◆Dead Drop

【愛染めワルツ】

 星々が煌めく夜空はどこから見上げても美しいものだ。
 ここは豪華客船テセウスのデッキ。この船上では今日も今日とて耳に優しい極上のクラシックが奏でられていた。
 本日、このテセウスに乗り込んだ乗客の数、百余名。
 今回のミッションはとある乗客宛に届いたと窃盗予告を未遂に終わらせることにある。その乗客は先日デビルズに依頼を投げてきた宝石商であった。もちろん依頼は滞りなく完遂された。そのため礼として指定の金額を貰い受けるはずだったのだが、彼はデビルズから逃げようと画策。そんなことが成功するはずもなく捕えられて言うには「キャッシュでは払えない額だったから」だ。ほとほと呆れたが無い袖は振れない。仕方なしに宝石現物でもいいから寄越せと伝えると、それならば「契約のアーク」を引き渡すと言っていたのだが、彼は未だそれをデビルズに渡してはいなかった。向こうから「これは宝石商が持っていても意味がないものだが、テンプル騎士団のお宝の一つであるからして、かなり価値があるものだから」と申し出てきたにも関わらず。恐らく後々に勿体無いという気持ちになったのだろうが、そんなことが許されるはずはない。仕方ない、これ以上引き伸ばしても状況は変わらないだろうと強行突破で貰い受けようとした矢先。まさかのそのテンプル騎士団のお宝をいただくとの予告状が届いてしまい、引き続きそれを守ることを条件に飲まされたのであった。
「はぁーぁ。ばかみたい。ボスもなんであんなやつの要求飲んじゃうかなぁ」
「デビルズはこれでいて一般市民には存外甘い組織ですから」
「あら、カイは容赦ないじゃない?」
「わたくしは……そうですね。創設メンバーではありませんから」
 クスリと微笑むカイロプタラに、アプリーリスは「それもそうね」と笑い返した。それから改めて辺りを見回して、ほぅ、と息を吐き出す。
「豪華客船に乗る機会が私にも巡ってくるなんてねぇ」
「エージェントといえど、こんなところに潜り込むことは稀ですから。わたくしも執事としてでなくエージェントとして来るのは初めてです」
「絵空事のエージェントイメージよりも、本物はかなり地味だものね〜って言いつつ、今日はドレスコードなわけだけど!」
 ピラっとイブニングドレスの裾を持ち上げて見せるアプリーリス。本日はメインダイニングでのディナータイムが豪華な仕様となるフォーマルディのため、このような服を纏っているのである。
「にしてもあのジジィ、自分が狙われてるってわかってるのかしら!部屋でちゃんとお宝見張って静かにしてろっての!てかそれをそのまま私たちに守らせなさいよね!」
「ですがそのおかげであなたのドレス姿をこの目に焼き付けられたと思えば、役得かもしれません」
「へ、」
「お似合いですよ、とても」
「や……やぁだぁ!カイったら〜!煽てても何も出ないわよ!?」
「本心ですから」
 言うが早いか、アプリーリスの腰を取ってエスコートするカイロプタラは慣れたものだ。こちらは燕尾服に身を包んでおり、それはそれはよく似合う。にこりと微笑むと「それではこちらへ」と歩を進めた。褒め言葉を素直に受け取りたい気持ちと、馬子にも衣装ってやつなだけよとの気持ちが複雑に心に押し寄せるため、不思議な表情のアプリーリスは「んもぅ……」と頬を染めるにとどまった。
 さて、このテセウスについて少し説明しておこう。豪華客船という名に相応しく部屋は一等客室のみ。それが三階層存在している。そしてその上のランクのスィートが一室、まるっとワンフロアを使って存在する。船の広さの割に客室が少ないのは、長期の船旅でも飽きることがないよう、カジノやミュージックルーム、ライブラリやプール、フィットネスルームまで様々な施設も取り揃えられているからと説明があった。
 立ち寄るクルーズターミナルは世界一を誇り、時間をかけて全ての国をぐるりと一周する者も珍しくはない。これは、暇と金を持て余す裕福な人間の優雅なお遊びでしかないのだ。
 とまぁそんなことだから、おほほごきげんよう、と一般的にはあまり口にされないような品の良い言葉が飛び交うわけで、必然、背筋がシャンとするなとアプリーリスがそれ用の仮面を顔に貼り付けたそのときであった。
「ひゃぁ!?」
「お嬢ちゃんに似合ってるねぇ、このふわふわの小さな尻尾は」
「ひ、ふぇ、ぇぇん……そ、うですかぁ……ありがとう、ございますぅぅふふ……ふぇ……」
「……うぇ……。裕福な人も性的なことには飢えてるのね……バニーガールのお尻触って何が楽っねぇあれって!?」
「はぁ……あなたも気がつかれましたか……」
「なんでぇ!?えっ!?今日来るって言ってたっけ!?っていうかヴィーナスちゃんがいるってことはまさか」
 アプリーリスがキョロ、と瞳を泳がせる間もなく、バニーガール ——— もといヴィーナスの尻を撫でていた男の手を捻りあげる黒い皮手袋が目に止まる。
「紳士とは女性が嫌がることをするような生き物だったか?」
「なんだお前は」
「俺が誰か。そんなことはお前には関係は無いことだ。それよりもこの手の方が問題だろう」
「あ、あの、お客様!?私は大丈夫ですから!喧嘩はやめて、ね、あちらに行かれませんか?そちらのお飲み物は、はい、別のものが運んでまいりますので、少々お待ちいただけますか。申し訳ありません、失礼します」
 ヴィーナスは失礼な客にも丁寧にお辞儀をしてから後ろから来た男 —— それは言わずもがなモーニングスターだったわけだが、彼の手を引いてそさくさと廊下へと出て行った。どうやらアプリーリスとカイロプタラには気がついていないようだ。
「あちゃー……ほんと……ボスって……」
