■2022/4までの読み切りログ(ルシファー)
いつからか夢見ていたこと。
夢でしかないと思っていたこと。
それが叶うなんて、思いもよらなかった。
人間と悪魔の間に主従契約以外の契約が成り立つなんて考えていなかったから。
私はどうあがいても数十年しか生きられない人間だし、彼は私を悪魔にしようとは微塵も思っていない。だからと言って、私が私の力でソロモンのように不老不死になろうとしても止めるだろう。人間は人間のままであるべきだと、言うだろう。
私たちの間にはたしかに愛はあるけれど、それとこれとはまた別次元の話なのだ。
だから、結婚式をするかと持ちかけられたときは心底驚いて声も発せなかった。
いつもと同じで、いつもと違う空気がここにある。
ルシファーの部屋、広いベッドの上。自分の手を天井に向けて、それを見つめる。指先は全て真っ赤なマニキュアで彩られているけれど、左手の薬指にはまだ何もはまっていない。手を下ろして、今度は隣でゆるく瞳を閉じていたルシファーの顔を覗けば、ふっと唇が緩んで薄く瞼が開いた。
「早く眠らないと明日に響くぞ」
「ん……わかってるんだけど、なんだか勿体無くて」
「だから言ったろう。最後の独身パーティーでもしてこいと」
「む、私がそんなことを勿体無いっていうと思ってるの?違うよ。パーティーなんかしたくないよ、ルシファーといたいって言ったのは私だよ?そうじゃなくて、」
言葉を止めて、その代わりにルシファーと距離を詰める私を、二本の腕でしっかりと抱いてくれる彼はとびきり優しい。
「ねぇ、いいでしょ……?」
甘い声でねだれば、きっと陥落してくれるはず。淡い期待を胸にバスローブから覗く魅惑の鎖骨に触れるだけの口付けを落とすと、それが想定外の動作だったのか、ルシファーの身体にピクリと力が入ったのがわかった。でもそんなことは一瞬の反応で、すぐに私を抱きしめたまま九十度回転したルシファー。彼の上に乗せられて彼を見下ろせば、少しだけ頬が赤く染まっている。それでも口調だけは強気なところがルシファーらしくて可愛い。
「なんだ、珍しいじゃないか」
「そうかな」
「おまえから誘われることはあまりない」
「だって独身最後の夜だから」
「明日からも何度でもできるのにか?」
「明日になったら新婚初夜だよ。それから先も今日とは違う」
「なるほど、心持ちが変わるのか」
そこまで言うと、ふむ、と少し思案顔を見せたので、ああこれはまずったかもと感じる。式の前日に欲情する女なんて嫌われて当然か。今日はこのまま引いて明日目一杯愛し合った方が幸せかもしれない。
「でも、ルシファーの言う通り、明日は形だけって言っても式があるし、今日は早く眠ーーっ!」
肌触りのいいパジャマの下、夜の空気に冷やされた指が十本。キャミソールを避けて肌を直接なぞった。腹の横をツツツと撫で上げ、一方で親指は器用に臍の下あたりをクッと押し上げる。
「ちょ、なに、」
「おいおい、今更止めるなんていう選択肢があるとでも?」
「っでも、ルシファー、乗り気じゃなさそうだし、ッひゃ!?」
「なんだ、元からそのつもりだったのか。こんな下着を身につけて」
「違うよっ!これは、ドレスに響かないからこういうタイプの方がいいって勧められて」
「誰にだ」
「え、」
「誰に勧められたんだ?」
「あ、アスモ……だけど」
「ほぅ?おまえは、俺との結婚式で着るものの相談をアスモにしたのか」
「な!?」
にっこりと笑ったが、その笑顔が怖い。この笑みを浮かべるルシファーは怒っているときだと瞬時に悟れるくらいには近くにいるのだ。おかしな方向に話が進んでいきそうになり、ストップストップを自分の顔を手で覆ってぶんぶんと首を横に振る。腰を掴まれていては逃げられないし、このくらいの抵抗しかできない。
「私から相談したんじゃなくて、その方がいいよって言われただけだよ、アドバイス!一生に一度の結婚式だよ!?一番綺麗にして臨みたいじゃない!なんだってするよそのためならぁ……」
『結婚式』と言う単語は口にすると案外恥ずかしくて、抵抗じゃなく本当に顔を隠したいだけになってしまった。初夜は良くて結婚式が恥ずかしいと言うのはいかがなものかというツッコミはこの際なしだ。ピュアなワードの方がズキュンとくるのが乙女心というものーーなのかもしれない。
「揶揄われてるぞ」
「へ?」
「アスモに、揶揄われている。ドレスインナーにはそんなものは推奨されていない」
「ええっ!?通りでこんな履きにくいと思った!」
「俺とおまえが前日か、はたまた当日かにこうなることを予想したのか……あいつは気の利いたことをしたつもりなんだろうが騙されたおまえも悪いな。言われたことを実行する前に一度は自分で調べろ」
