■2022/4までの読み切りログ(ルシファー)

 本日、某音楽番組の生放送。音楽番組の生放送時のスタジオ入りは極めて早い。それに向けた衣装合わせやリハに時間がかかるからだ。特に人気のアイドルグループは放送中の衣装の早替えを見据える必要があるので、こういうときに忙しいのはいつものことだった。
 恋人……もとい俺たちのマネージャーは、スタッフに挨拶をすると別件の打ち合わせのためにスタジオを後にすると言っていたので、今はNAGEKIのメンバーのみが残っている状態だ。戻ってくるのはもう暫く後だろう。
 今日の仕事はこの生放送一本のみとはいっても、長丁場な現場。終わるころにクタクタになるのは目に見えている。少しでも早く衣装チェックを終え、体力を温存するほうが無難だと、すぐに衣装合わせに取り掛かった。
 事件が起こったのは、そんな衣装合わせ中、ボタンを外してシャツを脱いだ瞬間だった。

「ギャァアアアア!?」
「……なんだマモン。突然奇声を上げて」
「っ、あ、ああ、あ、」
「?」

 開いた口が塞がらないマモンを訝しげな目で見つめれば、徐に指さされたのは俺の身体で、不快感から眉間には余計に皺が寄る。

「なんだ?俺に何かついてるのか」
「な、な、なにかって、おま、な、それ、き、きっ」
「言葉も発せなくなったのかバカマモン」
「ちっ、ちっげーし!!ルシファー!!鏡!!鏡!!」

 今度は自分の鎖骨に指をやりながらやたらと鏡をすすめてくるので、やれやれと鏡の前に移動する。自分の身体なんて見ても面白いものなんて今更ーーと、そう思ったのも束の間だった。

「………まずいな」
「お、おまえら、付き合ってるって、そ、そういう!?」
「俺は控室に戻る」
「は!?」
「衣装の変更を申し出てくる。マモン、皆に伝えておけ。衣装が変更になるから今のうちに少し休憩を取れとな」
「ちょ、ちょっ、ま……!?」

 マモンの言葉を聞くまでもなく、衣装合わせを中断して控室へと向かう。その道すがらD.D.D.を取り出し、彼女へメッセージを飛ばした。

【おい、今夜の生放送の衣装を変更したい。いつ頃戻れる】
 すぐに既読が付いて、少しだけ安堵した。
【どうしたの、急に】
【どうしたもこうしたもない。身に覚えがあるだろう】
【何の話?】

 本当に覚えがないのか?否、そんなわけはない。なぜならこの原因は、昨晩のことにあるのだから。



 昨日のNAGEKIはインタビュー収録だけという珍しく身体に負担が少ない一日だった。なのでそれが終わり次第、行きつけのバーで最近の売り上げが好調なことに対する打ち上げを行うと言っていたのだが、俺はそれを断って事務所兼家である館に戻っていた。俺が打ち上げに行かないのはよくあることだったので、誰にも怪しまれなかったわけだが、断った理由はひとえに、彼女と二人きりで一目を気にせず過ごしたかったからだった。
 館に誰もいないとわかっていたからか、早い時間であるにもかかわらず、俺も彼女も普段より解放的で組み敷いたり乗られたりと濃密な時間を過ごせて、大層満足だった。
 身体を流すのもそこそこにピロートークを楽しんでいた時頃に、館の扉が開く音がして、皆が帰ったことを悟る。

「……帰ってきたか」
「もう九時だもんね。明日のことも考えてて偉い!マネージャーは鼻が高いです!ふふっ」
「俺としては、おまえと二人きりでなくなるのは歓迎できないが」
「っ、も、もぅ……そう言われちゃ……私だって、二人でこうやってベッドにいられるのが嬉しくないわけじゃないよ」

 薄いキャミソールに下着のみと、おおよそ人には見せられない格好の彼女がシーツの下でもぞもぞと動き、俺の身体に指を這わす。さっきの今とあって、そんな些細な感触でもピクリと肌が粟立つのに苦笑するしかなかった。