「お約束とでも言いましょうか……しかし、わたくし、あの二人がこのミッションに関わっているとは伺っておりませんが」
「それよ!私も聞いてないの!何か変更があったなら教えて欲しいもんよね。あとで問い詰めとかないとっ」
 そんな雑談の合間に、はた、と周りを見回してチッと舌打ちをしたアプリーリスは、カイ、と耳打ちする。
「依頼人がいないわ」
「ああ、大丈夫です。先程あちらの扉から出ていくのを見ましたので」
「……!さっすが!よかった。ごめんなさい、少し気が緩んだみたい」
「ふふ、そういうときのためのバディですからお気になさらず。あちら側の扉は出たところにお手洗いがあるので、恐らくはそういうことかと」
「ん。そこまで見にいくのも野暮よね」
「後からどなたかがついて行く素振りがあればもちろんわたくしが向かいますが、今のところは大丈夫でしょう」
「そうね。というか犯人もねぇ予告状まで出すなら時間も指定すればいいのに」
「怪盗のように、ですか」
「そうそう」
「それですと捕まえてくれ、と言わんばかりですからね。あれは空想の世界だから成り立つものでしょう」
「ま、私たちみたいな特殊な職業が言えた話じゃ無いけど」
 くすくすと笑いあって、それから突っ立っているだけでは逆に目立つからということで、飲み物をもらおうとした刹那。音楽が途切れ、明るかった船内からフッと光が消える。かと思えば、ダララララララッとよくあるドラムの音が鳴り響いた。
「!、なに!?」
「もしや、パンフレットにあった」
「あっ!例のいつあるかわからないっていうサプライズイベント!?」
「だと思われます。まさかこんな唐突に……まずいですね」
 突然暗くなると、どれだけ訓練した者でも一時的に視界が悪くなるのは仕方ないことで、アプリーリスもカイロプタラも依頼人の姿を追うことができない。1秒、2秒、3秒と何もできない時間が過ぎるも、先に視界が開けてきたカイロプタラが依頼人の方へ向かうが、結果は芳しくなかったようだ。後ろから来たアプリーリスに対して緩く首を振る。
「探しましょう」
 タンッ!と軽い音がしたあと「レディースアンドジェントルマン!」とお決まりの文句とともに煌びやかな衣装のウェイターが給仕を開始する。流れてきたアナウンスによれば本日はクラブナイトとなるらしく、ジャズのような音楽に合わせて踊ったりする人も出始めた。
「まだそれほど遠くには行っていないはずです」
「ったくあのオッサン!どれだけ迷惑なのよ!?自分が狙われてるってわかってるのかしら!?」
「ほんとうに」
 訝しまれない程度の速さでを保ちながら客室へと繋がる扉と甲板へ出る方への扉と二手に分かれた。そして、アプリーリスはぶつかったのである。モーニングスターに。
「っ、あっ、すみません急いでい……ってボス!?」
「リスか。どうしたんだ」
「どうした、じゃないわよ!こんなとこ突っ立ってな……」
 急いでいることも忘れ、小言が口をついて出たものの、モーニングスターの向こう側に白い耳が見えて、アプリーリスがげなーんとした顔に早変わりしたのは仕方のないことだ。
「ボス!?あんたまぁたイイコトでもしてたのっ!?いい加減にしなさいよ!」
「イイコト?」
「あーもー!今はそんなことしてる場合じゃないからっ、ってえ、ええ!?」
 しかし、片眉を上げながらモーニングスターの横から覗き込んだところでついに声を荒げたのは、そこに自分の探していた依頼人がいたからであった。
「いたーっ!」
「ああ、やはりこの男、」
「もー!何よ!見つけたなら気を利かせて連絡の一つでもしてよね!?じゃ、ここは引き受けるから」
「いや待ってくれ」
「ん?」
「容疑者を引き渡すわけにはいかない」
「は?容疑者?」
「ち、ちがうんだ、助けてくれ」
「はぇぇ??」
「だから助けろ!依頼者だぞ俺は!」
「はぁああ???」
「俺から話そう」
 参ったという様子のモーニングスターが切り出すにはこう言うことだ。
 自分たちはカイリスコンビが出発したすぐあとに新しい依頼を受けていた。それは殺人予告を受けた者からの依頼だ。その者が言うに、普段生活している間は自分の家のセキュリティ設備やボディガードがいるので問題はないが、この船上は危険と判断。自分を守ってくれという話である。
 しかしだ。この手の話が『デビルズにまで回ってきてしまった』のが気にかかったモーニングスターはそれを拒否したのだという。
「じゃあなんでいるのよ」
「いや、話を耳にしてしまった手前、行く末は見守りたいと思ってな」
「……はぁ~ん?ほぉーん?なるほどね。わかっちゃった」
「何がだ?」
「いいえ~こっちの話でぇ~す」
 アプリーリスは、あーいやだいやだと顔の前で煙たそうに掌を振る。彼女がわかったというのは「そういう理由を付けて船の旅を二人きりで楽しみたかっただけ」なんでしょ、というモーニングスターの内なる思惑だった。そしてそれは外れてはいないわけだが、ほかの誰が気づくものでもないが故、まぁ、今こういうことにしておこう。
「で?だから、それで何っていうのよ」
「この男は、殺人犯だ。俺たちの依頼人を殺した」
「はぁ!?」
「違うって言ってるだろう!名誉毀損で訴えるぞ!」
「はぁ……ずっとこの調子なんだ。どうにもならない。お前の方の依頼者なら説得してくれ」
「ほわっつ?何言ってるか意味わかんない。けどとりあえずカイにも連絡させ」
「春居、こちらにいらっしゃいましたか。実は船内で緊急事態が、おや」
「全員揃っちゃいましたね」
「あなたはまだバニーガールなのですか」
「……そこは触れなくていいです……」
 カイロプタラの指摘に、ヴィーナスはゔぅ、と恥ずかしがる。が、指摘した側は冷静だ。