そんなお小言と言いつつも引っ張られたのはショーツの紐。繊細なレースで作られたそれは、きつく結んでも解くのは驚くほど簡単で、自分で何度も結び直しては『こうでもないああでもない』と困った代物だった。パジャマの中で解けたそれは微妙な解放感を私に与え、ムズムズと全身を何かが巡った。
「明日、おまえの腰が立たなくなっても俺の責任じゃぁないからな」
「!?や、ヤダヤダ!!」
「誘った本人が言うセリフか」
「だって夢だったんだもん!ルシファーと結婚なんて、そんなの夢のまた夢だって思って!だから歩けないのは絶対嫌!でも、あの、さ、誘いを、断られるのも、やだ……」
「っふは……!わがままな花嫁だ!だが……そんなところも好きだよ」
「っ!!ず、るい……」
「そうだな、せっかくおまえの夢を現実にできるんだ。手加減はしようか」
「え……ルシファーって手加減とかできたの」
「……それとも本気でないと満足できないか?」
「!?め、めっそうもありません!!」
本気か冗談かわからないが、そんなことを言い合ってるうちに心が擽られ、私がくすくすと小さな笑いをこぼしたら、それが伝播したのかルシファーもくつくつと笑っていた。こういう時間がずっと続いてくれればいいのにと願わずにはいられない。
フッとルシファーの瞳が細まったのを合図に、私は腰を折って彼に顔を近づけて囁く。
「誰に誓うでもなく、ルシファーのことを大好きっていう気持ちだけを込めてキスを贈るよ」
「悪魔と人間だ。もとより誓う先なんてありはしないさ」
そっと触れ合った唇に永遠を願って。
明日はきっと、忘れられない一日になるに違いない。
ーーと、そんな悠長なことを思っていたのだが、まさかあんなことが起こってしまうなんて誰が予想できたって言うの。
次の日の朝、隣にいるはずのルシファーがいなくて。部屋の中を見回せば、ローテーブルの上にポツリと置かれていたのは一冊の古びた本だった。嫌な予感がしてベッドから抜け出る。そして私がみたもの。それは。
「ルシファー!?」
「む。」
「な、えっ……これ、もしかして、もしかしなくても、禁書!?」
「む。」
床からソファーになんとか這いあがろうとする、ぬいぐるみみたいに小さくなったルシファーだった。
夢でしかないと思っていたこと。
それが叶うなんて、思いもよらなかった。
人間と悪魔の間に主従契約以外の契約が成り立つなんて考えていなかったから。
私はどうあがいても数十年しか生きられない人間だし、彼は私を悪魔にしようとは微塵も思っていない。だからと言って、私が私の力でソロモンのように不老不死になろうとしても止めるだろう。人間は人間のままであるべきだと、言うだろう。
私たちの間にはたしかに愛はあるけれど、それとこれとはまた別次元の話なのだ。
だから、結婚式をするかと持ちかけられたときは心底驚いて声も発せなかった。
いつもと同じで、いつもと違う空気がここにある。
ルシファーの部屋、広いベッドの上。自分の手を天井に向けて、それを見つめる。指先は全て真っ赤なマニキュアで彩られているけれど、左手の薬指にはまだ何もはまっていない。手を下ろして、今度は隣でゆるく瞳を閉じていたルシファーの顔を覗けば、ふっと唇が緩んで薄く瞼が開いた。
「早く眠らないと明日に響くぞ」
「ん……わかってるんだけど、なんだか勿体無くて」
「だから言ったろう。最後の独身パーティーでもしてこいと」
「む、私がそんなことを勿体無いっていうと思ってるの?違うよ。パーティーなんかしたくないよ、ルシファーといたいって言ったのは私だよ?そうじゃなくて、」
言葉を止めて、その代わりにルシファーと距離を詰める私を、二本の腕でしっかりと抱いてくれる彼はとびきり優しい。
「ねぇ、いいでしょ……?」
甘い声でねだれば、きっと陥落してくれるはず。淡い期待を胸にバスローブから覗く魅惑の鎖骨に触れるだけの口付けを落とすと、それが想定外の動作だったのか、ルシファーの身体にピクリと力が入ったのがわかった。でもそんなことは一瞬の反応で、すぐに私を抱きしめたまま九十度回転したルシファー。彼の上に乗せられて彼を見下ろせば、少しだけ頬が赤く染まっている。それでも口調だけは強気なところがルシファーらしくて可愛い。
「なんだ、珍しいじゃないか」
「そうかな」
「おまえから誘われることはあまりない」
「だって独身最後の夜だから」
「明日からも何度でもできるのにか?」
「明日になったら新婚初夜だよ。それから先も今日とは違う」