「俺だってプロだからな。おまえを抱くのは明日に響かない程度に。これ以上はお預けだ。俺に問題がなくてもおまえが立てなくなるだろう。先方に顔向けできないからな、マネージャー」
「イジワル。こういうときだけリーダー面する」
「ほう?そうやって余裕ぶっているからには……まだ足りないと、そういうことか?」
「……そうだって言ったらもう一回抱いてくれっん、ぁ」
「ンッ、」

 いじらしい恋人には愛情を返すのが俺のポリシーだ。身体を反転させて首筋に吸い付けば、そこに咲くのは紅い華。それに満たされるのは俺の心。

「今はこれで我慢してくれ」
「……ファンサの一環?」
「そんなわけないだろう。紛れもなく、おまえにだけ贈る愛情だ」

 ぷぅと唇を尖らすので、迷いなくそれを掠め取る。ちゅっとリップノイズが鳴ったわずか一秒足らずで彼女の頬から空気が抜け、彼女はそのまま吹き出した。

「これでもファンが羨ましいなって思うこともあるんだよ」
「なぜ。俺がおまえだったとしたら、恋人という立場にある自分に酔いしれてしまいそうだが」
「恋人は恋人だよ。それは素直に嬉しいけど、私は公に好きって言えないでしょ?ファンの人たちはルシファーかっこいいってルシファーのグッズを買って鞄に忍ばせたりして楽しんで、仲間内で集まって、大々的に『ルシファーが大好きなの!』って言えるもの。私はそれができない。ずっと心に秘めて、ベッドの上だけで、ルシファーだけに言える。誰よりも好きだよって」

 眉を下げて、ただの嫉妬と独占欲だよ、見苦しいねと笑う。しかし返答に困ること数秒の間に『あっ!』と、物凄く良いことを思いついたとばかりにクルリと表情を変え、俺の首に縋ったと思えば、鎖骨下あたりの比較的柔い部分に口付けてきたので驚いた。

「んぅ……っぷは」
「!」
「っへへ……!私も、つけちゃった!今回はこれで我慢し」
「なるほどな?余程腰を砕けさせてほしいらしい」
「へ?」
「いいだろう。おまえが煽ったんだ。声は自分で我慢しろよ?」
「ちょ、ちょっと、待って、なんで!?お預けって言ったのルシファ、っ!?」

 腕を取って身体を離させると、そのまま彼女を一八〇度回転させた。俺は優しいからな。枕はおまえに貸してやろう。せいぜい頑張って嬌声を押し殺せ。

「寂しいと思えなくなるくらいに抱いてやる。覚悟するんだな」
「っぁ……!」

 そこから先のことは、言わなくてもわかるだろう。



 とまぁ、こんな調子で過ごした昨晩。情事を忘れたとは言わせない。

【俺はおまえのものだと視聴者に誇示したかったか】
【どういうこと?】
【昨夜のことを思い出せ。おまえが俺につけたキスマークが思いのほか目立ってる】

 そこまで打ち込んだところで、返って来なくなったチャット。彼女の様子が手に取るようにわかる。きっと自分のせいで大変なことになったと悩んでいるのだろうな。俺が、こんな風に喜びと焦りの間を行ったり来ているとも知らずに。
 控室に辿り着いてノブを回すと同時、ちまちまやりとりをするより彼女と直接話す方が早いと、通話ボタンをタップした。が、しかし。だんだんと開く控室の扉の中から聞こえたコール音に聞き覚えがあるのは気のせいではなかった。

「な……っ、るし、ふぁ」
「おまえ、どうして」
「あ……あの、ちょっと忘れ物をしちゃって急いで取りに来たの……っそれより、本当にごめんなさい!自分が手配した衣装のことも忘れてあんな……マネージャー失格だよこんなの……!アポはキャンセルして新しい衣装の手配するからちょっとま、っ!」