「そうですね。今はそんなことを話している場合ではございません。皆様、こちらへ。依頼者様もどうぞご一緒くださいませ」
 隙をついて逃げようとする依頼人に釘を刺し、カイロプタラは四人を連れて来た道を戻る。その先には人だかりができていた。
「これは……もう野次馬がきているのか」
「おや、モーニングスターはこの緊急事態について知っているのですか」
「実は先程捕まえた男がここから走り出てきてな」
「ねぇ、緊急事態って一体、」
 アプリーリスの問いに対し、周りに視線をサッと走らせてから、カイロプタラは声のトーンを少し落として告げた。
「殺人です」
「さっ!?」
「今ならまだ現場を見ることができるでしょう。私が説明するよりも、各々の目で確認するほうが得られる情報は多いはずです」
 どうぞ、となんの注意もなく殺人現場へと通すあたり、彼も、そして彼らも、エージェントの端くれだということか。依頼人のみをカイロプタラのもとに残し、三人はその部屋を覗いた。船の中ということで警察も検死官もおらず、現場保存に戸惑っているようだ。いかにもな風貌を醸し出すモーニングスターに皆がほっとした表情をしたが、アプリーリスなどは「見かけで騙されやすいわね〜」と思う。
 確かにその部屋には一人の男が倒れてはいたが血みどろの凄惨な現場ではなかったことに少しだけ安堵し、三人はザッと室内を見回す。見たところこの船室に窓は無いようだ。入り口は今入ってきた一つだけ。
「これ、もしかして密室殺人てこと?」
 そんなアプリーリスの独り言にいち早く反応したのはヴィーナスだった。
「いえ。部屋は密室のようにも見えますが、船のルームキーはカード型です。こんなの1枚、私たちがここにくるまでの間に落としておくなんて誰にでもできると思います。そもそも落ちている場所も入り口の近くですし」
「なるほどね。ただ扉に鍵がかかっていた、っぽい。それだけで密室というのは時期尚早ってことかぁ」
「そういう見方もあるかなってことですね……あっ!すみません!でしゃばって……」
「なに言ってんのよ。そういう穴を見つけるためにみんなで見に来てるんだからいいのよぉ」
 ポンッと背を叩くアプリーリスに、ぽかんとした顔をしたヴィーナスはもう一度、すみません、と言ったものの、嬉しそうだった。
「凶器は」
「目立った外傷はないみたいだけど……あら、絞殺かしらね、これ」
 アプリーリスの言葉に被害者の首のあたりを覗き込んだモーニングスターは「ああ」と納得した。
「そうみたいだな。薄く跡がついている」
「うーん、でも糸みたいなものは見当たらないわね」
「入口を背に倒れているということは、背中を向けた瞬間にやられたと言うことか」
「それじゃああの人とこの人は顔見知り、ってことでしょうか」
 そう言いながら「ん?」といった表情をヴィーナスが見せたのをモーニングスターは見逃さなかった。
「なんだ、変な顔をして」
「変な顔って失礼な……うーん、あの、この部屋なんか変なにおいがしません?」
「におい?そう?私はあんまり……」
「俺も感じないな」
「どこかで嗅いだことある香りなんだけど……思い出せなくて」
「おねえさんもそう思う?」
「うん。なんていえばいいんだろ……って、え?」
「珍しいね、そんなこと気にする人がこんな豪華客船に乗ってるなんて。おねえさん、なにもの?」
 突然入り込んできた声にキョロ、と視線を泳がせた三人。皆の視線が集まったそこにいたのはヴィーナスの腰くらいまでしか身長のない、年端もいかないメガネの少年だった。妙に大人びたしゃべり方とその容貌のちぐはぐさに、脳処理がついていかない。
「えっ、と?」
「そっちのおにいさんもお客さんって感じじゃないよね。二人はもとからの知り合い?客船の専属バニーガールと知り合いなんて、ちょっと普通じゃないもんね」
「……おまえこそ何者だ」
「僕?僕の名前はね----っわぁ!?」
「おい!眼鏡の坊主!おまえは現場に入るなっていつも言ってるだろーがっ!すみませんねぇ、こいつ、こういうことに首を突っ込むのが趣味なもんで。失礼しました」
「……いや、問題ない」
「ほら、あっちに行ってろ!しっしっ。それとあんたたちも出ていってもらえるか?一般人は立ち入り禁止だ」
「ちぇー……」
 保護者、なのだろうか。チョビヒゲのおじさんがメガネの子供をひょいと掴んでドアの外へ放り出す。それに続いてヴィーナスとモーニングスター、アプリーリスもその場を離れた。
「わたしは元刑事で現探偵です。こういったことには慣れておりますのでこれからは警察がくるまでわたしの意見にしたがってもらうことになります!ご了承ください。今からこの現場は立ち入り禁止です!皆さんには後ほど事情聴取させてもらうので、部屋にいてもらいますのでそのつもりで!」
「……厄介だな」
「ほんと。動きにくいわね」
 警察紛いの人物がいたことに頭を抱えつつもとりあえずは指示に従う方が賢明だろうと意見が合致し、一旦はカイロプタラのところへと戻ることにする。カイロプタラに報告しようとしたところ、彼は誰かに話を聞いているようだったので、そのままその後ろに近づいて盗み聞きを始めた。
「よかったです。関係者の方に会えて。あの中に入るのは少し勇気がね、はは……」
「ええ、こちらとしてもそのような方からお話しをお伺いするためにここで待機しておりますので」
 いけしゃあしゃあと嘘を吐いているが、たしかにカイロプタラ----バルバトスは元執事だけあり、少し表情を柔らかくするだけでそのように見えるからその利点を生かさない手はないのだ。
「それで、気になる点とは」
「そうでした!あの、実は本当につい先程、あの部屋からお電話をいただきまして」
「ほう、彼はなんと?」
「うば、と」
「うば?」