「なるほど、心持ちが変わるのか」
そこまで言うと、ふむ、と少し思案顔を見せたので、ああこれはまずったかもと感じる。式の前日に欲情する女なんて嫌われて当然か。今日はこのまま引いて明日目一杯愛し合った方が幸せかもしれない。
「でも、ルシファーの言う通り、明日は形だけって言っても式があるし、今日は早く眠ーーっ!」
肌触りのいいパジャマの下、夜の空気に冷やされた指が十本。キャミソールを避けて肌を直接なぞった。腹の横をツツツと撫で上げ、一方で親指は器用に臍の下あたりをクッと押し上げる。
「ちょ、なに、」
「おいおい、今更止めるなんていう選択肢があるとでも?」
「っでも、ルシファー、乗り気じゃなさそうだし、ッひゃ!?」
「なんだ、元からそのつもりだったのか。こんな下着を身につけて」
「違うよっ!これは、ドレスに響かないからこういうタイプの方がいいって勧められて」
「誰にだ」
「え、」
「誰に勧められたんだ?」
「あ、アスモ……だけど」
「ほぅ?おまえは、俺との結婚式で着るものの相談をアスモにしたのか」
「な!?」
にっこりと笑ったが、その笑顔が怖い。この笑みを浮かべるルシファーは怒っているときだと瞬時に悟れるくらいには近くにいるのだ。おかしな方向に話が進んでいきそうになり、ストップストップを自分の顔を手で覆ってぶんぶんと首を横に振る。腰を掴まれていては逃げられないし、このくらいの抵抗しかできない。
「私から相談したんじゃなくて、その方がいいよって言われただけだよ、アドバイス!一生に一度の結婚式だよ!?一番綺麗にして臨みたいじゃない!なんだってするよそのためならぁ……」
『結婚式』と言う単語は口にすると案外恥ずかしくて、抵抗じゃなく本当に顔を隠したいだけになってしまった。初夜は良くて結婚式が恥ずかしいと言うのはいかがなものかというツッコミはこの際なしだ。ピュアなワードの方がズキュンとくるのが乙女心というものーーなのかもしれない。
「揶揄われてるぞ」
「へ?」
「アスモに、揶揄われている。ドレスインナーにはそんなものは推奨されていない」
「ええっ!?通りでこんな履きにくいと思った!」
「俺とおまえが前日か、はたまた当日かにこうなることを予想したのか……あいつは気の利いたことをしたつもりなんだろうが騙されたおまえも悪いな。言われたことを実行する前に一度は自分で調べろ」
そんなお小言と言いつつも引っ張られたのはショーツの紐。繊細なレースで作られたそれは、きつく結んでも解くのは驚くほど簡単で、自分で何度も結び直しては『こうでもないああでもない』と困った代物だった。パジャマの中で解けたそれは微妙な解放感を私に与え、ムズムズと全身を何かが巡った。
「明日、おまえの腰が立たなくなっても俺の責任じゃぁないからな」
「!?や、ヤダヤダ!!」
「誘った本人が言うセリフか」
「だって夢だったんだもん!ルシファーと結婚なんて、そんなの夢のまた夢だって思って!だから歩けないのは絶対嫌!でも、あの、さ、誘いを、断られるのも、やだ……」
「っふは……!わがままな花嫁だ!だが……そんなところも好きだよ」
「っ!!ず、るい……」
「そうだな、せっかくおまえの夢を現実にできるんだ。手加減はしようか」
「え……ルシファーって手加減とかできたの」
「……それとも本気でないと満足できないか?」
「!?め、めっそうもありません!!」
本気か冗談かわからないが、そんなことを言い合ってるうちに心が擽られ、私がくすくすと小さな笑いをこぼしたら、それが伝播したのかルシファーもくつくつと笑っていた。こういう時間がずっと続いてくれればいいのにと願わずにはいられない。
フッとルシファーの瞳が細まったのを合図に、私は腰を折って彼に顔を近づけて囁く。
「誰に誓うでもなく、ルシファーのことを大好きっていう気持ちだけを込めてキスを贈るよ」
「悪魔と人間だ。もとより誓う先なんてありはしないさ」
そっと触れ合った唇に永遠を願って。
明日はきっと、忘れられない一日になるに違いない。
ーーと、そんな悠長なことを思っていたのだが、まさかあんなことが起こってしまうなんて誰が予想できたって言うの。
次の日の朝、隣にいるはずのルシファーがいなくて。部屋の中を見回せば、ローテーブルの上にポツリと置かれていたのは一冊の古びた本だった。嫌な予感がしてベッドから抜け出る。そして私がみたもの。それは。
「ルシファー!?」
「む。」
「な、えっ……これ、もしかして、もしかしなくても、禁書!?」
「む。」
床からソファーになんとか這いあがろうとする、ぬいぐるみみたいに小さくなったルシファーだった。