■読み切りログ(ルシファー以外)
自信というものは、少し持てたところで水が手のひらから滴っていくようにポタポタとなくなってゆく。それをきちんと自覚し、それをもとに前を向いてしゃんと立ち続ける。そんなことは一般人にはできない難しいことだ。
「殿下」と言う肩書きは、きっと彼の核となる部分になりうる言葉で、だからこそ、彼はあんなにも慕われている。それに相応しい、素晴らしい人なのだ、ディアボロは。
そして私は今、そんな彼にぜひ受け止めてほしいことがあって一人で魔王城に訪れていた。
「ごめんね殿下。忙しいところ時間を作ってもらっちゃって」
「いいんだよ。君からの誘いなら大歓迎だ。さぁ、まずはお茶をいただこう。バルバトスが淹れてくれる紅茶は格別なんだよ」
「ありがとう、いただきます」
殿下の言う通り、出されたお茶は香り高く、その上ゴールデンリングまでできていて、さすがはあの執事が選んで淹れているものだなと感心する。
ただ、こうも完璧な悪魔がこれだけ揃っているとどうしても私の気分は落ち込みがちだ。生きる時間が全く異なるのだから仕方ないと言い聞かせても、見た目があれでは無理なこともある。
けれど今日は、それを払拭するためにここに来たのだからと、カップを置くと殿下を真正面から見つめた。
「今日は、殿下に聞いてほしいことがあって来たの」
「なんだい、改まって」
「見て」
私は徐に自分の手を持ち上げ、手の甲を上にしてスッと殿下に差し出して見せる。殿下は、恐らく反射だろう、まるで舞踏会で王子様がお姫様にやるように恭しく私の手を取るとまじまじと見つめた。そこまでされるようなことじゃなかったので、ちょっとだけ恥ずかしい。
「ここに来てから、みんなにならって爪を綺麗にするようになったんだけどね、」
「ああ、気づいていたよ。今日の色もよく似合ってるね。自分でやっているのかい?」
「まさか!いつもはアスモがやってくれてるの。やりたいって言ってくれるからお言葉に甘えてる。私よりも器用だし、綺麗にしてくれるから。でも今日は自分でがんばったよ」
「そうなのか。今日は一段と煌めいて見えるのはそのせいだね」
「お、お世辞でも嬉しい、ありがとうっ……」
「謙遜しなくてもいいじゃないか。これは私の本心だよ」
澄んだ瞳でそんなことを言われると、もうどうしたらいいやら。それでも「謙遜」というワードが出たので、今しかないと私は会話の流れを引き戻す。
「殿下、私ね、人間界にいたころは自分の容姿に気を遣うことってそれほどなかったんだ……って言っても、他人に迷惑かけたり気分を害さない程度には小綺麗にはしてたけど」
殿下はうんうんと頷きながら私の話に耳を傾ける。偉い地位にいる人が、イチ留学生の私の言葉を真摯に受け止めてくれているという事実だけで随分と緊張するものだ。
ひとつ深呼吸をして心を落ち着けてから、続く言葉を発する。
「だけど今は違うの。初めて爪先を綺麗にした時にね、それだけですごく自分に自信がもてたんだ。その他に変わったことはないし、意識の変化があってすごいことに取り組んでるとかそんな高尚なことはないんだけど……でも、なんだか生まれ変われた気がして」
返事はない。けれど優しい眼差しが私に纏わりついて、暖かい。多分これが、認められているって言うことなんだと思う。自分にとって大切な人が、自分のことを認めてくれている。それが私の心の支えになる。それがどれだけ素敵なことか、殿下に出会って初めて知った。
「いつでも自分の目に見えるところを整えるのって大事なんだね」
「そういうのは私にも経験がある。自覚を持つというのは自信に繋がるからね。不安な時は身の回りから整えるようにしているよ」
「……殿下でも不安なことがあるの?」
こんなに堂々としていてみんなを率いていく人が不安に思うことがあるなんて思ってもいなくて驚くと、殿下は快活にハハハと笑った。
「君は私のことをなんだと思っているんだい?当たり前さ。私もいつでも不安ばかりだよ」
「そうなの……?」
「ああ。現に今日だって、君からの突然のお誘いに気が気じゃなくて部屋を綺麗にしたり久しぶりにクッションカバーを変えたりしたさ」
「え?!そ、そんな、私なんか、」
「そんな、とか、なんか、とか。君はどうやら何かを勘違いしているようだけれど、私も兄弟も、もちろん他の留学生も、みな君に一目置いているんだよ。その評価を君が認めなくても、それは間違いなく君にむけられた正当なものだ」