「はい。開口一番そう言ったのち、タスケテ、と。そのままなんの音もしなくなったので駆けつけたのですが、もうこの有様で」
「そうだったのですね。それにしても……うば、ですか……乳母車の乳母でしょうか」
「いえ、それ以上のことは私どもにはわかりかねます。ただ、確かに『うば』と、そうおっしゃいました」
「なるほど。有用な情報を共有いただきましてありがとうございます。上にはわたくしから伝えておきますので」
「はい!何かあればなんでも聞いてください!それではわたしは仕事に戻りますので、失礼します!」
 完全にカイロプタラを信じきっている乗組員は、一礼すると持ち場に戻って行った。と同時、アプリーリスが割って入る。
「ダイイングメッセージ?」
「ええ。だれかにそのままの答えをとられたくなかった可能性もあります。聞いたままの意味で取るのはよくない気もしますね」
「確かにね。でも私はわからないわよ~?こういうのは得意じゃないもの。専門外なのよ」
「専門……」
 その言葉とともに見つめられたのはヴィーナスに違いない。
「なるほど。暗号解読はヴィーナスの十八番だからな」
 なぜかヴィーナスの隣に立っているモーニングスターが満足そうに頷くのを軽くいなしてカイロプタラが続けた。
「現場の写真は撮影できましたか?」
「いや、あいにく、有識者がいて追い出された」
「でも見ることは見たから大丈夫よ!ね!ヴィーナスちゃん!」
「あ、あはは……ですね……わかりました、ダイイングメッセージのほうは考えてみます」
「もとより情報不足は承知なので期待はしていません。わかったことがあれば、程度です」
「気負わなくていい」
「いえ!できることは少ないので任されたことは頑張ります!」
 モーニングスターがふわりと撫でたヴィーナスの頭には未だバニーガールの耳がついており、なんだかしまらないなとアプリーリスとカイロプタラ両名が心配になったのは秘密だ。
 
 さて。手をこまねいて待つばかりではならないとはいえども、乗客、乗務員に紛れて乗り込んでいるデビルズ四人が事情聴取を逃れられるはずもない。とりあえずは当たり障りのないことしかしていないわけだから、ありのままの話をしようということでまとまったので、各々部屋へと戻る。少ししてノックされたのはカイリスコンビの部屋だった。
「次はこの部屋の方を連れて来て欲しいと言われまして」
 開けてみれば、現場を仕切っていた元刑事ではなく、一人の乗務員がそこにいた。どうやら一人一人の部屋を回るのではなく呼び出す方式らしい。こういう機会でもないと各々の部屋を確認することなどできないと思うが、それよりもラクを選んだのか、となんだかな気分になりながら、アプリーリスとカイロプタラは取り調べ室になっている貸し会議室へと赴いた。
「このようなことになってしまい、もうしわけございません。ご夫婦様のせっかくの水入らずのご旅行ですのに」
「いえ、あなたの責任ではございませんから」
「そうよ、謝らないでください。私はバルバトスさんがいればそれで幸せだもの」
 夫婦になりきった二人がそんなことを言えば、「ありがとうございます。お二人はとてもお似合いですね。末永くお幸せに」なんて言われてしまう。カイロプタラはなんだかいつもよりもご機嫌で「妻に出会えたことがわたくしの最大の幸運ですから」と返すので、アプリーリスは頬を染めて口をぱくぱくさせた。
 そんなやりとりをしていれば、すぐに取り調べ室へと着いたのだが、途端、中から響き渡る怒号が聞こえ、びくりと驚く。
「お前らこぞって人のことを頭ごなしに犯人だと!恥を知れ!」
 取り調べをするチョビヒゲの方の声は、さすがというか冷静なようであまり漏れてこない。くぐもった声が聞こえるのみだった。
「すみません。もう少し時間をおいて迎えにゆくべきでした……」
「いえ、そんな。予想できることじゃないですから」
 そう言いつつも、情報を手に入れるチャンスと二人は耳をデカくして声を拾う。
「被害者と面識があ………でし……して黙っている……か」
「忘れていたと言ってる!随分昔のことなんだぞ!」
「しかしこの船内で……こそこそ……しているのを見ている人もいてですなぁ」
「バカなことを言うな!船内の人間と一度も話さない奴のほうが怪しいだろうが!」
 こんな言い方をしていてはもはや怪しさしかないわけで、自分からお縄につこうとしているのかと耳を疑うほどである。いい加減にしろ!と言い放った後、ばん!と大きな音を立てて扉を開けたと思えばドスドスと出て来たその男の後を追って、今し方二人を案内してきた乗務員が走って行った。
「はぁ……あの122のオッサンはラチがあかん……っと、あんたたちは……ああ、次の部屋の夫婦か。すまんが親しい間柄の大人は別々に調書しないといけない。まずは、奥さんの話を聞かせてもらおうか」
「わかりました。では失礼します」
「旦那さんの方、外で待っていてもらっても?」
「もちろんです」
 どうやら夫婦設定は完全に信じられている様子。一応いろいろと言い訳も準備をしてきたのだが少し肩の荷が降りたと、部屋の外に置かれた椅子に腰を下ろしたカイロプタラは、目を閉じて中の会話に集中しようとしたのだが。
「おにーさん」
「……このようなところにいては怒られてしまうのでは?」
 片方だけ瞼をあげて声の主を見て、それからまた目を瞑ったカイロプタラに食い下がるのは現場周りをうろちょろしていた子どもである。
「おじさんは中にいるし、問題ないよ」
「そうですか。いらぬ世話を焼きましたね。それで?まだなにか?」
「ぼく、おにいさんに聞きたいことがあるんだ」
「なぜでしょう。わたくしは見知らぬ子どもに話せる小噺は持ち合わせておりませんが」
