■読み切りログ(ルシファー以外)

「さむーいっ!」
珍しく不満を溢した彼女の頬は真っ赤で、だけれどどうしてか楽しそうに笑っているので、そのチグハグな状況につられて自分の表情が崩れたのがわかった。
俺たちよりも随分か弱い人間は、一方でどこからこんなにエネルギーが出てくるのかと思うほど力を振り絞ったりするから不思議な生き物だと思う。

今日は魔界一星が降る日なんだって!、と、どこで耳にしたのか、そんなことを言いながら息巻いてライブラリーに飛び込んできた彼女の嬉しそうな顔といったらなかった。流星よりも君の顔の方が輝いているんじゃないか?なんて言ったら笑われてしまうかもしれないが、本当にそう思うくらいにはその瞳はキラキラしている。
「ねぇねぇサタン」
「わかった。じゃあ暖かくしたら、玄関に。くれぐれも誰にも見つかるなよ」
「わかった!」
彼女くらいの年齢になれば星を見るくらい飽きるほどしてきただろうに、そんなに喜ばれると意地悪なことを聴きたくなるな。そう、例えば、ただ満天の星を見られるのが嬉しいのか、はたまた俺と星を見るのが嬉しいのか…なんて子供じみたことなんかを。

それからきっかり二時間後。
暖かくしてこいと言った甲斐あって着込んできてくれたのはいいが、なぜか手袋をしてこなかった彼女は、小さな手を俺に差し出してこう言った。
「手は、サタンが温めて」
「素直じゃないか」
「誰も見てないから、こういう時くらいはね」
せっかくの申し出を無碍になんてするわけがない。ぎゅっと手を繋いで、それから足に魔力を集中。ふわりと足の裏に空気が揺らいだら、屋根の上なんてあっという間だ。一人のときはどうってことないけれど、彼女がいるときは着地に特別気を遣う。ゆっくりと降り立って、大袈裟にお辞儀を一つ。
「嘆きの館のてっぺんへようこそ」
「うわぁ!空が近い!」
「猫でもここまでは登ってこないさ」
「え?サタン、よくここにくるの?」
「たまに、ね。物思いに耽りたいときはちょうどいい」
「そうなんだ。…そういうときは誘ってよ」
ぷく、と片方の頬を膨らませて眉を寄せる彼女は、自分がどれほど魅力的かわかっていないようだ。だから俺はその少し突き出された唇にチュッとリップノイズをお見舞いした。
未だキスに慣れないのか、その一瞬で恥じらって、暗がりでも見て取れるほどに彼女は真っ赤になった。全く。純情なんだか大胆なんだか。君は俺を翻弄するのが上手いんだ。
「君がいたら、空より君に夢中になってしまうからダメだ」
「む、むぅ…それなら、まぁ、ぅん…仕方ない、かな、」
手を繋いだまま、すとんと二人、屋根に腰を下ろし、空を指差しては星の名前を言い合い、魔界と人間界の同じところと違うところを一つ一つなぞっていく。知らない事も知っている事も、一つ一つ、二人で確かめ合う。なんて贅沢な時間なんだと、終わりが来なければいいのにと、そんなふうに願わずにはいられず、悪魔がなにをと苦笑した。
暫くそんなことをしているとぽつりと彼女が呟く。
「あのさ、」
「ん?」
「空は繋がってるって、よく言うじゃない?」
「ああ、小説では定番の台詞だな」
「あれね、私はよくわかんないんだ」
「え?」
煌めく星を寒さに潤む瞳に映しながら、随分と現実的なことを言う。その真意を問うように視線を向けると、たいしたことじゃないよ、と彼女は笑った。
「だって、魔界の空は青くならないし、人間界の空にはこんなに大きな月と星は共存できない。空気の質も違うし、暗がりの濃密さだって違うよ」
「なるほど。もっともな意見だな」
「でしょ?遠く離れた大切な人と同じものを見たいって思う気持ちは、わかるんだけどね」
ふっと寂し気な、手に入れられない何かに焦がれるような、そんな表情を見せられて、少し前に嘲笑した自分の想いが顔を擡げる。
触れられる距離にいるのに一人一人センチメンタルに浸るなんておかしいと、勢い、彼女を二本の腕で抱きしめた俺はその耳に囁いた。
「寒い時は、人肌で温めるといういのが人間界の常識、だろ?」
「っ!」
「遠くじゃなく、近くにいれば、見てるものだって同じだと思わないか?」
「っ、そ、それはそうだけど…これじゃあサタンが見てるものが私には見えないよ…」
「君は俺の瞳に映ったものを見ればいい」
「なっ…!?サタンの目を見るなんて恥ずかしいからだめっ!」
「じゃあ俺が君の目に映るものを見ようか?」
「っもぅ!!それじゃあ結局お互い自分の顔を見…っ」
「よくわかってるじゃないか」
まんまるに開いた双眸には今度は俺だけが映っていたようで満足だ。
「見ているものは同じでも、感じることが違うこともあるにはあるかもしれないが…俺たちの場合、見ているものが違っても、同じことを考えている可能性はあるかな」
反論は聞かないとばかりに唇を奪った。

寒空の下、感じるのは君の体温だけ。
それだけで充分だから。
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