「で、でも、それは、私がちょっと、人間で普通じゃないから、」
「こらこら。『でも』も今日から禁止だ。君はもっと自分に自信を持っていい。それから自分に優しくなるべきだ」
「え……?私は私のこと充分甘やかしてるし、それに甘やかされてるよ?」
「いや、私からみたらまだまだ甘やかしたりないよ。君にはもっともっと周りを……いや、私を頼ってほしい。なんでもいいから言ってほしい」
殿下は私に直接的な言葉で愛を囁いたりはしない。たった一度。たった一度、好きだと言われて、それから極稀に、嫉妬したって言われるだけ。だからこんな些細な一言から伝わる山ほどのことを、私は、一つ一つ大切に受け止める。
認めてもらえることが誇らしくて、大切にしてもらえてるんだなぁとわかるのが幸せで、それからやっぱり、立場の違いを思い知って悲しかったりもするんだけど、独占欲が垣間見える言葉をもらうだけで身体が火照るほどには嬉しくて仕方ない。
今日はちょっとだけ、素直になりたいって思わせてくれる殿下が、私は。
「あのね、殿下」
「なんだい?」
「私、殿下に言いたいことがもう一つあるんだけど」
「何でも言ってもらって構わないよ」
「私、ルシファーに殿下にモノ申すなって口酸っぱくして言われてるからあんまり口に出せないんだけどね」
こんなものは可愛い責任転嫁でしょ。長男が額に深く皺を刻むところが瞼に浮かんだけど、見ないふり。
豪奢なソファーから腰を上げて、一度瞼を閉じて、それからゆっくりと殿下に視線を合わせて言った。
「大好きだよ、ディアボロ」
「!」
「今日はありがとう!殿下に話を聞いてもらうことが、一番自信が持てるようになるかも!」
あなたの隣に堂々と立っていられるように、今日言われたこと、ちゃんと守って、ちょっとずつ成長するね。いつか立派なレディになれるといいな。
「じゃあまた、RADで!お邪魔しました!」
大好きなんて簡単には伝えられないし愛してるなんてもってのほかだけど、私はディアボロのこと、すっごくすっごく大切に思ってる。
ぽかんとしたままの殿下を残して、私は部屋を飛び出した。たまには私のことでいっぱいになってくれたらと、胸を躍らせながら。
残された殿下が頭を抱えてソファーにうずくまっていたなんて、私は知る由もない。
「殿下」と言う肩書きは、きっと彼の核となる部分になりうる言葉で、だからこそ、彼はあんなにも慕われている。それに相応しい、素晴らしい人なのだ、ディアボロは。
そして私は今、そんな彼にぜひ受け止めてほしいことがあって一人で魔王城に訪れていた。
「ごめんね殿下。忙しいところ時間を作ってもらっちゃって」
「いいんだよ。君からの誘いなら大歓迎だ。さぁ、まずはお茶をいただこう。バルバトスが淹れてくれる紅茶は格別なんだよ」
「ありがとう、いただきます」
殿下の言う通り、出されたお茶は香り高く、その上ゴールデンリングまでできていて、さすがはあの執事が選んで淹れているものだなと感心する。
ただ、こうも完璧な悪魔がこれだけ揃っているとどうしても私の気分は落ち込みがちだ。生きる時間が全く異なるのだから仕方ないと言い聞かせても、見た目があれでは無理なこともある。
けれど今日は、それを払拭するためにここに来たのだからと、カップを置くと殿下を真正面から見つめた。
「今日は、殿下に聞いてほしいことがあって来たの」
「なんだい、改まって」
「見て」
私は徐に自分の手を持ち上げ、手の甲を上にしてスッと殿下に差し出して見せる。殿下は、恐らく反射だろう、まるで舞踏会で王子様がお姫様にやるように恭しく私の手を取るとまじまじと見つめた。そこまでされるようなことじゃなかったので、ちょっとだけ恥ずかしい。
「ここに来てから、みんなにならって爪を綺麗にするようになったんだけどね、」
「ああ、気づいていたよ。今日の色もよく似合ってるね。自分でやっているのかい?」
「まさか!いつもはアスモがやってくれてるの。やりたいって言ってくれるからお言葉に甘えてる。私よりも器用だし、綺麗にしてくれるから。でも今日は自分でがんばったよ」
「そうなのか。今日は一段と煌めいて見えるのはそのせいだね」
「お、お世辞でも嬉しい、ありがとうっ……」
「謙遜しなくてもいいじゃないか。これは私の本心だよ」