「やだなぁ。僕そんな子どもじゃないったら」
「それは失礼いたしました」
「でさ、おにいさん、どうしてあのおねーさんと夫婦ごっこしてるの?」
「……」
「無言は肯定って捉えるけど、いいよね」
 こんな子どもが刺客とは世界は広いものです。そんなことを考えながらも、この先何が起こるのかワクワクしてしまうのはエージェントのサガかも知れない。
「わたくしに、何を要求するおつもりでしょうか」
「僕そんなに怖いことしないよ」
 それでもメガネの奥の大きな瞳は好奇心を隠そうとはしない。
「まずはネタバラシだけど。おにーさんとおねーさんが夫婦じゃないんじゃないかなって思ったのはカマかけも入ってたんだけどね。夫婦にしてはよそよそしいし、指輪もしてないし。こんな豪華客船に乗ってくる新婚さんなのに、なんだかな、って思ったくらい」
「なるほど」
「で、聞きたいことは一つだけだよ。おにいさん、今出てった人と知り合いだよね」
「守秘義務がありますので、細かいことは申し上げられませんよ」
「これも正解ってことで」
 話せば話すほど誘導されている気になるなと、駆け引きに心が躍るカイロプタラだが、こちらとてなにか一つでも情報がほしいという気持ちで続けている会話である。ギリギリのラインを探るのは刺激的だとうっすら笑う。
「依頼内容は?」
「申し上げられません」
「ふぅん。じゃああのおじさんと殺された人の関係は知ってる?」
「それなりに面識のある商人だった、とだけ」
「商人?あの人も食品を扱ってるの?」
「……いいえ、彼が扱っていたのは宝石です。すると被害者は輸入業者ということですか」
 カイロプタラからも誘導尋問。効果はあったようで、少しだけ、しまった、といった気持ちが表情に出たが、少年はすぐに取り繕って話を続けた。
「そうみたい。飲み物や食べ物とかって聞いたけど。それで、」
「あら、またきたの、メガネのぼうや」
「へ!?」
「あ!?おまえはまぁたちょこまかと!!」
「ワァアア!?おじさん!ちがうんだ、これは」
「あー、すみませんね、ホント。好奇心旺盛なもんで」
「いえいえ。ヤンチャな盛りでしょう。このようなことになっては退屈ですから。仕方ありませんよ」
 ちょうど重要な局面でアプリーリスの取り調べが終わったらしく、部屋の中から怒涛の勢いでチョビヒゲが出て来たのには内心で笑ったものだが、カイロプタラの表情は崩れない。ひらひらと手を振りにこやかに笑って見せれば、チョビヒゲに抱えられた彼は悔しそうな顔をして連れて行かれてしまった。
 そんな些細な事件もありつつ、滞りなく終わった事情聴取。その中で分かったことは、カイリスコンビが報酬として貰い受ける予定だったものは被害者の部屋にあったということだけだった。
「ふぅ〜ん。騎士団のお宝ってホントに存在してたのねぇ」
「テンプル騎士団の契約のアーク。本物かどうかは分かりませんが」
「なんていえばいいのかしらねぇ。そんな絵空ごとみたいなお宝。それでいいってGO出すボスもボスだけど」
「ルシファーも、特に期待はしていなかったのでしょう。先払いである程度は受け取っているわけですし。ただ、成功報酬ももらうという契約上、ないならそれでいいとも言えないわけです。見せしめではありませんが態度として見せておかなければならないというだけかと」
「ま、デビルズも手広いものね」
 壁にかかっている世界地図をぼーっと眺めながらなんとなしの情報交換。今はどこにいるのだろう、この先はどこにあるのだろう、なんて冒険者のような気分になるのは、ここが船上だからなのかもしれない。
「ときに春居」
「ん?」
「わたくしたち、本日はもう外に出る予定はございませんね」
「うん??そう、ねぇ」
 豪華、と名がついていても実際のところ船の客室などそうそう広いものではない。ベッドに寝転がっていた春居の上にバルバトスが覆い被さる形で乗り上げてきて、視界は全て奪われてしまった。それだけで春居の心は苦しいくらいにキュンとしまる。
「!?」
「夫婦設定なのだから、やることはやっておきませんと」
「は、はぁ!?こ、こんな、誰もいないんだからそこまでしなくてもいっ、ん!?」
「やはり普段から生活の一部に『夫婦』を取り込んでおかなければ、いざというときに見破られる確率が上がるというもの」
 どうやらバルバトスは「たかが一人の子ども」に指摘されたことが気に障っている様子だ。
「はっぁ、ちょ、なんで怒ってっン、ゥ!」
「んっ、わたくしたちの場合、お互いの感情的には問題ない行為ですから、ふ、ハッ、実践も兼ねておきましょうッ」
 事件が起こってから約四時間が経過したころ、やっとのことで二人は船上の夜を堪能することに成功したのだった。
 さて、一方ヴィーナスは任された謎をどうにかして解きたいとあれこれ考えながら、バニーガールから一転、今度は乗務員に扮し、彼らしか入れない場所をチェックして回るなどと船内を奔走していた。
「うーん、あんまり芳しくないなぁ。あとはこの船の資料室くらいかぁ」
 キッと軽い音を立てて資料室の扉が開く。あまり人が入らないようで多少埃っぽいが、部屋自体は至って普通だ。船の断面図の設計書、設計途中で撮られた写真の数々、乗組員一同の集合写真に、初出航の様子を収めた画、各施設がどこにあるのかの地図などが壁に張られ、真ん中には海図や羅針盤、船で売っている土産物とその産地の紹介などがケースに入れられて飾ってある。所狭しと並ぶそれらの品々はミッションを忘れて見入ってしまうほど興味深い。
 設計図を見る限り、どうやら甲板の下は全て貯蔵庫となっているようだ。縁起でもないが、何かの拍子に漂流したとしても三ヶ月程度であれば乗客全員の胃袋を満足させるだけの蓄えがあると記載がある。
