思……は?」
「お願いっていったら、してくれるの?」
ありえない幻想におびえるなんてまっぴらごめんだけど、自身ですぐに払拭できなくて残りの貴重な五日間をこんな気持ちを抱えたまま過ごすなんてもっと嫌だ。
だったら。だったら、明日私の腰が立たなくなったって、たくさん愛してもらったほうがきっといい。ね、素直になるって決めたもの。
「……はぁ……。そんな目で俺を見るな」
「んっ、」
私が抱きしめているほうではない側から腕が伸びてきたと思えば、すっぽり頬を包み込まれた。反動で瞼を閉じると、その上に暖かな感触が触れる。
熱が離れていくのを肌で感じて薄っすら瞼を開くと、嬉しそうなルシファーの顔が瞳に飛び込んできてトクンと胸が跳ねた。
「るしふぁ、」
「おまえが何に怯えているのか全部は理解できないが、おまえが俺を喜ばせるのが得意なことだけは理解した」
「え、」
「今夜は眠れないと思え」
指を絡めとられ、歩き出す。
隣を歩くルシファーに、もう影なんて気にならなくなっていた。
私、こんなにも単純だったっけ。
ううん、違う。
ルシファーが私の不安、全部拭い去ってくれるんだ。
家に戻ったら、きっと、飽きもせずルシファーからのキスを受け入れて、その胸に抱かれて気を失うまで愛してもらうことになるにちがいない。
それはなんて素敵な物語の結末なんだろう。
私を幸せにしてくれてありがとう、ルシファー。
いつかこの身が朽ちたって。
ルシファーのこと、ずっと愛するよ。