 思った通り、必要以上に責任を感じている様子の彼女はすでに涙目。そんな恋人を放っておけるほど、俺は酷い男ではない。
 俺を押しのけて出て行こうとする彼女の腰を取って引き寄せて、腕の中におさめた。ワッ、アッ、と言葉にならない声を発したものの、この体格差だ。彼女が俺に敵うはずもなく、すぐに大人しくなったので溜め息を一つ吐いてから静かに言葉を紡ぐ。

「俺には大事な人がいるというのを公言したとして、そうするとおまえの立場が悪くなるだろう」
「え、」
「NAGEKIには……いや、この言い方は良くないな。おまえは、俺にとって必要な存在だ。いつでも傍にいてくれないと困る。おまえとのことを公表してマネージャーを降ろされる騒動にでもなってみろ。それ以上に、何らかの事件に巻き込まれでもしてみろ。俺がどうにかなる」
「るしふぁ……」
「おまえを守るためでもあるんだ。わかってくれないか」

 俺よりも一回り以上小さな身体を、それが壊れないように、しかし強く抱きしめて本音を吐露すれば、背中に回ってきた手が遠慮がちに俺の服を掴んだ。

「ごめんね、ルシファーの気持ち、裏側まで理解できてなかった。今度からはこういうことにならないように気をつける。っていうか、痕なんて付けないようにするね」

 そんな風に言われ、わかってもらえたと安心もしたが、一方で、そうじゃないという気持ちもむくむくと湧いてくるからおかしなものだ。

「いや、そうじゃない」
「ん?どういうこと?」
「次からは見えないところにしてくれ」
「えっ」
「それならいつでも……っいや、ちがう、してほしいわけじゃないぞ」

 俺としたことが、何か言ってはいけないことを口走ったような気がする。彼女の肩口から顔をあげることができない。態度には出ていないはずだが、だんだん熱くなってくる身体は隠すことができずどうしようかと内心焦る俺。けれど耳に届いた言葉は全く予想外のものだった。

「……ありがと」
「、は?」
「ルシファーはやっぱりしっかりしてるなあっ!私はまだまだだっ!」
「なにを」
「絶対もっともっとファンダムを大きくしてさ、魔界だけじゃなくって三界一のグループになろうね!そこまで私、見届けるから!」
「おまえ、」
「私、ルシファーが好きって気持ちで誰かに負けたりしない……って気持ちに上も下もないけど……でもそういう心持ちでいるからっ!だからもう嫉妬したりしない!ルシファーが大切に思ってくれてるのは私だけ、だもんね?」

 そうでしょ?と小首を傾げながら俺の瞳を覗き込んでくるその顔は、茶目っ気たっぷりの小悪魔笑顔で、もう迷いなんてないと自信に溢れている。思わず吹き出してしまった。

「ああ、そうだ。俺の目線の先にはおまえしかいない。信じろ。全てのパフォーマンスをおまえに捧ぐよ」
「うん!」

 蟠りが解けてすぐに、『じゃあ私、急いで衣装の手配してくるからっ』と俺の腕から逃げ出そうとするので、待て、と身体ごと引っ張りもう一度顔をこちらに向けさせてから、唇を奪う。今度は、先程のような掠め取るものではなく、夜を彷彿とさせる深い深いキスを。

「ンッ……!?」
「んん、は、ふ」
「ぁ、ふ……ッハ!……んっちょ、るしふぁ!?こんなところでっ」
「誰も見てないさ。夜まで待てなかった」
「っも、もぅ!!さっきの今で何言ってるの!」
「そんなところも可愛いな。さぁ行ってこい、俺のために」
「っ……帰ったら覚えといてよ!?行ってきますっ!!」

 ぎゅっと抱きしめ返されたのは一瞬のことだったが、彼女は何にも変え難い熱を残して離れていった。

「全く……できたマネージャーだよ、おまえは」

 苦笑を漏らした俺の背後で、覗き見していたマモンが唖然としていたのを知るのは、その十秒後のことだった。
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