「ワインにジュースに茶葉まで。いろんな意味で豪華客船で間違いないわけか。……もともと貿易船を兼ねるつもりで作られてるからこんなに部屋数が少ないのかな……ん?あれ?」
 順番に展示物を見ていたヴィーナスに違和感を与えたのは、船の部屋番号についてであった。
「110、111、112、113、114、115、117……へぇ、116はないんだ。珍しいな……4を飛ばすなら、忌み数なのかなって感じだけど、なんで6……あっでも6はヨーロッパでは悪魔数字だっけ」
 次いで人差し指でなぞって行けば、その下は120、122、124と先程よりもまばらに並んでいて、さらに首を捻ってしまう。
「……一貫性がないなぁ。なんでこんな……」
「ねぇねぇ」
「!?」
「おねーさん、どうしてそんな格好をしてるの?」
 一人だと思い込んでいたために飛び上がるほど驚いてから声のしたほうに目を向けると、そこにいたのは先に横槍を入れてきた少年だった。ヴィーナスはその質問の意図がよくわからず、けれど用意していた通りの回答を口走る。
「私はこの船の乗務員で見回りを」
「嘘だよね」
「え、」
「だっておねーさん、さっきまでバニーガールしてたじゃない」
「っ、な、」
「それにおねーさんって普段はこの船に乗ってないでしょ?」
「な、んでそんなこと!」
「おねーさん、すっごく揺れに弱いんだもん」
「へ、」
「いくらなんでも船に乗り慣れてる人の動きじゃないと思うんだ」
 ジジっと白熱電球が音を立てたのが妙に大きく耳に響いた。心臓の音が相手に聞こえてるんじゃないかと思うほど大きく打っている。じっと見つめてくるメガネの奥の二つの瞳にヴィーナスが映る。背筋につぅっと一筋、汗が流れていくのが分かった。
「おねーさん、本当はバニーガールでも乗務員でもないよね。……何者?」
 モーニングスターにお前は驚きが顔に出やすいから気をつけろと言われていたにも関わらず、狼狽えてしまったヴィーナスにもはや逃げ場はなかった。それでもどう返すか悩んでいるその数秒のうちに、少年の背後の扉が開き、声がした。
「お前も、何者だ」
「!」
「……あーあ。見つかっちゃった」
 そこに現れたのはモーニングスターだった。形勢逆転だ。ヴィーナスとモーニングスターに挟まれた少年はにこにこと笑顔を貼り付け、わざとらしく両手を挙げてギブアップのポーズを取る。
「ぼく?僕はただの小学生だって言ってるでしょ」
「そんな戯言が通用するとでも思っ」
「あのさぁ、おにーさんってすっごくわかりやすいよね」
「……なにがだ」
「もう一人のおにいさんは隙がなくて大変だったのに」
「お前、バルバトスにもこんなことをしたのか」
 肩口から振り返るようにしていたずらっ子のような瞳が覗き、ぺろっと舌が出る。対してルシファーは大きな溜息をついてわかりやすく肩を落とした。
「もういい。出ていけ」
「ありがと、おにーさん」
 にこ!と屈託なく笑って出ていくかと思いきや、モーニングスターの横を通り抜けてから、あ、と声を上げて振り向いた。
「おねーさん」
「へ、わ、わたし?」
「そう。ねぇ、いいこと教えてあげる」
「いいこと?」
「僕ね、犯人がわかってるんだ」
 話しかけられたヴィーナスよりも先にモーニングスターがぴくりと眉を動かした。
「なぜそんなことを俺たちに言う」
「本当は交換条件でそっちが持ってるだろうパズルのピースをもらおうと思ってたんだけど、おねーさん、閃いたみたいだから予定を変更しようと思っただけ」
「なんだと?」
「もうみんな寝てる頃合いだから、起こすのも忍びないし、今後事件が起きることは無いと思う。だから僕……じゃなかった、おじさんが明日の朝イチで犯人を問い詰めるつもりなんだ。でもねおじさんの推理だけだとちょっと弱い部分があるの。だからおねーさん、手伝ってくれるよね」
 半分脅しのようなお願いにNOと言えないのは、あふれんばかりの自信が彼の目に宿っていたからだろう。
「わかった。でも交換条件よ」
「えー……」
「えーじゃないのよ!君の手伝いはする。だからこれ以上私たちの素性に首を突っ込まないで」
「……しかたないなぁ。今回は事件を解決するのが先決だし、おねーさんたち、別に悪いことしてるわけでもなさそうだしね。わかった。その条件のむよ」
 そう約束をすると「それじゃあまた明日、よろしくね」と少年は去っていった。残された金星コンビは緊張の糸を解く。
「はぁ……どうなるかと思ったけど、大丈夫だったみたいですね」
「大丈夫かどうか決めるのは時期尚早ではあるが……それよりも、本当なのか」
「へ?」
「解けたのか」
「あっ!そうなんです!今さっきなので、ちょっと整理が必要ではあるんですが、間違いないと思います」
「さすがだな」
 近づいて来たと思えば、ヴィーナスのかぶっていた変装用の水兵帽をそっと持ち上げてするりと髪を撫でる手つきは優しい。それだけでどきんと心臓が跳ねてしまうので、モーニングスターには敵わないなと彼女はひとりごちた。その視線からだけでも逃れようと目を逸らしつつ言う。
「あ、あの、あの子、明日早いって言ってたから、モーニングスターはもう部屋に戻ったほうが」
「ルシファーだ」
「っ、」
「二人きりのときはそう呼べと言ったろう」
 突然甘いトーンで囁いてこられると、今がミッション中であることを忘れそうになるからやめてほしい、とは心の中の声だ。当然それはルシファーには届かない。
「わ、たし、」
「乗務員用の部屋に潜り込むわけにもいかないだろう。俺の部屋へ来るんだ」
「でも、」
「これは提案じゃない、命令だ」
「ッわか、りました」