澄んだ瞳でそんなことを言われると、もうどうしたらいいやら。それでも「謙遜」というワードが出たので、今しかないと私は会話の流れを引き戻す。
「殿下、私ね、人間界にいたころは自分の容姿に気を遣うことってそれほどなかったんだ……って言っても、他人に迷惑かけたり気分を害さない程度には小綺麗にはしてたけど」
殿下はうんうんと頷きながら私の話に耳を傾ける。偉い地位にいる人が、イチ留学生の私の言葉を真摯に受け止めてくれているという事実だけで随分と緊張するものだ。
ひとつ深呼吸をして心を落ち着けてから、続く言葉を発する。
「だけど今は違うの。初めて爪先を綺麗にした時にね、それだけですごく自分に自信がもてたんだ。その他に変わったことはないし、意識の変化があってすごいことに取り組んでるとかそんな高尚なことはないんだけど……でも、なんだか生まれ変われた気がして」
返事はない。けれど優しい眼差しが私に纏わりついて、暖かい。多分これが、認められているって言うことなんだと思う。自分にとって大切な人が、自分のことを認めてくれている。それが私の心の支えになる。それがどれだけ素敵なことか、殿下に出会って初めて知った。
「いつでも自分の目に見えるところを整えるのって大事なんだね」
「そういうのは私にも経験がある。自覚を持つというのは自信に繋がるからね。不安な時は身の回りから整えるようにしているよ」
「……殿下でも不安なことがあるの?」
こんなに堂々としていてみんなを率いていく人が不安に思うことがあるなんて思ってもいなくて驚くと、殿下は快活にハハハと笑った。
「君は私のことをなんだと思っているんだい?当たり前さ。私もいつでも不安ばかりだよ」
「そうなの……?」
「ああ。現に今日だって、君からの突然のお誘いに気が気じゃなくて部屋を綺麗にしたり久しぶりにクッションカバーを変えたりしたさ」
「え?!そ、そんな、私なんか、」
「そんな、とか、なんか、とか。君はどうやら何かを勘違いしているようだけれど、私も兄弟も、もちろん他の留学生も、みな君に一目置いているんだよ。その評価を君が認めなくても、それは間違いなく君にむけられた正当なものだ」
「で、でも、それは、私がちょっと、人間で普通じゃないから、」
「こらこら。『でも』も今日から禁止だ。君はもっと自分に自信を持っていい。それから自分に優しくなるべきだ」
「え……?私は私のこと充分甘やかしてるし、それに甘やかされてるよ?」
「いや、私からみたらまだまだ甘やかしたりないよ。君にはもっともっと周りを……いや、私を頼ってほしい。なんでもいいから言ってほしい」
殿下は私に直接的な言葉で愛を囁いたりはしない。たった一度。たった一度、好きだと言われて、それから極稀に、嫉妬したって言われるだけ。だからこんな些細な一言から伝わる山ほどのことを、私は、一つ一つ大切に受け止める。
認めてもらえることが誇らしくて、大切にしてもらえてるんだなぁとわかるのが幸せで、それからやっぱり、立場の違いを思い知って悲しかったりもするんだけど、独占欲が垣間見える言葉をもらうだけで身体が火照るほどには嬉しくて仕方ない。
今日はちょっとだけ、素直になりたいって思わせてくれる殿下が、私は。
「あのね、殿下」
「なんだい?」
「私、殿下に言いたいことがもう一つあるんだけど」
「何でも言ってもらって構わないよ」
「私、ルシファーに殿下にモノ申すなって口酸っぱくして言われてるからあんまり口に出せないんだけどね」
こんなものは可愛い責任転嫁でしょ。長男が額に深く皺を刻むところが瞼に浮かんだけど、見ないふり。
豪奢なソファーから腰を上げて、一度瞼を閉じて、それからゆっくりと殿下に視線を合わせて言った。
「大好きだよ、ディアボロ」
「!」
「今日はありがとう!殿下に話を聞いてもらうことが、一番自信が持てるようになるかも!」
あなたの隣に堂々と立っていられるように、今日言われたこと、ちゃんと守って、ちょっとずつ成長するね。いつか立派なレディになれるといいな。
「じゃあまた、RADで!お邪魔しました!」
大好きなんて簡単には伝えられないし愛してるなんてもってのほかだけど、私はディアボロのこと、すっごくすっごく大切に思ってる。
ぽかんとしたままの殿下を残して、私は部屋を飛び出した。たまには私のことでいっぱいになってくれたらと、胸を躍らせながら。
残された殿下が頭を抱えてソファーにうずくまっていたなんて、私は知る由もない。