 ダイイングメッセージについても聞いておく必要があるからな、というが「も」ではなく、それが主題のはずでしょう!なんて言えないまま、二人は連れ立って資料室を後にしたのだった。

翌日。
メガネの少年が言っていた通り、朝早くから事件に関係のありそうなメンツが貸し会議室に呼び出された。言わずもがな、依頼人、カイリスコンビに金星コンビ、それから乗務員数名である。ヴィーナスは皆と会った日の装いということでバニーガールの衣装を着ている。
「さて、みなさんにお集まりいただいたのは他でもありまフェ」
「ふぇ?なに?」
 話し始めたと思ったらフラフラと椅子に座り込んだチョビヒゲは、絶妙な俯き加減でコホンと一度咳をする。
「だ、いじょうぶですか……?」
『問題ありません!失礼!』
「?それ、肉声じゃないわね」
『!?』
「なんでしょう。どこか別のところから声がしますね」
『何を仰っているのかさっぱりですな!そんなことよりも、』
「いいえ、こういうのは後々問題になりますから、早めに手を打っておかなければなりませ」
「あ、あの!?まずはお話しを伺いませんか……?私たち、一応容疑者ってことみたいなので、あまり逆らわない方がいいかと」
 昨日した少年とのやりとりを思い出しながら、ここは邪魔するべきではないと、カイリスコンビの最もなツッコミを宥めるのはヴィーナスだ。チョビヒゲの座ったソファーの後ろから少年がちょっと覗いたのが、その行動が正解だとでも言いたげにGOODと親指で合図されたのには少し笑わされた。
『それでは改めて。皆さんにお集まりいただいたのは他でもありません!昨日起きた殺人事件の真相をお話しするため、それから犯人を確保するためであります』
「犯人がこの中にいるって言うのか!?馬鹿馬鹿しい。乗客のうちの何分の1なんだ、ここに集められてるのは!どうして容疑者にされなくちゃならないって言うんだ!」
 初っ端から怒り始めたのはもちろん依頼人の男で、この様子だと昨日からずっとキレ続けているようだ。カイロプタラもアプリーリスもどうにも居心地が悪く、あははと空笑いをする。
「でもまぁ、確かにね。なんで私たちだけなのかって言うのは気になるわけよ」
「第一発見者と現場に入った我々のみ集めている、程度のことしかわたくしたちは情報がありませんから」
『ですから、まずは情報の交換といきましょうか』
「交換?」
『ええ。先にわたしたちが検死した結果をお伝えします。被害者は細い糸のようなもので絞殺されていました。そしてあの部屋の中に凶器らしきものはありませんでした』
 ああそんなことか。もう知っている。と思うも、デビルズ側は表情筋ひとつ動かさない。
『部屋にあったのは、被害者の持ち物と思われるボストンバックがひとつ、着替えなどの生活品、それから122号室の方の持ち物だと言う純金で覆われた箱。そして床に何かの燃えカスのようなもの』
「燃えカスだと?」
『正確には、「燃えた」と言うよりは「溶けて固まった」という方が妥当でしょうな。ただ、細かく調査できる環境がないので、それが何かはわかりませんでしたが』
「なんだ。何もわからないのと同義じゃないか。それではこの事件に関係あるものなのかどうかもわからない」
「そうだそうだ!!俺たちはそんな話を聞くためだけにこんなところに集められてるのか!俺だって自分の荷物を盗まれてるんだからな、死人に口無しとはいえ、こっちだって被害者なんだ勘弁してくれ!」
『まぁまぁ。我々が見つけたのはその程度の情報です。さて、平等に行きましょう。次はそちらの、バニーガールの方が持っている情報を教えていただきたい』
 そこまで言うと、隠れていたはずの少年が飛び出してきて、「ね、おねーさん」とヴィーナスを矢面に引き出した。対してヴィーナスは、この子、私が掴んでいる情報が何かも知らないくせによくもこんな人任せにできたものだなぁと呆れたが、とりあえず言葉を引き継ぐ。
「わかりました。全てお話しします。私たちは —— 被害者の最後の言葉を聞いているんです」
「なんだって!?」
「ダイイングメッセージの意味がわかったの?」
「はい。おそらく間違いはないかと思いますが、その証明のためにもこれから皆さんに説明させていただこうかと」
「ば、バニーガールなんかに何がわかるって!?どうせ嘘っぱちに決まってる!聞くだけ無駄だ!」
「おいお前。口は慎め」
「ひっ……!」
 眼光だけは鋭いモーニングスターの一喝に、騒ぎ続けていた依頼人も口を噤んだ。それを見てから、ふぅっと一つ大きく息を吸って、ヴィーナスは話を始める。
「私たちが聞いたダイイングメッセージは”うば”と言う二文字でした」
「確かにそうだったわ」
「それで、それが示すものがわかったと、そういうことなのですよね」
「はい、その通りです」
 言葉を受けつつ、ヴィーナスは筒状にして持っていた一枚の紙をくるくるとほどき、机の上に広げた。
「これを見てください」
「これは……船の案内図ですか?」
「その通りです」
「しかしそれが何かヒントにな……ふむ、なるほど」
「すでにお気づきの方もいるかと思うのですが、被害者のダイイングメッセージは部屋番号を表していたんです」
「部屋番?」
 こくり、小さくヴィーナスが頷いた。
「見ての通り、この船の部屋番は少し特殊な付け方がなされています。最上階スゥイートが101、その下の階が110~115、117~119、そしてその下が120、122、124~129……と続いていき、三階層。この部屋番号を見ておかしいと思いませんか」
「部屋番号に歯抜けがあることを言ってるの?そういうのって忌み数ってやつなんじゃなくて?」
「そう考えることもできます。ですが、階層ごとに飛ばされている数字が異なるのは気になりませんか」
「言われてみれば、それもそうね」
「とは言ってもサンプルも少なかったので私も確信が持てませんでした。なので、この船の資料室でさらに調べたんです」
 もう一枚、ぺらりとヴィーナスが差し出したのは、今度は船の設計書のようなものだった。先ほどと似て非なるそこには、それぞれの部屋番号の下に小さな文字が書かれている。
「110 Thailand、111 Malaysia、112 Philippines……これ、国名?」
「そうです。この番号は、確かに部屋番でもあるんですが、同時に国際的な港のコードの頭三桁になっているんだと思います」
「ま、さか、」
 すでに声が枯れてしまっているのは依頼人であった。なんとか平静を保とうとしているが、さっきまでの威勢がない時点でもはや認めているようなものだ。
「……紅茶に詳しい方ならご存じかと思いますが、ウバはスリランカを主として流通している茶葉のことを指します」
「スリランカの港コードは、122、だよね、おねーさん」
「はい。つまり、被害者が伝えたかったのは」
 122号室に宿泊していた客の方を皆がバッと振り向く。
「薄れゆく意識の中で最後の力を振り絞って伝えたのが茶葉の名前だったなんて、商人らしいですね」
 す、と指先で船の図案をなぞったバルバトスは静かに独り言を口にした。
「だが、その、そんな、その、そのダイイングメッセージが部屋番だなんて言い切れない!そんなのあんたのかってな幻想じゃないか!俺がやったっていう証拠なんて」
「そ、そんな言い訳っ」
「ここまで追い詰められてまだ逃げられると思っているのか」
 証拠はないんだろうと踏ん反り返る犯人に、ヴィーナスが下唇を噛む。しかしそこであっけらかんとした声が上がった。
「あるよ」
「えっ」
「これだよ」
 少年が手にしていたのはプラスチック製の容器に入った透明の液体。いまいち意図が掴めず、デビルズの面子はクエスチョンマークを浮かべたが、いち早くその中身に気づいたバルバトスが答えを口にした。
「もしやそちら、除光液、ですか」
「おにーさん、さすがだね。正解だよっ」
「除光液?それがどうしたの?」
「春居。あなたはどうして除光液でマニキュアを落とせるか知っていますか?」
「ええ?うーん……どうしてって言われると……考えたことないわねぇ」
「マニキュアの主成分は樹脂なんだ。で、それを溶かすのがアセトン。その成分が除光液に含まれていて、あの独特の香りがアセトンってわけなんだけど、最近の除光液はアセトンを含まないものも多くなっていて」
「独特の香り……!あの時感じた変な匂いはこれだったの……」
「少年、あなた、よくご存知ですね」
「このくらい常しっあああえっとね、この間おじさんから教えてもらったんだ!あはは……」
 少年は突然幼い口調に戻って、苦笑いをした。バルバトスは少年に対してもただならぬ雰囲気を感じたが、今はそこを追求するよりもやることがある、と一旦目の前の問題に向き直る。
「少年が言うとおり、除光液に含まれるのはアセトンです。アセトンは樹脂、つまりアセテートを溶かすのですが、このアセテート、厄介なのはみなさんが着ている服の成分にも含まれる場合がある、というところにあります」
「あっ!そういえば!この間アスモデ……じゃない、知り合いも服に穴を開けてたわ!」
「ええ。除光液をこぼして服に穴を開けてしまう人も多いと聞きます。ただ一般的に言って、100%アセテートで作られている糸など存在しません。だいたい60%、多くても70%くらいでしょう」
「もしかして、さっき言ってた床に一部残っていた溶けて固まったような何かって、」
「おそらく、凶器の糸ではないでしょうか。それもやはり100%アセテートではなかったのでしょう」
 じわじわ追い詰められていると悟ったのか、唇をワナワナとさせる人間が一人。そちらにバルバトスが視線を向ける前に、少年が最後の一手と、いかにもらしく声をあげた。
「あれれー?おじさん、おじさんのズボンの裾のところも!」
「!」
「穴が、空いてるね?」
「っーーーー!!」
「どうしーーあっ!」
 ダッと入り口を目掛けて走り出した依頼人に対して動いたのは春居だった。
「あら!逃げられると思ったの?」
「!?」
 音もせず床にねじ伏せられた依頼人 —— 今となっては殺人犯と呼んだほうがいいのかもしれないが、彼は何が起こったかもわかっていない様子。けれど背中の上に乗られて身動きを封じられてはもはやどうすることもできず、ガクリと項垂れた。
「っ、殺すつもりはなかったんだ……!ただ少し協力してほしいと、昔馴染みだからと頼みにいったら、あいつは虫けらでも見るような目で、落ちぶれた金持ちとは話たくないから部屋から出ていけって……それでカッと頭に血が上ってっ……っおまえらのせいだ!おまえらがっ」
「お門違いもいいところです。報酬を支払えなかったのはあなたでしょう」
「それにね、そんなに大事なものだったなら、どうして最初からうちにお金払わなかったのよ。モノは取られたら終わりだけど金ならどうにかなるでしょうに」
「っく……」
「結局目先の利益に気を取られたんだろう……いや、もしかすると宝にとりついた亡霊にそそのかされたのかもな」
 格好をつけてそんなことを言うルシファーに向かっては、犯人の上に乗ったままの春居が、うげぇと悪態をついた。そしてポカンとした少年に対しては、バルバトスがこんなことを言ったとか言わなかったとか。
「あなたもわたくしたちを侮らない方が身のためですよ」

 こうして散々なミッションはなんの報酬を受け取ることもなく、終わりを迎えたのである。
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